2024年8月20日
本日もレッスン前に谷上先生と話をしました。私は日本経済新聞をとっているのですが、朝、最寄りの阪急富田駅に着いて大雨で濡れた新聞を開いたところ社会面のアラン・ドロンの訃報の下に高石ともやさんの訃報が出ていたのです。それで私は先生と高石さんのことを10分余り話しました。私が高石さんを知ったのは中学生の頃に聞いた受験生ブルースでしたが、彼の京都での活動を知ったのは高校1年の時(1975年)に聞いた近畿放送(現KBS京都)の日本列島ズバリリクエスト(通称スバリク)ででした。高校生になってしばらくは中学2年まで聞いていた朝日放送のヤングリクエスト(通称ヤンリク)を聞いていましたが、11月のある日他に面白い深夜放送はないのかとダイヤルを回していたところ、ナターシャセブンの楽しい歌声を聞いたのでした。そうしてしばしばテープに録りながら彼らの放送を聞いているうちに、昼下がりコンサートそして宵々山コンサートは他の演奏家と共演して開催していることを知ったのでした。ケーナ奏者のウニャ・ラモスさんと共演した1976年の昼下がりコンサートに私は行きましたが。その後もサンケイホールなどで彼らの演奏を聞きました。ナターシャセブンの演奏が素晴らしいところはいろんな音楽を水準の高い器楽伴奏と4人のコーラスで聞かせてくれることでした。オリジナル曲も温かくて好きですが、アメリカのフォークソング、笠木透さんが作詞した曲、世界の歌などをズバリクの中では高石さんの解説つきで聞けたのでした。高校2年生になってから夏休みまでは成績が最低で勉強しなければならなくなったり、クラブ活動(写真部)で忙しかったりで午後11時から午前2時までの高石さんの放送のすべてを聞くということは不可能でしたが、それでも午前0時頃まではほとんど(水、木曜日担当)聞いていましたし翌日が祝日で休みの時などは午前2時まで聞いていました。8月と9月前半は夏休みの宿題やクラブ活動でまったく聞けずにいたところ、9月半ばの放送で9月で高石さんの放送はなくなるということを知りました。それでも107ソングブック(ナターシャセブンが演奏する曲の楽譜集)のレコードを定期的に発売すると言われ、少し安心したことを覚えています。ナターシャセブンはその後日本全国でライヴを行い、昼下がりコンサート、宵々山コンサート、サンケイホールでのコンサートをしていて、私も何度かコンサートに出向いていました。ですが私は1978年4月に浪人生活を始めるにあたり、勉強の友にならない(BGMにならない)歌入りの音楽をすべて聞かないようにしクラシック音楽だけを聞くことにしました。もちろんコンサートや高石さんが出演するラジオも聞かないようにしました。長い浪人中に一度ナターシャセブンのコンサートに行きましたが、1980年2月に木田たかすけさんが脱退(同年5月に交通事故でなくなった)後だったので、ピアノ、フルート、サックス、トランペット、ドラムスといった楽器を演奏する人(木田さんはマルチプレーヤーでした)がいなくて弦楽器だけの演奏で寂しかったことを覚えています。大学に入り、ナターシャセブンがその後どうなったかと気になっていたところ、1982年2月に裏方で頑張っておられた榊原詩朗さんがホテルの火災で亡くなられその後他のメンバーも入れ替わって活動もますます収縮して行き、1985年に活動を停止しました。木田たかすけさんが在籍しておられた1975年から1980年頃がナターシャセブンの全盛期だったと思います。その後高石さんはソロでコンサートをされたりマラソンやトライアスロンのアスリートとして活躍されますが、ナターシャセブンの時に歌われた笠木透さん作詞の曲は演奏されなかったように思います。「私に人生と言えるものがあるなら」「川のほとり」「私の子供達へ」などを楽しそうに会場の人と一体となって高石さんが歌うのを楽しみにコンサートに行っていた私にはとても残念なことでした。ナターシャセブンが1998年に復活して高石さん、坂庭さん、城田さんの3人でサンケイホールでコンサートをした時にも私は会場に行き上記3曲の演奏を楽しみにしていたのですが、笠木透さんの曲が演奏されなくて残念に思ったことを覚えています。城田さんは今でもコンサートをされているようですが、坂庭さんが2003年に亡くなられ先日(8月17日)に高石さんが亡くなられました。KBS京都ではナターシャセブンが結成されて間もない頃に京都のシルクホールで開催されたライヴを編集されてCDで販売されているので、ズバリクのオープニングを編集してCDを出してほしいと願うのですが、難しいと思いますと先生に話しました(もちろん8割方は後付けです)。先生は楽しそうに話を聞かれていたので、私は、しばらくナターシャセブンの曲を習いたいですと言いたかったのですが、我慢して今日からモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク第3楽章(以下、アイネクライネ)を習うんですねと言いました。
レッスンはト長調(シャープ1つ)の音階をまず演奏しましたが、先生は、アイネクライネは途中からニ長調(シャープ2つ)に変わるので、そちらの音階練習、三度進行、和音も練習していただきますと言われました。私が、残り時間がありませんがアイネクライネを少しだけ吹きたいですと言うと先生は頷かれました。演奏後に先生は、Fさんはファーストを吹かれましたが、高音ばかりなので、1オクターヴ下げるセカンドを練習しておいてください。そうして余裕があれば、ファーストを練習することにしましょうと言われ、レッスンを終えました。