『アエネーイス』(泉井久之助訳)について
私が大学2回生の秋に、帰りのバスで1、2回生の時にドイツ語を習った先生とお会いして親しくなりました。市バスの中でクラシック音楽とイギリス文学の話をしたのを覚えていますが、その後もその先生と帰りのバスでお会いして何度か西洋文学について話をしました。イギリス文学が中心だったのですが、先生はご専門のギリシアの英雄叙事詩についても話された他、先生がお好きな、意識の流れの手法を作品に取り入れている作家の話もされました。『トリストラム・シャンディ』(ロレンス・スターン)、『ウェルギリウスの死』(ヘルマン・ブロッホ)、『ユリシーズ』(ジェイムズ・ジョイス)は特に先生の下宿でその本を見せられ、是非読むようにと私に勧められたのでした。私は50才になった頃から、その先生から勧められた本を読み始め15年余りかかって先生から勧められた本をすべて読み終えました(理解力の問題がありますが)。『ウェルギリウスの死』は『アエネイス』を著したローマ時代の大詩人ウェルギリウスの死の直前から死後土になるまでの様子を意識の流れの手法を駆使して著したものと言えると思います。ウェルギリウスの詩作品としては他に『牧歌、農耕歌』がありますが、彼が亡くなる10年前から書き始めたこの『アエネイス』はラテン文学の最高峰と呼ばれています。内容はトロイ戦争で英雄として活躍したアエネイアース(『アエネイス』というのはアエネイアースの物語ということ)がトロイが廃墟になった後に他の土地でトロイを再興しようと努める物語ですが、お手本にしたホメロスの作品(『イーリアス』『オデュッセイア』)と似たところがいくつかあります。例えば、『オデュッセイア』はオデュッセウスがトロイ戦争が終わって10年経ってもカリュプソーに抑留されて帰国できないことを神々が気の毒に思い、女神アテーネーの力を借りて帰国し、妻に言い寄る求婚者たちを退治する物語ですが、『アエネイス』でもアエネイアースの母親である女神ウェヌスがトロイ陥落後7年経過してもトロイを憎む女神ユーノーのために海上を彷徨しているアエネイアースを気の毒に思い手を差し伸べます。またそれぞれの物語の主人公オデュッセウスとアエネイアースは王(領主)で策謀(知恵)を働かせていろいろな苦難を切り抜けます。オデュッセウスはイタケーに帰り着くことと求婚者たちを退治することを成し遂げます。一方アエネイアースはカルタゴに漂着し落ち着くとローマ建国を成し遂げるため女王ディドを残して出発し、覇権を争うルトゥリー族の王トゥルヌスを打ち負かしてローマの礎を築きます。
『アエネイス』は12巻で構成されています。第1巻から第4巻 トロイ戦争でトロイが陥落しましたが、アエネイアースは母親でもある女神ウェヌスの力を借りてカルタゴに漂着し女王ディドと共にカルタゴを栄えさせます。しかしアエネイアースは自分にはローマ建国の使命があるとディドを残して出航します。ディドは悲嘆のあまり自分の命を断ちますが、アエネイアースが出航して後の究極の苦しみと憎しみのあまりディドが取る行動が印象に残るためか、たくさんの歌劇やヴァイオリン曲(タルティーニ「捨てられたディド」 私は今から35年程前、オイストラフのブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」のレコードを購入しましたが、このB面にこの曲が入っていました。オイストラフはこの曲を好きだったのかもしれません)の創作のもと(ヒント)となっています。第5巻 アエネイアースが漂着したシキリアの王アケステスの厚遇を受け、アエネイアースはこの地に葬られた父アンキーセスのために奉納競技を催します。競漕、競走、拳闘、競射などをアエネイアースの部下たちは楽しみますが、ユーノーがアエネイアースの部下の追従の母たちに船に火を放つようにさせたためユピテルが豪雨を降らせましたが間に合わず多くの船が被害を受けます。それでも残った船を修復して、イタリアの本土ティベル川の河口に向って部下と共に出発します。アエネイアースの夢にアンキーセスが現れて、イタリアに着いたら地下界に降りて来て自分を訪ねるように伝えます。第6巻 アエネイアースは巫女シビュラに導かれて地下界に降りて行きます。ディドにも会いましたが、地下界の王プルートーの宮殿に行くと父アンキーセスの影に会うことができました。アンキーセスはアエネイアースに、建設すべきローマの国家と出現すべき主要な人物と運命を話します。ここにアウグストゥスの名前が出て来ますが、『アエネイス』はアウグストゥスの要請を受けて書かれたものなのでここのところがこの小説の一番肝心要な(残したかった)ところになると考えられます。アンキーセスはさらにアエネイアースが遂行すべき運命にある戦いと凌ぐべき苦難について告げ、アエネイアースとシビュラを地上へと送り出し、アエネイアースはガエータ(ナポリの近くにあります)に向けて出航します。第7巻 ラウレンテース族の王ラティーヌスは自分の娘ラウィニアをルトゥリー族の王トゥルヌスに嫁がせることを考えていましたが、アエネイアースが現れたためラウィニアの婿をアエネイアースにと考えを変えます。トゥルヌスは婚約者を奪われたことと領土争いのためアエネイアースと敵対し長い闘いが始まりますが、第7巻から第12巻までがアエネイアースが首領のトロイ軍とトゥルヌスが王のルトゥリー軍との戦いです。ウェヌスがアエネイアースを助けユーノーがトゥルヌスを助けますが、ユピテルの仲裁もかなわず闘いはさらに激しくなっていきます。アエネイアースが負傷して連れ去られますが、ウェヌスによって癒されて戦場に戻ります。それ以後はトロイ軍が優勢となり、アエネイアースとトゥルヌスの一騎打ちもアエネイアースが制してその後のローマの発展を思わせてこの叙事詩は終わります。
『オデュッセイア』(呉茂一訳 集英社世界文学第1巻を読みました)と同様に梗概を常に参照しながらの読書でしたが、第7巻のアエネイアースとトゥルヌスの闘いが始まった後は物語の流れが予想できたので本文に集中して落ち着いて読み進めることができました。ただ戦闘のところは英雄たちの命がけの争いなので誰が生き残るのかという興味しかわかず、ディドが登場する最初の4巻の方が興味深く読めました。でもよく考えると英雄叙事詩が盛り上がるところを最後の6巻に入れ、最初の4巻ではアエネイアースとディドの悲恋?を入れ、しかも『イーリアス』を参考にしたような奉納競技を入れ、その上ウェルギリウスはアウグストゥスから要請されたことを忠実に第6巻にそつなく入れています。『ウェルギリウスの死』でウェルギリウスは『アエネイス』が完成していないと破棄しようとしますが、ホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』と共に『アエネイス』が残されたおかげで、私たちにとってはギリシア、ラテン文学の作品が楽しめるというだけでなくそれらの文化の興味を持たせるものが継続(トロイの陥落→アエネイアースとカルタゴの王妃ディドとの悲恋→亡くなった父からローマ建国を託される→トゥルヌスと闘って打ち勝ちローマの礎を築く)する形で残ったということで意義があり本当に良かったと思います。