『マーラー ―未来の同時代者―』(ブラウコプフ著)について

私は現在ある医療機関で事務の仕事をしているが、20年ほど前、親しくしていただいた医師から貴重な2つの情報をいただいた。ひとつは、『モンテ・クリスト伯』が非常に面白い長編小説であること。もうひとつは、マーラーの交響曲第3番が詩的でアバド指揮ウィーン・フィルの演奏が素晴らしいということだった。『モンテ・クリスト伯』を読んでから長編小説を読むようになり、『ダルタニャン物語』やディケンズの長編小説を読む切っ掛けとなったし、マーラーの音楽の門前で足踏みをしていた私をマーラーの音楽の世界へ導いていただいたということがあり、その先生には今でも感謝している。
ブルックナーとマーラーは後期ロマン派の作曲家で、いずれも演奏時間が長くかかり、オーケストラの規模が大きな交響曲が主要作品である。マーラーについていえば、第3番の素晴らしさを知るまでは、第1番と第5番の第4楽章アダージェットくらいしか聴かなかったが、他の交響曲も聴くようになった。しかし2つのことが壁となって未だに「第3番は確かに素晴らしいけれど...」から脱することができていない。まずは、マーラーの交響曲を構成する旋律の多くが馴染みにくいという壁がある。もう一つは、この本にも再三出てくるが、オーケストラに高度なテクニックを求め、しかも大編成であるので、ラジカセや小さなステレオ装置ではマーラーの交響曲のレコードを充分に再生することができないという壁である。
マーラーと交流があり、多くのマーラーの交響曲の名演奏を残しているワルターも比較的音の良い録音となると、コロンビア交響楽団との第1番、第9番でこの頃にニューヨーク・フィルとの共演もいくつかある。ウィーン・フィルとの『大地の歌』は素晴らしいが、1952年のモノラル録音である。アバドの1976年から1987年の録音(アバドはベルリン・フィルの芸術監督となって以降、1994年に第8番を録音している)はいずれも音が良く内容も充実しているが、アナログレコードが入手しにくい。こういった状況であるので、まだまだマーラーの交響曲をじっくりと鑑賞する条件が整っていないと言えるが、もう少しマーラーの音楽が理解できるようにと、この評伝を読んでみた。
マーラーは、1860年7月7日にイーグラウ近郊の村(当時、オーストリア領)の裕福な家庭に生まれた。父親はユダヤ人の商人で自ら事業を起こし、地域と積極的に関わりを持ち、子供たちの教育に熱心だった。父親は幼い頃からマーラーに音楽的才能があることを確信し、必要な教育を施しそれは将来の礎となった。マーラーはピアノが上手で、超絶技曲も難なく弾いていたようだが、オペラの練習の際や作曲のために役立ったようである。
15才でウィーンの音楽院に入学したマーラーは、17才の頃にブルックナーの和声楽の講義を受け交流が始まる。しかしすぐに大作の交響曲を作曲するということはなく、作曲について言えば、カンタータ「嘆きの歌」を20才の頃に、交響曲第1番は28才の頃に完成している(マーラーの場合、作曲してすぐにマーラーが自分の指揮で初演を行ったが、演奏会で取り上げられるようになったのは1950年代からである。マーラーの死の直前に作曲された交響曲「大地の歌」と交響曲第9番は、彼の死後、ワルター指揮で初演が行われている)。
マーラーは音楽院で、和声学、対位法、作曲を学び、23才の頃には指揮者としてデヴューする。しかしこの頃から、父親が病気で仕事をすることができなくなり、マーラーは自分で稼いだお金で、家族をも養わなければならなくなってゆく。そういうこともあって、より条件の良い環境を求めて、ライプツィヒ、ブタペスト、ハンブルクと活動の拠点を変えていく。36才の頃にマーラーはウィーン宮廷歌劇場の楽長に任命され、それからすぐに最高責任者である芸術監督となった。この頃のマーラーの功績は数えられないほどであるが、多くのオペラや管弦楽作品を彼独自の解釈で演奏し、多くの称賛を得たということと自分が作曲した交響曲を演奏したことだろう。ワーグナー、モーツァルトのオペラだけでなく、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」、オフェンバック「ホフマン物語」、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」、フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」なども演奏している。
マーラーは47才の頃にウィーンを離れて、アメリカで音楽活動を行うが、最愛の長女を失った痛手と心臓疾患に加え、多忙な日々は彼の強靭な肉体をも蝕み、マーラーは、1911年5月18日にわずか50才の若さでこの世を去る。
著者のクルト・ブラウコプフがマーラーを見つめる目は温かく、マーラーの業績を高く評価するために彼の足跡を詳細に調べている。ブラウコプフは、録音技術の進歩がマーラーの音楽普及に貢献する。発達とともに普及して行くといったことを書いているが、ワルター、メンゲルベルク、アバドなど彼の音楽を最も理解していた人がいなくなった今、誰がその後を継いでくれるだろうか。録音が良くても、内容が充実していなければどうなんだろうと思うのである。
この本を読んで、ワルターの交響曲第1番、アバドの交響曲第5番、交響曲第6番のプレミアム盤(アナログ・レコード)が無性に聴きたくなったが、3つのレコードを入手するまでには10年はかかることだろう。