『ブルックナー その生涯と作品』(デルンベルク著)について

私がクラシック音楽を聴きはじめたのは、今から39年前であるが、最初の頃は、ベートーヴェンやブラームスばかり聴いていた。ロマン派やバロック音楽を一通り聞いてからも、ブルックナーやマーラーを聴こうと思わなかった。ブルックナーは旋律ではなく和声を重視した作曲家、マーラーは多彩な管弦楽技法の作曲家と考え、ある程度クラシック音楽が理解できるようになってから聴こうと考えたのだった。そうしてそれから2年ほどして、ベームがウィーン・フィルを指揮したブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」を購入したのだったが、はっきり言って、第1楽章は本当に素晴らしいと思ったが、後の3楽章は何度聴いてもつまらなかった。そうしていつしか、この曲は第1楽章だけを聴いて針を上げるというのが、習慣となってしまった。それでもそれからしばらくして、ショルティ指揮ウィーン・フィルのブルックナー交響曲第7番を聴いた時には、全曲を通してその余りの素晴らしさ圧倒されてしまった。そうしてしばらくは、ウィーン・フィルの演奏で第4番の第1楽章と第7番ばかりを聴いていたが、ある日、クレンペラーが死の直前にブルックナー交響曲第9番を録音した名盤のことを知り、早速聴いてみた。ブルックナーが4つの楽章を完成させることが叶わず、3楽章となったこの交響曲はクレンペラーの演奏が素晴らしいと思ったので、日本盤だけでは飽き足らず、米国盤、オリジナルのEMI盤と良い音を求めて購入した。その後も私のブルックナーの交響曲探求は続き、第8番は未だその良さがわからず、第3番「ワーグナー」も同様である。
そういった中、私を啓蒙してくれる書物はないものかと、日本の古本屋サイトで、ブルックナーで検索したところ、『ブルックナー その生涯と作品』という本があり、値段も手頃であったので、購入した。
この本は、ブルックナーの音楽を概観した序論、評伝、交響曲解説の3つの部分から構成されている。先に言っておくと、この著者は多分、ブルックナーという作曲家に好意を持っていないのではないかと思う。次の引用を見てほしい。
「ブルックナーの生涯と個性は、最近におけるほとんどすべての偉大な作曲家のそれとは、おどろくべき対照をなしている。他の大部分の作曲家と同じく、彼も幼少のころに作曲をはじめたが、他のいかなる者とも違って(唯一の例外はセザール・フランクである)、彼は40歳になってから偉大な作品を書いた。彼の名前が広く知られるようになったのは、やっと60を過ぎてからのことであった。若いときにも作曲をしていたのであるが、1863年以前に書かれた作品の最良のものでさえ、後年彼が作曲したものを予感させる作品であるとはいいがたい。すでにモーツァルトやシューベルトの短い生涯以上の人生を送ったころ、彼はまだ練習曲を書き、作曲の教授を受けていた。(中略)ブルックナーの生涯と個性は、ベートーヴェン、ヴァーグナー、ブラームス、チャイコフスキー―彼らの生涯と性格は、なんらかの点で作曲家としての地位をある程度反映している―の場合と比較すると、まったく貧弱にみえてくる。実際ブルックナーは、彼らとくらべてみると、目だたぬ存在にしまうのである。貧しい村の子供が、しだいに成功して大聖堂オルガニストになり、音楽理論の教授になるのであるが、いっこうに彼の視界はひろがらなかった。彼に関する唯一の真におどろくべきことは、オルガニストとしての経歴を終えたのち、彼のような人間にはまったく不似合いともみえる幅広い視野をもって、突然作曲をはじめたことである」
といった具合にデルンベルクは辛辣である。それでも最後まで読めば、少しは褒め言葉もあるのではないかと思ったが、そうでもなかった。
「不運なことに、ブルックナーのもっとも親しい友人たちのなかには、彼の生活に対する援助の手を、彼の作品にまでひろげることが、自分たちの避けがたい義務であると考えている者がいた。彼らにとってブルックナーはヴァーグナー派の作曲家であり、彼らはおどろくべき理解の欠如をもって、ブルックナーとヴァーグナーの手法の違いは、ブルックナーが彼らの考えている目標に到達するだけの能力に欠けていることに原因があるのだ、と思いこんでいた。そこで彼らは、細かい改変を行ったり徹底的な変更を加えたりして、ブルックナーの総譜の≪改良≫に着手した。その結果生まれた改訂稿は、ブルックナーであることがまったく認められない数頁をふくんでいる。また彼らは、この作曲家の「法外なほどの長さ」を修正することも怠らなかった―それもただ、彼らに余分だとおもわれた」であるとか、改訂版を作成した、ロベルト・ハースやレオポルト・ノヴァークの業績に批判的なところを読むとこの著者はブルックナーの作品をどのように思っているのだろうと思う。これを読むと、デルンベルクはブルックナーの作品の多くの箇所に弟子たちが勝手に手を入れ、どれがブルックナーが書いたのだかわからなくなった。そこでハースとノヴァークが改訂版を作成したが、成果は上がっていないと述べているようだ。
クラシック音楽を啓蒙してくれる評論家は、少なくともその作曲家の音楽を愛する人であってほしい。それを切に願う。なぜならこれからその作曲家の愛好家になろうとする人の熱い思いを冷ましてしまいかねないからである。
あるレヴューにこの本の酷評が書かれていたが、多くのブルックナー・ファンの方は耐えられない内容の本と思うことだろう。
この本を買ったのを機にサヴァリッシュ盤で交響曲第1番、第5番、第6番を始めて聴いたが、私の感想としては、ブルックナーはやはり和声重視で心を引き付けるメロディは少ない。他の交響曲と同様に時々大音量になるのには閉口するが、第1番は魅力的なメロディも多く、いい曲だなと思った。この曲あたりが突破口になるのではと思っている。