『完訳千一夜物語』(十)(岩波文庫)について

『千一夜物語』で有名な話としては、7回の航海で大冒険をする船乗りシンドバードの物語、アラジンの魔法のランプの物語、アリババと40人の盗賊の物語がありますが、他にも魔法の絨毯が出て来る物語があります。それが、『完訳千一夜物語』(十)(岩波文庫)にある『ヌレンナハール姫と美しい魔女の物語』です。他の物語のように魔法の絨毯を手に入れた王子アリが活躍するというわかりやすい物語ではなく(王子アリは物語の半ば失恋して僻遠の地で修道僧になり物語に登場しなくなります)、主人公は三男の王子フサインと結婚する美しい魔女のように思われます。
幼い頃に両親を亡くしたヌレンナハール姫は、三人の王子(アリ、ハサン、フサイン)の父である伯父の王に育てられます。三人の王子はいずれもヌレンナハール姫を慕っていて誰にするか決めるのが難しかったため、王はその解決策として希代にして尋常ならぬと思う珍奇な品をそれぞれが探して王が最も驚く不思議なものを持って帰った者に両親を亡くして自分が預かっている姫を授けようと言います。そうして三人の王子は王が命じたようにそれぞれ相異なる国に旅に出掛けて驚くべき不思議なものを探すことになります。長男のアリはインドの競売屋から勧められて、高額な祈祷用の絨毯を購入しました。アリがなぜ高額なのか競売屋に尋ねると競売屋は、「この絨毯には見えざる霊験が授けられていて、この上に座れば、すぐに行きたいところに運ばれてゆき、しかも片目を閉じ、片目を開ける暇もないほどの速さで行ける」と説明しました。次男のハサンはペルシアの都で覗けば遠く離れた人の様子がわかる象牙の筒、三男のフサインは匂いを嗅ぐだけで瀕死の病人も健康を回復する西瓜ほどの大きさの林檎を競売人から購入して、父のところに戻る前にそれぞれが手に入れたものを見せ合います。その時にハサンが手に入れた象牙の筒の霊験でヌレンナハール姫が瀕死の状態であることを知ります。三人の王子はアリが手に入れた魔法の絨毯に一緒に乗り、瞬く間に姫の部屋に到着しました。そうしてフサインがいそいで手に入れた大きな林檎を瀕死のヌレンナハール姫が横たわっている寝床に近づき、その鼻孔の下に不思議な林檎を置きました。そうして姫は健康な状態に戻りましたが、王は王子が持ち帰った3つの不思議なもののどれが一番良いのか判断ができませんでした。それで矢を一番遠くに放ったものにヌレンナハール姫を授けることにしました。アリが放った矢はハサンに及ばず、フサインが放った矢はどこに行ったかわからなくなります。ヌレンナハール姫を妃にできなかったアリは宮殿に留まることを拒んで僻地で聖職に就きます。なのでこれより後にアリ王子が登場することはなく、魔法の絨毯も出番がなくなります。
ヌレンナハール姫を授けられたハサンはその後最愛の姫と幸せに暮らしたと思われますが、物語の後半はフサインと美しい魔女の話が中心になります。フサインは亡くした矢がどこに行ったか探すうち美しい魔女と親しくなり、美しい魔女は、3つの不思議なものはすべて自分のものだったと話し、フサインに自分のところで一緒に暮らしましょうとプロポーズします。ヌレンナハール姫と結婚できなかったフサインは魔女の姫君の方が美しさも、魅力も、色香も、才智も、富も従妹よりもまさっていると思い、美しい魔女の願いを受け入れ美しい魔女の住処での生活を始めます。幸福な生活を始めて6ヶ月経過して、フサインは父親が心配しているだろうから会いに行きたいと思うようになります。フサインが美しい魔女に話すと、父親のところに行くのはいいが、自分のことや今の生活について決して言ってはいけないと美しい魔女は言いました。それでフサインは父親から訊かれても答えずにいました。しかしフサインが続けて父親のところに行くと、王の側近が王に陰口して魔術と奸智の老婆が息子の住処を探すことになりました。このような王やその部下の行動を不審に思った美しい魔女は番人のシャイバールに命じて、魔術師の老婆、大臣、寵臣を叩き殺させます。そうして王も退位させます。こうしてフサインは王となりますが、ハサンとその妻ヌレンナハールは陰謀に加わらなかったので、王国の一番美しい地方を領地として与え、この上ない睦まじい交際を続けました。
このようにこの物語の前半は3人の王子が異国で不思議なものを探す物語で、魔法の絨毯、魔法の象牙の筒、魔法の林檎それぞれの霊験がわくわくさせるものですが、残念ながらめんどくさがりな王はそれらを息子たちに活用させて競わせることをせず、矢を遠くに飛ばしたものにヌレンナハール姫を授けると言います。そうしてその飛ばしっこに負けたアリは失意で宮殿を去り、矢をなくしてどうしたらよいか迷っていたフサインは失った矢を探しに行って幸運にも美しい魔女に愛されて王位を奪取することになります。アラビアンナイトは多くの人が物語を吟味して今の物語になったと思われますが、もし『ヌレンナハール姫と美しい魔女の物語』がもっとアリ王子と魔法の絨毯を活躍させる物語だったら(魔法の象牙の筒や魔法の林檎より実用的だと思うので)、より興味深い物語になったかなと思ってしまいます。