『ソクラテスの思い出』(佐々木理訳)について
浪人時代から学生時代にかけて西洋文学 を読むこととクラシック音楽を聞くことが趣味だった私は、ディケンズ、モーム、フィールディング、オースティン、ヘッセ、大デュマ、ユゴーの長編小説をわからない(理解度が低い)ながらも楽しんで読んでいました。そうしていたところ2回生の時に帰りのバスでご一緒したドイツ語の先生からさらにいくつかの興味深い長編小説を教えていただきました。最初に先生から教えていただいたのが、スターン『トリストラム・シャンディ』、リチャードソン『パミラ』でしたが、当時はハードカヴァー三段組の筑摩書房世界文学体系21でしか購入できず(1982年当時は古書のネット販売はありませんでした)、私は先生に、昔出版された時のように岩波文庫で『トリストラム・シャンディ』が出版されたら購入したいと言いました。先生はまた、スターンは意識の流れの手法で心の中を描写する作家の源流でヴァージニア・ウルフ、ヘルマン・ブロッホ、ジェイムズ・ジョイスも意識の流れの作家たちである。ブロッホの『ウェルギリウスの死』とジョイスの『ユリシーズ』は面白いから、是非読みなさいと勧められました。
その先生はご専門がギリシアの英雄叙事詩であると言われていましたが、当時の私のギリシアに関する知識はギリシャが栄えていたのはトロイ戦争の頃(紀元前13世紀)からスパルタがレウクトラの戦いでテーベに破れテーベの知将エパミノンダスが戦死して、マケドニアが台頭し始める頃(紀元前4世紀半ば頃)までということさえ知らず、ただローマが栄えるずっと以前(もちろんローマの基礎を築いたのがアエネアスでその経緯を叙事詩『アエネイス』にしたウェルギリウスが亡くなる直前のことを『ウェルギリウスの死』では描かれているということも知りませんでした)で偉大な哲学者(ソクラテス、プラトン、アリストテレス)だけでなく、悲劇作家(アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス)、政治家(ソロン、クレイステネス、ペリクレスなど)も名前くらいしか知りませんでした。その後私は40年以上かかって、先生から勧められた『トリストラム・シャンディ』『パミラ』ウェルギリウスの死』『ユリシーズ』『灯台へ』の他に先生のご専門のホメロスの英雄叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』それから『ギリシア悲劇全集』(人文書院)を読みましたが、ブロッホは古書店の風光書房で教えてもらった『夢遊の人々』『誘惑者』も読みました。これらの本を読み終えた私は先生から勧められた本を一通り読んだのですが、先生のその後の足取り(仕事が忙しくなったため先生と文学についてやり取りする余裕がなくなりました。先生から勧められた本を読み始めたのは今から15年前で50才を過ぎてからです)を調べさせていただくともちろん英雄叙事詩について研究されているのですが、むしろソクラテスの弟子で多くの著作を残しているクセノポン(クセノフォン)の方の比重が大きいと感じたのでした。クセノポンは『アナバシス』と『ソクラテスの思い出』が有名で、私はまず『アナバシス』を読んだのですが、ペルシアのキュロス王子に雇われたギリシア人傭兵一万数千人の指揮をキュロス王子の急死でクセノポンが取ることになり、大変な苦労をしてクセノポンが傭兵をスパルタ近くまで導いた経緯が書かれていて、クセノポンが状況判断に秀でていて無事ギリシア人傭兵を導いたことがよく分かります。しかし大人数を移動させるためには水、食糧、休憩場などが必要で最初のうちはペルシア軍に勝利したことの記述をしていたのが周辺の住民の援助に代わり、最後は盗賊のようになって村の焼き討ち、略奪、虐殺を繰り返すようになります。さらにクセノポンはセテウスの裏切りにあって処刑されそうになります。普通なら自分たちを安全なところまで導いてくれたクセノポンにギリシア傭兵たちは感謝するべきところなのに、そのようなことはなく給料の支払いが途絶えたとクセノポンに詰め寄ります。このような内容の『アナバシス』はクセノポンが従軍して指揮をとった記録としては貴重なものなのでしょうが、クセノポンが大勝利(作戦がうまく行ったとかの小さな勝利はありますが)したとか、クセノポンが大敗北でつらい思いをしたという記載がないので軍記や歴史小説として読むにはインパクトが弱いと思います。それに対し『ソクラテスの思い出』は内容が充実している図書だと思いました。
クセノポンは30才の頃に(40才?)『アナバシス』に書かれているようにギリシア人傭兵一万数千人を率いてスパルタまで連れ戻ったことが評価され、スパルタでのんびりと著作活動をすることが出来たようで、2500年近く前の作家であるのに上記の二つ以外にもペロポネソス戦争のことを書いた『ギリシア史』などの著作
が残っています。ペロポネソス戦争はギリシアが盟主のデロス同盟とスパルタが盟主のペロポネソス同盟との覇権争いの戦争でスパルタが勝利(クセノポンはスパルタ王の要請を受けて戦争に参加したためアテネを追放されます)してしばらくスパルタは盟主として栄えますがテーベの台頭によって勢いが失われクセノポンも安心して荘園の領主をしながらの著作活動が出来なくなったようです。クセノポンのほとんどの作品はスパルタで書かれたと考えられます。
