『モーム 女ごころ』(龍口直太郎訳)について
私はディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』『大いなる遺産』、モームの『人間の絆』、ケラーの『緑のハインリヒ』、ヘッセの『郷愁(ペーター・カーメンチント)』『ガラス玉演戯』のような教養小説を愛読していて長編小説が好きですが、ディケンズの『クリスマス・キャロル』のような作者が工夫を凝らして読者を楽しませるような中編小説も好きです。このモームの『女ごころ』(原題 Up
at the villa)という小説も160頁ほどの短い小説ですが、ヒロインのメアリイが三人の男性の言動に究極の選択を迫られたり熱いプロポーズに胸をときめかせたり突然やって来た不運に困惑したりして嬉しいばかりではない女ごころの揺らぎをすばらしい筆致で描いています。登場人物もメアリイのの他、交通事故で亡くなった先夫マシュー・パントン、インドの行政官でベンガル知事になる予定で幼い頃からの知り合いエドガー・スウィフト、メアリイがフローレンス滞在中に親しくなった若いイギリス人ロウリイ・フリント、メアリイとロウリイが出席したパーティで臨時のアルバイトでヴァイオリンを弾いていたオーストリアから亡命した青年カール・リヒターくらいで他はパーティの出席者とメアリイの召使くらいなので、メアリイと三人の男性との対話(メアリイとエドガーというふうに対話ばかりでパーティ以外のところで三人以上で会話をすることはない)だけなので、状況が頭に描きやすくとてもわかりやすい小説です。美しい30才の女性メアリイが彼女に心を寄せる男性と会話を交わし三人の男性は将来の明るい生活に心を弾ませたり、思いがけない展開に心を躍らせるが行き詰まり深い絶望感を味わわされたり、突然の願い出に希望のあかりを見つけて女ごころを引き寄せたりします。
エドガーはメアリイの父がインドで働いていた役人だったためメアリイが子供の時分から家に出入りしていて、メアリイの父が亡くなってメアリイがイギリスに帰ってからも高価なプレゼントをしたりして親しくしていました。父親の友人であり年齢差が24才でしたが、メアリイへの思いは募るばかりでした。メアリイが21才の頃に同年齢の裕福な青年マシューと結婚しましたが、メアリイの結婚生活が不幸であることを知るとエドガーは頻繁にメアリイを訪ねてプレゼントを贈るのでした。そうしてメアリイの夫が悲劇的な死を遂げた後にメアリイがフローレンスに滞在してると聞いたエドガーは長期滞在してメアリイに結婚を申し込むのでした。2、3日中にイエスかノーか回答をしてほしいとエドガーから迫られたメアリイはその晩に地元の有力者のパーティに出席します。フローレンス滞在中に親しくなったロウリイはパーティの間中メアリイの隣の席に腰掛けてメアリイに話し掛けるだけでなく、メアリイが自分の車でホテルに送る時にもロウリイはドライヴをしようとメアリイに持ち掛け車の中で結婚を仄めかします。その時メアリイはエドガーへの思いを熱くしていたので、ロウリイを一蹴します。ロウリイをホテルに送り届けた後、メアリイは帰宅途中車をを止めてフローレンスのすばらしい夜景を眺めているとパーティでヴァイオリンを弾いていた青年から声を掛けられます。青年は高額のチップのお礼を言いたいと言います。メアリイは青年の身の上話を聞いて同情し、自宅に連れて行きます。青年はカール・リヒターと名乗り、オーストリアから亡命した、生活に困窮していると打ち明けます。優しいメアリイはカールのことを気の毒に思い食事を作って食べさせます。カールがイタリアにやって来ても希望を見出せず人生に失望していることを聞くとメアリイは彼を元気づけようと努めますがカールはそれを勘違いして彼女との恋愛を続けたい、それを受け入れられないなら人生はおしまいだと迫ります。メアリイはエドガーへの思いがあったので、言い寄るカールに護身用にとエドガーからもらった拳銃をカールに向けます。カールはその行動に憤り拳銃をメアリイから取り上げ、捨て台詞を残してピストル自殺をしてしまいます。やがて召使が銃声を聞きつけてやって来ますが、スキャンダルを恐れたメアリイは、警察を呼んでとは言わずにロウリイに、困ったことになっちゃったから、大急ぎでこちらにやって来てほしいと電話を入れます。ロウリイはメアリイの願いを聞き入れて、カールの遺体をメアリイと一緒に外に運び出しますが・・・。
ロウリイは愛する人のため死体を遺棄しますが、メアリイの窮地は回避できるのか。メアリイはエドガーを愛していたので真実を話してインドでの生活を始めようと考えたがエドガーはメアリイの過ちをどう受けとめてどの様にメアリイに説明をするのか。メアリイの願いを受け入れたロウリイは最愛の人から人生の転機となるような温かい言葉がもらえるのか。このような私の想像を逞しくさせるストーリー展開は長編小説や短編小説だけでなく劇作者としても活躍したモームだからこそできるのだと思います。
モームの他の作品を読むとさらに多くの感動を与えてもらえる気がするので、大学生の頃に読んでよくわからなかった短編作品や先送りにしていた『昔も今も』『片隅の人生』『劇場』『魔術師』や戯曲も読んでみたいと思っています。