プチ朗読用台本「ジョンの苦境」

 

       1

 

「バーサ!」ケイレプはやさしく声をかけた。「いったいどうしたのかい?けさから―ほんの2、3時間のうちにお前はすっかり変わってしまったじゃないか、娘や。お前が一日中だまり込んでぼんやりしているとはなあ!どうしたんだ?話しておくれ!」

「ああ、お父さん、お父さん!」盲目の少女はわっと泣き出した。「あたしはなんて辛い運命なんでしょう!」

ケイレプは手で目を拭ってから返事をした。

「だが、今までお前はずいぶん朗らかで楽しそうだったじゃないか、バーサ!とてもいい子で大勢の人たちからとても可愛がられていたじゃないか」

「それは身にしみているんです。お父さん!いつもあんなにわたしのことをきにかけてくださり、いつもあんなに親切にしてくださるんですもの!」

ケイレプは娘の言う意味を理解するのに、途方に暮れた。

「盲目で―盲目だってことはバーサ、かわいそうに」ケイレプは口ごもった。「たいそう辛いことだよ。だが―」

「そんなこと一度も感じたことはなかったわ」盲目の少女は叫んだ。「その辛さを十分味わったことは一度もなかったのよ。一度もなかったわ!ときにはお父さんが見られたら、またはあの方が見られたらと思うことはあったわ。たった一度でいいから、お父さん、ほんのちょっとでいいから、あたしが大事に」バーサは胸に両手をおいて、「ここにしまってあるものがどんなものか知ることが出来るように!それを正しい持ち方をしているか確かめられるように!そしてときどき(でも、その時はあたしは子供だったけれど)夜お祈りをするとき、お父さんの姿があたしの胸から天にのぼって行ってしまうと、それがお父さんのほんとうの似姿ではないかもしれないと考えて泣いたものでしたわ。でも、そういう気持ちを長くは持っていませんでした。それはどこかへ行ってしまって、そのあとわたしは気持ちがしずかになって落ち着くようになりました」

「それじゃー、またそうなるよ」

「でも、お父さん!ああ、親切なやさしいお父さん、わたしが悪い子でも我慢してちょうだいね!わたしをこんなに苦しめるのは悲しいからではないんです!」

父は涙にうるむ目をあふれるがままにするほかなかった。バーサはいかにも思いつめたあわれな様子だったが、ケイレプにはまだ、その言わんとするところが分らなかった。

「あの人をわたしのところへ連れて来てちょうだいな」バーサが頼んだ。「自分の胸にしまい込んだままではいられませんもの。あの人を連れて来てくださいな、お父さん!」

ケイレプがためらっているのを知ると、「メイよ、メイを連れて来てちょうだい!」とバーサは言った。

メイは自分の名前を聞いて、静かにやって来て、バーサの胸にさわった。盲目の少女はすぐにそちらを向き、メイの両手を握った。

「あたしの顔をよく見て頂戴。いとしいメイ、やさしいメイ!あんたの美しい目で読んでみてほんとうのことがあたしのことが書いてあるかどうか、おっしゃってちょうだい」

「いとしいバーサ、書いてあってよ!」

「盲目の少女は涙がとめどもなく流れる。そのうつろな、目の見えぬ顔を上向けながら、なおもつぎのようなことを言った。

「わたしの心にはあなたのためにならないような願いや思いは一つもないのよ、美しいメイ!目が見え、美しいさかりのあなたがこれまでこんなわたしにつくしてくださった数々の思いやりの思い出、あたしたち二人が子供の頃でさえ、わたしが盲目の子供であった頃でさえ、いつもいつも親切にしてくださった思い出ほど、わたしの心に深くありがたくしまってあるものはないのよ!あなたの上にあらゆる恵みがありますように!あなたの幸福な行く手に光がありますように!きょう、あなたがあの方の奥さんになると知って、あたし、心が張り裂けそうに切なかったけれど」と、バーサはメイのほうに身を寄せ、その手をさらにしっかりと握りしめて、「わたしの気持ちにちっとも変りはないのよ!お父さん、メイ、メアリー!おお、ゆるしてくださいな!こんなに胸が張り裂けそうな思いをするのは、あの方が倦き倦きするあたしの暗い生活をやわらげようと、あらゆる親切をつくしてくださったためであり、神様もご存じですが、わたしが自分などよりもっとふさわしい奥さんを立派なあの方がおもらいなさるようにと、願う気になれなかったわたしを、あなた方がよい人間だと信じていてくださるからなのです!」

こう言いながらバーサはメイ・フィールディングの手を放し、哀願と愛情の入りまじった姿でメイの着物をしかと握った。この不思議な告白をつづけながら、バーサは次第に低くくずおれていき、ついに友の足もとに倒れて、その襞の中に顔をかくした。

「おお神様!」一撃のもとに真実に打ちぬかれた父は叫んだ。「あかんぼのときからこの子をだまして来たのが、こんな胸も避ける思いをさせる結果になろうとは!」

彼ら一同にとって、メアリーが、あの晴れやかな、役に立つ、かいがいしいメアリーが―どんな欠点を持っていようと、また、やがて諸君がどんなに彼女を憎むようになろうと、メアリーはやはりそうした人間なのである―そこに居合わせたことは幸いだった。さもないと、この場がどんな結末になるか分らなかった。しかし、落ち着きをとりもどしたメアリーはメイが返事をするより早く、また、ケイレプが口を開くより早く、中に割ってはいった。

「さあ、さあ、いとしいバーサ!あたしといっしょにいらっしゃいな!あなたの腕をかしてよ、メイ。そう!この人ももうすっかり落ち着いたわね。それにわたしたちの言うことを聞いて。なんていい子でしょう」こう言ってこの快活な小さな女はバーサの顔に接吻した。「あっちへ行きましょう、いとしいバーサ!いらっしゃい!お父さんもいっしょに行くからね、そうでしょう、おじさん?きっとね!」

そうだ、そうだ!こういうことにかけてはメアリーは機転が利いた。彼女の感化をしりぞけるような人間はよほど強情な性質に違いない。この父娘のみしかお互いに、いたわり合い、慰め合うことが出来ないのを知っているので、メアリーはあわれなケイレプと娘を連れ去り、ほどなく―諺にある通り、雛菊のようにいきいきとして、いや、雛菊よりもっといきいきして、と私は言おう―跳んで帰って来て、あの帽子をかぶり手袋を着用しそっくり返った高貴なお方の警備にあたり、この愛すべき老婦人が事情をかぎ出すのを防いだ。

「じゃ、大事な赤ちゃんをここへ連れて来てちょうだい、ティリ」と、椅子を火の方へ引き寄せながら、「わたしがこの子を抱っこしているあいだ、ここにいらっしゃるフィールディングの奥様にね、ティリ、あかんぼの取り扱い方をすっかり教えていただいて、わたしのひどい間違いをたくさんなおしていただきましょうよ。いかがでしょうか。奥様?」

俗に言うのろまのウェールズ人の大男、朝飯のとき、敵の親玉が仕組んだ手品競争に、まんまとのせられて自分で自分に命とりの外科手術をしてしまったという大男だって、この老婦人がひっかかったほど、やすやすとは、わなにかからなかったのである。タクルトンが出て行ってしまったうえに、2、3人の者たちが2分間も離れたところでお互いどうしで話をしていて、この老婦人をほったらかしておいたという事実は、彼女を憤然とさせ、24時間ほど、かのインド藍貿易の不思議な変動を嘆かせるには十分であった。しかし、彼女の経験にふさわしいこの若い母親の経緯には抗しがたく、ちょっと謙遜してみせたあと、老婦人はこのうえなく愛想よく、メアリーを啓発し始めた。いたずらっ子のメアリーを前にして棒のようにまっすぐ坐り、えんえん30分にわたって家庭の秘訣と教訓を伝授したが、それはもしも実行にうつしたならば、サムソンのごとき幼児であるとはいえ、小ピアリビングルを完全に破壊し去ってもあまりある、確実な方法であった。

話題を変えるため、メアリーは少しばかり針仕事をした―針箱の中身を全部ポケットの中に入れて来たのである。どのように入れたものか、わたしにはわからないが―それからちょっとあかんぼに乳を飲ませ、それからまた少しばかり針仕事をし、それから老婦人が居眠りをしているあいだ、ちょっとばかりメイとひそひそ話をするといった、いつものやり方で、こまごま動いているうちに、午後は非常に早くたってしまった。そこで暗くなってきたし、また、彼女がバーサの台所の仕事をしてやるということが、このピクニックの規定の厳かな部分をなしていたので、メアリーは火をなおし、炉端を掃き、お茶のテーブルを用意し、カーテンを下ろし、ローソクをともした。そこでメアリーは、ケイレプがバーサに作ってやった粗末な竪琴で、1、2曲かなでたが、たいそう上手に弾いた。なぜなら、自然はメアリーの美しい小さな耳を宝石で飾るにふさわしいものにすると同時に、もっとも、飾るような宝石をメアリーが持ち合わせていたら、ということであるが、それと同時に音楽にたいしても極上の耳にしていたのである。このころにはいつものお茶の時間になっており、タクルトンも食事と夕べをともにするために戻ってきた。

ケイレプとバーサもしばらく前に戻っており、ケイレプは坐って、午後の仕事にかかっていた。しかし、かわいそうに彼は娘への心配と後悔で、落ち着いて仕事にうち込めなかった。仕事椅子にぼんやり坐ったまま、もの悲しそうに娘を見つめ、「この子をあかんぼのときからだまして来たのが、こんな胸も避ける思いをさせる結果になるだけとは!」という表情をうかべているのを見ると、あわれを催すのだった。

夜になり、お茶がすんで、メアリーは茶碗や皿類を洗ってしまえばもうなにもすることはなくなったとき、ひとくちに言えば―わたしはもうそれを言わなくてはならない。延ばしても無駄であるから―遠くで車輪の音がひびくたびに運送屋の帰りが待たれるときが近づくにつれて、メアリーの顔は赤くなったり青くなったりして、ひどく落ち着きを失ってきた。夫ではないかと耳をすます善良な妻のようではない。いや、いや、いや、それとは違った落ち着かなさであった。

車輪の音が聞こえた。馬のひづめの音、犬の吠える声。だんだん近づいてくるいろいろな物音。飼い犬のボクサーが前足で戸をひっかく音!

