『月と六ペンス』(龍口直太郎訳 旺文社文庫)について

私が初めて『月と六ペンス』を読んだのは浪人生の頃ですが、なぜ読んだかは旺文社の参考書(原仙作著 英文標準問題精講)に「モームの小説は面白くて、一度読み始めたら止められない止まらない」といった内容の例文が載っていたからでした。それで高校を卒業していつか英文学の長編小説が読まれるようになったら、是非読もうと思っていました。最初に読んだ時に一応最後まで読みましたが、その時はエリート会社員だったストリックランドが突然仕事を辞めてパリで絵描きの修行を始める。それを止めるように言ってくれと夫人から依頼された主人公がストリックランドと話をするがストリックランドは聞き入れなかったこと、ストリックランドはパリでストルーヴと親しくなるが、世話になっているというのに夫人を奪い、その後死なせてしまうこと、タヒチでタヒチに暮らす人と親しくなり、土地の人をモデルにして質の高い絵画を描くが風土病に犯されて壮絶な最期を遂げることくらいしか理解できませんでした。それより強く印象に残ったのは、ストリックランドの周りの人に対する冷たい態度でした。ストリックランドは自分の妻にも冷たかったが、ストルーヴに対しては奥さんを奪ったのにその後奥さんの相手をしなくなり自殺させてしまうという悲惨なものでした。こういった態度はとても許せるものではなく当時の私にはとても不快なものでした。私は主人公または実質的な主人公が愛すべき好人物であればその小説のファンになるのですが、ストリックランドはその正反対の人物で、読んでいて不快になる小説をなぜ読まんとあかんのと思うようになって『月と六ペンス』を遠ざけたのでした。しかしながら今回龍口直太郎訳を読んで考え方を改めました。
ストリックランドはゴーギャンがモデルで天才画家として描かれていますが、一般的に天才というのは、文人なら湧き出る泉のようにすばらしい物語をすばらしい文体で書くことが出来る人、画家ならいろいろな興味深い場面を創造し優れた筆遣いで次々と名画を描いて行く人と私は思うのですが、人とのかかわりについてはこういうのが天才というのは決まっていないように思います。わかりやすく言うと、自分の目的を達成するためには少々周りの人に悪い影響が生じても仕方がないと考えることは真ん真中を外したとしても的外れではないと考えるのです。そのように考えるとストリックランドがサラリーマンの安定した収入と温かい家族との生活を降り捨ててパリで貧乏生活をしながら画家の修行をするというのは天才の姿として受け入れられるものだと思うのです。またストルーヴの親切についても天才からするともしかしたら煩わしいだけだったかも知れず、夫人に手を出したのも芸の肥やしと思ってしたことが大きく悲劇的なことになってしまったが自分は迷惑はかけていないと開き直ったのかもしれません。こういった世間の煩わしさに辟易したストリックランドは新天地を求めてさまよい、ようやくタヒチという人・環境ともに自分にあった土地を見つけたのだと思います。そうして働き者の若い女性を紹介してもらい、ようやく自分の好きな絵を描くことに専念できたのでした。
モームがこの小説で書きたかったのはストリックランドの人を踏み台にしても目的を成就させるという嫌な性格ではなくて、天才というのはいろいろな苦難に遭遇し人から嫌われたり憎まれたりすることもあるけれど、いつかは理解してくれる人が現れて大切にしてくれ願いが叶えられるから、初心を忘れないで頑張りたまえといいたかったのだと思います。だからストルーヴも天才のためにいろんなことを我慢して自分の妻までストリックランドの思うようにさせたのだと思います。やりすぎと思われても天才はこれくらいは許容範囲とモームは考えたのかもしれません。実際、夫に対する不貞はしばしばあることで、ストルーヴの妻のブラーンチが自害したのは悲惨だがストリックランドからすれば予想できない自分とは関係のない出来事と考えたのかもしれません。後味が悪い小説ですが、モームは、天才は些事に捕らわれずストリックランドのようなことをしてもええねんでと言いたかったから、この小説を書いたのではないかと思います。