『大いなる遺産』の楽しさについて

私が『大いなる遺産』を知ったのは、少年少女世界の名作(偕成社)ででした。書店でパート勤務をしていた母親が小学生の息子のためにと全集の中の一冊を購入したのでした。しかしながら期待された息子はそれを最後まで読めるだけの読解力はなく本の最初にある登場人物紹介を何度も読み返すに留まりました。それでも小学生の頃には『大いなる遺産』と『二都物語』がイギリスの文豪ディケンズが書いた名作であることだけは私の記憶に残りました。私がその名作を全部読もうと思って読み終えたのは大学生になってからでした。当時は1951年に出版された山西英一訳(新潮文庫)と1967年に出版された日高八郎訳(世界の文学 中央公論社)だけでしたが、山西訳を購入して読みました。もちろん19世紀前半を舞台とした文豪の名作を一度で理解をして読むことはできず、ピップとジョーの友情、ピップのエステラへの恋慕、ピップのマグウィッチへの愛憎などがなんとなくわかった程度でした。その後40代半ばになって好きな本を読む時間が出来たので、今まで理解できるまで落ち着いて読めなかった本や今まで読みたかったけれど時間がなくて読めなかった本を読み始めました。前者に当たるのが、『大いなる遺産』『二都物語』『デイヴィッド・コパフィールド』『オリヴァ・トゥイスト』『ピクウィック・クラブ』(以上ディケンズ)『ジェイン・エア』(C.ブロンテ)『嵐が丘』(E.ブロンテ)『人間の絆』『剃刀の刃』『月と六ペンス』(以上モーム)『高慢と偏見』(オースティン)『トム・ジョウンズ』(フィールディング)『トリストラム・シャンディ』(スターン)などのイギリス文学、後者は『リトル・ドリット』『荒涼館』『バーナビー・ラッジ』『我らが互いの友』『マーティン・チャズルウィット』『骨董屋』『ニコラス・ニクルビー』『ドンビー父子』などのディケンズの長編小説の他に『レ・ミゼラブル』(ユゴー)『モンテ・クリスト伯』(アレクサンドル・デュマ)『ウェルギリウスの死』(ブロッホ)なども読みました。この『大いなる遺産』の3回目の読書でようやくピップ、ジョー、マグウィッチ、ミス・ハヴィシャム、エステラ、ジャガーズの主要な登場人物の他、パンブルチュック、ジョーの妻、オーリック、コンペイソン、ウェミックなどの行動も視野に入って来ました。印象に残る場面もピップとエステラが登場するところだけでなく、ピップとマグウィッチの出会い、冒険、別れの場面も心に残るようになりました。またウェミックとそのお父さんが登場するユーモラスな場面はいろんな翻訳を読むようになってどのように訳されるのか楽しみな場面になりました。ハーバートと放蕩に耽ったのでマグウィッチが心配になってオーストラリアからやって来た気がしないでもないですが、いつも親身に相談に乗ってくれる同世代の友人の存在はジョーと違った頼りになるピップの味方となったのでした。そんなストーリーと関係がないことまで想像するようになったのも翻訳(山西英一、日高八郎、佐々木徹、石塚裕子、加賀山卓朗各氏の翻訳)を10回以上読んだおかげで、ピップの心情がより深く理解できるようになり物語にのめり込んで行くことができたのでした。
今回読んだ『大いなる遺産』河合祥一郎訳(角川文庫)はいつも読むのを楽しみにしている3つの場面をわかりやすく翻訳しておられ、しかも出版社の広告の中でエンディング(ラストシーン)が決定するまでの興味深い経緯、ウェミックという登場人物が興味深い(表現の仕方をしている)人物であることの説明があり、きめ細かい翻訳をされることでマグウィッチが亡くなる際のピップのやさしさなどが引き出されていることで最後まで楽しく読ませていただきました。第56章の終わり頃を読んでいたのは阪急電車の中で、目が潤んでしまい思わず目頭を押さえてしまいました。

「その動きは音もなくなされたにも拘らず、白い天井を見つめる穏やかな表情から膜が外れ、彼はいかにも愛おしそうにぼくに目を向けた。
『愛しいマグウィッチ、最後に言っておかなきゃならないことがあります。ぼくの言うこと、わかりますか?』
 ぼくの手を握る手に少し力が入った。
『あなたには昔子供がいて、あなたはその子を愛したけど、失ってしまいました』
 さらに強く握られた。
『その子は死ななかったんです。有力な友だちが何人もいます。今も生きています。淑女になって、とても美しいんです。ぼくは彼女を愛しているんです!』
 最後の力を振り絞って、と言っても、ぼくがそれに応じて力を貸してあげなければ無理だったろうけれど、彼はぼくの片手を唇まで持っていった。そして、またそっとぼくの手を胸へ下ろし、その上に自分の両手を重ねた。白い天井を見つめる穏やかな表情が戻ってきて去り、逝った。頭が静かに胸の上に垂れた」

私が人より多くの活字を読んで来たわけはたまに感動して目頭が熱くなったりジーンと来たりする瞬間のためと言えますが、河合訳のこの箇所を読んだ時にはその感動がありました。そのような喜びを与えてくださった河合氏に感謝し、ディケンズ・ファン(ディケンズ・フェロウシップ会員)の私としてはまたディケンズの小説(難しいと思いますが、『リトル・ドリット』と『ニコラス・ニクルビー』をお願いしたいです)でこのような体験をさせていただけたらありがたいと思っています。