『緋文字(ひもんじ)』について

高校生の頃からこの小説の新潮文庫を書店で何度も手に取っていていつか読みたいと思っていたが、「姦淫」と言う言葉が本のカヴァー(あらすじ)にありそういう女性の物語との先入観を持ち見送ってきた。またこの小説の著者ナサニエル・ホーソーンが後世に残る小説を他に書いていないというのもなかなか読まない理由だった。何冊かの小説が評価されている作家は読者のことを考えてわかりやすい文章を書いてるが、1冊だけの場合は光るものはあるがごつごつした粗削りの文章であることがしばしばで読みにくい。特に翻訳の場合そういうことが多い。そういう偏見もあってそれから50年近く経過してようやく読むに至った。この小説の翻訳は新潮文庫(鈴木重吉訳 1957年刊)と岩波文庫(八木敏雄訳 1992年刊)の2つ(光文社文庫もあるが、未読)の訳が有名で、岩波文庫は本文の前に「税関『緋文字』への序章」というのがあり親切である。
ここのところを簡潔にわかりやすく書くと、
主人公が職場で「古く黄色い羊皮紙にていねいにくるまれた小さな包み」を見つけ「遠い昔の公文書といった気配がこの包みにはあった」と感じる。そうしてその包みを開封すると「すり切れ、色あせた赤い布切れ」が入っていて「布切れには金糸で縁かがりがされた跡」があり、「この緋色の布はよく調べてみると、ある文字の形をしていた。それは大文字のAであった。」また公文書を「開いてみると、かの検査官の筆跡で、事件の全貌がかなり克明に記録されている」「へスター・ブリンなる女性の生涯とその人間関係の詳細であった。彼女が活動したのはマサチューセッツ植民地の初期から十七世紀末に至る期間であった。」ということが書かれてあった。
となる。
この導入の「税関『緋文字』への序章」を読めば緋文字とは何なのかがよくわかるが、その前のところは税関の仕事、仕事の同僚のことなどの記載があり退屈な文章が続く。そうしてようやく上記のような緋文字についての説明が入る。本文に入ると、ヒロインへスター・ブリンがさらし台に乗る際にガウンの胸のところに金糸で刺繡飾りをしたAの字が見られ、それが姦通を犯した女性への刑罰であることがわかる。この刑罰がいつまで続けられるのか裁判官からの告知はないが、へスターはパールが成長して7才になっても緋文字を付けていて、外しているとパールから外さないでと言われる。へスターが緋文字を外したのは、パールの父アーサー・ディムズデールと再会を楽しんでいる時だったが、パールは緋文字を取り外すことを許さなかった。このへスターがアーサーと再会する場面「あふれる日光」「小川のほとりの子供」の章は印象的な場面が多い。そこにパールが登場するのはまだ幼いからへスターと一緒にいたのだと言えるが、ただ幼い子として振舞うだけではなくまるで成人した女性のようにへスターやアーサーが言うことを聞かないで自分の言い分を押し通してしまう。パールのことを神の子と言う場面があるが、パールを普通の可愛らしい娘としてだけ描くのではなくこのような際立った女性の面も持たせることで物語に深みを持たせている気がする。もちろんへスターがヒロインであるが、パールは主役以上の光彩を放つ登場人物と言える。
この物語はへスターの処刑(絞首刑をイメージするが、緋文字の付いたマントを身につけてさらし台の上に立つ刑罰)の場面で始まりその後へスターがなぜ姦通の刑罰を受けなければならなかったかについて明らかにしていくが、姦通の罪が成立するためにはそれ以前に婚姻関係があったということが必要になる。この婚姻関係が医師であり薬の処方も生業にしているというロジャー・チリングワースとの間に成立していたことになっている。きっとへスターがロジャーの罠にはまって婚姻関係を持つことになったのだと思われるが、そのあたりの詳しい説明がない。そうしたロジャーとの婚姻関係があるのにへスターは若い牧師のアーサー・ディムズデールと関係(性交渉)を持ちパールを出産する。へスターやアーサーはロジャーのことを悪魔と呼んだりするが、罪の意識でやせ衰えたアーサーの健康が回復することはなく、パールから明るい笑顔で迎えられないでアーサーはさらし台に登って集まった人たちに自らの罪を告白して絶命してしまう。この前後にロジャーが怪しいふるまいをするが、謎めいていて悪魔めいたふるまいが印象に残る。ロジャーはあちこちの場面でしばしば顔を出して意味不明のことを言ったりするので、呪術師の様で19世紀の幻想小説のイメージを色濃くしている。
こういうふうに見て来ると『緋文字』普通の小説を読むように読むのが果たして正しいのかと思ってしまう。私がこの小説を読んだ印象は、印象的な場面を先に考えてそれが1つの小説として読まれるように繋ぎ合わせたものというものである。最初のへスター処刑のシーン、7才になったパールとへスターの暮らし、へスターとアーサーは再会したがパールはそれを認めないところ、アーサーが健康を害したため長老格の牧師から診察を受けるよう言われ医師ロジャーが処方した薬を服用するようになるがそれがアーサーの致命傷になるところ、そうしてアーサーがへスターとの関係をさらし台で告白して絶命するところ。これらの印象的なシーンをヒロインのへスターがまとめ上げパールはへスターの行動に彩を添えるという感じの小説だが、今回は岩波文庫を呼んで、そのあと新潮文庫を拾い読みしてこの感想文を書いている。いつか光文社文庫も読んでみたいと思っている。