「あれはだれの足音かしら!」

バーサはびっくりした様子で跳び上がった。

「だれの足音だって?」と、運送屋は刺すような夜の外気のため、日焼けした顔を柊の実のように赤くして、玄関に立ちながら言った。「なあに、おれのだよ」「もう一つの足音よ。あなたのうしろの人の足音よ」とバーサが言った。

「この子はだませないね」運送屋は笑いながら言った。「旦那、いらしてください。みんな歓迎しますよ。心配は無用でさ!」

運送屋は大声で言った。声に応じて例の老人がはいって来た。

「この方とは全然知らぬ仲じゃないな、ケイレプ、前に一度会っているものね。わしらが出かけるまで、この方を置いてあげてくれるかね?」

「ああ、いいとも、ジョン。光栄に思うよ」

「秘密を明かすにゃ、この方みたいにいい相手はまたとないぜ」とジョンが説明した。

「おれはかなり丈夫な肺を持っているんだが、その肺が悲鳴をあげたよ、まったく。お掛けなさいよ、旦那、ここにいるな、みな内輪の者ばかしで、あんたに会って喜んでいるんですよ!」

今しがた自分の肺について述べたことを十二分に実証する声でこう伝えてから、今度はふだんの調子にかえってつけ加えた。「炉端に椅子を一つあてがって、黙って坐ったまま、うれしそうにまわりを見回しとくままにしとけば、それがこの人にゃなによりうれしいんだよ。この人を喜ばすのは、わけはねえ」

バーサは一心に耳をすましていたが、ケイレプが椅子の用意をしてしまうと、自分のそばに呼び、客の様子を聞かせてくれと頼んだ。ケイレプが説明し終えると(このときばかりは小心翼々、事実にのっとって)、バーサは客がはいって来て以来、はじめて身動きをし、溜息をついた。そしてもはや、客への興味を失ったかのように見えた。

運送屋はたいした元気だった。実に彼はいい男だった。そしてこれまでにもまして小さな妻をいつくしんだ。

「不器用だね、今日のお前さんは」と、彼は他から離れて立っている妻を武骨な腕で抱いた。「それでも、どういうもんかおれは好きだよ。あそこをごらん、お前さん!」

運送屋は老人を指さした。メアリーは下を向いた。震えていたと私は思う。

「あの人はね、アハハハ!あの人はお前をさかんに褒めちぎってなさるんだよ!ここまでの道中ずっと他の話は一つもせずにさ。まったく、あの人は勇敢なおやじさんだ。だからおれはあの人が好きなんだよ!」

「あの人、もっとなにかましな話をすればいいのにね、ジョン」と、メアリーはちらっと部屋じゅうを、ことにタクルトンに不安気な一瞥をあたえた。

「もっとましな話だって?」ジョンは上機嫌で叫んだ。「そんなものはないさ。さあ!外套をぬいで、厚ぼったい襟巻もとって、重い上っ張りもぬいで!火のそばでらくらくと30分ばかり過ごすとするか!ご機嫌いかがです、奥さん。カードをひと勝負いかがですかね、奥さんとわたしで?これはいいあんばいだ。メアリー、カードと台を持って来ておくれ。それからビールも一杯、残ってたらな」

ジョンの挑戦にかの老婦人はすぐさま愛想よく応じ、二人はまもなく勝負にとりかかった。はじめのうち、運送屋は微笑みをたたえながらあたりを見回したり、ときどきメアリーを呼んで自分の肩ごしに自分の手を見てむずかしいところを助言してもらったりしていた。しかし、彼の敵は厳しい規律励行家なうえ、時折、自分の得点より以上に点をつけるという弱点におちいりがちなので、ジョンとしても警戒が必要で、目も鼻も遊ばせておくわけにはいかなくなった。こうして次第にジョンの全注意はカードに吸いつけられた。そして余念なく専心しているうちに、肩に手をかけた者があるのでわれにかえると、タクルトンがいた。

「お邪魔してすまんが―ちょっと話があるんだ、今すぐ」

「今カードを配るところでね、だいじなとこなんだ」

「そうだよ、だいじなところさ」タクルトンが言った。「だから、来なさい!」

その青ざめた顔には相手をただちに起ち上がらせずにはおかないものがあり、ジョンはいそいで、どうしたのかとたずねた。

「シッ!ジョン・ピアリビングル」タクルトンは言った。「わしは残念に思うよ。実際残念だ。そんなことじゃないかと心配していたんだよ。最初からわしは怪しいとにらんでいたのだ」

「なんのことですかね?」と、運送屋はおじけづいた。

「シッ!いっしょに来るなら、見せてあげよう」

運送屋はひとことも言わずについて行った。二人は星の輝く裏庭をつっきり、くぐり戸からタクルトンの事務所へはいって行った。そこにはガラス窓があり、商品をしまっておく物置きを見下ろしていたが、夜なので物置きは閉まっていた。事務所には灯はなかったが、長細い物置きにはランプがともしてあるので、したがって窓が明るかった。

「ちょっと待て」とタクルトンが言った。「乱暴はやらかしちゃいかんよ。無駄だからな。それに危険でもあるしな。君は屈強な体をしているから、思わず人殺しをしちまうこともあり得るからね」

じっとその顔を見た運送屋は、まるで打たれたかのように一歩しりぞいた。彼はひと跨ぎで窓のところに行き、そして見た―

おお、炉端の影!おお、正直なこおろぎよ!おお、不実の妻!

彼は妻がかの老人といっしょにいるのを見た。もはや老人ではなく、背のまっすぐのびた偉丈夫であった。手には白髪のかつらを持っていたが、それにより彼らのわびしいみじめな家庭へはいりこむことが出来たのである。はいって来たときの戸口のほうへと二人はゆっくり薄暗い木造の廊下を歩きながら、男が顔をかがめて耳もとでつぶやくのを妻がじっと聞いているのが見えた。運送屋は二人が立ち止まり、妻が振り向くのを見た―あの顔、彼があのように愛したあの顔をこんなふうに見せつけられるとは!―そして妻が自身の手で男の頭の上のかつらをなおしてやり、そうしながら夫のうかつさを笑っているのを見た!

最初、運送屋は獅子をも打ち倒さんばかりに、強く右手を握りしめた。しかし、すぐに開き、タクルトンの目の前で広げた(この場にのぞんでも、彼は妻をそこなうまいと気遣っていたのである。こうして二人が出て行ってしまうと、彼はぐったり幼児のようによわよわしく机にうち倒れてしまった。

メアリーが帰り支度をして部屋にはいって来たとき、ジョンは顎までくるまって、馬や小包のことで忙しそうにしていた。

「さあ、ジョン!メイ、お休みなさい!バーサ、お休みなさい!」

メアリーはその人たちに接吻できるだろうか?別れぎわに朗らかにうれしげにふるまえるだろうか?赤面もせずに一同にその顔を見せることが出来たろうか?出来た。タクルトンが目を離さずに見ていると、メアリーはこれを残らずやってのけたのである。

ティリはあかんぼを寝かしつけながら、タクルトンの前を何度も行ったり来たりしながら、ねむそうな声でくりかえしていた―

「それがそれの奥さんたちになるってことを知って、それじゃあ、それは胸が避けそうになったんですね。それでその、お父さんたちはそれをあかんぼのときからだまして来て、そのあげく、それに胸も避けるばかりの思いをさせただけだったのね!」

「さあ、ティリ、あかんぼをおくれ、タクルトンさん、お休みなさい。いったい、ジョンはどこにいるの?」

「馬の頭のわきを歩いて行くそうだ」と、タクルトンは言って、メアリーを荷馬車に助け乗せた。

「まあ、ジョン、歩いて行くのですって?今晩?」

すっぽりくるまった夫の姿がそそくさと肯定の合図をしめした。いつわりの見知らぬ客と子もりはめいめいの席におさまって、いたので老いた馬は歩き出した。ボクサーは、なにも気づかぬボクサーは前方へと駆けて行ったり、駆けもどったり、荷馬車のまわりをぐるぐる走り回ったりして、前と変わらず、得意そうにうれしそうに吠え立てた。

同様にタクルトンもメイとその母親を送り届けるため立ち去ったあと、あわれなケイレプは炉端に娘とならんで腰かけ、心の底から心配し後悔して、物悲しげに娘をながめながらなおもつぶやいていた。

「あかんぼのときからこの子をだまして来たのが、こんな胸も避ける思いをさせる結果になろうとは!」

あかんぼのために動くようにしてあった玩具はとうの昔にみなねじがもどって止まっていた。かすかな光と沈黙の中で、泰然と落ち着き払った人形たちや、目をみひらき、鼻孔を広げた興奮している揺り木馬、身を半ば二つに折って、よわよわしい膝や踵で立っている表の戸口の老紳士たち、歪んだ顔のくるみ割り、寄宿学校の遠足のように、二列にならんでノアの方舟に乗る途中の獣たちまで、いかなる事情の結びつきにせよ、メアリーが不実で、タクルトンが愛されるとはと、驚きのあまり身動きも出来ないでいるとも想像できないこともなかった。


 

       2


 

隅のオランダ時計が10時を打った。運送屋はわが家の炉端に坐っていたが、あまりに苦しみ悩む彼の様子にカッコー時計はおびえたらしく、例の音楽的な時の刻みを、10だけ精いっぱいいそいで打ち終わると、このいつもにない光景が自分の気分に合わないかのように、再びムーア式宮殿の中に跳び込んで、小さな戸をピシャッと締めきってしまった。

たとえあの機械時計の小さな草刈り男がこのうえなしの刃の鋭い大鎌をかまえて、一振り一振りに運送屋の心臓に切りつけたとしても、メアリーが負わせた深傷には及ばなかったであろう。

その心臓はメアリーへの愛情にあふれており、メアリーの愛すべきあまたの性質が日ごと紡ぎ出す、無数の魅力ある思い出の糸がそれにからまり、とじ合わされていた。その心臓にはメアリーの姿がやさしくしっかり秘められていた。その心臓は真実さにかけては生真面目であって、正には強く、悪には弱かった。それであるから最初は憤怒をも復讐心をも宿すことはできず、ただ、破れた偶像の影をいれる余地しかなかった。

しかし、今では冷えて暗くなった炉端に坐って思いに沈んでいるうちに、夜の間の怒れる風のごとく、次第次第に運送屋の胸の中に、他のもっと激しい考えが起こって来た。かの見知らぬ客は辱められた俺の屋根の下にいるのだ。わずか三歩でその部屋の戸口へ行ける。一撃のもとに戸を破って中にはいれるのだ。

「君は思わず人殺しをしちまうこともあり得るからね」とタクルトンは言ったが、あの悪者に手と手で掴み合いをするときを与えれば、なんで人殺しと言えよう!あの男のほうが若いのだもの。

それは運送屋の暗い気持ちにためにならない、時を得ぬ考えであった。その怒れる思いは彼を復讐行為に駆り立て、その結果、この陽気な家は化物屋敷と化し、一人歩きの旅人は夜通ることを恐れ、臆病な者はおぼろ月夜にこわれた窓辺にもつれ合う影を見たり、また嵐のときには物凄い声を聞きつけたりすることになろう。

あの男の方が若いのだ!そうだ、そうだ、このおれが一度も触れたことのない妻の心をかちえていた恋人なのだ。妻が娘時代に選んだ恋人なのだ。この男のことを妻は思い、夢に見ていたのだ。この男を恋いこがれていたのだ。おれのそばでたいそう幸福でいるものとばかり思っていたのに。ああ、そう思うことの切なさ!

メアリーは2階であかんぼを寝かしつけていた。運送屋が炉端でうつうつと考えていると知らぬ間に―わが身の非常な不幸という拷問台のきしりにまぎれて他の物音はいっさい、耳にはいらなかったので―メアリーは近々とそばに来て、いつもの小さな床几を彼の足もとに置いた。運送屋はメアリーがその手を彼にかけたので、はじめて気がつき、メアリーが自分の顔を見上げているのを見た。

不思議そうに?いや、それは彼の最初の印象にすぎない。だから見なおさずにはいられなかった。いや、不思議そうではない。熱心な探るような目付きだった。だが、不思議そうではない。はじめはハッとした真剣な表情をうかべたのが、やがて夫の考えていることを悟ったらしく、奇妙な、狂気じみた、恐ろしい微笑みに変わったかと思うと、両手を握りしめて額におしあて、うなだれ、髪がほうり落ちるがままにまかせた。

その瞬間、万能の神にも比すべき力を運送屋は振ったのだが、その胸に慈悲という、よりまさった神性を多分に持ち合わせているため、彼は妻に対し羽根一枚の重みの力をも加えることは出来なかった。しかし、あのように無邪気で陽気な彼女を愛と誇りをもってながめて来た小さな床几に、メアリーがうずくまっている姿は見るに耐えなかった。それで、メアリーがすすり泣きながら出て行ってしまうと、彼は長い間いつくしんだメアリーにそばにいられるよりも、むしろ空の床几にほっとした気持ちをおぼえた。そのこと自体がなににもまして鋭い苦痛であり、いかにも自分が孤独になったこと、また人生の大きな絆がずたずたに裂かれたことを思い知らされた。

こう感じれば感じるほど、また、いっそメアリーがこどもを胸に抱いて自分の目の前で若死にするのを見たほうがまだ我慢が出来るのにと思うにつけ、敵への憤怒は高まり深くなるいっぽうだった。彼は武器を求めて見回した。

