『伝記 クロード・ドビュッシー』(ルシュール著)について
私が初めてドビュッシーの音楽を聴いたのは、冨田勲氏のシンセサイザー演奏(「月の光 〜ドビュッシーによるメルヘンの世界」というタイトルのアルバム)でだった。この中の「月の光」「アラベスク第1番」「亜麻色の髪の乙女」ばかりを聴いていた。それから大分経ってFM放送でベネデッティ=ミケランジェリの前奏曲集第1巻を聴いた私は、巨匠が織りなす深い音の響きに魅せられた。また同時期にアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の演奏で小組曲(ビュッセル編曲)を聴き、その中の「小舟にて」が大好きになり、繰り返し聴くようになった。ここまでは順調だったが、次に聞いたアンセルメ盤「海」と「夜想曲」は何度聴いても好きになれず、他に聴きたい曲がなかったので、ドビュッシーの音楽を新たに聴くことをやめてしまった。ドイツ音楽と違った味わいがあると思ったが、最後まで緊張感が持続しないための物足りなさがそれに勝った。ベルリオーズの幻想交響曲は完全燃焼するので、フランス音楽すべてがそうなのではなく、ドビュッシーの音楽の特徴なのかなと解釈していた。こういうことがあって、ドビュッシーの他のピアノ曲や歌劇「ペレアスとメリザンド」をじっくりと鑑賞することもなく、ベネデッティ=ミケランジェリの前奏曲集第1巻と小組曲をたまに聴くくらいで、それから20年余り私はドビュッシーの音楽を聴くことはほとんどなかった(唯一の例外が、独奏ハープと弦楽合奏の「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」)。
今回、帯に「ドビュッシー研究の定本」と書かれているこの本をじっくり(2段で400ページ以上ある)読みながら、同時進行でドビュッシーの音楽を聴こうとアンセルメ盤の管弦楽曲集(もちろん「海」と「夜想曲」も入っている)、ベネデッティ=ミケランジェリのピアノ曲集(前奏曲集第1巻、同第2巻、映像第1集、同第2集、「子供の領分」)、カラヤン指揮ベルリン・フィルの「ペレアスとメリザンド」のCDを購入し、集中してドビュッシーの音楽を聴いてみた。和声に工夫を凝らした音楽なので、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽のいくつかのようにすんなりすべてを受け入れられるものではないということはよくわかっているのだが、「月の光」や「亜麻色の髪の乙女」や「小舟にて」のような美しい旋律も発見できず、やはり私はドビュッシーの音楽を好きになれないのかなと思った。それでもあえて言うなら、ベネデッティ=ミケランジェリのピアノ曲集は折に触れて聴いてみたいと思ったし、定評のあるクリュイタンスの「ペレアスとメリザンド」を聴いてみたい気がするが、しばらくは他の作曲家の音楽を聴くことになりそうである。
ところでこの本のことだが、いくつか興味深いエピソードの紹介があり、「ペレアスとメリザンド」の初演のあたりまでは興味深く読ませていただいたが、その後がわかりにくく、最後の50ページほどの「人間と時代」は難解だった。とにかく短い文章の引用が多用され、それをどのように解釈すればよいのかわからないまま、次の引用がやって来るという感じで、何も理解できないままにこの50ページほどを終えてしまった。多分、ドビュッシーのことをよく知らないで、読んだ私が悪いのだろう。加えて言えば、ドビュッシーはまとまった形で自分の音楽に対する意見を言わなかったというのがあるのだと思う。作曲家で言えば、サン=サーンスやリムスキー=コルサコフはドビュッシーの音楽に対し批判的で、発言に際しては慎重に言葉を選ばざるを得なかったように思う。カンタータ「放蕩息子」でローマ大賞を受賞しようやく作曲家として大成する足掛かりができたというのに、恋愛中の女性(マリー・ヴァ二エ)のために留学の期間を繰り上げてパリに戻ったり、ドビュッシーが2回目の結婚(エンマ・バルダック)をすると最初の結婚相手(リリー・テクシエ)がピストル自殺未遂をしたり、裕福な女性(エンマ)と結婚し娘シュシュができたが、借金は膨らむ一方で幸せな結婚生活でなかったりと生涯にわたり、ドビュッシーはお金と女性で何度も窮地に追い込まれた。そういった彼の生涯が音楽に反映されてるのかもしれないが、彼が作曲したいくつかの美しい曲は今なおまばゆい光彩を放つのである。
最後にディケンズ・ファンである私としては、ドビュッシーとチャールズ・ディケンズとの関係に触れておきたい。ドビュッシーは、前奏曲集第2巻で「ピクウィック卿をたたえて」(第9曲)という曲を作曲していて、私が持っているCDの解説には、「ディケンズの『ピクウィック・クラブ遺文録』に登場する主人公。Esq.P.P.M.P.C.という肩書はもっともらしいが、正確なものではない。英国国歌のパロディの荘重さと、性急に歩きまわるピクウィック氏との滑稽な対比が興をそそる。」(萩原秋彦氏)と書かれてあり、なるほどそうなのかと頷いたが、この本には2ヶ所、この曲についての解説がある。
「(1913年)4月19日、(前奏曲集)第2巻は刊行された。(中略)他の前奏曲は、パリ公演を行ったばかりのアメリカ人道化師(「ラヴィーヌ将軍」)や、チャールズ・ディケンズ(「S・ピクウィック讃」)や、M・ファリャあるいはビニェスから受け取った絵葉書(「葡萄酒門(ラ・プエルタ・デル・ヴィーノ)」)や、もっと単純に自宅の暖炉を飾っていたエジプトの小さな骨董(「カノープ」)を暗示している。」
という感じで、ディケンズ・ファンにとっては物足りない解説だったり、
「チャールズ・ディケンズに対しては、大変愛着を抱き、その支離滅裂な筋の運びは実生活のあらゆる瞬間にぴったりと合うと彼には思われた。」
ルシュール氏はディケンズがあまり好きでなかったのかなと思ってしまうものだったりだった。でも、評伝を書かれるのなら、そこを我慢して冷静に必要な情報をわかりやすい文章で読者に提供してほしかった。