『ガラス玉演戯』について
以前から読みたかったが、なかなか手に入らなかった本である。新潮文庫上下2巻で出版されたが、古書で売り出されるのは上巻ばかりでしかも1冊1万円もした。今回、復刊ドットコムから出版された『ガラス玉演戯』を安価で入手できたので、さっそく読んでみた。まず気になるのは、ガラス玉演戯とは何なのかということである。原題のドイツ語では、Das(定冠詞) Glasperlenspiel(Glas ガラス Perlen 真珠(名詞複数形) または玉となって滴り落ちる、泡立つ(動詞) Glasperlen
ガラス玉、ビーズ(名詞複数形) Spiel 遊び、遊戯、試合、競技、ゲーム、勝負、賭け事、戯れ、劇、芝居、演技、演奏(名詞単数形)でこれらを繋ぎ合わせて解釈すると、ガラス玉を使う遊戯なのかなと思うが、この本の中で「もう久しい前からガラス玉とはなんの関係もなくなっているのだが、多くの世代を経た今日でもその名を持っている」(P24)との説明がある。むしろ音楽、歴史、西洋哲学、東洋哲学と関係があり、音楽ではバッハ、モーツァルト、パッヘルベル、ヘンデル、クープラン、西洋哲学ではソクラテス、ライプニッツ、ヘーゲルの研究が欠かせないとしている。私は最初この本の書名を聞いた時、演戯とあるのでガラス玉と関連する劇、戯曲と考えた。しかしそうではなく様々な学問と関係していてしかも大学のような教育機関で教えられていて、ドイツの徒弟制度のようなところもあるもの(ヘッセがどのような形状のものを考えていたのかとても興味がある)と考える。この小説は最初に主人公ヨーゼフ・クネヒトとガラス玉演戯の説明があり、クネヒトの伝記があり、クネヒト作の詩と3つの履歴書(ヨーゼフ・クネヒトが研究時代に書いたもので、クネヒトのようなガラス玉演戯の研究者は年に1つ「履歴書」を書くことが義務付けられている。この「履歴書」には任意の過去の時代に自分を移した仮構的自叙伝を書くことになっている)が添えられている。クネヒトの伝記は後に演戯名人ヨゼフス3世と讃えられたヨーゼフ・クネヒトの生涯が書かれている。クネヒトは40才まで大きな問題が起こらずガラス玉演戯の頂点まで登り詰めたが、その後の苦悩、挫折が待っていた。ラテン語学校の生徒の時に音楽名人との出会いがあり、さらに瞑想名人から教えを受け、宗団のエリートたちとの交流があり迷うことなく出世の階段を登って行く、そうして37才を過ぎた頃に頂点に立つことを約束され、演戯名人トーマス名人の急死により若くして演戯名人の地位に登り詰める。しかしクネヒトは余りに洗練されて一般的な教養とは繋がりがなくなったガラス玉演戯の将来に不安を感じた。そうしてこのまま演戯名人の地位にいて伝統を守るのではなくカスターリエン州(ガラス玉演戯を教育するために作られたとする架空の教育州)の外部での学校教師の地位を求めるが、宗団本部のアレクサンダー主席に認められず彼は行き場を失ってしまう。やむを得ず、かつての教え子の息子を教えることになるが、この子が凍える冷たさの湖にクネヒトを誘ったために疲労困憊状態になっていたクネヒトに悲劇が訪れることになる。こうしてガラス玉演戯のためにすべてを捧げたヨーゼフ・クネヒトの生涯は終わってしまう。伝記の中で心に残る人物というとクネヒトをガラス玉演戯の世界に導いた音楽名人ということになるが、他の人物には強い印象は残らなかった。宗団の中でのクネヒトの人間関係が把握しにくく、頻繁に出て来るプリニオ・デシニョリ、ヤコブス神父、フリッツ・テグラリウスとの関係がよくわからなかった。ヨーゼフ・クネヒトの願いを宗団の長としてきっぱりと断ったアレクサンダー主席も冷徹な人で宗団の体質がそうなのかなと思わせるところがあり、そういった人物が率いる団体だから行き詰っているのかなと思った。最後にクネヒトの伝記よりも興味深かった「3つの履歴書」について説明したい。「雨ごい師」は幾千年もの昔の話で仕事に忠実な雨ごい師が自分の仕事に励んでいたが、どうにもならないお天気に翻弄され最後は自らの命を潔く生贄にささげるという話で、クネヒトが書いたとされるこの話は彼の使命感というものが感じられる。「ざんげ聴聞師」はヨゼフス・ファムルスという男が出家してさらに荒野に出てざんげ者の厳しい生活を始めるが、ある時尊い偉大なざんげ聴聞師である隠者ディオン・プギルに出会う。一緒に生活する中で貴重な示唆、箴言を得るが、中には「古い祖先の知識に由来している信仰は、当然尊敬すべきものなのだ」「重い苦しみに押し付けられていない現状に満足している人には何も言う必要はない。人間がひどい不幸、悩みと幻滅、にがさと絶望を体験した時に、われわれが苦しみを制するためにどのような方法を試みたかを語ればよい」という教えがある。死期が近づいた師は自分が埋葬される場所を指定し弟子と墓を掘ることを始める。そしてしばらくして自分の墓のところにヤシの木を植えるよう弟子に伝え、すぐに静かに眠りにつく。ファムルスは師の教えを守り、ヤシは実を結んだ。この話ではクネヒトの理想の師を描いたと思われる。「インドの履歴書」はインドの国王の長男ダーサは幼い頃に母と死別した。王の後妻が自分の子ナラを支配者の位につけたい、ダーサを亡きものにしたいと考えたが、彼女の計画を見抜いた宮廷付きのバラモン僧がダーサの身を案じて牧夫にダーサを預けた。その後なんとか生き延びたダーサはヨーガ行者と出会って彼の教えに導かれて平穏な日々を送るようになるが、ヨーガ行者に出会う前にダーサは王となった後に自分の妻を奪った腹違いの弟を石はじきでひたいに石を当てて打ち殺していて追われる身となったため精神的に追い詰められていた。またかつての栄光や妻との楽しかった日々を惜しんでいて迷いがあった。そこである日ダーサはヨーガ行者に率直に今まで自分にあったことを伝え、ヨーガ行者はダーサに貴重な教えを彼なりの方法で与える。クネヒトはこの話の中であるべき師弟関係の姿を描いたと思われる。伝記の部分がわかりにくく読むのに手こずったが、クネヒトが書いたとされる「履歴書」のところはヘッセらしい小説で幻想的で教訓に満ちたもので充実した内容だと思った