壁に銃がかかっていた。彼はそれを取り下ろすと、かの不実な客の戸口へ2、3歩あゆみよった。銃に弾がこめてあることは分かっていた。この男を野獣のように射殺すのは正しいことだという、暗い考えが彼をとらえ、心の中で広がり、ついには物凄い怪物となって完全に彼を把握してしまい、温和な考えをすっかり追い出して専政帝国をうちたてた。この言い方はよろしくない。温和な考えを追い出したのではなく、巧みに変形したのである。彼を追い立てる鞭に変えたのである。水を血に、愛を憎しみに、やさしさを盲目的な獰猛な気持ちに変えたのである。悲しげに、打ちひしがれながらもなお、拒むことの出来ない力で彼の愛情と情けにすがるメアリーの姿が心を去りやらず、とどまったままで、彼をかの戸口へとうながし、銃を彼の肩にあげさせ、ねらいを定めさせ、引き金を引くよう彼の指を励まし、「あいつを殺せ!眠っているところを!」と叫んだ。

彼は台尻で戸を打つべく銃をさかさにし、すでに宙に振り上げていた。かの男に、後生だ、窓から逃げてくれ、と叫び出したいある名状しがたい意図が湧いた。―

そのとき、もがいていた火が突然パッと燃え上がり、炉端全体を明るく照らした。すると、炉端のこおろぎがチャープチャープと鳴き出した。人間の声にしろ、メアリーの声でさえも、これほど彼の胸をゆすぶり、やわらげた声はついぞ聞いたことがなかった。メアリーがこのこおろぎへの愛情を彼に語って聞かせたときの飾りけない言葉が、ふたたびいきいきとよみがえって来た。そのときのあの震えをおびた真剣な様子がふたたび目の前にあらわれて来た。メアリーの快い声―誠実な男の炉端で家庭の音楽を奏でるに、おお、なんと素晴しい声であろう―その快い声は彼の良心にしみわたり、それを目ざまし、活動させ出した。運送屋は恐ろしい夢からさめた夢遊病者のように戸口からしりごみし、銃をわきへ置いた。手で顔をおおい、ふたたび炉端に坐り、涙に慰めを見いだした。

炉端のこおろぎは部屋に出て来て妖精の姿となり、そばに立った。

「あたし、あれが大好きなんです」と妖精の声が、彼のよく覚えている言葉をくりかえした。「このこおろぎの歌は何度も聞いてきたし、その無邪気な声があたしにいろいろのことを考えさせてくれたのですもの!」

「あれはそう言った!その通りだ!」と、運送屋が叫んだ。

「この家は今までずっと幸福な家だったわね、ジョン。それだからわたし、こおろぎが大好き!」

「幸福な家だったな。神様もご存じだ」と、運送屋は答えた。「あれがいつもこの家を幸福にしてくれたのだ―今まで」

「あのようにゆかしく美しい気質であのように家庭的で楽しげで、まめで、朗らかで!」と、声が言った。

「そうでなけりゃ、おれが愛したほどにはあれを愛さなかったろうよ」と運送屋が答えると、かの声は、

「愛しているほどには」とそれを訂正した。

「愛したほどには」と運送屋はくりかえしたが、先のように確かではなかった。ためらう舌が彼の支配をはねつけて勝手に自分で彼のためにしゃべりたがった。

妖精は祈願の姿勢をとり、片手をさしあげた。

「お前自身の炉にかけて―」

「あれが損ねた炉だ」と運送屋が口を挟んだ。

「あの人がこれまで―おお、いくたびぞ―祝福し、明るくした炉だ」こおろぎが言った。

「あの人なくしては数個の石と煉瓦と錆びた格子にすぎない炉が、あの人のおかげでお前の家の祭壇となり、その祭壇に夜ごとお前はなにかしらくだらぬ怒りやわがままや、あるいは心配をいけにえとし、心の平静、人を信じる気持ち、あふれる心情という捧げ物を供えて来たのだ。だからこそ、この貧しい家の煙突から立ちのぼる煙は、この世のあらゆる豪華な寺院の贅をつくした厨子の前でくゆらす、どんな高価な香にもまさる香りを含んでいるのであった!―お前自身の炉にかけて、そのやさしい感化と連想にとりかこまれたその静かな聖堂の中で、あの人の言うことを聞け!あの人の言うことを聞け!わたしの言うことを聞け!お前の炉と家庭との言葉を語るすべてのものの言うことを聞け」

「そして、あれのために申し開きをするものの言うことを聞けと言うんだろう?」

「お前の炉と家庭との言葉を語るものはすべて、あの人のために申し開きをしなければならぬ!それは真実なるがゆえにだ」とこおろぎは答えた。

そして、運送屋が頭を抱え込み、思い沈みながら坐っているあいだ、妖精はそばに立ちつくしていた。だが、妖精は一人ではなかった。炉石から、煙突から、時計から、パイプから、鉄瓶から、揺り籠から、床から、壁から、天井から、階段から、家の外の荷馬車から、家の内の食器棚や台所道具から、メアリーが慣れしたしんできたあらゆるものや場所など、不幸な夫の心に彼女の思い出一つ一つをみつけているものすべてから、妖精たちが隊をなして出て来た。こおろぎの精のように彼のそばに立っているのではなく、忙しく動き回った。メアリーの影像に敬意のかぎりをあらわすために出て来たのであって、彼女の影像があらわれると、彼の裾をひっぱり、そちらを指さしてみせた。メアリーのまわりに群がり集って抱きしめ、メアリーが踏むようにと花をまきちらした。その美しい頭に自分たちの小さな手で冠をいただかせた。メアリーが大好きだということを示し、また、メアリーをよく知っていると主張する者で、醜いのや、意地悪なのや、非難の態度に出る者は一人もなく―ただ自分たち、ふざけ好きな、メアリーをほめたたえる者ばかりだということを示した。

運送屋の思いはメアリーの影像から離れなかった。その影像は終始そこにあった。

メアリーは炉を前にして一人、歌をうたいながら針を動かしていた。なんと快活な充実した落ち着いた小さな婦人だろう!いきなり妖精たちはいっせいにこちらに向きなおり、異様な凝視を彼に集中した。それは、「これがお前が嘆き悲しんでいる、浮気な妻なのか!」と言っているかのようだった。

家の外で賑やかな騒ぎが―楽器や、そうぞうしい話し声や、笑いさざめく声などが聞えたかと思うと、浮かれ騒ぐ若い人びとの群れがどやどやとはいって来た。その中にはメイ・フィールディングや美しい少女が20人ほどいた。その中でメアリーが一番美しく、少女たちのだれにも劣らず若くもあった。彼らはちびを自分たちの仲間にはいるよう誘いに来たのだった。ダンスをするのである。ダンスのために作られた小さな足があるとすれば、メアリーの足こそそれに違いなかった。けれども、メアリーは笑いながら首を振り、火にかけてある煮物と、食べるばかりに用意の出来た食卓とを意気揚々として指さしたが、その様子がいっそうメアリーの魅力を増してみせた。こうしてメアリーは陽気に友人たちを追いやってしまった。我こそは彼女の踊り相手と思っていた連中が出て行くとき、その一人一人に向かってうなずいたが、その態度がまた滑稽なほど冷淡なので、もし彼らが彼女の賛美者だったら―そして彼らは実際多少ともそうであったに違いない、彼らはそうならずにはいられなかったのだ―ただちに水に投じて自殺をとげるだろうと思われた。しかし、冷淡は彼女の性格ではなかった。おお、けっして!なぜなら、まもなく戸口にある運送屋があらわれたとき、ああ、なんという歓迎を与えたことだろう!

ふたたび妖精たちはさっとこちらを向き、じっと彼を見詰めて、「これがお前を見捨てた妻か!」と言っているかのようだった。

一つの影がこの鏡というか絵というか―好きなように呼んでよろしい―の上に落ちた。それは、初めて彼ら夫婦の屋根の下に立ったときのあの見知らぬ客の大きな影であり、鏡の表面をおおいかくし、他のものをすべて見えなくしてしまった。しかし、敏捷な妖精たちが蜜蜂のようにせっせと働いて、それを拭き取ってしまい、ふたたびメアリーが現れた。先と変わらず晴れやかに、美しく。

揺り籠のあかんぼを揺りながらやさしい声で歌をうたってやり、こおろぎの精のそばで思いに沈む人間に生き写しの肩に彼女の頭をもたせていた。

夜は―私が言うのは妖精の時計ですすめられるのではない、ほんとうの夜のことである―ふけて来た。そして運送屋の思いがここまで来たとき、にわかに月が輝き出て、空をこうこうと照らした。多分、彼の心の中にも、あるおだやかな静かな光が差しはじめたのかもしれない。これまでの出来事をもっと落ち着いて考えられるようになった。

見知らぬ客の影はときおり鏡の上に落ちたが―いつもはっきりと、大きく、輪郭も鮮やかに―しかし、けっして最初のときのようには威圧的ではなかった。これが現れるたびに妖精一同は驚きの叫びを上げ、目にもとまらぬ早業で小さな手足を働かせて拭き消してしまうのだった。そしてメアリーをとりもどし、晴ればれとした美しいメアリーをふたたび彼に示すたびに、心も浮き立つ歓声を上げた。

妖精たちは美しい晴れやかな姿のメアリーしか見せなかった。彼らは虚偽をもって破滅と心得る家の精だったからである。それゆえ、メアリーは運送屋の家庭のほかならぬ光であり太陽であるところの活発な、にこやかな、愉快な、かわいらしい人間としてそこに現れたのであった!

妖精たちは非情な張り切り方で、あかんぼを抱いたメアリーがさかしげな老主婦達にまじって世間話に花を咲かせ、自分でも素晴らしく老練な主婦を気取り、いつもの落ち着きすました様子で夫の腕にもたれながら―メアリーがさも世間一般の虚実には見切りをつけており、自分は母親たることに少しももの珍しさなど感じる種類の人間ではないとう、観念をつたえるのに努力しているところを見せた。だが同時に、メアリーが運送屋の不器用さ加減を笑ったり、彼を姿よく見せようと、ワイシャツのカラーをひっぱり上げたり、運送屋にダンスを教えるのだと言って、今、彼が現にこうしているこの部屋じゅうをはしゃぎながら気取り返った足つきであるいてみせたりする光景も、妖精たちは示した。

メアリーが盲目の少女といっしょにいるところを見せたとき、妖精たちはぐるっとこちらを向き、じっと運送屋を凝視した。なぜなら、ちびの行くところは至るところ、楽しい気分と活気がつきまとっているが、ケイレプ・プラマーの家にはその雰囲気を山もりにあふれんばかりにたずさえていったからである。メアリーに対する盲目の少女の愛と信頼と感謝。バーサの感謝の言葉をせかせかとわきへそらすメアリーのやさしい仕草。訪問中、一刻もゆるがせにせず、なにかしらこの家に役立つことをし、遊んでいるように見せかけながら、その実、一生懸命に働くという巧みな気のきいたやり方。彼女が豊富に用意した牛肉やハム・パイやビール。戸口に着いたとき、また、暇を告げるときのメアリーの輝く小さな顔。その小ぎれいな足の先から頭のてっぺんまで。メアリーがこの世帯の一部であるという―この世帯にとってなくてはならない必要なものであるという、彼女の全身にあふれている素晴らしい表情。これらすべてに妖精たちは夢中にうち込み、これらすべてのため、メアリーを愛した。そしてまたもやいっせいに訴えるがごとくに運送屋をながめ、なかの数人がメアリーの衣服にすりより、彼女をいとしんでいるあいだ、「これがお前の信頼を裏切った妻なのか!」と言っているかのようだった。

物思いに明かしたその長い夜のあいだに一度ならず、二度ならず、三度ならず、妖精たちはメアリーがうなだれ、握りしめた両手を額に押し当て、髪がほうりおちるがままにして、例の気に入りの腰掛けに坐っている姿を見せた。彼が最後に見たメアリーの姿である。メアリーがこうした様子のときには妖精たちは彼の方を見向きもせず、メアリーのまわりをひしと取り囲んで、彼女を慰めたり接吻したりした。そしてお互いに押し合いながらメアリーに同情と親切を示そうとし、彼のことなど全然忘れ去っていた。

こうして夜は過ぎていった。月は沈み、星の光はうすれ、寒い夜明けがおとずれて、日がのぼった。運送屋は考え込みながらなおも炉隅に坐っていた。一晩中、彼はそこに頭を抱え込んで過ごし、一晩中、忠実なこおろぎは炉端で鳴き通し、一晩中、運送屋はその声に耳をすまし、一晩中、家の妖精たちは彼に忙しく働きかけ、一晩中、メアリーは、あのただ一つの影が鏡におちたときのほかは、やさしく潔白であった。

夜が明けると、運送屋は立ち上がり、顔を洗い、身支度をととのえた。彼はいつもの愉快な仕事に出掛けることが出来なかった。それだけの元気が欲しいと思ったが、しかし、それはたいした問題ではなかった。きょうはタクルトンの婚礼の日なので、代理の者に巡回区域をまわってもらうよう手筈がしてあったからである。彼はメアリーと揃って楽しく教会へ行くつもりだった。しかし、そんな計画も終りを告げた。その日は彼ら自身の結婚記念日に当たっていた。ああ、このような一年にこのような結末が来ようとは思いもよらないことだった!

