永六輔氏が残してくれたもの

 「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「遠くへ行きたい」「黒い花びら」「こんにちは赤ちゃん」「おさななじみ」「女ひとり」「生きるものの歌」などの作詞やラジオのパーソナリティで活躍されていた永六輔氏が永眠されました。もちろん、先に挙げた歌はすばらしくいつまでも心に残るのですが、私にとって永氏はそれ以外にも私に大きな影響を与えてくださいました。
 関西人の私にとっては永氏の放送を聴くことは極めて難しく、永氏のラジオを初めて聞いたのは、今から18年前に、CBCラジオ(名古屋)の「聞けば聞くほど」という番組の中で、「誰かとどこかで」を聴いたのが初めでした(たまたま伊吹山に登っている時に聞いたのです)。永氏は、このつボイノリオさんがDJをしている番組に何度かゲストで来られ、何度か楽しませていただきました(雑音が多くて聞くのが大変でしたが)。と言ってもそれまでまったく永氏を聴くことがなかったのかと言うとそうではありません。浅田飴のコマーシャルは有名ですが、それ以外は関西の文化の後ろに隠されて、求めない限りは見ることができませんでした。そんな永氏の歌声やトークを始めて聞いたのは、京都の近畿放送(現在はKBS京都)で流れた、宵々山コンサートのレコードだったと思います。またNHKテレビで永氏が「生きるものの歌」を熱唱しているのを聞いたのも覚えています。そんなごくたまにしか拝見、拝聴できなかったのですが、永氏のユーモア、高らかな健康的な笑いは心に残ったのでした。永氏は亡くなる直前まで、ラジオのレギュラー番組を持たれていて、東京ではたくさんの方がそれを聴かれていたということですが、関西人の私にはそれができず残念でした。
 永氏と言えばやはりすばらしい歌の歌詞ということで、ここからは永氏が残した歌について私なりに書いてみようかと思います。
「上を向いて歩こう」   この曲がヒットして、しばらくしてアメリカでもスキヤキソングとして、ビルボードの週間1位(1963年)を獲得した話は有名です。1981年にテイスト・オブ・ハニ―というグループ(二人組だったかも)が英語訳で歌いミリオンセラーになりましたが、このレコードが出てすぐに私は購入しました。
「見上げてごらん夜の星を」   「上を向いて歩こう」は最初に4分休符が入り、しばしば4分休符が入って、演奏が難しいですが、「見上げてごらん夜の星を」は演奏しやすく盛り上がる曲なので、器楽演奏に向きます。私もクラリネットのレッスンでこの曲を吹きました。
「遠くへ行きたい」   同番組のテーマ曲ですが、やはりジェリー・藤尾さんの歌が一番しっくり来ます。この曲に乗せられたのではないのですが、番組を見てたくさんの観光地を訪れました。
「黒い花びら」   この歌を初めて聴いたのは中学生のときでしたが、しびれました。きっとおませさんだったのでしょう。水原弘さんの熱唱、サックスの響き。水原弘さんは若くして(享年42才)亡くなられましたが、もっと歌ってほしかった。
「こんにちは赤ちゃん」   ちょうど私の妹が出生した時の歌で、母親はこの曲に励まされたし、父親がよく歌ったと言っています。
「おさななじみ」   ひとつの物語を読むような感じの歌詞に敬服したのは、私が高校生の頃でした。いったん失恋の歌と思わせてハッピーエンドで終わるなど、永六輔氏らしい歌詞だと思います。
「女ひとり」     この歌と渚ゆう子さんの「京都慕情」は古都京都への憧れを引き出してくれました。大原三千院、栂尾高山寺、嵐山大覚寺とありますが、いずれも趣のあるよいお寺です。
「生きるものの歌」   今から40年ほど前にNHKテレビで、永氏、デューク・エイセス他が出演する番組がありました。当時のわが家にはテレビが1台しかなく、チャンネル争いに敗れた私は、雨でナイター中継がない時だけこの番組を見ることができました。デューク・エイセスが歌うこの曲が今でも心に残っています。