『ピアノとともに』について
私がクラシック音楽を聴き始めた38年前には、ホロヴィッツとリヒテルが現役で頑張っていて、ブレンデル、ポリーニ、アシュケナージなどのピアニストが新譜を出すとしばらくはその評価で巷間はにぎやかになるという感じだった。ピアノはオーケストラに匹敵すると言われ、88の鍵盤を10指で弾いて演奏するが、タッチやピアノの性能により音色が異なり、ピアニストの個性によっても様々な可能性を秘めている。クラシック音楽ではピアノは独奏の他、オーケストラとの共演(協奏曲など)、室内楽曲(弦楽四重奏などグループでするものとヴァイオリン、チェロなどのソリストとの共演など)、歌曲の伴奏などで活躍するが、私が最初に聴いていたのは、グルダのモーツァルトの協奏曲とベートーヴェンのピアノ・ソナタだった。グルダにはひらめきのようなものがあり、それはたくさんの感動を伴ったので、私は一時はグルダばかりを聴いていた。それでもグルダが演奏する作曲家は限られており、他の作曲家を聴きたくなった私は、ベネデッティ=ミケランジェリのドビュッシーやポリーニのショパンやリヒテル、グールドのバッハ(リヒテルの平均律とグールドのゴールドベルク変奏曲は別格だが)を少し聴いてみたが、ピアノの演奏にのめり込むことはなかった。その後はケンプのベートーヴェン(協奏曲とソナタ)やショパンの名演(リパッティのワルツ、コルトーの前奏曲とバラード、フランソワのノクターンと2つの協奏曲)を聴いていたが、1994年に始めて東京で中古レコード店巡りをした際に飯田橋のライエルマンという中古レコード店で、ギーゼキングのグリーグ抒情小曲集(31曲)を買いそこなった(資金が足りなかったのか、先に買われたのかは覚えていない)ことがずっと頭に残っていた(今でもこのレコードが買えないので、残っているとも言える?)。ギーゼキングについて言えば、今から30年ほど前に10インチ盤のシューマン「子供の情景」を購入したのが初めだったが、彼が演奏するモーツァルトのピアノ・ソナタやドビュッシー、ラヴェルに興味が持てず、ほとんど聴くことがなかった。ところが10年ほど前にメンデルスゾーンの無言歌集を聴いて、彼に対する認識が変わった。彼についてしばしば耳にした楽譜に忠実で、感情を表に出さない、そっけない演奏という認識が改まった。この無言歌集の中の「甘い思い出」「五月のそよ風」を聴くととてもロマンチックな気分になって、ギーゼキングと言う人もロマンティックな気分になることもあり聴衆を感動させる術を心得ているんだなと思い、彼の演奏をたくさん聴きたくなった。それから彼が得意とした、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集やドビュッシーを心を新たにして聴いてみたが、まだその魅力を理解できていない。
前置きが長くなったが、上記のような過程を経てから、この『ピアノとともに』ギーゼキング著(白水社刊)を読んだ。この本は自伝的回想記「わたしはこうしてピアニストになった」とエッセイ「ピアノをひく人のために」の二部からなっているが、この本では1938年以降の記載がなくギーゼキングの足取りがわからず、娘のユタが補足的な文章を入れている。第1次世界大戦の際に一般の人よりも自由に行動できる芸術家の特権を利用してヨーロッパ中を訪ねたギーゼキングのことだから、きっと第2次世界大戦中もいろいろな出会いがあっただろうから、その記載がないのはとても残念である。それでも医師で蝶の蒐集家であった父に幼い頃から英才教育を受け(学校にはいっさい通わなかったらしい)、蝶の蒐集家としても大家となる可能性があったギーゼキングが、なぜピアニストになったのか。またそんな彼がピアニストとして大成する過程はどのようなものだったかは、この本を読むとよく理解できる。
幼い頃から、ピアノに親しんだギーゼキングはピアノのタッチをピアノ演奏を高度で豊かなものにするための重要な技術と考え、暗譜での演奏とともに大切にしていた。また初見での演奏もしばしば行い、それを続けていくためにロマン派の音楽をほとんど演奏しなかった代わりに、プフィッツナー、ピストン、マルクスなど今日ではほとんど演奏されることのない作曲家の新しい作品をコンサートで積極的に演奏していたようである。この著作を読むと、コンサートの主催者の思惑があって、ギーゼキングがやむなく無名の作曲家を演奏していたわけではないようである。死後60年が経過し、今更何を言っても始まらないが、モーツァルトやベートーヴェンの古典派の音楽に堅実に取り組まなくても、ショパンの練習曲集や前奏曲集を残してくれていたらなあと思う。ギーゼキングはわずか60才でその生涯を閉じたが、もう少し長生きして、バッハやショパンなどの作品にも挑戦してほしかった気がする。