『マゼラン』(ツヴァイク全集16)について
大学受験の選択科目で世界史を選択したため、大航海時代当時活躍した人物をたくさん覚えました。有名なのは、コロンブス(アメリカ大陸を発見)、ヴァスコ・ダ・ガマ(アフリカ経由でインドに到達)、マゼラン(世界一周を達成)ですが、世界史を選択した受験生はディアス(喜望峰に到達)、アメリゴ・ヴェスプッチ(アメリカを探検したと言われています。この伝記小説『マゼラン』に『アメリゴ』という伝記小説が一緒に掲載されていますので、後程詳細に述べます)、カボット(北アメリカ大陸を発見、探検)、バルボア(太平洋に到達)、コルテス(メキシコにあったアステカ帝国を征服したコンキスタドール)、ピサロ(ペルーにあったインカ帝国を征服したコンキスタドール)、イェルマーク(コサックの隊長としてシベリアに進出)なども覚えなければならない人名でした。この航海士、探検家たちはもちろん資金が必要でほとんどの場合に国王が援助しました。コロンブスはイザベラ女王、ヴァスコ・ダ・ガマはマヌエル1世、マゼランはカルロス1世のおかげで大航海で必要となるお金を調達できました。三人の中でもマゼランは5艘(サン・アントニオ、トリニダッド、コンセプシオン、ビクトリア、サン・ティアゴ)の船団の提督で5人の船長260人以上の乗組員で出発しましたが、マゼランはセビーリャに帰って来られず3年余りの航海の後ビクトリア号で18人が帰って来ただけでした。私は万全の態勢で国王の命を帯びて出発したマゼランがなぜ乗組員のほとんどを失い最後は自分も原住民に殺害され帰国できなかったのか、どのような内容の航海だったのかを詳しく知りたいと思っていたところ、ツヴァイク全集の中に『マゼラン』があるのを知りました。知った当時は単品で手に入れることができず、結局ツヴァイク全集を購入しました。『マリー・アントワネット』と『ジョゼフ・フーシェ』は以前読みましたが、『人類の星の時間』『エラスムスの勝利と悲劇』『昨日の世界』も面白いと聞いていたので1万円余りでしたが全集を購入しました。
マゼランは1480年にポルトガルに生まれました。マゼランはヴァスコ・ダ・ガマの業績を知り航海への関心を持ち、25才の時に初の航海をします。何度か大きな航海を経験しましたが、ポルトガル国王マヌエル(宮廷)とうまくいかなくなりマゼランは当時覇権争いをしていたスペインで西回りの航路の発見に携わることになります。両国が戦争をしていたわけではありませんが、敵対していた国への転出は思い切ったことと思われます。実際、航海で大きな支障となったと考えられます。それでもスペイン王カルロス1世はマゼランの計画を信用し、彼は1519年にマゼランは艦隊(トリニダード、サン・アントニオ、コンセプシオン、ビクトリア、サンティアゴの5艘に260名あまりの乗組員、充分な食料を積んだ)を率いてセビーリャを出発しました。リオ・デ・ジャネイロまでの航海は順調でしたが、ラプラタ川に差し掛かる辺りから乗組員に疑惑が芽生え始めてパタゴニアで反乱が起こります。どこまで行っても陸続きで西に進むことができずしかも寒さのために南にも行けず長い期間の停泊が続いたからでしたが、複数の船長が主導した大きな反乱でした。マゼランは大事に至る前のところで踏みとどまり、首謀者を処刑しましたが、乗組員に大きな不信感が残り後の航海の大きな支障となりました。さらにサンティアゴが難破、後にマゼラン海峡と言われるようになる地点でサン・アントニオとはぐれてしまいます(船長がマゼランについて行くことを拒んだため)。サン・アントニオは艦隊の中で一番大きな船で食料のほとんどを積んでいたため、マゼランにとって大きな痛手となりました。それでも3艘だけになってしまった艦隊もフィリピンまで到達して、大砲で威嚇して原住民に服従と布教を受け入れさせました。そうして食料も補給して落ち着いたかに見えましたが、マゼランたちの改宗と服従の強制が原住民に不満を募らせました。そうしてマクタン島で反乱が発生し自分たちの武器や戦術を過信したマゼランはあっけなく殺害されてしまいます。その後もマゼランの遺体の回収に手間取り、通訳のエンリケが造反してセブ王に謀略を進言したため他の乗組員たちの多くの人命が失われて、最後に残ったのはビクトリア号を率いたセバスティアン・デル・カーノ他18名でした。マゼラン艦隊の船ビクトリア号がセビーリャに帰ることができたため世界一周を達成したと言えますが、提督のマゼランがフィリピンで原住民に殺害され、ビクトリア号を最後に率いたセバスティアン・デル・カーノは反乱を起こして処刑されたケサダ、メンドーサと共に暴動を起こしたとされておりマゼランが世界一周を達成していたら、名前が残ることもなかったと思われる人物です。それでもマゼランが3年かけて苦労して成し遂げた功績は今でも評価されており、彼の名はいくつかの固有名詞に残されています。
この本には、ツヴァイクが亡くなった1942年に出版された『アメリゴ』も掲載されています。アメリゴ・ヴェスプッチはアメリカ大陸を発見した航海士とされていますが、航海日誌や後の彼への過大な評価などから判断して彼はアメリカ大陸の発見どころか航海自体しなかったのではというのがツヴァイクの見解で、今となっては検証が難しいのですが、『アメリゴ』にあるツヴァイクの見解を読むとアメリカの第1発見者がコロンブスかアメリゴかの判断が必要なことなのかと思ってしまいます。『アメリゴ』の中でコロンブスとアメリゴは友人であったと1505年にコロンブスが息子に送った手紙を紹介していますが、コロンブスがアメリゴに功績を譲ったとは一言も書かれていません。でもツヴァイクはその可能性を匂わせているような気がします。これは私の勝手な思い付きですが、もしかしたらツヴァイクはアメリカの第1発見者はコロンブスであることが証明されて、アメリカ(アメリゴに因んで名付けられた)は正しくないので、すべてコロンビアに訂正しなければならないとなったら大変でしょう。後にアメリゴ・ヴェスプッチがアメリカ大陸を発見したと判断されていま定着しているのなら、騒動を喚起する必要はないのではと『アメリゴ』で言っているような気もします。
今から500年ほど前に多くの航海士が新天地を求めて、世界地図が大きく変わったから「今」があるのだと思います。平面がずっと続いていて最後は壁に突き当たると考えたままだったら、そのままの状態が21世紀になってからも続いていたかもしれません。そういうこともあるので、マゼランやコロンブスは讃えられてもいい偉大な人と言えると思います。