ソクラテスの弟子であったクセノポンがどのような経緯で弟子になったかのディオゲネス・ラエルティオス(3世紀前半に活躍したギリシアの哲学史家)の伝え話の記載はユーモアが感じられます。
『あるとき、ソクラテスは狭い道で若いクセノポンにばったり出会った。するとソクラテスは手にしていた杖をつき出して青年の行く手をさえぎり、立ち止まった彼に一つ一つ食物の名を言ってそれの買える場所をたずねた。クセノポンがそれに一々答えると、こんどは「それではどこで人間は善美となるか」とたずねた。クセノポンが返事にこまっていると、ソクラテスは「それでは私について来て、覚えなさい」と言った。こうしてクセノポンはソクラテスの弟子になったというのである』
こうしてクセノポンは軍人として戦争にかかわるまではソクラテスの弟子として一番身近なところで大哲学者の話を聞いて後世に伝えることが出来ましたが、399年ソクラテスが処刑を宣告されて毒杯を飲み干して亡くなった際には従軍していました。『アナバシス』に書かれていることがあったのはちょうどこの頃と考えられます。
ソクラテスを告発した3人は、三文詩人、市の有力者、政治演説家で、彼らは「ソクラテスは国家の認める神々を信奉せず、かつまた新しい神格を輸入して罪科を犯している。また青年を腐敗せしめて罪科を犯している」と訴えました。この本でクセノポンは「国家の認める神を信奉しなかったこと」と「青年を腐敗せしめたということ」が事実でないことを例証していきます。恩師が亡くなった後でしたが、恩師は何も間違ったことをしていなかったことをクセノポンが説明しています。しかし裁判(告発)についての記述は第一巻の最初のところだけで、その後のところはユーモラスなところもある友人や弟子との対話(弟子への講義)が中心でソフィストとの対話もあります。
対話で興味深かったソクラテスの発言をいくつか取り上げげてみます。
『美少年を接吻したらどんな目に遭うと思う。自由の人間がたちまち奴隷となり、多くの資産を損な快楽に蕩尽し、高尚有益なことに用いる多大な時間を失い、狂人さえ問題としないような事柄に熱中しなくてはならなくなるではないか』
『いつでも美しい人を見たら一目散に逃げることだ。それから〇〇、君には一年間海外へ行くよう忠告する。おそらく全癒するには、そのくらいの年月でやっとのことだろう』
『〇〇、君は私が大変みじめな暮らしをしていると考えているようだ。そのようすから察すると、君はきっと私のような暮らしをするくらいなら、死んだ方がよいと思っているだろうと思う。(中略)金を取った人々は、金を取った仕事をいやでもおうでもしてやらなくてはならないのに、私は少しも取らないから、いやだと思う人間には会談する必要がない。(中略)着物というものは、これをかえるのは、君も知るとおり、暑い寒いのためにかえる、(中略)しかるに、君はいつか私が寒くて他人以上に家に閉じこもり、暑さのゆえに誰かと日陰をあらそう、(中略)ことを見たことがあるか。生まれつききわめて身体の虚弱な者も、鍛錬すれば、鍛錬を怠る頑丈な者よりも、その鍛錬する運動に強くなり、はるかに容易にこれを耐えられることを君は知らぬか』
第4巻は若い弟子エウチュデモスとの対話が中心となり、ソクラテスが懇切丁寧に若い研究者に自分の考えを説明しています。神様がいかに人間に有益なことを施して下さっているか神様を礼賛する個所はこの著書の際立つところだと思います。。
『それからまた、善いこと、役に立つことは無数に存在し、しかもそれが種々様々であるから、そのおのおのに応ずる感覚を人間にお与えになり、そのおかげでわれわれはすべての善いことを享けたのしむのである。それからまた、われわれの中に推理の力をお植えになり、そのおかげでわれわれは感覚によって知ったことを推理し、かつ記憶し、そしておのおのがいかなる利益を有するかを知り、そして善をたのしみ悪を避けるたくさんの工夫を案出するのである。それからまた、われわれに説明の力をお与えになり、これによってわれわれは一切の善いことを人にも伝え、互いに教えあって、共通の意見を持ち、法律を定め、国家生活をするのである。(中略)そしてまた、われわれが将来のことについて何が有利であるか予知できないでおれば、神々はこれについてわれわれに力を添え、お伺いを立てる人々に占いを通じて事の成行きをお示しになり、どうすれば最良の結果が得られるか教えてくださるのだ』
ドイツ語の先生がしばしば、ドイツでは神様を信じる人はほとんどいないと言われていたことを折に触れて思い出します。それが一般の人がそう思っているのか、インテリの方たちがそう言われているのかは先生から確認できませんでした。きっと日本のように今でも民間信仰は生きていて、ドイツでもキリスト教を始めいろんな宗教の熱心な信者の方がたくさんおられると思います。きっと時代の空気が怪しくなると普通の感情の人たちは神様に頼りたくなるのでしょう。無神論もいいけど、クセノポンもいいこと言っているよと私はそういう方に言ってあげたい気もします。