『ソポクレス オイディプス王』(河合祥一郎訳)について
私は長い浪人生活を経て1981年立命館大学法学部に入学しましたが、法学部の学生と言うのに1、2回生の時は一般教育科目、専門科目の勉強は余りせず、語学の勉強に時間を割きました。そのため英語4科目(3つがAで1つがB)、ドイツ語3科目(3つがA)、随意科目のスペイン語(スペイン語を履修した理由は『人間のしがらみ(人間の絆)』にスペインの文化とりわけ画家エル・グレコを賛美したところがあり仕事でスペインに滞在出来たらいいなと考えたからです)2科目(2つがA)でした(Aは前期後期試験の平均が80点以上、Bは70~79点、Cは60~69点、Dは59点以下で単位を取得できませんでした)。なぜそんなに語学の勉強に時間を割いたかと言うと3浪していたので、留年してこれ以上新卒の入社試験を受けるのが遅くなると年齢制限でほとんどの試験が受けられなくなり、お先真っ暗になる恐れがあったからでした。それで休みの日はほとんど一日中好きなクラシック音楽を聞きながら語学の予習に精を出したものでした。
語学に関してはもう一つの言語を学んだかもしれない出会いがありました。それは3回生の時に帰りのバスで1回生の時はドイツ語Ⅱ(文法)、2回生の時ドイツ語Ⅲを教えられた先生と乗り合わせ英文学とクラシック音楽で盛り上がり、卒業するまで何度か帰りのバスで楽しい時間を過ごし卒業してからもその先生と手紙でやり取りをしたことでした。残念ながらその先生とは卒業後数年して忙しくなって音信不通となりました。その先生はドイツ語を教えられていましたが、ご専門はギリシアの英雄叙事詩と言われていました(先生のお名前でネット検索するとクセノポンの『ギリシア史(ヘレニカ)』を翻訳出版されていることがわかります)。バスの中、先生の下宿での楽しい話は最初は英文学(モーム、ディケンズ)から始まり先生がお好きな意識の流れの手法のジョイス『ユリシーズ』、スターン『トリストラム・シャンディ』、ブロッホ『ウェルギリウスの死』『夢遊の人々』のお話や先生がドイツ留学をされた時のお話が主なものでしたが、先生がご専門のギリシアの英雄叙事詩についてもお話がありました。先生が下宿の本棚から筑摩書房のハードカバーを出して来られ、君も読んだらどうかな、面白いよと言われたことを覚えています。私は当時文庫本しか読んだことしかなかったので、その数倍の重さの3段組の本を見て驚き、とても読めませんと反応したのでした。今思うとその時私が『イーリアス』か『オデュッセイア』に興味を示していれば、それじゃあギリシア語も教えようかとその先生が言われたかもしれないのですが、専門科目の勉強で頭が一杯の私はその後先生の会話の中にギリシア文学のことは持ち出しませんでした。
そんなふうにいろいろな文学の楽しさを教えてくださった先生に不義理をし尽くした私でした。やや後の祭りという感じが否めませんが、50代になって『ウェルギリウスの死』を読んで以降は先生が「君も読んだらどうかな」と言って推薦された文学と先生が推薦された『オデュッセイア』を読み終えて興味を持つようになった先生のご専門のギリシア文学、歴史の本のいくつかを読みました。
ギリシア悲劇については7、8年前に、「ギリシア悲劇全集」(人文書院)を読みました。1回だけなので理解の度合いはそれほど高くありませんが、ギリシア悲劇を楽しめたので個々の作品の興味あるものを読んで行こうと思っています。また理解の程度は低いながらもギリシア悲劇についていくつかのことがわかりました。三大悲劇詩人アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの大雑把なイメージとしては、アイスキュロスの作品はクセノフォンやエウリピデスの作品と比べ完成度は低いものの人々が興味を持つ題材(プロメテウスなどのギリシア神話 アガメムノンを中心とするトロイ戦争前後の話、オイディプスとその家族の悲劇)をモチーフとしてたくさんの劇の台本を作成したが散逸して余り残っていない。ソポクレスについては安定した地位でよく知られた題材を地道に劇化した。一番信頼性が高い戯作と考えられる。エウリピデスについては多作ではあるが突飛な内容の作品もあり完成度の高い作品はソポクレスの方が多いというものです。
