チャールズ・ディケンズの『アメリカ紀行』について
『アメリカ紀行』はディケンズが29才の頃にアメリカを旅した時の体験談(アメリカ人との交流、アメリカの様々な公共施設(盲学校、福祉施設、工場、監獄、農村、教会など)でのリポート)と旅行記を著したもので、小説と違ったディケンズの魅力が記載されているものと思って5年程前に読み始めましたが、読みにくくあまり重要であると思えない移動の様子が長々と記されているのでこれからはディケンズの小説だけを読もうとお蔵入りにしてしまいました。それで上巻のみ購入してそのままだったのですが、先日、クラリネットのレッスンを7年間一緒に受けた方から、あなたは『アメリカ紀行』を読みましたか。その本にヘレン・ケラーとディケンズは繋がりがあると書かれてあると記憶していますが、あなたはご存じですかと尋ねられたのでした。私がそのことは知らなかったと言うとその方はわざわざその本を探して下さり、内容を教えてくださったのでした。それが書かれてあったのは大学の英語の教科書のような本のひとつの章で「2 物には名がある ヘレン・ケラー」となっていました。内容は、1842年にディケンズがボストンにある盲人のための学校(パーキンズ視力障害者協会マサチューセッツ園)を訪れて、ローラ・ブリッジマンという視覚と聴覚と嗅覚を失われた少女が盲学校の優れた教師の指導(ディケンズは、サミュエル・グリドリー・ハウ博士が書いた文章から美しい感動的な話を取り出したとしている)を受けて進むべき道に気付くところを日誌のように書いています。そうして『アメリカ紀行』を読んだヘレンの両親がローラと同じ障害を持つ自分たちの娘のことも解決してくれるかもしれないと思って、同校に問い合わせてサリヴァン先生がヘレンの家に来ることになったと書かれています。そういった感動的な場面(第3章)まで私は読んでいたのかもしれませんが、不勉強で読解力のない私は最初に読んだ時は気付かなかったのです。
『アメリカ紀行』の最初のところでは、ディケンズ夫妻が小さな蒸気船「ブリタニア号」に乗って大変な苦労をして(暴風が吹き荒れる天候に遭遇)リヴァプールからボストンに到着するところが描かれています。当時29才のディケンズは若々しく荒波に翻弄される船の中でもいつもと変わらず溌溂としていて、やがてアメリカの各地をめぐることの喜びで一杯でした。アメリカ(ボストン)に着くと当時大人気の作家ディケンズに対して物凄い数の人が動員されて歓迎の催しが開催されました。普通考えられるのはそういったアメリカの歓迎を受けた人は楽しいことだけを選んで毎日を送るのでしょうが、ディケンズはそういった歓迎会に最初は出席はしたものの、その後はむしろ盲学校、病院などの施設、監獄などの訪問に時間をさいたのでした。特にいくつかの監獄を訪ねたことは『リトル・ドリット』や『二都物語』の場面の重要なヒントになったようです。そうした歓迎会に対するディケンズの態度や国際著作権(当時のアメリカではディケンズの著作の海賊版が多数出回っていたようです)に対するディケンズの主張に何もそんなことを最初の訪問で主張しなくてもというムードが広まりディケンズがニューヨークに着く頃には当初の熱狂は冷えてしまったようです。そうしてその後も福祉施設などを訪問しますが、カナダを経由したりナイヤガラの滝に行ったりと観光に掛ける時間が長くなります。そうして約6ヶ月の旅を終えてイギリスに帰還します。『アメリカ紀行』の第17章奴隷制度は恐らく帰国以後に書かれたのだと思われますが、奴隷制度の矛盾をいろいろな事例を取り上げて意見を述べているので、もしこの内容がアメリカ滞在中に発表されていたらどうなっていたかと思います。『アメリカ紀行』が発刊されてリンカーンの政策に影響を与えたかどうかは分りませんが、アメリカ国民の奴隷制度についての認識に影響を与えたことは充分に考えられます。
この『アメリカ紀行』全2巻にはディケンズの友人で作家のジョン・フォースターが著した『チャールズ・ディケンズの生涯』からの抜粋が掲載されていて、ディケンズの第1回アメリカ訪問の時のディケンズとフォースターとの間の手紙でのやり取りがよくわかります。また『アメリカ紀行』のよく分からないところを補っているので、このフォースターの証言と注それから翻訳した伊藤弘之氏の解説をよく読まないとこの著作の全体像が掴めないと思います。フォースターとの手紙の中でアメリカの作家たちとのやり取りがよく分かりますが、この旅で最初にいろいろ世話をしてくれたアーヴィングと不仲になり、ロングフェローとは親交を深めたことがわかります。ディケンズは自らの意見を率直に述べる人だったようで、『アメリカ紀行』の中で存分に自分の意見を述べたようですが、この後はいろいろ難しい問題が起こることがわかって、自分の意見を率直に述べる『アメリカ紀行』のような本はあまり著さなくなり小説に重心を移していったように私は思います。