『人間の絆』(中野好夫訳)について
今から約40年前の大学3回生の時にこの小説を通読し、その後はしばしばペルシャ絨毯の秘密が明かされるところだけを何度も読んだ。この部分は巻末の解説のところで中野氏も再掲されておられるので重要な箇所だと思うが、この部分が余りにも強く印象付けられ他はどうでもいいと私が思い込んでしまったのと活字が小さいのとで再読の機会を逃していたが、一度最初から最後まできちんと読み直してみようと思い、母親と死別するシーン(最初)から読み始めた。
母親と死別して伯父(父親の兄 職業は牧師 なおフィリップの父親は医師だった)に引き取られ、牧師になるための学校(キングススクール)に入学する。学校での成績は優秀だったが、神様の存在に疑問を持ち始めてからは勉強に力が入らず、伯父への嫌悪感や友人との諍いや学校の校長の言動への不信感もあり通っていたキングススクールを退校してしまう。フィリップはドイツ語を勉強したいとハイデルベルヒに行き、その後計理士事務所で働くことになる。1年の契約期間にやりたいことが見い出せず、どうせならやりたいことで頑張ってみようと考え画家の勉強をすると伯父に申し入れてパリに出る。パリに出たのは画家になるためだったが、ボヘミアンのような生活に憧れていたということもあり、2年して絵の先生のフォアネからフィリップに絵の才能がないと指摘され歌劇「ラ・ボエーム」のような人間関係が築けなかったフィリップは画家になることを諦めてしまう。ローソン、クラトン、フラナガンといった画学生との親密な付き合いは叶わず、詩人クロンショーから多くの示唆を受けた。このクロンショーからもらい受けたペルシャ絨毯の謎解きの場面は、強く印象に残る場面である。画家になることを諦めたフィリップは、ロンドンに出て医師になるため医学を学ぶ。この時に悪女ミルドレッドとの出会いがある。主人公フィリップはそれまでにミス・ウィルキンソンとファニー・プライスという2人の女性と交際をしている。ミス・ウィルキンソンとは年の差があるとは言え、すべてを捧げて愛したという彼女に対しフィリップはパリに出てからは手紙の返事を書かなくなり交際は終わってしまう。パリで画家になるために勉強している時には画学生のファニー・プライスと友達付き合いをしたが、ファニー・プライスは栄養失調がもとで精神的に不安定になり縊死する。ファニーはフィリップと一緒に美術館に行って絵を鑑賞したが、恋心を持っていたように思われる。そうした2人の女性と心を時めかすことはなかったが濃密な付き合いをしたフィリップが、ミルドレッドという悪女と出会うことになる。最初は友人と一緒にお茶を飲むために店に入り友人が大そう気に入ってフィリップの方はそれほどでなかったたのだが、やがてフィリップもミルドレッドが好きになり、熱愛となって行く。デートから始まり服を買ったり贈り物をしているが、伯父からの仕送りがあるとは言え医学生がそれほどの余裕があるのかと思ってしまう。結局ミルドレッドはフィリップにはまったく関心がなく店の常連客ミラーと姿を消してしまう。そうしてしばらくしてフィリップはミラーに捨てられたミルドレッドと再会するが、ミルドレッドは女の子を連れていた。そんなミルドレッドにフィリップは同情する。しばらくフィリップとミルドレッドとの仲は良好でフィリップはミルドレッドの娘を可愛がったが、フィリップが女性好きの医学生グリフィスをミルドレッドに紹介するとミルドレッドはグリフィスに夢中になり、フィリップを再度捨てた。それからもミルドレッドは傍若無人に振舞いその度にフィリップは辛い思いをしたが、フィリップが投資で失敗して破産して養えなくなったことがわかると完全にフィリップの前から姿を消してしまう。フィリップは医学生を続けることができなくなり百貨店で働くようになるが、ソープ・アセルニーと知り合いになり彼の家を訪ねるようになる。アセルニーの長女サリーは優しく誰からも愛される女性でフィリップは彼女に惹かれて行くが、サリーもフィリップのことが好きであることがわかる。、伯父が亡くなり遺産を相続したフィリップは医学生を続けることができるようになり無事医師となったフィリップは研修先の診療所の医師に信頼を得ることができて気に入られ、サリーとその診療所で新しい生活を始めることになる。
中野氏も言われるようにこの小説は、「教養小説」のカテゴリーの入れられる小説であると私は考える。それなのでペルシャ絨毯の謎解きだけに感動して終わりというのでは勿体ないし、だいたいそれではその後の物語が付け足しのようになってしまう。この小説を最後まで楽しむためには、ペルシャ絨毯の謎解きをこの小説のクライマックスと考えないのともうひとつ心に留めて置いた方がいいことがある。
『人間の絆』というタイトル、Of Human Bondage のことを中野氏は『人がその情念を支配し、制御しえない無力な状態を、私は縛られた(ボンデイジ)状態と呼ぶ。なぜならば、情念の支配下にある人間は、自らの主人ではなく、いわば運命に支配されて、その手中にあり、したがって、しばしば彼は、その前に善を見ながらも、しかもなお悪を遂わざるをえなくされる』とか『主人公ケアリの半生は、絆に縛られた一人の人間が、やがて絆を断ち切って、自由な主人たる人間になるまでの発展である』と言われている。私が「絆」と言われて思い浮かべるのは、「親子の絆」とか「友達との絆」とか「同好の士との絆」とか掛け替えのない、親密な繋がりを連想する。そのためBondage
の訳語の拘束とか、モームが言う、縛られた状態のことであると思わない。それで人間の絆は大切にしないといけない肉親や友人との絆のようなものと考えてしまうが、モームの考えている絆は、ボンデイジで日本語で言えば、拘束、断ち切らなければならない状態である。タイトルがその小説の内容を明らかにするネオンサインのようなものと考えると『人間の絆』というのではわけがわからなくなる。人間を拘束するものを断ち切るとかにすればどんな内容の小説であるかがわかりやすくなるが、それでは長くてインパクトがなく印象が希薄になってしまう。今更タイトルを変えることはできないが、ボンデイジを断ち切って主人公が成長していくという小説と考えて読むことは必要だろう。
そういう風に考えて読まないと、フィリップの人生というのは神を敬うこともなく、芸術にも興味が持てなくなり、たとえいろいろ問題があるとは言えミルドレッドという一人の女性を愛し続けることが出来なかったという味気ない半生だったということで終わってしまい、無神論の提起とペルシャ絨毯の秘密を発見することとミルドレッドとの「痴人の愛」の小説で終わってしまう気がする。そうではなくて主人公は真面目な性格であるが足が不自由であるため健常な人のように学校生活や社会生活をうまく送れず試行錯誤する。学校での友達付き合いがうまくいかず、留学や芸術修行もうまくいかない。それでも勤勉なので医師となることを志しそれまでの人との付き合いで培った方法を生かして幸せな家庭を築いて楽しい人生にしていくと考えた方が、この小説を最後まで楽しんで読むために役に立つと思う。また主人公のフィリップに女性との付き合いが拙劣なところが頻繁に見られるが、それはこんなことをしたらあかんよ、嫌われるよと言っているようで反面教師を提示してくれているので、ちょっと変わった教養小説と考えられなくもない。
こんな登場人物の描写が興味深く魅力満載の小説なのだから、この『人間の絆』はもっともっと人生指南の書として若い人に読まれるべきだと私は思う。
※ 今年2月に『人間のしがらみ』という本が光文社から出版されました。機会があれば読んでみたいと思っています。