運送屋はタクルトンが朝はやばやと訪れることを予期していたが、彼の期待は当たった。我が家の前をゆきつもどりつしはじめてから何分もたたないうちに、玩具商が馬車で街道をやって来るのが目にはいった。馬車が近づくにつれて、タクルトンが婚礼のためしゃれた服装をし、馬の頭を花やリボンで飾ってあるのが見えた。

馬の方がタクルトンよりもよほど、花婿らしかった。タクルトンの半ば閉じた目がこれまで以上に気味の悪い表情をうかべていたからである。しかし、運送屋はこんなことには注意を払わなかった。彼の思いは他の事柄で占められていた。

「ジョン・ピアリビングル!」とタクルトンは慰め口調で言葉をかけた。「おいおい、けさはどんなぐあいかい?」

「昨夜はろくに眠れなくてさ、タクルトンの親方」運送屋は首を振った。「頭がひどく乱れたもんだからね。だが、もうなおったんだ!ちょっと二人きりで話したいことがあるんだが、30分かそこらもらえるかね?」

「そのためにわざわざ来たのだよ」と言ってタクルトンは馬車から下りた。「馬の心配はいらん。乾草をひと口あてがってもらえれば、手綱をこの柱にかけただけで静かに立っているよ」

運送屋は厩舎から乾草を取って来て馬の前に置き、二人は家の中にはいった。

「あんたは昼前に式をあげなさるんじゃあるまい?」

「そうだよ。時間は十分だ」

二人が台所にはいってみると、ティリ・スロボーイがそこからほんの2、3歩しか離れていない、かの客の部屋の戸を叩いていた。ティリは真っ赤な目の一方を(ティリは一晩中、泣き明かしたのである。女主人が泣いたので)、鍵穴にあてがい、激しく叩いていたが、仰天した様子だった。

「あの、すみませんが、だれにも聞えないんです」ティリは周囲を見回しながら、「どうか、だれも行っちまって死んじまっていませんように!」

この博愛的な願いをスロボーイ嬢はさらに戸を何度か叩いたり蹴ったりで強調したが、なんの効果もあがらなかった。

「わし、行ってみようか?おかしいぞ」とタクルトンが申し出た。

戸口から顔をそむけていた運送屋は、良かったら行けと合図した。

そこでティリ・スロボーイの応援におもむいたタクルトンも蹴ったり叩いたりしたが、彼もやはりなんら答えを得ることが出来なかった。しかし、タクルトンは戸の把手を回してみようと思いつき、わけなく開いたので中をうかがい、覗き込み、はいって行き、間もなく走り出て来た。

「ジョン」とタクルトンは運送屋の耳にささやいた。「まさか―、まさか夜のうちになにか早まったことをしたんじゃなかろうな?」

運送屋は素早くタクルトンに向きなおった。

「なぜって、あの男がいなくなっているからさ!」タクルトンが説明した。「それに窓が開いているし。なんの痕跡も見えんが―きっと庭と同じ高さだからに相違ない。だが、わしが心配したのはなにか―なにか摑み合いのようなものがあったんじゃないかと思ってな、ええ?」

「安心してくれ」と運送屋が返事をした。「あの人は昨夜、わしから言葉のうえにしろ行いにしろ、なに一つ害を受けずにあの部屋にはいり、以来だれ一人入っちゃいない。あの人は自分の自由意志で行っちまったんだ。過去を取りかえるなんてことが出来て、あの人が来なかったことに出来るものなら、おれは喜んであの戸口から出て行き、家から家へと一生パンをくれと乞うて歩いたっていいくらいだ。だが、あの人は来て、行っちまったんだ。だから、これであの人とは縁切りというわけさ!」

「ほう!―そうか、あいつはずいぶんとらくに逃れたわけだな」と言いながら、タクルトンは椅子に掛けた。

この皮肉は運送屋には効果がなかった。運送屋もまた腰を下ろし、しばらく手を顔にかざしていたが、ついに言った。

「昨夜、あんたはおれの家内を見せてくれた。おれの愛している家内を、ひそかに―」

「そして情も濃やかに」とタクルトンが仄めかした。

「あの男の変装を見て見ぬふりをし、家内と二人だけで会う機会を与えてやってさ。あれほどおれが見たくなかった光景はまたとないと思うよ。余人はさておき、あんたにだけはあの光景を見せてもらいたくなかったのだ」

「実を言うと、わしは最初っから疑っていたんだよ。だから、わしはここの家じゃ邪魔者だったんさ」

「だが、あれを見せてくれた以上は」運送屋はそれにはかまわず言葉をつづけた。「そして、あんたがあの女を、おれの家内を、おれの愛する家内を見た以上は」こうくりかえしているうちに彼の声も目も手もだんだん落ち着いて、しっかりして来た。「あんな不利な立場にいる家内を見た以上、あんたとしてはこの問題をおれの目で見、おれの胸の中を覗き、おれの気持ちを知るのが本当だし、正当なことだ。心はもう決まっているのだからね」運送屋は相手をじっと見た。「もう、どんなことがあってもぐらつかないぞ」

タクルトンは、その通り、なんらかの弁明が必要だという意味の、あたりさわりのない文句を2、3つぶやいたが、相手の態度にちぢみ上がってしまった。素朴で粗野ではあるが、運送屋にはその胸に宿る立派な自尊心のみが与え得る一種の威厳と気高さがあった。

「おれは愚直ながさつな男で、取り得ときたらてんでない」運送屋はつづけた。「あんたもよく知ってなさる通り、おれは利口な人間じゃない。若くもない。おれがメアリーを愛したのは、あれが、小さなこどもが、だんだんと大きくなるのを、あれのおやじの家で見て来たし、あれがどんなにかわいいかを知っていたし、何年も何年もの長い間、あれがおれの生き甲斐だったからだ。おれなんかその足もとにも追いつけない男がたくさんいるにはいるが、おれほど、ちびのことを思って愛している者はあるまいと思うよ!」運送屋は口をつぐみ、しばらく足でかるく床を打っていたが、やがて語をついだ。「おれはあれに似合うだけの人間ではないが、親切な亭主にならなってやれるし、多分、ほかのだれよりもあれの値打ちをよく知っているのではないかと、しょっちゅう考えた。こう自分を納得させて、おれたちは結婚できるんじゃないかと考えるようになったのだ。それで結局それが本当になっておれたちはいっしょになったのだよ」

「へえ!」タクルトンは意味ありげに首を振った。

「おれは自分の胸のほうはとくと調べがついていた。自分のことはよく分かっていた。どんなにあれを愛しているか、どんなにおれが仕合わせになるか。だが―今になって思えば―あのことを十分考えていなかったのだ」

「まったくだ」とタクルトンは相槌を打った。「軽薄で、気まぐれで、移り気で、ちやほやされるのが大好きときてる!考えていなかったとな!みんな目につかなかったというわけさ!へ!」

「おれの話の腰を折らんがいいぞ」と、運送屋はいくらか厳しくたしなめた。「おれの話がすっかり分かるまではな。あんたはひどく見当違いをしている。おれはあれに不為の文句を一言でも吐いた奴を、きのうは一撃のもとに打ち倒したかもしれないが、今日はそれがたとえ実の兄弟であろうと、そいつの顔を踏んづけてやりたいところだ!」

玩具商はびっくり仰天してまじまじと運送屋を見詰めた。運送屋は声をやわらげて話をつづけた。

「あんなに若く、あんなに美しいあれを、若い仲間やあれが飾りとなり、もっとも輝かしい小さな星として輝いていた多くの場面から、あれを連れて来て、来る日も来る日も、面白くもないおれの家に閉じ込めて、退屈なおれの相手をさせるのだということを、おれは考えただろうか?あれの陽気な性質におれがいかに適当でないか、そんな気質はおれに持ち合わせがないことを考えただろうか?けっして考えなかった。あれの頼もしい性質と明るい気性につけ込んで、あれと結婚したのだ。結婚などしなければよかったのになあ!あれのためには。おれのためではない!」

玩具商はまばたきもせずに運送屋を見詰めた。例の半開きの目でさえ、今は開いていた。

「神よ、あれを祝福したまえ!」と運送屋は言った。「このことをおれに知らすまいとして、絶えず朗らかにふるまってくれたあれを!また、頭が鈍いため、もっと前にこのことに気が付かなかったおれを、神よ、あわれみたまえ!かわいそうに!わしらみたいな縁組の話が出るとは、あれが目に涙をいっぱいためているのを見ていたくせに、それが分からなかったとは!あれがひそかに唇を震わせているのを何度見たかもしれないのに、昨夜までそれに気が付かないとは!よくもあれに好いてもらえるなどと思えたものだ。あれが好いていてくれるなどとよく信じられたものだ!」

「あの女がそんな見せかけをしたからさ。あまり見せかけが過ぎたもんで、実を言うと、それがわしの疑いのもとになったのだよ」

タクルトンはこう言うと、さて、彼タクルトンを好きだという見せかけを全然しないメイ・フィールディングのすぐれていることを主張した。

「あれがおれの忠実な熱心な妻になろうと、どんなに一生懸命に努めたのか、今おれはようやく、分かりはじめたのだ」あわれな運送屋は常にない激しい感動をこめて言った。「あれがどんなに善良だったか、どんなにつくしてくれたか、どんなにおおしく強い心を持っていたかは、この屋根の下でおれが味わった幸福が証明してくれる!そのことはおれがここに一人きりになったとき、いくらか助けになり、慰めとなってくれるだろう!」

「ここに一人きりだって?」とタクルトンが聞きかえした。「ああ、それじゃ君はこのことになんらかの処置を取ると言うのかね?」

「おれはメアリーに対して、自分の力がかなう限り最大の親切と、最大の償いをするつもりなんだ。不釣合いな結婚からこうむる日々の苦痛と、それを隠そうとするもがきからメアリーを解放してやることが、おれにはできるのだ。メアリーをできるかぎり自由の身にしてやろうと思うのだ」

「あの女に償いだって?」とタクルトンは大声をあげ、大きな耳を両手でねじり回した。「わしの耳がどうかしているに違いない。もちろん、君はそんなことは言わなかったね」

運送屋は玩具商の襟をぐっと摑み、葦のように揺すぶった。「おれの言うことをよく聞きなさい!そして聞き違えのないように注意するんだ。おれの言うことをよく聞け、おれの話ははっきりしているかね?」

「とてもはっきりしているよ」タクルトンは答えた。

「おれが本気で言っているようにかね?」

「まったく、本気で言っているようにだよ」

「昨夜は一晩中、おれが炉端に坐っていたのだ」と運送屋は言った。「あれが何度かおれのそばに坐り、やさしい顔でおれの顔を覗き込んだその場所なのだ。おれはメアリーの半生を全部、日を追って思い返し、その間の出来事一つ一つの場合のかわいいメアリーの姿を目に浮かべたのだ。無罪と有罪を裁く神があるとすれば、あれは絶対に潔白だ!」

頼もしい炉端のこおろぎよ!忠実なる家の妖精たちよ!

