『ヘロドトス 歴史』(青木巌訳)について
紀元前5世紀に活躍したギリシアの歴史家ヘロドトスは歴史の父と言われ、彼が著した『歴史』は同時代に活躍したギリシアの歴史家トゥキュディデスの『戦記』とともに歴史の古典として貴重な歴史書と言われています。『戦記』がペロポネソス戦争を途中まで(残りの部分はクセノポンが『ギリシア史』で埋め合わせています)記述したものですが、『歴史』はそれと少し趣が異なります。ペルシア戦争の経緯が中心となりますが、それ以外にもペルシアと周辺にあった、リディア、エジプト、スキティア(スキタイ)との戦いを詳細に記述しています。またエジプトのところではナイル川やわにやミイラについて詳しい説明をしたり、スキティアのところではスキティア人は生贄や捕虜に対して残虐なことをしていたとの詳細な記述があり歴史とは直接関係ない興味深い話が挿入されています。他にも第4巻105で「彼らは妖術師であるように思われる。なぜかならば、スキティア人およびスキティア在住のギリシア人の話によると、年に一度各ネゥリス人(ネウロイ人)はこぞって数日間化して狼に成り、しかる後またもや元の姿に立ちもどると云うからである」と書かれてあったり、第8巻37~38で「東夷軍が迫ってきてアテネ・プロナイアのところにきた時、彼らにさきに起った奇跡よりもはるかに大きな奇跡がさらに起ったのであった。(中略)東夷軍がせめてきてアテネ・プロナイアの辺に着いた時、その時天より彼らの頭上に雷が落下するとともにパルナッソス山からはもぎさかれた2個のとがった巌が大轟音とともに彼らのまんなかへおち、そして、彼らの多くをおしつぶしたし、また、プロナイアの廟からは喊声やときの声が起ったのである。(中略)以上のほかにもふしぎな現象を見たと告げたのである。すなわち、身のたけ人なみはずれた二人の武装した巨漢が追跡してきて殺戮しながら彼らのあとを追って来たと話した」と書かれてあり、『戦記』のように淡々と歴史的事実を記載するというのではなく作者の配慮が見られ好感を持ちます。
『歴史』の中心にあるのは紀元前480年~479年にあったクセルクセス1世のギリシア遠征ですが、第4巻まではペルシアと周辺諸国との戦いが書かれています。リディア王クロイソスとペルシャ王キュロス2世との戦い、カンビュセス2世のエジプト遠征、ダレイオス1世のスキティア遠征が書かれていてカンビュセス2世のなどのペルシア王の行動は興味深いですが、それよりも興味を持ったのは先に述べたように第2巻にエジプトのナイル川、わに、ミイラについて詳しく書かれていることや第3巻にスキティア人が生贄や捕虜に対して行った残虐なことをしたという話のところで私はそこを楽しい読み物として読みました。『歴史』はそういうエンターテインメント的な箇所もありますが、そのページの多くはギリシアやその周辺にある大小たくさんの国家が生き残りのために離合集散を繰り返してある国は繁栄しある国は地図の上から姿を消した経緯が詳しく書き残すことにあてられています。ある国の重要人物が一度登場して彼の国と敵対する国が周りのどの国と手を結んで戦ったかということは歴史としてはとても重要なことだと思いますが、それについてのエピソードがなければ私のようなものにとっては活字を追うだけの退屈な読み物になります。それでヘロドトスは『歴史』を読む人が退屈しないように、ナイル川の話やわにやミイラの話の他に狼男の話や武装した巨漢の話を挿入したのだと思います。
マルドニオスがギリシア遠征を強硬に主張したため紀元前480年にクセルクセス1世は30万人の大群を引き連れてギリシアへの進行を開始しました。ギリシアは最初劣勢でしたが、テルモピュライの戦いでレオニダスが、サラミス海戦ではテミストクレスが活躍して盛り返します。クセルクセス1世は30万人の大軍がサラミスの海戦でギリシアの海軍に殲滅させられたためギリシアから身を引きますが、王にギリシアへの遠征を進言したマルドニオスは尚もギリシアに留まり、プラタイアの戦い、ミュカレの戦いでギリシアと闘いますが、結局ギリシアの勝利となります。この2つの戦いが始まったのが紀元前479年8月と言われていて、ギリシア進行が始まって長く見ても1年8ヶ月と考えられます。長期間30万人の軍を率いるのは難しいと考えると雌雄を決するために4つの大きな戦いが連続してあったと考えられます。そうしてこの後は小競り合いが長く続き大きな戦いはなく区切りをつけるためにカリアスの和約が結ばれたと考えられます。しかしこの和約についてはヘロドトスはもちろんトゥキュディデスの『戦記』にも記載がありません。
ペルシア戦争の始まりは紀元前500年に起きたイオニアの反乱からという説と紀元前492年のペルシアの第1次遠征からという説があります。またクセルクセス1世のギリシアへの進行(第3次遠征と言われています)までにはペルシアの第2次遠征がありその時ギリシアはマラトンの戦いでペルシアを撃退しました。クセルクセス1世の第3次遠征はプラタイアの戦いで終結した(クセルクセス1世はサラミス海戦に負け撤退しました)とされるのですが、一般的にペルシア戦争は紀元前449年にカリアスの和約が結ばれて終結したと言われています。ただ先に述べたようにこの条約が本当に存在したのか疑われています。ヘロドトスの『歴史』はクセルクセス1世がアルタウクセスの不正に加担したことが書かれた後にアルテムバレスとキゥロスのやり取り(ペルシアの国家観?)が書かれ終わります。クセルクセス1世は国民に慕われた王とは言えず、実際ペルシア戦争が終わって14年後暗殺されています。4つの大きな戦闘とかかわりがあったクセルクセス1世が暗殺で死亡した時をペルシア戦争の終結とすればわかりやすいのですが、やはり戦争の終結は当事国間での条約の締結をもってということなのでしょう。しかしカリアスの和約が結ばれたかどうか疑わしいとなると、大昔の出来事とは言え私のようなただのにわか歴史書愛好家は、それでほんとうにいいのと突っ込みたくなります。