『シューベルト 音楽的肖像』について

シューベルトは1797年に生まれ1828年に亡くなったウィーンで活躍した作曲家であるが、わずか31年の生涯で作曲した曲は膨大な数にのぼる。フラグメントと呼ばれる未完の作品があり20世紀の音楽学者ドイチュが番号をつけて整理しているが、その数は作品を含めて1000に近い。例えばシューベルトの出世作歌曲「魔王」はop.1(作品1)でD328(ドイチュ番号328)である。私たちはシューベルトをロマン派の初期の作曲家としてたくさんの作品を楽しむことができるが、シューベルト自身はウィーンを中心に活躍した3人の偉大な作曲家(ハイドン(1732-1809)、モーツァルト(1756-1791)、ベートーヴェン(1770-1827))に影響を受け、彼らの作品を凌ぐものを作曲しようと寝食を忘れて奮闘した生涯だったと言えるのではないだろうか(サリエリの弟子となったためその指導に戸惑うことがしばしばで、ウェーバーやロッシーニからもかなり影響を受けている)。シューベルトの生涯と作品について詳しく書かれた図書はないものかと思っていたところ、1963年に刊行された『シューベルト 音楽的肖像』(アルフレート・アインシュタイン著 白水社)を古書で見つけたので、読んでみることにした。
シューベルトの父親が教師でアマチュアの音楽家であったため、幼いときから才能をあらわしたシューベルトは7才の時に聖歌隊指揮者の指導を受けることになる。11才の頃には合唱隊員として帝室=王室楽団に加入する。14才の頃には、音楽のあらゆる部門、歌唱法、ヴァイオリン奏法、ピアノ奏法において特別に優秀であったとの評価を受け、恵まれた音楽的環境の中で音楽活動に必要なことを吸収していく。16才の頃に師範予備科に進学し、この頃に官吏、学者、詩人、画家、音楽家との友情を結んでいく。17才の頃には父親のもとで助教員として仕事を始めた。この頃からシューベルトはオペラの作品を手掛けるようになるが、完成されたもので今日レコードとして聴けるのはとしては、1818年に完成した「双子の兄弟」と1921年に完成した「アルフォンゾとエストレッラ」くらいである。またシューベルトは、ミサ曲を6曲残しており、第5番と第6番が優れた作品と言われている。
シューベルトは上述したように歌劇や宗教曲をいくつか残しているが、やはり声楽曲としてはピアノ伴奏の歌曲(リート)が最も優れていると思う。3大歌曲「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」の他たくさんのリートを残しているが、シューベルトのリートを愛聴してきた私としては是非聴いていただきたいリートが多数ある。そのリートをまとめて聴くのに好都合なのが、クリスタ・ルートヴィヒのアルバムなので、是非聴いてみていただきたい(収録曲「楽に寄す」「ミューズの子」「ガニメード」「水の上で歌う」「アヴェ・マリア」「ます」「糸を紡ぐグレートヒェン」「春のおもい」「死と少女(乙女)」「笑いと涙」「連禱」「魔王」)。この本には私が知らない歌曲がたくさん紹介されている。多分、YOU TUBEにシューベルト ドイチュ番号を入れればその多くを聴くことができるに違いので、興味があるものをいくつか聴いてみたい。
「未完成交響楽」という映画の中で、シューベルトはたくさんのリートを作曲していて「菩提樹」が市井で歌われているという場面があったが、生活は貧しかったようである。バッハのように几帳面に課題をこなしキャリアを積み重ねていくというタイプではもちろんなかったし、モーツァルトやベートーヴェンほどの極めて豊かな才能(シューベルトも天才なのでこういう表現になる)がなかった彼は自分の作品の楽譜を出版したり、自分の作品を演奏して生活することはかなわなかった。それで1818年には有名な女性歌手の父親の推薦によってハンガリーの伯爵の2人の令嬢の音楽家庭教師としてハンガリーのゼレチェに行くことになる。ここで問題になるのは、伯爵や令嬢たちではなく、たいへんかわいらしい小間使で、「数年後にシューベルトを打ちのめして、最後の病気が襲ってきたときに彼の肉体の抵抗力を弱めた重病の原因となったであろう」と本書に書かれている。1823年には病状(慢性梅毒)が悪化し、絶望感に苛まれる。そういう中で交響曲第8番(第7番)「未完成」(1822年)をはじめ、たくさんの器楽作品を作曲していくことになる。
シューベルトは「歌曲の王」と呼ばれるが、管弦楽作品にもすばらしいものがたくさんある。交響曲については第8番と「ザ・グレイト」と呼ばれる第9番が内容も充実していて聴く機会も多いが、第3番〜第5番もシューベルトらしさが出ている。室内楽曲では第12番以降の弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲「ます」、弦楽五重奏曲、八重奏曲、2曲のピアノ三重奏曲、アルペジョーネ・ソナタが優れている。ピアノ曲では、晩年の3つのピアノ・ソナタとさすらい人幻想曲(この曲はアルフレート・ブレンデルのレコードを飽きずに聴いていた)と2つの即興曲集が有名である。この本には、シューマンが作品142の即興曲集について述べていて、作品142は3楽章のピアノ・ソナタで3曲目は付け足したものである。弦楽四重奏曲第13番の第2楽章や「ロザムンデ」組曲に出てくる旋律が使われている3曲目は、内容的には劣るとシューマンが述べていることが書かれている。シューマンは「ザ・グレイト」を称えているが、シューベルトの評価は時に辛辣なこともあった。
シューベルトの31年の生涯は、苦渋の連続だったに違いない。それでもたくさんのよき友人に恵まれ、心の支えを失わず励まされ続けたので、たくさんのすばらしい作品を残せたのだと思う。