『モーツァルト その人間と作品』について

今から39年前にクラシック音楽を聴き始めた頃、私はベートーヴェンやブラームスが作曲した音楽ばかりを聴いていました。最初に感銘を受けたのが、ブラームスの交響曲第1番ということもあって、苦悩を突き抜けて、輝かしい勝利に至るという感じの曲がとにかく好きでした。ベートーヴェンで言えば、交響曲第3番「英雄」、同第5番「運命」、同第6番「田園」、同第7番、同第9番「合唱付き」、ピアノ協奏曲第3番、同第5番「皇帝」、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ・ソナタ第32番など、ブラームスであれば、交響曲第1番と第2番、ピアノ協奏曲第2番、ヴァイオリン協奏曲、ドイツ・レクイエムなどを時間があれば聴いていました。そういうこともあり、モーツァルトを聴くことはあまりなかったのでした。当時はグルダのピアノ協奏曲第20番、同第21番のレコードをたまに聴く程度でした。私がモーツァルトが好きになり、本格的に聴き始めたのは、暗い浪人時代と悩み多き、でも楽しかった学生時代を終え、就職して2年目の頃でした。たまたまレンタルのCDでフルートとハープのための協奏曲(ランパルのフルート、ラスキーヌのハープ、パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団)を聴き、そのあまりの美しさに目から鱗が落ちたのでした。それからはモーツァルトの明るい曲を聴くことの抵抗もなくなりなり、むしろそれまでモーツァルトを聴かなかったことを後悔したのでした。
このアルフレート・アインシュタイン(あの有名な物理学者のアルベルト・アインシュタインの従弟(遠い親戚?)と言われている)の本にも書かれていますが、モーツァルトは病弱だったということもあり、自然を肌で感じ、それを感動的なメロディにしたということはなく、音楽理論とテキストからの霊感だけで音楽を創造したのでした。それでも心に残る音楽はたくさんあります。確かに翳りのある短調の曲は少ないのですが、ピアノ協奏曲第24番、クラリネット協奏曲、弦楽五重奏曲第4番、クラリネット五重奏曲、弦楽四重奏曲第21番「プロシア王第1番」、モテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」、モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」などはいつ聴いても感動が残ります。
この本(おおよそ650ページ)では、最初にモーツァルトの人生、人間関係、音楽理論などが詳細に書かれてあり、233ページ以降は作品のことが書かれてあります。
早くから天才(3才の時にチェンバロを演奏し、5才の時には作曲した)と言われたモーツァルトは、幼い頃から父親レオポルドに連れられて、ヨーロッパ各国に旅行し演奏するという日々を過ごしました。ウィーン、パリ、ロンドン、イタリア各地を旅行し、ほとんどひとつのところに留まることがありませんでした。生地のザルツブルグに帰るということもほとんどなく、25才の頃に当時のザルツブルグ大司教(?)コロレドに冷遇されたモーツァルトはついにザルツブルグを離れてしまいます。ザルツブルグは音楽祭が開かれモーツァルトの生誕の地として有名ですが...。そういう生活を送って来たモーツァルトは、30才の頃に父親レオポルドが亡くなってからは、まったくの孤立状態となってしまいました。そうして財産の管理ができなくなったモーツァルトは借金の返済に追われ生活に困窮し、1791年の9月の頃に体調を崩し12月5日に35才の若さで亡くなってしまいます。あれほど優れた作品をたくさん残したというのに生活が困窮したというのは信じられないのですが、妻コンスタンツェの他に頼る人がいないということがあったのかもしれません。ただモーツァルトの死後、コンスタンツェはモーツァルトの作品を管理して豊かな人生を送ったということですから、少なくとも死の直前は妻ともうまく行ってなかったのかもしれません。
モーツァルトにも模範とした音楽家がいて、ミヒャエル・ハイドンやヨハン・クリスティアン・バッハから大きな影響を受けたことがこの本に書かれてあります。より偉大なヨハン・セバスティアン・バッハ(以下、J.S.バッハ)からあまり影響を受けなかったのは、当時、J.S.バッハの業績が知られていなかったためで、後にシューマン、メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を称賛し演奏会で取り上げたあたりから、J.S.バッハは知られるようになると一般的には言われています。
この本の中ほどにモーツァルトの音楽理論について書かれていて、創作過程、対位法、調性範囲などについて書かれているのですが、楽典の知識がほとんどない私には残念ながら、ほとんど理解できませんでした。またこの本にはモーツァルト作曲の有名な旋律がたくさん掲載されています。ピアノでちょっと奏でてみるのも楽しいかもしれません。
この本の作品についての記述は大変参考になりました。モーツァルトの作品は優れたものが多いのですが、ピアノ作品とオペラについては他の作曲家の追随を許さないことがよく理解できました。ピアノ作品としては、ピアノ・ソナタや協奏曲だけでなく、ヴァイオリン・ソナタ(モーツァルトの時代では、ピアノが主役でした)、ピアノと弦楽器、ピアノと管楽器とのアンサンブルにも優れた作品が数多くあることもわかりました。と言っても、やはりモーツァルトが得意なピアノとオーケストラとの共演であるピアノ協奏曲が最高峰で、第21番、第23番、第24番、第25番は特に優れているとアインシュタインは述べています。
管弦楽曲の最高峰である交響曲については、第38番「プラハ」、第39番、第40番、第41番「ジュピター」が優れているとこの本には書かれていますが、私個人の意見ですが、交響曲はやはりベートーヴェン、ブラームスという気がします。この他、器楽曲では弦楽合奏(二重奏、三重奏、四重奏、五重奏)曲の完成度の高さ、ディヴェルティメント、セレナーデの名曲についても述べられています。
オペラについては、やはり『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』『魔笛』の5大オペラについて詳細に述べられていますが、『みてくれの馬鹿娘』『ポントの王ミトリダーテ」『ルチオ・シルラ』『偽りの女庭師』『イドメネオ』の初期のオペラ、『皇帝ティートの慈悲』に至るオペラ・セリア、『コジ・ファン・トゥッテ』に至るオペラ・ブッファ、『バスチアンとバスチエンヌ』(12才の頃に作曲されたオペラ)『後宮からの誘拐』『魔笛』のジング・シュピールまですべて事細かに紹介されています。
私は、W.A.モーツァルトは、J.S.バッハと同様に、音楽という芸術が人の心を豊かにするように神が使わされたのだと信じています。ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスは人生の営みの副産物として音楽ができたと思うのですが、、バッハとモーツァルトは一生を音楽だけに捧げ、ひと仕事を終えて天国に戻ったのだと思っています。