「怒りと疑惑はおれの胸から消え去ってしまった。今は悲しみしか残っていない。あれの好みや年からいえば、おれよりよく釣り合いながら、おそらくおれのために、あれが心ならずも見捨てたに相違ないだれか昔の恋人が間の悪いときに帰って来たのだ。間が悪かったのだ。不意打ちをくってあれはどうしたらいいか考える余裕もなく、そのことを隠そうとしたため、あの男の裏切りに加担せざるを得なかったのだ。昨夜、メアリーはおれたちが目撃したように、あの男と会った。あれはよくない。だが、あのことさえなければ、この世に真実というものがあるなら、あれは潔白だ!」

「それが君の意見だというなら―」とタクルトンは言いかけた。

「だから、あれを放してやろう!」運送屋はつづけた。「長い間、幸福に過ごさせてもらったおれの祝福と、あれがおれにこうむらせた苦痛に対するおれの許しをもって解放し、あれのために祈っている心の平和を持たせるのだ!メアリーはけっしておれを憎みはしまい。おれがメアリーにとって重荷でなくなり、おれが縛りつけた鎖がもっと軽くなったときメアリーはもっとおれのことをよく思ってくれるようになるだろう。今日が、メアリーの喜びなどろくに考えてもやらずに、メアリーを実家から連れて来た日なのだ。今日、おれは連れもどしてやるつもりだ。そしてもう二度とおれのことでメアリーをわずらわすまい。メアリーの両親が今日ここに来ることになっているから―わしらは内輪の祝いをする計画だったのだ―メアリーを連れて帰ってもらうよ。両親の家であろうと、どんな場所であろうと、おれは安心して置いておける。メアリーは罪なくしておれのもとを去り、罪なくして生きていくに違いないと思う。もしも、おれが死んだら、あれがまだ年若いうちにおれは多分死ぬかもしれない。わずか数時間のうちになんだか力が抜けてしまったからね―おれがメアリーのことを忘れないことや、最後まで愛していたことを分かってくれるだろう!これがあんたの見せてくれたことの結末だ。さあ、これでおしまいだ!」

「おお、ちがうわ、ジョン。おしまいじゃないわ。おしまいだなんて言わないで下さい!まだ、おしまいじゃないわ。あなたの立派なお言葉をあたしは聞いてしまいました。あたしがこんなにありがたいと思ったあなたの話を知らないふりをして、そっと行ってしまうことが出来なかったんです。時計がもう一度打つまで、おしまいだなどとは言わないで下さい!」

メアリーはタクルトンのすぐ後ろからはいって来てそのままいたのだった。タクルトンには目もくれず、じっと夫の顔を見詰めていた。だが、夫とのあいだを出来るだけ広くあけて離れた場所に立っており、非常に熱した真剣な口調で話しているにもかかわらず、それ以上、夫に近寄ろうとはしなかった。これはいつもの彼女となんという違いであろう!

「どんな腕ききだっておれのために、過ぎ去った時をふたたび打つような時計を作ってくれることは出来ないよ」と運送屋はよわよわしく微笑んだ。「だが、お前の望みなら、そうしよう。まもなく打つだろうから、わしらが何と言おうと問題じゃない。今度のことよりもっと辛い場合にだって、お前を喜ばせようとするだろうよ」

「それじゃ、わしはもう行かなくちゃならん」タクルトンはつぶやいた。「時計が今度鳴るときにゃ、わしは教会へ向かってなきゃならんでな。ジョン、さよなら。いっしょに行ってもらえなくて残念だよ。行ってもらえないこともそうだが、その原因もまことに残念に思うよ!」

「おれははっきり分かるように話したね?」と運送屋は戸口までついて来てきいた。

「ああ、はっきり分かったよ」

「では、おれの言ったことは忘れないだろうね?」

「そうさね、なにがなんでも意見を述べろと言うなら」タクルトンは用心して、前もって馬車に乗り込んでしまい、「そんなら言うがね、まったく思いがけないことで、とうてい忘れられそうもないとね」

「そのほうがおれたち双方にとってよけい結構だ」と運送屋は言った。「さよなら。おめでとう!」

「君にもおめでとうと言いたいんだがね。そうも言えないからな。ありがとうよ。ここだけの話だけれどね、(さっきも言っただろう、ええ?)君の細君がわしのことをうるさく世話をやいたり、あまり見せかけをしないからといって、それだけわしの結婚生活の楽しみが減るとは、あまり思えんよ。さよなら!体に気をつけるんだな」

運送屋は、タクルトンが、近くにいたときの馬の花や飾りリボンよりもっと小さくなるまで、立って見送っていたが、やがて深い溜息をつくと、時計が打つ間際までもどりたくなかったので、落ち着かない打ちひしがれた男のように、付近のにれの木のあいだをぶらぶら歩き回った。

一人とりのこされた小さな妻はいたいたしくすすり泣いた。しかし、たびたび涙を拭っては泣くのをやめて、あの人はなんていい人なんでしょう、なんて立派なんでしょうと言い、1、2度、声をたてて笑った。さも愉快そうに、勝ち誇るかのように、とほうもない様子で(しかもずっと泣きながら)笑うので、ティリはすっかりどぎもをぬかれてしまった。

「おう、おねがいですから、やめて下さい。赤ちゃんが死んでお弔いになりますから、ですからおねがいです」

「あんた、ときどきこの子をこの子のお父さんに見せに連れて来てくれる、ティリ」と女主人は涙を拭きながらきいた。「あたしがいられなくなって、里に帰ってしまったらね?」

「おう、どうかそんなことはしないでください!」と叫んで、ティリは頭を振り、急に吠えるように泣き出した。その瞬間の彼女はボクサーそっくりに見えた。「おう、どうかそんなことはしないでください!おう、人はなんでみんな行っちまって、他の人をみんなみじめにしちゃうんだろう!おうーうーう!」

心やさしいスロボーイはここでいとも悲しげに叫んだが、長くこらえていたため、いっそうすさまじく、もしもその目が、娘の手を引いてはいって来たケイレプ・プラマーに出合わなかったら、きっとあかんぼの目を覚まし、あかんぼをびっくりさせた結果、なにか重大なこと(おそらく、ひきつけ)になったにちがいなかった。この光景にティリは行儀作法に気が付き、2、3分というもの口をぽかんと開けてつっ立っていたが、いきなり、あかんぼが眠っている寝台へ駆け寄り、怪奇な舞踏病のような踊り方をしながら、それと同時に顔と頭で布団の中を搔き回した。こうした異常なふるまいで大いに慰めを得たらしかった。

「メアリー!結婚式に行かなかったの」とバーサが言った。

「この娘にね、おかみさん、あんたが多分行かないだろうと言ったんですよ」とケイレプがささやいた。「昨夜すっかり話を聞いたんだよ。だが、いいかね」ケイレプはやさしくメアリーの両手を取り、「あの人たちがなんて言おうと、私だけはなんとも気にしないよ。そんなことは信じるものかね。私はとるにたらない人間だが、もしもひとことでもあんたを悪くいう者の言葉を信じでもしてみなさい。ちっぽけな人間がこなごなになっちまうよ!」

ケイレプはまるでこどもが自分の人形を抱きしめるように、メアリーの首に両腕をまわして抱きしめた。

「バーサはね、けさ家にじっとしていられなかったんですよ」とケイレプが言った。「教会の鐘を聞くのが怖いらしくてね。それにあの人たちの婚礼の日に、とてもあんな近いところにいられそうもなかったんですよ。それで折りを見て出かけ、ここへ来たわけさ」ケイレプはちょっと黙ってから、「私はね、自分のしたことを考えていたのだ。私は自分を責めて責めて責めぬいているうちに、この娘に負わした心の痛手のめに、なにをしたらいいのか、どちらを向いたらいいのか分からなくなったもんで、結局、おかみさん、あんたがいっしょにいてくださるなら、その間にこの娘に本当のことを話して聞かせたほうがいいと考えを決めたわけなんですよ。そのあいだいっしょにいてくださるかね?」とケイレプは頭の先から爪先まで震えながら頼んだ。

「それがこの娘にどんな影響を及ぼすか、分からないし、この娘が私のことをどう思うかも分からない。これからはもう、このあわれな父親のことを大事に思ってくれるかどうかも分からない。だが、本当のことを知らせてやったほうがこの娘のためにはいちばんいいのだ。そして当然、私はその報いを受けなくちゃならないのだ!」

「メアリー!」とバーサが呼んだ。「あんたの手はどこなの?ああ、あったわ、あったわ!」にっこり微笑んでそれに唇をおしあて、自分の腕に通した。「昨夜みんながなにかひそひそあんたのことを悪く言っているのを聞いたのよ。あの人たちは間違っているんだわ」

運送屋の妻は無言だった。そこでケイレプが代わりに返事をした。

「間違ってるんだとも」

「あたしはそれが分かっていたわ!」とバーサは得意そうに叫んだ。「あの人たちにあたし、そう言ってやったのよ。そんなことをひとことだって聞く耳を持っていないわ!あんたを非難するのが正当というのなら、証拠を見せてみなさいと!」バーサはメアリーを両手で握りしめ、メアリーの柔らかい頬を自分の顔におしつけた。「とんでもない!あたしだってそれほど盲目じゃないわ」

ケイレプはバーサの一方の側へ歩み寄り、メアリーはバーサの手を取ったまま、もう一方の側にそのまま立っていた。

「あたしはね、みんなが考えているよりずっとよく、みんなのことを知っているのよ。でも、だれよりもメアリーを一番よく知っているの。お父さん、お父さんよりももっとと言っていいほどよ。メアリーの半分もあたしには真実とか誠実といったものがないわ。もしも今この瞬間、目が見えるようになったとしたら、ひとことも聞かなくても、大勢の中からメアリーを選び出してみせるわ!あたしのお姉さん!」

「バーサや!」ケイレプが口を切った。

「こうして私ら3人だけでいるあいだに、お前に話したいことがあるのだよ。どうか、聞いておくれ!お前に謝らなければならないことがあるんだよ、娘や」

「謝らねばならないことですって、お父さん?」

「私は真実からさまよい出てしまい、自分を見失ってしまったのだよ」ケイレプは途方にくれた顔にあわれな表情をうかべて言った。「私が真実からさまよい出てしまったのは、お前によかれと思ってしたことなのだが、つまりは残酷だったことになるのだ」

バーサは茫然とした顔を父のほうに向け、「残酷ですって?」と聞き返した。

「お父さんはあんまりひどく自分を責めすぎてなさるのよ、バーサ」とメアリーが言った。「あんただってやがてそう言うわよ。あんたこそ、一番にそう言うでしょうよ」

「お父さんがあたしに残酷ですって?」とバーサは信じられない様子で微笑した。

「そのつもりじゃなかったのだよ、バーサや」ケイレプは言った。「だが、そういうことになってしまったのだ。そうとはきのうまで私も気がつかなかったがな、かわいい盲目の娘や、私の話を聞いて、私を許しておくれ!お前が住んでいる世界は私が話して聞かせたようなあり方はしていないのだよ。お前が信用していた目はお前に嘘をついていたのだ」

