『ジェイン・エア』(小池滋訳)について
私は、40年程前に小池滋氏が翻訳された『オリヴァー・トゥイスト』を読んでから今までに、ディケンズを中心にいくつかの小池氏が翻訳された本を読んできた。『リトル・ドリット』『バーナビー・ラッジ』『荒涼館』(青木雄造共訳)『エドウィン・ドルードの謎 他短編』『大いなる遺産』(日高八郎訳(第2章だけ小池氏が訳されている)はいずれも楽しく読ませていただいた。特に『リトル・ドリット』は私が小説を著す原動力となった。私の小説『こんにちは、ディケンズ先生』には、ディケンズの作品のいくつかの場面を取り込んでいるが、『リトル・ドリット』の他、『荒涼館』『バーナビー・ラッジ』からも場面を拝借している。小池氏が訳された『リトル・ドリット』を読むまでは、ディケンズの小説は私には難解で、部分的に理解できればいいのではと思っていたのが、40才を過ぎて理解力が向上していたので、こんな面白いディケンズの小説を十分に理解しないままにしておいていいのかと『リトル・ドリット』を読んでからは思うようになった。浪人時代から大学生の頃に読んだ、『オリヴァー・トゥイスト』『二都物語』『大いなる遺産』『デイヴィット・コパフィールド』は、『オリヴァー・トゥイスト』以外は小池氏以外の翻訳ということもあり、よく理解できずに読み終えてしまったのかもしれない。なぜ『リトル・ドリット』が私の読書の姿勢を変えたかと言うと、小池氏が翻訳されると登場人物が際立ち身近な感じがするからである。それまで18~19世紀の姿かたちを思い浮かべにくかった人物が、小池氏が訳すと、会話が現代の人物とほとんど変わらず、自然に受け入れられるのである。『リトル・ドリット』という小説が身近なものに感じられ、エイミー・ドリットとアーサー・クレナムの曲がりくねった恋愛がどうなるのか、最後まで興味を持って読み進めることができたのである。
この『ジェイン・エア』も同様で、以前別の翻訳で読んだ時は、ロチェスター氏の頑固で暗い性格が目立ち、ジェインがなぜこんな暗い人に惹かれるかがわからなかったが、小池氏の訳ではロチェスター氏に好感が持て、セント・ジョン・リヴァーズはジェインの理想の人ではなかったということが最後まで読むと理解できるようになった。もちろんロチェスター氏の粘液質なところもよくわかり、メイソンの計略で、ジェインとの結婚式が取りやめになった後に、ロチェスターがジェインに言い訳をするところは、強烈な(少しユーモラスな)印象を残す。
「.....とはいうものの、ぼくは一人ぼっちでは生きて行けなかった。だから、情婦と同棲しようとした。最初に選んだのはセリーヌ・ヴァランス―これもまた思い出すだけで自分に愛想が尽きるような愚行だった。どんな女だったか、彼女との情事がどんな風に終わりとなったかは、前に話したね。その後二人の女がいた。イタリア人のジャチンタとドイツ人のクララだ。どちらも類まれな美女と言われていた。でもぼくにとって美貌なんか数週間もたてば問題でなくなった。ジャチンタは節操のない激しい気性の女で、三ヶ月でぼくはいや気がさした。クララはおとなしい誠実な女だったが愚鈍で愚かで気のぬけたような女で、ぼくの好みに合わなかった。堅気な商売を始めさせるだけの充分な金をやって、まともな形で厄介払いできてほっとした。だけど、ジェインの顔から察すると、どうも今のところはぼくのことをひどい男だと思っているらしいね。思いやりのない不道徳な女たらしと思っているのだな?」
「確かに以前ほど好きにはなれない気持ちです。次から次へと情婦を替えて、そんな風に同棲していて悪いと思ったことなかったのですか?まるで、当たり前のことをしただけ、というような口ぶりですね」
「ぼくにとってはそうだったのだよ。でも好きでやったわけではない。最低の生き方だったよ。二度と戻りたくない。情婦を持つというのは奴隷を買うのに次ぐ最悪のことだ。情婦や奴隷は地位はいつでも、そして性質もしばしばぼくより劣った人間だ。自分より劣った人間と一緒に親密な生活を続けていると、こちらまで堕落する。今ぼくは、セリーヌ、ジャチンタ、クララと一緒に過ごした時を思い出すとむかむかする」
この前後は、ロチェスターが自分勝手な今までの生き方を語るところだが、ジェインの前ではそれが修正されて、エドワード・ロチェスターは大人しく真面目な男性へと変化している。19世紀前半の地方の大金持ちの紳士の尊大な告白が、小池訳で読むと、なぜか身近に感じられ、この登場人物に親近感を持つのである。『リトル・ドリット』でも、アーサーの母親は別として、リゴーやジェネラル夫人もそれほど酷い人物でないように思えてくる。
とはいえこれ以上ロチェスターと一緒の家にいることはできないと考えたジェインは、その日の夜に誰にも行き先を告げずに屋敷を後にする。所持金がほとんどなかったジェインは、
昨夜眠っている間に神がわたしの魂をお召し下さればよかったのに、この疲れ果てた肉体が死によってこれ以上運命と戦わずに済み、そっと朽ち果てて荒野の土と安らかにまじり合ってくれればよかったのに。だが、また生命が、それに必要な苦痛と責任とともにわたしに残されている。重荷を背負い、飢えを満たし、苦痛に耐え、責任を果たさねばならぬ。わたしは歩き出した。
そうしてリヴァーズ3兄妹に助けられるが、ある日、「ジェイン、ジェイン、ジェイン」と叫ぶ、ロチェスターの声がどこからともなく聞こえ.....。
確かにロチェスターは狂人の妻に家を焼かれ、失明し、左手を失うが、謙虚になったロチェスターにジェインが惹かれ、結婚し、完全ではないが視力も戻り、男の子も授かるわけだから、この物語はハッピーエンドで終わる物語と言える。
私は(『オリヴァー・トゥイスト』と『リトル・ドリット』を読むことで)今までに二度小池氏にイギリス文学に誘って(いざなって)いただいたわけだが、この『ジェイン・エア』で三度目になる。小池氏の翻訳に出会わなったら、イギリス文学に興味を持つことも拙著『こんにちは、ディケンズ先生』を出版することもなく、味気ない人生になっていたことだと思う。小池氏には心から、本当にありがとうございましたと言いたいところである。