『リヒャルト・シュトラウス 鳴り響く落日』(田代櫂著)について
私が初めてリヒャルト・シュトラウスを聴いたのは、「2001年宇宙の旅」で聴いた交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭部分だったが、全曲を聴いたのはそれから数年してからだった。確かに冒頭部分は一度聴いたら忘れられない際立つメロディであるが、そのあとの弦楽器が美しいメロディを奏するところもすばらしく、ベーム盤に続いて、メータ盤、ショルティ盤を購入した。交響詩は他にも、ショルティ指揮シカゴ交響楽団の「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ドン・ファン」、セル指揮クリーヴランド管弦楽団の「ドン・キホーテ」をよく聴いたが、「英雄の生涯」(ベーム盤)は何度聴いても退屈だった。「アルプス交響曲」は交響詩ではなく、交響曲のカテゴリーに入るが、こちらはメータ盤をよく聴いた。シュトラウスは管弦楽曲の名曲を他にもたくさん残しているが、なかでもシュトラウスがホルン奏者の父親に贈ったホルン協奏曲第1番はよく聴いた。古い録音だが、ホルンの名手、デニス・ブレインがシュトラウスが作曲した2曲のホルン協奏曲を録音したレコードは本当にすばらしい。オペラも「サロメ」「エレクトラ」のような前衛的なものから、モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」のような18世紀の貴族を描いた「ばらの騎士」というオペラもある。管弦楽曲作品の主なものを聴いた私は、オペラを聴こうとカラヤン指揮の「ばらの騎士」(1956年盤)のCDを購入して聴いたが、興味を持つことができず、お蔵入りとなってしまった。最近になって、オペラをDVDで楽しむことを覚え、カラヤンの「ばらの騎士」を鑑賞したところ、こちらは楽しんで見ることができたので、日本語字幕が入ったシュトラウスのオペラの名盤がないものか(でも「サロメ」は絶対買わないと思う)と中古レコード店で探しているところである。
以前から、リヒャルト・シュトラウスの生涯と音楽に興味があったが、なかなかいい本が見つからなかった。最近になって、いくつか評伝を書かれている、田代櫂氏が『リヒャルト・シュトラウス 鳴り響く落日』という本を書かれているのを知り、読んでみることにした。情報量も多く、わかりやすく曲目が解説されてあるので、これを読んで、田代氏が敬愛するシュトラウスの生涯、作品についての理解が深まった気がする。
まず作品について言うと、「ドン・ファン」「死と変容」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ツァラトゥストラはこう語った」「ドン・キホーテ」「英雄の生涯」などの交響詩は20世紀になってからは作曲していないということがこの本に書かれてある。最近私が気づいたことに、地道に管弦楽作品を作曲しているより、オペラをひとつ当てる方が作曲家として成功する近道であるということがある。その典型的な例がロッシーニで、彼は、「セビリャの理髪師」の大成功で将来が約束されたのである。モーツァルトにもたくさんのオペラ作品があるし、ヴェルディとワーグナーはオペラの作曲家と言ってよい。ヴェルディやワーグナーは特別だと思うが、ある程度作曲家として認められたら、オペラを作曲してみたいという気持ちはブラームスは別としても、誰もが考えることで、ベートーヴェンも「フィデリオ」を完成した後も生涯その気持ちを持ち続けた。そういうことでシュトラウスも、1901年を境にオペラの作曲に専念することになる。「火の試練」は従来のオペラを真似た試作品であったが、次の「サロメ」とその次の「エレクトラ」は前衛的なところが大いに受け、一躍寵児となった。「エレクトラ」の台本を書いたホフマンスタールからは、「ばらの騎士」「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」でも台本の提供を受け、特に「ばらの騎士」では大きな成功を収めた。また『マリー・アントワネット』『ジョセフ・フーシェ』などの評伝を書いたシュテファン・ツワイクからも台本の提供を受けており、「無口な女」というオペラを残している。シュトラウスは他にも「インテルメッツォ」「エジプトのヘレナ」「アラベラ」「平和の日」「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」などのオペラを残しており、この本ではそれらのオペラについて詳しくわかりやすい解説がなされている。
先にシュトラウスの父親がホルン奏者であることを書いたが、父親はドイツの音楽界で人脈があり、シュトラウスが作曲した作品を演奏するよう働きかけたことがこの本には書かれている。また夫人となったパウリーネについてもソプラノ歌手として活躍したことなど、たくさんの記述がある。さらに息子や2人の孫についても記述がある。私はなぜ作曲家の評伝にたくさんの家族についての記述が必要なのかと思っていたところ、ヒトラーが出てくるあたりから、何となくその理由がわかって来た。憶測の域を出ないが、当時のドイツで作曲家として活動するだけでなく、家族を守って行くためには、嫌なことも受け入れざるを得なかったという事情があったのではないか。繰り返すが、そういったことが、この本を読むとなんとなくわかってくる。実際、息子フランクの妻アリーチェはユダヤ人であるが、シュトラウスの当局への働きかけで何度もふたりの息子とともに危機を回避している。
こうして第二次世界大戦を何とか乗り切ったシュトラウスも終戦の年には80才を過ぎていた。ビーチャムの招きで、ロンドンで自ら指揮をして自作の演奏をしたりするが、かつてのような精力的な音楽活動はできなかった。それでも作曲について言えば、「4つの最後の歌」という心に染みる、しっとりとしたすばらしい歌曲を最晩年に残し、85才で亡くなった。様々な彼に対しての評価があるが、作品数、作品の質を客観的に評価すると同時代の作曲家と比べるだけでなく音楽史全体から見ても、群を抜いた存在と言えるだろう。