バーサは茫然とした顔を父のほうに向けたままだったが、後じさりして、いっそうかたくなにしがみついた。

「お前の歩む人生の道は難儀なのだよ。それを楽にしてやるつもりだったのだ。お前を少しでも幸福にしようと思って、物を変え、人の性格を変え、ありもしないものをたくさん作り出したのだ。お前に隠しごとをし、神よ、許したまえ、お前をだまし、お前を空想のものでとりまいたのだよ」

「でも、生きている人たちは空想じゃないでしょ?」バーサは真っ青になり、せきこんでたずね、なおも父から退って行った。「生きている人は変えられないわ」

「ところが、そうしたのだよ、バーサや」ケイレプは哀願するように言った。「お前の知っている人が一人いるね、バーサや―」

「ああ、お父さん!なぜ、あたしが知っているなんて言うの?」その口調には鋭い非難がこもっていた。「なにを、だれをあたしが知っているというんでしょう?導き手もないあたしが!こんなみじめな盲目のあたしが!」

苦痛のあまり、バーサは行く手を手さぐるがごとく、両手をさしのべたが、やがて言うに言われず寂しく悲しげに顔をおおった。

「今日、結婚式をあげるのは、過酷な、浅ましい、暴虐な男なのだ。長年の間、お前と私にとっての無慈悲な主人なのだ。姿も性質も醜い人だよ。いつも無情で冷淡でな。お前に描いて見せた人間とはなにからなにまで似ていないのだよ、バーサや。なにからなにまで」

「ああ、なぜ、なぜ、こんなことをしたの?」盲目の少女は苦しさにたえかねる様子で叫んだ。なぜ、あたしの心をあのように豊かにしておきながら、死のようにやって来て、あたしの大切なものを裂き取ろうとなさるの?おお、神様、なんというあたしは盲人なのでしょう!なんて頼りない、一人ぼっちの身でしょう!」

苦悶の父はうなだれたまま、なにも考えず、ただ後悔と悲しみにかきくれるばかりだった。

バーサがこの激しい失望の嵐に身をゆだねてからまもなく、かの炉端のこおろぎが他の者には聞えず、彼女の耳にだけチャープチャープと鳴き出した。楽しげにではなく、低いかすかな、悲しそうな声だった。いかにも悲しげなので、バーサの目から涙があふれはじめ、一晩中、運送屋のそばにいたあの妖精が彼女の背後に立ち、父を指さしたときには、涙は滝のように流れた、

まもなくバーサにこおろぎの声がもっとはっきり聞えるようになり、父の周囲に徘徊している妖精の姿も盲目の目を通して気がついた。

「メアリー、あたしの家がどんなか話してちょうだい。本当はどんな家なのか」と盲目の少女は頼んだ。

「みすぼらしいところなのよ、バーサ。とてもみすぼらしくてがらんとしているの。家はあと一年と雨風がしのげないでしょうよ。どうやら雨露をしのいでいるのは」とメアリーは低いが澄んだ声で言葉をつづけた。「あんたのお気の毒なお父さんがズックの外套でしのいでなさるのと同じなのよ」

盲目の少女はひどく興奮して立ち上がり、運送屋の妻をわきに連れて行った。

「あたしが大切にしているあの贈り物は、あたしが欲しいと言えば大抵とどけられ、あたしをそりゃあ喜ばせたあの贈り物は」とバーサは震えながら、「どこから来たのかしら?あんたが送ってくださったの?」

「いいえ」

「では、だれなの?」

メアリーはすでにバーサが知っている様子を見てとったので黙っていた。盲目の少女はふたたび両手で顔をおおったが、今度はさっきとは全然異なる態度だった。

「メアリー、もうちょっと、もうちょっとね!もう少しこちらへ来てちょうだい。小さな声で話してね。あんたは正直だってこと知ってるわ。あたしをもうだましたりしないでしょう?」

「しないわ、バーサ、絶対に!」

「そうよ、きっとそんなことはしなさらないわ。あんたはとてもあたしをあわれんでいてくださるのですもの。メアリー、部屋の向うの、つい今まであたしたちがいたところ、お父さんが―あたしをあんなに思いやり深く、あんなに可愛がってくださるお父さんが―いるところを見て、あんたの見た通りを話してちょうだい」

「椅子に年をとった方が坐っているわ」バーサの気持ちがよく分かったメアリーは説明した。「手で顔を支えて悲しそうに背にもたれていなさるわ。あの人のこどもに慰めさせたいくらいよ、バーサ」

「慰めますとも、慰めますとも。先をおっしゃってちょうだい」

「あの人は苦労と過労で疲れきったお年寄りよ。やせた、元気のない、考え込んだ、白髪の人よ。今はしょんぼり、うなだれて、なにする気力もない様子だけれど、でもね、バーサ、あたしは今までに何度もお父さんが、ただ一つの立派な神聖な目的のために、さまざまに骨折って来なすったのを見たのよ。だからあの白髪の頭を尊敬し、お父さんを祝福するわ!」

盲目の少女はさっとメアリーのそばを離れ、父の前に身を投げ出すようにしてひざまずき、白髪の頭を胸に抱きしめた。

「あたしの目が見えるようになったの。あたしの目が!」とバーサは叫んだ。「今まで何も見えなかったのが、今、目が開いたのよ。あたしはお父さんを知らなかったのだわ!こんなにあたしを可愛がってくださるお父さんの、ほんとうの姿を見ないで死んでしまったかもしれないと思うと、ぞっとするわ!」

ケイレプの感動は言語を絶していた。

「この世でこれほどあたしが愛し、これほど心から大切に思うやさしい紳士はいないわ!」と盲目の少女は父を抱きしめながら叫んだ。「白髪であればあるほど、疲れていれば疲れているだけ、よけい大事だわ、お父さん!もう二度と人に盲目だなんて言わせないわ。おとうさんの顔のしわひと筋だって、お父さんの頭の髪一本だって、あたし、お祈りを捧げ、神様にお礼を申し上げるときに、決して忘れないわ!」

ケイレプはようやく、「バーサや!」と言った。

「それだのに、目が見えないためにあたしはお父さんをまるっきり違った人に思っていたのね!」と少女はつよい愛情の涙をうかべながら、父を撫でた。「毎日毎日、いつもこんなにあたしのことを思ってくださるお父さんのそばにいながら、こうとは夢にも思わなかったのですものね!」

「青い外套を着た元気なスマートなお父さんは、バーサ、もう、いないのだよ」あわれなケイレプは言った。

「なんにもなくなりはしないわ。お父さん、なくなりませんとも!なにもかもここに―お父さんの中にあってよ。あたしが深く愛していたお父さん、いくら愛してもたりない、しかもあたしの知らなかったお父さん、あたしにあんなに同情してくださり、はじめてあたしが尊敬し、愛するようになった恩人、みんなお父さんの中にいるのですもの。あたしにとって、死んだものなんかなんにもないわ。あたしにとって最もいとしいもの全部の魂がここに―この疲れた顔と、白髪の頭にあるのですもの!」

この話のやりとりのあいだ、メアリーの注意は全部この父娘に集中していたが、今、ムーア人式の牧場の小さな乾草刈りのほうを見て、時計があと2、3分で打つところなのを知ると、にわかに不安そうな興奮した様子になった。

「お父さん」と言ってバーサはためらいながら、「メアリー」

「なんだね、バーサや。メアリーはここにいるよ」とケイレプが返事をした。

「メアリーにはなんの変わりもないでしょうね。メアリーのことで本当でないことは、お父さんなにもあたしに言わなかったわね!」

「実際よりもっとメアリーをよく出来るものなら、そうしたかもしれないと思うが、変えたところで、かえって悪くしてしまうのが、関の山だったろうよ。これ以上よくはとても出来ないよ、バーサ」

盲目の少女はきくときすでにそう信じはしていたものの、これを聞いたときの喜びようと誇らしさ、あらためてメアリーを抱きしめる有様は見るも愛らしかった。

「でもね、あんたが考えているよりもっと変化がおきるかもしれないのよ、バーサ」とメアリーが言った。

「良い方への変化よ。あたしたちの中のだれかにとって、とてもうれしい変化なの。万が一そんな変化がおきたとしても、あんまりびっくりしたり、体を悪くしてはだめよ!あの街道のほうから聞えて来るのは車輪の音かしら?バーサ、あんたは耳が早いわね。あれ、車輪の音?」

「そうよ、とても早く来るわ」

「あたし―あたし―あたし、あんたの耳がとても速いことを知ってるのよ」とメアリーは心臓の上に手を置き、せいいっぱい、早口にしゃべりつづけたが、それは動悸をかくすためなのは明瞭だった。「だって今まで何度も気がついていたし、昨夜だってあの聞きなれない足音をあんなに早く知ったのですものね。今でもはっきり覚えているけれど、バーサ、あんたがなぜ、『あれはだれの足音かしら』と言ったのか、またなぜあんたが他のどの足音よりもあの足音に特別注意したのか、あたしには分からないけれどね。今も言ったけれど、世の中には大きな変化があるものなのよ。大きな変化がね。だからどんなことが持ち上がろうと驚かないだけの心構えをしておくにこしたことはないわ」

ケイレプはこれはいったいどういうことだろうかと怪しんだ。メアリーが彼の娘だけでなく彼に向かっても話しているのに気がついたからである。ケイレプはメアリーが息もつけないほど動揺し、心配そうで、倒れないよう椅子につかまるのを見て、驚きの目をみはった。

「やっぱり車輪だわ!」メアリーはあえいだ。「近づいて来るわ!すぐそばに来たわ!そら、庭の木戸のところで止まった!そら戸の外に足音が聞える―同じ足音よ、バーサ、そうでしょう?—そら、来た!―」

メアリーは喜びを押さえきれず、狂気のような叫び声を上げた。そして一人の青年が部屋に飛び込んで来て、帽子を空中に放り上げ、3人めがけて突進して来た瞬間、メアリーはケイレプのそばに走り寄って、両手で彼の目をふさいだ。

「もうすんで?」とメアリーが叫んだ。

「すみました」

「うまくいって?」

「いきました!」

「この声に聞き覚えがありませんか、おじさん?こんな声を以前、聞いたことがなくて?」とメアリーが叫んだ。

「もしも、黄金の南アメリカへ言った私の息子が生きているとしたら―」とケイレプは震えながら言った。

「生きているのですよ!」と叫ぶとメアリーはケイレプの目から手をはずし、歓喜のあまり、その手をはずし、歓喜のあまり、その手を打ち合わせた。「この人を見てごらんなさい!丈夫でぴんぴんしておじさんの前に立っているじゃありませんか!おじさんの大事な息子ですよ!あんたの大事な、生きている、いとしい兄さんよ、バーサ!」

この小さな女のうちょうてんの喜びに光栄あれ!3人がかたく一つに抱き合ったときの、彼女の涙と笑いに光栄あれ!黒い髪をなびかせ、日焼けした水夫を中途まで進み出て迎え、小さなばら色の口をわきへそらさずに彼が思うさま接吻し、彼女を高鳴る胸におしつけるがままにしたときの、彼女の真心あふれる態度に光栄あれ!

