華麗なる旋律 -ルビンシュタイン自伝ー について
昨年11月に閉店となった、神田駿河台の風光書房でこの本を購入しました。いつの頃からかこの本が接客カウンターの目立つところに置かれてあり、最後に風光書房を訪ねた際に店主にこの本のことを尋ねてみました。店主は、とにかく面白い本です。それは女性とのはらはらするような場面が連続するからです。ひとりのクラシックの演奏家(ピアニスト)の伝記としても楽しいのですが、これはかなりきわどい場面が連続する小説としても楽しめると思いますと説明されました。実際、読んでみて思ったのは、日本の古くからある言葉で言うと若気の至りと言われそうな場面がいくつか展開しています。特に同郷のフレデリック・ハルマンとその家族それからベルリンの王立音楽院のバルト教授との結末は極めて後味が悪いものです。自分の生活の基礎を築いてくれた恩人と言うべき人たちなのに時が経過するにつれ、悪い人たちのように描かれています。とはいえそういう仲たがいとなった人たちはごくわずかで、たいていの友人は寛大な心でルビンシュタインの心変わりや浪費のためにお金を貸すことに理解を示しています。
このピアニストの自伝を読んで強く思ったのは、若き芸術家が自分の力だけでマエストロの道を切り開いて行くことの難しさです。ルビンシュタイン自身も経済的に行き詰まり、自殺未遂までしています。先に出てきたバルト教授について腕を上げ、音楽学校で後進の指導に当たりながら、自らのコンサートを定期的に開催するというのが堅実な音楽家の生き方だったのでしょう。でも若きルビンシュタインは女性に対して人一倍憧れの心が強く、また見知らぬ異国を訪れたいという願望が強かったということもあり、それを許さないバルト教授と対立し、先に述べたワルシャワに住むハルマン家の人々の世話になります。フレデリックとの友情は強い絆で結ばれているかに思われましたが、フレデリックの妹ポラとの関係でハルマン家の人々とうまく行かなくなってからは、パリ、ローマ、モスクワ、ロンドン、マドリッドと世界に活路を求めていきます。と言っても故国ポーランドの首都ワルシャワにはしばしば戻り、家族やフレデリックと再開しています。しかし1914年に第一次世界大戦が起きて以降は故国に戻ることはできなくなり、ルビンシュタインはスペインやアルゼンチンで音楽活動をしていたようです。
先にも述べましたが、彼には非常にたくさんの音楽仲間がいて、この本に登場する有名な音楽家を挙げるとシマノフスキ、カザルス、イザイ、ストラヴィンスキー、アンセルメ、ファリャなどでありますが、その中の逸話としてカザルスから借りた10ポンドをルビンシュタインがいつまでたっても返さないので、カザルスから、君がいる家に来るのはいや。お金を返さない友人は友人ではないと言われ、すぐに15ポンドを返したという話はルビンシュタイン、カザルスの性格を表しているようで興味深く読ませてもらいました。
私はクラシック音楽を聴き始めてもうすぐ40年になりますが、今まではルビンシュタインのレコードはあまり聴きませんでした。というのもユダヤ系の音楽家でアメリカのクラシック音楽界の重鎮だった人という認識でした。しかしこの本を読むと4歳でヨアヒムに才能を認められた天才で、記憶力は著しく、膨大な曲をすぐに暗譜して演奏していた。しかもピアノはベヒシュタインなど響きの良いピアノにこだわったことが書かれてあり、毛嫌いしていたところがあるこのピアニストをじっくり聴いてみようと思いました。ショパンのバラード全4曲のレコードと彼が存命中の35年ほど前に購入したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のレコードはありましたが、この本を読んで彼の得意な楽曲のいくつかがわかりましたので、最後にそれを紹介することにしましょう。ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ライナー指揮シカゴ交響楽団との共演 サン=サーンス ピアノ協奏曲 第2番 オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団との共演 そしてショパンのノクターン これらのレコードはルビンシュタインの音へのこだわりが強く感じられるすばらしいレコードです。是非、お聴きになってください。