『クセノポン ギリシア史』(根本英世訳)について

ギリシア史を概観すると最初にあげられる(一番古いと考えられる)歴史的な出来事は、ミュケーナイ、スパルタとトロイとが争った紀元前13世紀頃のトロイ戦争になるでしょうか。紀元前8世紀頃に活躍したホメロスが著した『イーリアス』と『オデュッセイア』という英雄叙事詩が残されているおかげで、トロイ戦争のことがよくわかります。また紀元前5世紀頃に活躍した三大悲劇詩人アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスが残した悲劇のお陰で、ミュケーナイ王アガメムノンを中心にその弟、弟の恋敵、妻、妻の情夫、娘、娘の婚約者、息子の他、対立するトロイの王、その息子などとの間の愛憎関係を知ることができます。これらは詩人が著した叙事詩、悲劇なので、事実に基づいているものの些事が大事に描かれていたり肝心のところが省かれている恐れがあります。しかし歴史家のヘロドトスとトゥキディデスが著した歴史書はともに事実に基づいたものとされています。ただヘロドトスが「歴史の父」と呼ばれ、自分で得た知見を体系的にまとめて歴史書にしたのに対して、トゥキディデスはもともと将軍としてペロポネソス戦争で指揮を取ったのでしたが失脚して追放刑に遭った人でした。しかも彼の著書『戦史』はペロポネソス戦争の経過を残しておかなくてはという使命感からこの歴史書を残しているのですが、紀元前411年で記述を止めました。そのためその後からレウクトラの戦いでスパルタが破れ、マンティネイアの戦いでエパミノンダス(エパメイノンダス)が戦死してテバイ(テーベ)が覇権を失うまでをクセノポンが引き継ぐことになりました。私は昨年の春からギリシアに関する本を読み始めたもので、ホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』、人文書院の『ギリシア悲劇全集」全4巻、クセノポン『ソクラテスの思い出』『アナバシス』、ウェルギリウスの『アエネイス』(ラテン文学ですがトロイ戦争で活躍したアエネイアースが登場しトロイ戦争のことを語っています)を一応読みましたが、大学で歴史学を学んだことはありません。またギリシア史に興味はありますが、ヘロドトスやトゥキディデスの歴史書を今までに読んだことはありません。『ヘレニカ』とも呼ばれるクセノポンの『ギリシア史』を今までに歴史学を学んだことがなくギリシア史(トゥキディデス『戦史』は事後になりますが、この後に読む予定です)の本も読んだことがない私がこの本の感想を書こうと思います。なぜそう考えたのかの理由があるのですが、それは最後のところで述べさせていただきます。またトゥキディデス『戦史』との比較はこのあと『戦史』を読み終えてから述べたいと思いますので、ここでは私がクセノポンの『ギリシア史』を読んだ感想だけを記したいと思います。
紀元前411年頃と言えば、アルキビアデスが活躍していた時代で彼はアテネに返り咲いて翌年スパルタ軍を破ります。しかしその後の戦いでの敗戦の責任を取らされて最後は暗殺されたとなっています。この本を読んで最初に印象に残ったのもアルキビアデスに関する記載のところで彼の生涯についてあまり知らない私はアルキビアデスの活躍がしばらく書かれるのかなと思ったのですが、すぐにアルキビアデスは暗殺されてしまったのでした。他にも第6巻で登場するイアソンも『諸君の場合も危機に陥ったときに勝利を収めたのだということが、わからないのだろうか。だからラケダイモン軍も生命の危機に瀕すれば、必死に戦い抜く、と考えるべきではないだろうか。さらに神というものは、時として小なるものを大きくなさったり、大なるものを小さくなさったりして、悦に入っているように思われる』と部下に自制するように命じるのですが、すぐに7人の若者に殺害されます。第1巻で印象に残った人物としては他に、ティッサベルネスとバルナバゾスとリュサンドロスがいますが、ティッサベルネスは作戦の不手際を問われて処刑されます。またバルナバゾスはアテナイの将軍ですが目立った活躍はなかったようです。しかし第5章から登場するリュサンドロスはスパルタの将軍・提督でスパルタ国王アゲシラオス(2世)に重用されます。そうして彼もアゲシラオスを王位につけようと働きかけて即位させます。リュサンドロスはアイゴスボタモイの開戦でスパルタ艦隊を率いてアテナイ艦隊を壊滅させ無条件降伏させます。すなわちリュサンドロスはスパルタがペロポネソス戦争の勝利に貢献するのですが、しかしその後リュサンドロスはアゲシラオスと不仲となりコリントス戦争でテバイに破れて戦死します。