部屋へはいってきた運送屋はびっくりして後じさりした。無理はないこんな晴れやかな仲間の中へはいって来たのだから。

「ジョン、見ておくれ!」ケイレプは躍り上がらんばかりだった。「ここを見ておくれ!黄金の南アメリカから帰って来た私の息子だよ!あんたが身支度をして、自分で送って行ってくれたあの子だよ。あんたといつも大の仲良しだったあの子だよ!」

運送屋は息子の手を取ろうと進み出たが、その顔形にどこかあの荷馬車の中の耳が不自由な老人を思い出させるものがあり、思わずしりごみした。

「エドワード!お前だったのか?」

「さあ、ジョンにすっかり話してちょうだい!」とメアリーが叫んだ。「すっかり話してちょうだい、エドワード。あたしのことは容赦しなくていいわよ。二度とふたたび、この人の目の前で、容赦してもらうようなことはいたしませんからね」

「あれは僕でしたよ」とエドワードが言った。

「それでよくもお前は変装して、昔友達の家へ忍び込むなんて出来たね?」運送屋が答えた「もとは明けっぱなしのこどもだったのになあ―この子が死んだと聞き、それが事実らしいと思ってから、ケイレプ、何年になるだろう?―あの子ならあんなまねはしなかったろうに」

「昔、僕には気持ちの広い友だちがあって、友だちというよりも僕にとっちゃ父親のようでしたよ」とエドワードが言った。「あの人なら僕であれ、また他の者であれ、相手の言い分も聞かずに判断したりしなかったでしょうにね。昔のあんたはそうでしたよ。だから今だって僕の言うことを聞いてくださるに違いないと思うんです」

運送屋は依然、彼から遠ざかっているメアリーを不安そうに見やってから、「そうだ!それでこそ公平だ。聞こう!」

「僕が少年としてここを出て行ったとき、僕が恋におちていったこと、そしてその恋が報いられていたということを承知していただきたい。その人はごく幼い少女で、多分自分の気持ちが分からなかったのだ(とあんたは言うかもしれない)。だが、僕は自分の心を知っていました。その人を熱烈に愛したのです」

「熱烈に!お前が!」と運送屋が叫んだ。

「実際そうでした。そしてその人もそれに報いてくれました。報いてくれたとそれ以来ずっと信じて来ましたが、今、それが確かになったのです」

「神よ、お助けください!こんなひどいことはないわい」と運送屋が言った。

「その人へ変わらぬ気持ちを持ちつづけ、多くの困難と危険をくぐった後、僕たちの昔の契約の僕の役目をはたすために、希望にあふれて帰郷したところが、20マイル先のところで、その人が僕を裏切り、僕のことなんか忘れてしまい、別のもっと金持ちの男のところへ行ったと聞いたんです。僕にはその娘を責めるつもりはありませんでしたが、会って、それが明らかに事実だということを確かめたいと思いました。その人が自分の気持ちと思い出にそむいて強制されたのかもしれないという、そんな望みがあったのです。そんなことはろくに慰めともならないでしょうが、しかし、いくらかたしにはなると思い、僕はやって来ました。真実を、ありのままの真実を知るために、一方では邪魔がはいらないように、また他方、その人の前でその人を左右する力を(僕にいくらかでも持ち合わせがあるとして)振うことなしに、自分の目で自由に観察し、判断を下せるようにと思い、僕とは似つかぬ身なりをし―どんな身なりかあんたがご承知の通りです、街道で待っていました―どの辺かそれもあんたはご存知ですね。あんたは僕を少しも怪しまず、その人も」とメアリーを指しながら、「気がつきませんでしたが、あの炉端でその人の耳にそっとささやいたときには、その人はもう少しでぼくのことをばらすところでした」

「けれどもその人はエドワードが生きていて、帰って来たことを知ると」とメアリーはすすり泣きながら、今度は自分で話し出した。以上の話のあいだじゅうずっと、メアリーは自分で話したくて我慢がならなかったのだ。「またエドワードの目的を知ると、なんとしても秘密をかたく守らなくてはいけないと、エドワードに忠告しました。なぜなら、エドワードの古い友だちのジョン・ピアリビングルは性質があんまり明けっぱなしで、たくらみ事いっさい自分の胸にしまっておけないくらい不器用なのですから―なんにかけても不器用なんですものね」とメアリーは半ば笑い、半ば泣きながら言った。「そしてその人が―それはあたしのことよ、ジョン」メアリーは泣いた。「エドワードにすっかり、エドワードの恋人がエドワードのことを死んでしまったものと信じており、とうとう、お母さんに説き伏せられて、お馬鹿なお母さんが有利だというその結婚を承知してしまったことを話し、そして、その人が―これもあたしよ、ジョン―結婚は(間近に迫ってはいるけれど)まだ行われておらず、そのまま進められれば、その人の側に愛情は全然ないのだから、犠牲にほかならないと言いますと、それを聞いてエドワードは今までにないほど喜びました。そこで、その人は―これもあたしよ―二人の仲をとりもって上げましょう、昔、何度もしたようにね、ジョン、そして恋人の気持ちを探り、その人が―これもあたしよ、ジョン―言ったり考えたりしていたことが本当かどうか確かめて上げましょうと言ったんです。ところが本当だったのよ、ジョン!それで2人はいっしょになったんです、ジョン!そしてね、ジョン、1時間前に2人は結婚したのよ!そら、花嫁さんが来た!だから、グラフ・アンド・タクルトンは独身者のまま死んでしまうかもしれないわ!だから、あたしはとても幸福なの。メイ、おめでとう!」

メアリーは、言うなれば、魅力ある小柄な女であるが、今このうちょうてんになっている瞬間の姿ほど素晴らしい魅力にあふれたものはなかった。また、彼女が花嫁にふりそそいだ祝いの言葉ほど愛情のこもった快いものはなかった。

胸の中で乱れる激情のただ中で、正直な運送屋は茫然として立ちすくんでいたが、今や、妻のほうへ飛んで行こうとするのを、妻は手をさしのべておしとどめ、以前のように後にひきさがった。

「いいえ、ジョン、いいえ!全部聞いてください!言わなくちゃならないことをひとこともあまさず聞いてしまうまでは、あたしを愛してはいけません。ジョン、あなたに秘密をかくしていたことは悪かったわ。本当にすみませんでした。別に悪いとは考えなかったんだけれど、昨夜、あなたのそばのあの小さな床几に坐ったとき、あなたの顔にあたしがエドワードと廊下を歩いているところを見てしまったことをどう思っているのかということが、ありありとあらわれているのを見て、はじめてあたしはなんて軽はずみな、いけないことをしたんだろうって分かったんです。でも、おお、ジョン、よくもそんなふうにあたしのことを考えられたもんだわ!」

小さな女はふたたびなんと激しく泣いたことだろう!ジョンは彼女を抱こうとした。しかし、だめだ。メアリーが許さなかった。

「お願いだから、ジョン、まだ愛してはいけません!まだだめ!今度、予定されていた結婚のことであたしが悲しんだのはね、いかにも年若い恋人同士だったメイとエドワードのことを思い出し、メイの心がタクルトンさんから遠く離れていることを知っていたからなの。今ならそれが信じられるでしょう、ジョン?」

この訴えにジョンはまたもや突進しようとしたが、ふたたび、メアリーはそれをとめた。

「いいえ、そこにいてちょうだい、ジョン!あたしがよく、あなたのことを笑ったり、不器用だなどと言ったり、お馬鹿さんとかなんとか言うのは、ジョン、あたしがとてもあなたを好きだからだし、あなたのすることが面白かったからなの。たとえ明日にでもあなたを王様にしてあげるからといったって、あなたが少しでも変わるのは見たくないわ」

「万歳!」とケイレプが常にない勢いで叫んだ。「賛成だ!」

「それから、あたしが人のことを中年で、しっかりしているなんて言ったり、あたしたちは石橋をたたいて渡るような平凡な夫婦だというふりをしてみせたのはね、ジョン、あたしはしようのないお馬鹿さんで、ときどきあかんぼとお芝居のようなことをしたりして、もっともらしいふりをするのが好きだからなのよ」

メアリーはジョンが近寄るのを見て、またもや止めたが、あやうく間に合わないところだった。

「いけません、あと、もう1分か2分、あたしを愛さないでください、ジョン!一番あなたに言いたいことを、後回しにしといたのですから。あたしの大事な,善な、心のひろいジョン。このあいだの晩、あたしたちがこおろぎのことを話していたとき、あたしはもう少しで言うところだったのよ、最初は今ほどあなたを愛していなかったって。はじめてここの家へ来たとき、それまであたしが願ったり祈ったりしていたようにはあなたを愛せないんじゃないかと、いくらか不安に思っていたんです―あんまり年が若いんですものね、ジョン。ところがジョン、一日一日、一時間一時間、ますますあなたが好きでたまらなくなって来たのです。ですから、今よりもっとあなたを好きになれるものなら、けさのあなたの立派な言葉を聞いてそうなったでしょうが、でも、それは出来ません。あたしはありったけの愛情を(それはとてもたくさんあったのよ、ジョン)とうの昔に、当然それだけの資格のあるあなたにあげてしまって、もう、あげる分がなにも残っていないからです。さあ、あたしの大事な旦那さま、あなたの胸にもう一度あたしを受け取ってください!これはあたしの家なのよ、ジョン。ですから、あたしをよそにやるなんて、けっしてけっして思わないでください!」

喜びに輝く別の小さな婦人が別の男に抱かれるのを見たとしても、運送屋の腕の中に飛び込むメアリーを見たときほどの喜びは、とても味わえないことと思う。それはこれまで見たこともない完全な、純な、心のこもった、胸迫る場面であった。

たしかに運送屋はうちょうてんの状態にあった。メアリーも同様、並みいる一同も同様だった。一同の中にはスロボーイ嬢もはいっていた。彼女はうれしさのあまり、ふんだんに泣き、自分の幼い預かり物も人びとの祝詞のやりとりに加えたいと願い、飲み物かなにかのように、つぎからつぎへとあかんぼを回していった。

だが、今やふたたび外で車輪の響きがきこえ、だれかが、グラフ・アンド・タクルトンが引き返して来たと叫んだ。たちまちその立派な紳士は興奮し、取り乱した様子であらわれた。

「おや、これは一体どうしたというのだね、ジョン!なにかの間違いだ。わしはタクルトン夫人に教会で会おうと言っておいたんだ。それなのにここに来る途中のタクルトン夫人とすれちがったんだ。ああ、ここにいた!失礼しますあなた、まだお名前は存知あげておりませんが、この若いご婦人をお手放し願いたいんで。このご婦人は今朝、ちょっと特別の約束がありましてな」

「しかし、僕はこの人を手放すわけにはいきませんよ」とエドワードが答えた。「そんなことは思いもよりませんね」

「なにを言う、このごろつきめ!」とタクルトンが言った。

「僕が言うのはね、あなたが腹を立てるのを斟酌することが出来るから」と相手は微笑みをうかべながら、「昨夜の話いっさいと同様、けさの耳ざわりな話も聞かないことにするということなんですよ」

タクルトンがエドワードに向けた目つきと驚愕!

