『セバスチャン・バッハ回想記』について

モーツァルトやベートーヴェンの古典派の時代まで遡らなくとも、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ショパンのロマン派の時代であっても、その家族が偉大な作曲家の業績を称えた本を残したということを私は知らない。というのはいくつかの条件を満たさないと成り立たないからだと私は思っている。もちろん偉大な作曲家の存在が必要であるが、その家族が行動を共にして偉大な作曲家の音楽活動の全貌を把握していること、そして何より後世の人に読み継がれていくだけの充実した内容であること、これらが満たされて初めて今日においても普遍的な価値を持つ伝記となるのである。
その著書が今から250年以上前に書かれたとすれば、それは貴重な出版物となる。残念ながら、この本の著者はヨハン・セバスチャン・バッハ(以下、バッハ)の2番目の奥さんであるアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下、アンナ)ではなくて、実際のところは別の人(多分、19世紀か20世紀のバッハ音楽の愛好家か、研究者ではないか)が書いたようである。しかし内容は充実していて、バッハとアンナが出会ってどのようにして結婚に至ったか、息子(前妻の息子フリーデマンとエマヌエルを中心に)たちの音楽活動はどうだったか、また娘エリザベートはどのような結婚をしたのか、バッハの音楽(演奏と作曲)はどのようなものだったかまたその評価はどうだったか、バッハの弟子や上司との関係はどうだったかということだけでなく、アンナと結婚してからケーテン(宮廷楽長)、ライプツィヒ(聖トマス教会のカントル(合唱長))と活動の拠点を変えたが、その経緯はどんなものだったかなどが詳細に書かれてある。
それだけでなくアンナが残した自伝ということになっているので、バッハが膝の上にアンナを乗せて、「ねえ、僕の可愛い妻は、遙かな恋人を嘆息させるような美しくて短い歌謡や、宮中女官を泣かせるような悲しみに満ちた譚詩のために僕を滅ぼしてしまったと思わないかい ― この上もなく嬉しい合唱長が、可愛い妻を膝の上に笑いながら乗せている時に、どうして憧憬の歌が書けると思う?一二の悲しい句に従って率直に叫ぶ旋律が頭に浮かんで来たから、君の両親が僕等の結婚に同意して呉れたあの時に遡って想像しなければならない」と言ったり、「家は本当に平和だが、外は反対に嵐だ。マグダレーナ、さうぢやないか」と言ったりしたと恋愛小説のようなことも書かれてある。これらを読むと仲睦まじい夫婦が協力し合いながら前人未到の偉大な業績を残したということが実感でき、とても良いものを書かれましたね、奥さんと言いたいところだが、残念ながらバッハの2番目の妻(なお、最初の妻マリア・バルバラは13年のバッハとの結婚生活の後、病死している)アンナが書いたものではない。
この至れり尽くせりの著作がアンナが書いたものでないとなぜわかったかは今となってはわからないが、これほど面白いしかも内容が充実している読み物がそれを理由に絶版になっているのはとても惜しいことだと思う。この本には、他にもフリーデマン、エマヌエルを母として励まし力づけた話や弟子のゴールドベルグのためにゴールドベルグ変奏曲を作曲して、それがゴールドベルグのパトロンであるカイザーリンク伯爵の気に入られた話やプロシア王フリードリッヒがバッハに六声のフーガを書くようにと主題を与えたところ、たちどころに優れたものをバッハが作曲したので、「流石にバッハだ!流石にバッハだ!」と大王が叫ばれた話は真実味があり、楽しいエピソードだと思う。
出版当初は、アンナ・マグダレーナ・バッハ著として出版された本であった。仮に改めて出版するなら、「アンナ・マグダレーナ・バッハ著」は無理だろうが、、例えば「20世紀のバッハ愛好家著」として新しい装丁で出版するのは可能ではないだろうか。そうすれば、バッハ愛好家の多くは楽しく読まれることと思う。別人が書いた作り話として破棄されるのは余りにももったいない評伝だと思う。