『オイディプス王』はその後に続く劇をソポクレスが書いています。それは『コロノスのオイディプス』『アンティゴネー』と続きますが、『コロノスのオイディプス』は国を追われた後のオイディプスの悲劇、『アンティゴネー』は娘アンティゴネーに降りかかる悲劇が書かれています。オイディプス王が関係する話よりも長期間にわたり規模も大きいのがトロイ戦争前後のアガメムノーンと関係する物語を取り扱った劇です。
アガメムノンはトロイ戦争の中心人物で妻(クリュタイムネストラ)、娘(イピゲネイアとエレクトラ)、妻の愛人(アイギストス)、弟(メネラオス)、息子(オレステス)などと関係して多くの愛憎劇の話題を提供しています。
『オイディプス王』は前述した全集で高津春繁訳を読みましたが、筋が入り組んでいてはっきり言って全然わかりませんでした。しかし河合訳はわかりやすく内容を理解できました。内容が理解できなかった理由は『オイディプス王』が父親殺しと近親相姦を犯した罰としてオイディプスが自ら両眼を傷つけ祖国を捨てて放浪の旅に出るという話ですが、それを謎解きのような形で明らかになって行くということがわからず、ただ悲惨な結末だけに興味が行ってしまったからだったような気がします。それに対し河合訳は一つ一つの場面をわかりやすい訳で表出していてオイディプス王の悲劇の謎解きの過程が明らかになりました。
『オイディプス王』のおおよそのあらすじは、
スフィンクスを退治したオイディプスがテーバイの王となったが、不作と疫病が続いていた。王は神託を求めるために王妃の弟のクレオンを使いに出す。戻って来たクレオンは先王のライオスを殺したものを捕らえて処罰して浄化すればよいとの神託を受けたと言った。そうして殺人を犯した犯人探しが始まるが、クレオンから依頼された予言者テイレシアスは犯人が王であることをすぐには言わなかったが、王に先王殺害の一味かとなじられて、「この国の穢れはそなた自身」「それを知らずに近親と交わり、己がおぞましい暗黒の淵にいる」と王に告げてしまう。王がクレオンとテイレシアスが共謀して王座を狙っていると言ったため、妻イオカステーが現れ仲裁に入る。イオカステーはライオス王とに間に出来た子をキタイロンの谷間に捨てた話をし始めたが、その子供は殺されずに隣国の王に育てられたことがわかる。ライオス王が殺害された時にいた羊飼いやオイディプス王の故郷コリントスからの使者の話から、オイディプス王がイオカステーが部下に捨てるよう命じた子であること、ライオス王を殺害した人物であること、自分が捨てた子であることが分らなかったとはいえオイディプスと交わって4人の子を儲けたことがわかり、イオカステーは縊死する。オイディプス王もコリントスからの使者の話を聞いて自らの運命を呪って、イオカステーのブローチ(服を飾っていた金の針)で目を指し盲目となり祖国を捨てて放浪の旅に出る。
と言った内容ですが、前に読んだ翻訳は謎解きの肝心の場面である羊飼いやコリントスからの使者の話がわかりにくく結果として物語の内容が把握できなかったと思います。河合氏の『オイディプス王』の翻訳はギリシャ語からの直訳ではなく、英語からの重訳とのことですがわかりやすく物語を楽しむことが出来ました。河合氏はシェイクスピアの英訳もいくつかされていてそのことから出版社からギリシャ悲劇の翻訳の依頼があったようですが、同じように重訳で『オデュッセイア』もわかりやすく訳して楽しませていただけたら有難いのになあと思います。