「お気の毒ですが」エドワードはメイの左手を差し出し、ことにその薬指(注:原文では第3指)を示した。「このお若い婦人はあなたのお伴をして教会へまいるわけにはいきません。しかし、けさ一度もう行ってきましたから、多分あなたもこの人をご容赦くださることと思います」

タクルトンはその薬指をじっと見つめていたが、チョッキのポケットから明らかに指輪がはいっているらしい小さな銀紙を取り出した。

「スロボーイさん」タクルトンが言った。

「すまんが、それを火の中に放り込んでくれんかな?ありがとう」

「これは先約でしてね。まったく古い約束なんですよ。そのため、僕の妻はあなたとの約束を守るわけにはいかなかった次第です」とエドワードが説明した。

「タクルトンさんはあたしがこのことを正直に打ち明けたことや、この約束をけっして忘れられませんと、何度も申し上げたことは、当然、認めてくださいましょう」とメイは頬を染めながら言った。

「ああ、認めますとも!」とタクルトンが言った。

「たしかに。ああ、それは結構。それが本当だ。エドワード・プラマーさんの奥さんでしたな」

「その通りです」と花婿が答えた。

「ああ!わしはあんたを存じあげないはずでしたな」とタクルトンは相手の顔をじろじろと見て、低くお辞儀をした。「おめでとう!」

「ありがとう」

タクルトンは突然、メアリーが夫と共に立っているほうへ向いた。

「おかみさん、わるかったね。あんたはこれまで大してわしに親切にはしてくれなかったが、まったく気の毒なことをしたと思うよ。あんたはわしが考えたよりもっとよい人間だ。ジョン、すまなかったね。わしの気持ちは分かってくれるだろう。それで沢山だ。これが本当なんです、淑女ならびに紳士諸君、申し分なしだ。さよなら!」

こう言って平気な顔をして出て行き、戸口でちょっと立ち止まって馬の頭から花とリボンをはずし、自分のてはずに手違いが生じたことを知らせる手段として、馬のあばら骨にひと蹴りくれた。

もちろんこうなると、これらの出来事を永久にピアリビングル家の暦に大宴会、大祝祭として記録するにたる一日とするのが、重大な義務となった。したがって、メアリーはこの家および関係者一同に不滅の名声をもたらすようなご馳走の用意にかかり、まもなく、えくぼのある肘まで小麦粉の中に突っ込み、運送屋がそばへ来るたびにひきとめて接吻するので、運送屋の上着は真っ白になってしまった。この善良な男は野菜を洗ったり、蕪の皮むきをしたり、皿を洗ったり、火にかかった鉄鍋の中の具材をひっくり返したり、さまざまな手伝いをした。一方、どこか近所から大急ぎで呼んで来た料理の手伝い2人は生死の瀬戸際でもあるかのように、戸口という戸口、曲がり角という曲がり角で鉢合わせばかりしていたし、だれもかれも至るところでティリとあかんぼにつまづいて転んでばかりいた。ティリが示した力は今までにないほどで、その姿あらざるところなき出没ぶりは一同の驚嘆の的であった。2時25分には廊下における障害物であったし、きっかり2時半には台所で罠の役をつとめ、2時35分には屋根裏部屋で落とし穴になるというぐあいだった。あかんぼの頭はあらゆる種類の物質、動物、植物、鉱物のいわば試金石であり、その日、使用されたもので、一度はこの頭と密接な知り合いにならないものは一つもなかった。

それから、フィールディング夫人をみつけに大遠征隊が出発した。かの立派な淑女に陰気な顔で懺悔をし、必要とあれば力づくで連れもどり、喜んでもらい、許してもらわんがためだった。遠征隊が最初、夫人を発見したときには、夫人はいかなる言葉にも耳を傾けようとせず、生きながらえてこの日を見ようとはと数えきれないほどくりかえし、「さあ、わたしを墓場に運んで行ってください」と言うほか、なにも言わせることが出来なかった。この文句は彼女が死んでいるのでも、あるいは死にそうな様子もぜんぜんないのだから馬鹿げて聞えた。しばらくすると、恐ろしく沈痛な様子になり、あのインド藍貿易に不運がひきつづいて起きたときから、わたしは一生ありとあらゆる侮辱と無礼にさらされるだろうということを見通していた。これがそれにあてはまるのがうれしいと言い、どうか、わたしにおかまいなく―なぜなら、わたしが何者だというのです?おお、つまらぬ人間ですからね―こんな者が生きていることなど忘れて、わたしなど抜きにして、この世をお渡りくださいと懇願した。この刺すような皮肉な気分から、今度は腹立ちに変わり、虫けらだって踏みつけにされれば、歯向かいますよ、という注意すべき言葉を洩らした。そのあと、今度はおだやかな悔恨にかきくれて、わたしを信頼してさえくれたなら、及ぶかぎりのどんな知恵をもかさずにおかないものを!と言った。夫人のこの気分の転機を利用して、遠征隊の一行は夫人を取りかこみ、まもなく彼女は手袋をはめ、申し分ない上品な様子でジョン・ピアリビングルの家に向かった。小脇には高さもこわばり加減も僧帽におとらぬ堂々たる帽子のはいった紙包みをかかえていた。

それから、また別の馬車で、メアリーの父母が来ることになっていたが、大変遅いので、一同は心配になり、しきりに道のむこうまでさがしに出た。フィールディング夫人はいつもまちがった方角の、実際、来そうもないほうばかり見るので、そう注意されると、どちらを見ようと好きにさせておいてもらいたいと言った。ついに二人はやって来た。太った小柄な夫婦で、メアリーの家族にふさわしいこぢんまりと気持ちよさそうな様子でとことこ歩いて来た。メアリーとその母親をならべたところを見るのは不思議だった。二人はそっくりだったのである。

そこで、メアリーの母親はメイの母親と旧交をあたためねばならなかった。メイの母親はいつも自分の上品さを頼みとしたが、メアリーの母親は彼女のまめに働く小さな足しか頼みとするものはなかった。メアリーの父親は、勝手にふるまい、一目見ただけで握手をし、帽子を糊とモスリンの塊ぐらいにしか思わないらしく、インド藍貿易の意見にも少しも服さず、今となっては仕方がないと言った。そのためフィールディング夫人の概評によれば、人はよいけれど―下品ですわねとのことだった。

私はなんとしても、婚礼衣装をまとって歓待しているメアリーを見のがしたくなかった―メアリーの輝く顔に祝福あれ!また、テーブルの末席に坐っている上機嫌な、顔色のよい善良な運送屋も。日に焼けた元気な水夫と美しい妻も、あるいは一同の中のだれ一人として見のがしたくなかった。この宴会をのがすことは人間がとる必要のある最も愉快な、また最も健全な食事をのがすことであり、一同が結婚式を祝して乾杯したあふれる杯をのがそうものなら、なによりの損失となったことであろう。

食後にケイレプはかの「泡立つ大杯」の歌をうたったものだ―生きているからには、このままでいたいものよ。せめて1年、2年になり―というふうに、ケイレプはしまいまで歌い通した。

ついでながら、ケイレプが最後の節を歌い終わったとき、思いもよらないことが起きたのである。

戸を叩く音がして、一人の男が失礼致しますとも、ご免こうむってとも言わずに、なにか重そうなものを頭にのせてよろめきはいって来たのである。この荷物をテーブルの中央に置いてから、男は言った。

「タクルトン様がよろしくとおっしゃっていました。このお菓子は自分に用がなくなったから、皆さんで召しあがっていただけるだろうとのことでございます」

こういうと、使いは行ってしまった。

ご想像の通り、一座の人びとのあいだに驚きがおこった。フィールディング夫人は非常に慎重な婦人なので、このお菓子には毒がはいっているのだと言い出し、わたしが知っている範囲でも、ある学校全体の若い婦人たちを真っ青にしたお菓子があると、その話を語って聞かせた。しかし、夫人も歓呼の声に圧倒されてしまい、菓子はおもおもしい作法と喜びをもってメイが切り分けた。

まだ、だれもそれを味わわないうちに、また戸を叩く音がして、同じ男が大きい茶色の紙包みをかかえてふたたびあらわれた。

「タクルトン様がよろしくと。少しばかりお子さんへ玩具をよこされました。見苦しいものではありません」

この口上を伝えてしまうと、使いはふたたび立ち去った。

一座の者はなんと言ってその驚きを表わしてよいか、たとえ、たっぷり時間があったとしても、言葉を見つけ出すのに非常な困難を経験したことであろうが、そんな暇はなかった。使いの者が戸を閉めるか閉めないうちに、またもや叩く音がして、タクルトン自身がはいって来たのである。

「ピアリビングルのおかみさん!」と玩具商は帽子を手にして言った。「すまなかった。けさよりも、もっとすまないと思ってますよ。ゆっくり考えてみたものでな、ジョン!わしの気性はひねくれているが、君のような男と顔をつき合わせていると、多少ともなごやかにならずにいられないよ。ケイレプ!この子もりがなにも知らずに昨夜、わしにきれぎれの暗示を与えてくれたおかげで、わしは糸口を見つけたのだ。わしはお前とお前の娘をわけなくわしに縛りつけるところだった。お前の娘が馬鹿だと思っていた私の方がなんてみじめな馬鹿者だったろうと思うと恥ずかしくて顔が赤くなるよ!みなさん、わしの家は今夜はえらく寂しいのです。炉端にはこおろぎ一匹いないのです。わしがおどかしてみんな追っ払ってしまったからね。わしに情けをかけてください。この賑やかな仲間にわしも入れてください!」

5分後にはタクルトンはくつろいでいた。諸君はこんな男を見たことはあるまい。愉快になれる大きな能力がありながら、これまでそれに気づかなかったとは、いったい何をしていたのだろう!また。タクルトンにこんな変化を起こさせるとは、かの妖精たちがタクルトンをどうしたというのだろう!

「ジョン!あなたは今夜、あたしを里に帰さないわね?」とメアリーがささやいた。

だが、ジョンはもう少しでそうするところだったのだ!

一座を完全にするのに一つだけ生き物が欠けていた。だが、瞬く間にやって来た。一生懸命に走ったのでひどくのどをかわかし、口の狭い水差しに頭をねじ込もうとあせっていた。彼は主人がいないのでたいそう不快に思い、代理人に猛烈に反対しながらも、旅路の果てまで荷馬車と共に行ったのだった。しばらく厩舎をうろうろして例の老馬に謀反行為をおこさせ、勝手に家へ帰らせようとしたが、うまくいかなかったので、酒場へはいって行き、炉の前にねそべった。しかし、不意にあの代理人はペテン師だから見捨てなければならないという信念に屈し、ふたたび起き上がると、尾を巻いて帰って来たのであった。

その晩、ダンスが行われた。それがまったく独創的なダンスであり、非常に珍しい踊りと想像する理由がなかったら、この娯楽について概略を話すにとどめておいたのだが、それは奇妙な始まり方で行われた。こんな具合である。

水夫のエドワードは―善良な、無遠慮な、威勢の良い男だった―人びとにおうむや鉱山やメキシコ人や砂金などについて、さまざまの不思議な話を語っていたが、不意に思いついた様子で席から勢いよく立ち上がり、ダンスをしようと言った。バーサの竪琴が置いてあったし、彼女は滅多に耳にすることが出来ないほどのすぐれた弾き手だったからである。メアリーは(勝手なときに気取り屋になるずるいメアリー)、あたしにはもうダンスなどをする時代は過ぎたと言ったが、それというのも、運送屋が煙草をふかしており、メアリーは夫のそばに坐っているのがいちばん好きだからだと私は思うのだ。その後ではもちろんフィールディング夫人も、わたしもダンスなどする時代は過ぎたと言うよりほかなく、他の者もみな同じように言ったが、メイだけは別で、ちゃんと用意が出来ていた。

そこで、拍手喝采の中をメイとエドワードは立ち上がって、2人だけで踊り出し、バーサは最も陽気な曲を弾いた。

さて!よろしいですか、2人が踊り出して5分とたたないうちに、いきなり運送屋がパイプを投げ出し、メアリーの腰を抱えて部屋の中央へ飛び出し、片方の足の爪先と他の足の踵を交互に床につけながら、見事に踊り出す。これを見るが速いか、タクルトンはおおいそぎでフィールディング夫人のところへ飛んで行き、その腰を抱えて先例にならう。これを見るが早いか、メアリーの父親はぱっと立ち上がり、伴侶をひっさらって踊りのただなかへ飛び込み、先頭に立つ。これを見るが早いか、ケイレプはティリ・スロボーイの両手を摑んで威勢よくはじめる。スロボーイ嬢は躍起となって他の踊り手の組の間にもぐり込み、その人びととある回数だけぶつかるのこそ、ダンスのただ一つの原則であると、かたく信じている。

聞け!こおろぎがなんとまあ威勢よく泣いて音楽に和していることか!また鉄瓶がなんとブンブン歌うことか!

だが、これはどうしたことだろう!私が楽しくそれらに耳を傾け、私の目をたいそう喜ばせてくれる小さな姿をもう一目見ようとメアリーの方へ向いたとき、メアリーも他の者たちもみな空中に消えていってしまい、私はただ一人残されているのだ。こおろぎが一匹、炉端で鳴いており、こどものおもちゃのこわれたのが床にころがっているばかり、ほかにはなに一つ残っていない。

 






この台本を作成するに当たり花子新潮社 世界文學全集14本多顯彰岩波文から多くの引用をさせていただきました