ツワイクの「ディケンズ」について

世紀末から1940年頃まで活躍した小説家シュテファン・ツワイクはウィーン生まれのユダヤ人である。彼の伝記(評伝)は
しばしば辛辣で、こんなことまで書いていいのかと思うこともあるが、自分の考えを率直に述べる彼の姿勢は小説家にとって、
物書きにとって一番必要なものなのかもしれない。この「ディケンズ」は、1919年に出版された、『三人の巨匠』という
評伝の中のひとつの論評で、他に「バルザック」と「ドストエフスキー」の論評もあり、ドストエフスキーについての論評が
一番長く、「バルザック」と「ディケンズ」を合わせた倍以上の長さになっている(ディケンズについては38ページしかない)。
またバルザックについては、1945年にフリーデンタールが編集したツワイクの評伝がある。私は最近この560ページ余りの
バルザックの評伝を読んだが、先程も述べたようにツワイクの論評はしばしば辛辣になり、業績を賞賛する部分もかなりあるが、
鋭利な刃物で切り出される事柄に驚かされることしばしばである。そんな評論だから、きっとディケンズについてもきびしいことを
言っているのだろうなと先入観を持って読み始めた。ところが、最初の方で、「これらすべてに共通しているのは、今日も当時と
変わりなく幸福な笑いがその中に巣を作っていて、はじめの数ページをめくるや否や、さえずる小鳥のように羽を広げて飛び立って
来ることだ。」「チャールズ・ディケンズは今もなお世界のもっとも愛好される、もっとも祝福される作家なのである。」と最上の
褒め言葉で評価している。私は、バルザックの論評とえらい違いだなと思いながら、この短い論評を概ねディケンズ・ファンにとっては
心地よい言葉に酔いながら最後まで読むことができた。
確かに、「世界を故郷とし、無限の広域に波乱多い遊牧のさすらいを味わおうとするものには、一転して牢獄となる。ディケンズは
このイギリスの伝統の中に安住した。その四つの壁の中に家庭の一員として自己を適合させ、ここに家庭の幸福を感じ、生涯の間
一度もイギリスの芸術的、道徳的、美的限界を越えることがなかった。」「ディケンズは当時のイギリスの、人間と化した芸術的
要求である。彼が時をあやまらず登場したことが彼の名声を生み、時代の要求に屈したことが彼の悲劇となった。彼の芸術は、
飽食したイギリスの快適という偽善的道徳に培われている。」というところもあり、ファンにとってはむっとさせられるところも
あるが、まあこれがツワイクの手法だから仕方がないかと思い、先を読んだ。
そうしているとまた、「彼は日常生活を文学の領域に取り入れた最初の詩人である。どんよりした日常の灰色の中に、太陽のかがやきを
持ちこんだのである。イギリスの暗い濃霧の中で、強まる春の太陽はいかに燦然と放射することか!一度でもそれを見た人には、芸術の
上で、鉛のような薄明の世界に同じ救済の数秒をもたらした詩人が、どれほど国民に浄福を与えたことがわかるだろう。ディケンズは
イギリスの日常生活にかかる金の輪である。目だたない事物や単純な人びとの後光であり、イギリスの牧歌である。」と、賞賛の言葉を
連発する。その後また、『二都物語』と『ブリーク・ハウス』(荒涼館)を失敗作と決めつけたり、ディケンズの小説には勧善懲悪の
定型がありそれが悲劇的小説への壮大な霊感を骨抜きにしたと言ってよいと論じ、ファンの目を三角にさせている。そのすぐあとに
「幸いにディケンズには、芸術上の憧れが逃げこむことのできる一つの世界が開けていた。誇らかにくだらぬ実用の領域から舞い上がる
銀の翼があった。地上のものと思えない浄福の、ユーモアの翼が。」と論じているが、このあたりまでくると、ディケンズの小説の
長所と不満な点を交互に論じることでリズム感を持たせ、読者を退屈させないようにしているとしか思えない。また読者すべてが
ディケンズ・ファンとは限らないので、そういった配慮をしたのかもしれない。上げたり下げたりしないで、最初によい評価をしたの
だから、最後までそれを続けてほしかったとディケンズ・ファンは望むのだが、ツワイクにそれを期待するのは無理なのかもしれない。
最後に長い引用になるが、ディケンズ・ファンなら誰もが、そのとおりそのとおりと言って頷かれるだろう箇所を取り上げて終わり
としたい。これはこの評伝の最後の段落(ツワイクのひとつの段落は本当に長い)の前半の部分である。
「これがディケンズの地上的な、あまりにも地上的な作品における偉大さ、永遠性である。ここには太陽があり、光と熱を放射して
いる。偉大な芸術作品とは、ひとり内的強度や背後に立つ作者の人のみを問われるべきものではない。外的広さ、大衆におよぼす
効果も無視されてはならぬ。ディケンズは世界の喜びを増大した。このことを、彼におけるほど強調できる作家は、われわれの世紀
にないであろう。何百万の目が彼の作品を読んで涙に光った。笑いを過ぎた、あるいは笑いを失った何千人の胸に、ディケンズは
新しい笑いの花を植えた。その影響ははるかに文学の域を越え出ている。富裕な人びとはチェルビー兄弟(註:恐らく、『ニコラス・
ニクルビー』のチアリブル兄弟のこと)の物語に反省をうながされて、施設の基金を設定した。心固いものも心を動かされた。
『オリヴァー・ツウィスト』が世に出たとき、街頭の子供たちはそれまでより多くのほどこしを受けるようになった。政府は救貧院を
改善し、私立学校の監督を強化した。イギリスの同情と善意がディケンズによって強められたのである。それによって苛酷な運命を
やわらげられた貧民や不幸な人たちは、莫大な数にのぼるだろう。このような異常な効果が芸術作品の美的評価に何のかかわりも
ないことは、私も承知している。しかし、その意味は重大である。なぜなら、それは、真に偉大な作品が、単に虚構の世界で創造の
自由を満喫するばかりでなく、現実の世界にも変化をもたらすことを証するものにほかならないから。その変化は実体あるもの、
可視的なものの変化であり、やがてまた感受性の目盛りの変化である。ディケンズは ― 他の多くの作家が自分自身のために
同情と鼓舞を求めるのと反対に ― 彼の時代の明朗さと愉しみを増大した。」