この本でしばしば登場するのでペロポネソス戦争の頃のスパルタ(ラケダイモン)の王としてはアゲシラオスが一番長く在位しているように思ったのですが、ペロポネソス戦争(紀元前430年から404年)の間に在位した王は紀元前427年までがアルキダモス2世、紀元前427年から紀元前400年まではアギス2世となっていて、アゲシラオス(2世)が国王であった時期は紀元前400年から紀元前360年までとなっています。またアゲシポリス1世は紀元前394年から紀元前380年まで在位して病死したアギス朝の王で次の王のクレオンプロトス1世(レウクトラの戦いでエパミノンダスに敗れ、戦死する)の兄ですが、ここではアゲシラオス2世がエウリュポン朝の王でこの本にしばしば登場することだけ述べておきます。第4巻からアゲシラオスが頻繁に登場するようになりマンティネイアの戦いでテバイ(テーベ)のエパメイノンダス(エパミノンダス)を打ち破る(亡くなる)ところが描かれますが、最後の第7巻はマンティネイアの戦い後の事後処理が書かれていて、エウプロンの策謀がありますがこの人物も殺害されます。エパミノンダスが活躍したレウクトラの戦いはスパルタが敗戦したのでほとんど触れられず、エパミノンダスが戦死したマンティネイアの戦いについては詳しく書かれその後の結末も書かれています。
クセノポンはトゥキディデスが記録を残さなかったペロポネソス戦争の紀元前411年以降の経過を書くようにと依頼を受けて『ギリシア史』に取り掛かったのだと思いますが、ペロポネソス戦争が終わった404年までの記載で終わらずその後にあったコリントス戦争について書かれていますが、その後の出来事の詳細が書かれたのではないようです。結局、エパメイノンダスがテバイ軍に殺害されるまでを描くことになりました。これは私の憶測ですが、スパルタを打ち破った憎らしいテバイのエパミノンダスが戦死するまでを描いて終わりたかったからだと思います。こうしてトゥキディデス書き始めて途中までとなっていたペロポネソス戦争史を引継ぎ、紀元前411年からレウクトラの戦いでスパルタから覇権を奪ったテバイのエパミノンダスが紀元前362年のマンティネイアの戦いでアテネ・スパルタ・マンティネイア同盟軍の攻撃を受けて非業の死を遂げるまでをこの歴史書に書き残すことになりました。エパミノンダスが戦死しなかったら、テバイはギリシアの中心的な存在となって引き続き栄えていたのかもしれませんが、戦いが終わらずいつまでも小規模な争いが続いたギリシアはテバイだけでなくギリシアの国全体が弱体化して行きます。実際、この歴史書の最後のところではクセノポンは、『(マンティネイアの戦い後に交戦国の間で和平が結ばれたが)各陣営は自国の勝利を主張したものの、領土の点でも、ポリスに関しても、支配についても、いずれの陣営とも戦前よりも広大になることがなかったのは明らかである。ギリシアの混乱と騒乱は、戦前よりも戦後の方が、ずっと大きくなった。(改行)私が述べるのは、ここまでである。以後のことは、おそらく誰か別の方が扱うであろう』という記述をしています。ウェルギリウスの『アエネイス』のような経過があったかは分りませんが、ギリシアは衰退しやがてローマが覇権を握る時代がやって来ます。

私は、1981年から1983年に掛けて、この本を出版された根本氏にドイツ語を教えていただきました。ありがとうございました。私の人生は決して楽しいと言えるものではなかったのですが、先生に大学からの帰りのバスで教えていただいた小説は私の人生に喜びを与えてくれました。先生のご専門のギリシア文学、意識の流れの手法で書かれた文学などは意気消沈していた心を癒してくれました。50才になった頃から15年程かかって、先生から教えていただいた小説を読み終えることができました。それらの本によって私はそれ以降楽しい喜びとなることを見つけることができて今に至っています(『こんにちは、ディケンズ先生』という本を出版して、ディケンズ・フェロウシップの会員にもなっています)。根本先生のお陰で悩みと苦渋に満ちた苦しい時期を何とか乗り切ることができました。本当にありがとうございました。私は現在、先生のお住まいがある関東には年に4回行っています。3月、6月、9月、12月の第1日曜日にLPレコードコンサートを開催するために3ヶ月に一度東京都杉並区阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンに行っています。先生に御足労いただくのは恐縮ですが、もし昔の教え子の顔を見たいとお思いになられましたら、催しが始まる15分程前(午後0時45分)にご来店いただけると有難いです。もし根本先生に来ていただけたら、催しが終わった後に先生がその当時に生徒たちに振舞われた牛肉ブロックの赤ワイン煮込みに近いお料理を一緒に食べたいと思います。