5度目の槍・穂高登山で考えたこと

昨年、足の負傷(靴があわず爪を負傷、生え変わるのに半年以上かかった)でシーズンを棒に振った、私ことふくいえむは、今年こそは槍・穂高登山を存分に楽しもうと日々トレーニングに励みましたが、2年前より3キロ太った体重を減らすことができず、それが様々な影響を与えました。既に掲載をしている写真を見ていただくとおわかりになると思いますが、より見苦しくなってしまいました(そういいながら、今回は3枚も記念写真を掲載していますが)。

それはさておき、今回も山の不安定な天候に悩まされました。私は7月初めより長野地方の天気予報を注目して見ていたのですが、1日として晴れマークだけという日がなかったように思います。たいていは朝方晴れでその後天気が崩れるという日が多かった気がします。しかもただの雨ではなく雷雨でした。私が行った時もそんな天気でした。1日目午後3時過ぎから夕方まで豪雨。2日目終日ガスっていて視界がきかなかったが、雨は降らず。3日目午後3時から5時頃まで豪雨。4日目午前6時過ぎから雷雨。午後1時40分頃、上高地に着くと雨は止んでいた。

一昨年、槍に行った時と同様に始発の新幹線としなの1号を乗り継いで松本に。松本電鉄の電車とバスを乗り継いで、午前11時頃、上高地に到着しました。いつもの通り、上高地バス停近くの土産物屋に併設している食堂で腹ごしらえをして、出発しました。特に悪い天気ではありませんでしたが、河童橋を過ぎて穂高連峰あたりを見てもガスで山並は見えませんでした。午後2時40分頃に槍沢ロッヂに到着ししばらくすると豪雨になりました。4日間で槍ヶ岳、大キレット、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳を経由しようと考えていた私は、明日豪雨でもとりあえず南岳小屋までは行こうと考えました。

2日目の朝方、天気は良かったのですが、山頂あたりはガスっていました。槍岳山荘に到着しても槍の穂先が全く見えなかったため、登頂を今回は見送ることにして、先を急ぐことにしました。山荘に着く少し手前で声を掛けていただいた西井さんに、山荘前で写真を撮っていただきました。西井さんとはストライドがちがうので、一緒に歩くことは少なかったのですが、南岳小屋、穂高岳山荘の近くで楽しい時を過ごしました(西井さんがテントを利用されたため)。一般的な槍ヶ岳登山では、ここで槍岳山荘に宿泊となるのですが、私は南岳小屋に向かいました。このあたりから体重超過の報いが始まりました。今まで痛めたことのない、左大腿骨の付根あたりが痛み出したのです。何とか南岳小屋に到着したのが、午後4時頃でした。受付でいつもお世話になっている方と話をしていると小屋の入口で他の方と話をしている西井さんを見掛けたので、声を掛けました。私が西井さんにテントの張り方を尋ねると親切に教えて下さいました。西井さんは、「テントはずっと居心地がいい」と言われていました。

3日目、午前6時を過ぎてもガスっていたため不安でしたが、とりあえず大キレットを経由して北穂高岳まで行ってみようと思って出発しました。入口に差し掛かると西井さんが声を掛けて下さりました。しばらくご一緒しましたが、足の長さ及び体力が違うので先に行っていただくようお願いしました。西井さんと分かれてしばらくして突然、視界が開けてきました。私は思わず、頻繁に足を止めて写真を撮りました。写真を撮っていると静岡から来られた大キレットは今回が初めてと言われる方が私に声を掛けられました。しばらくして長谷川ピークのところに差し掛かった際にお互い記念写真を撮り合い、長谷川ピーク、飛騨泣き一緒に通過しました。この方は北穂高岳山頂で記念写真を撮られた後、北穂南稜から下山されました。私は少しガスが出て不安でしたが、涸沢槍、涸沢岳を経由して穂高岳山荘に至るコースを選択しました。2度目でしたが、やはりこのコースは大キレットより高所の恐怖感を強く感じるコースでした。ガスっていたため、いくらか恐怖感が軽減されましたが、最初にある両方絶壁でつかむものなしで歩くところや延々と山の急斜面をへばりつくようにして進むところは誰もが足を竦ませるところのようでした。大キレットは写真を撮りながら、4時間半程かけて行きましたが、涸沢岳のコースはガスっていたこともあり(恐怖感が強かったこともあり)、2時間半余りで通過しました。涸沢岳山頂で記念写真を撮っていただき、その後穂高岳山荘に着いたのですが、山荘で宿泊の手続きをしていると大雨になりました。もう少し到着が遅れたら、多分、動けなかっただろうと思うと冷や汗が背中を伝わりました。

夕立は2時間足らずであがったので、あがった後に、山荘に着く前にテントを建造されているところを見た西井さんに声を掛けました。西井さんは、大雨で浸水してひどい目にあったと言われていましたが、テント村近くの周りがよく見渡せるところでいろいろなことを教えて下さりました。雨上がりで視界が利き、近くの常念岳、蝶ヶ岳、ジャンダルムだけでなく、富士山や白山もよく見えました。中でも極め付きは前穂高岳の山頂についての話でした。西井さんは、「奥穂高岳の山頂と同様にここから前穂高岳の山頂は見えない」とおっしゃったので、私は、「うまく言えないのですが、あの七色仮面の頭部のような3つの山が連なっているのが前穂高岳の山頂ではないのですか」と言うと西井さんは、「前穂高岳には7つの峰があり、ここからは6つの峰しか見えない。7つ目の峰である主峰は隠れている。確認してみよう」と言われ、岐阜大医学部診療所の方に訊かれました。西井さんの問い合わせにそこの方は、その通りだと言われましたが、今まで奥穂高岳、前穂高岳方面に行くことができなかった私は、明日何とか山頂に行けるといいなと願ったものでした。

4日目、午前7時過ぎまで山荘でガスがなくなるのを待っていましたが、一向になくならないので奥穂高岳方面には行かずに下山することにしました。ザイテングラートの入口で西井さんとお会いしましたが、しばらくして西井さんは先に行かれました。小屋を出て10分程して降り出した雨はだんだん激しくなり、ザイテングラートの岩場を過ぎたあたりで豪雨に雷が加わり、涸沢小屋にあと1時間というところで立ち往生しました。30名程の団体が来られたので、そこに混じって一緒に下りることにしました。それから1時間足らずで涸沢小屋に着きました。最後に西井さんを見たのは涸沢小屋ででしたが、今ではもう少し丁寧に挨拶をしていればよかったなと思っています。その後も雨は降り続いていましたが、足下に気を配りながら猛スピードで下山しました。午後2時上高地発のバスに何とか乗車できました。特急電車の待ち時間があったので、松本駅近くのそば屋で山菜そばと馬刺を食し、午後5時前のしなの号とのぞみを乗り継いで帰途につきました。

いろいろ教わった西井さんには、今でも感謝しています。そうして自分でも何かこれから槍・穂高登山をする方々にお教えすることがないかと思い、考えてみました。
1. 山の天気は変わりやすいので、先の日程を常に考えること
2. 槍ヶ岳に行くには体力が必要だが、穂高では技術と度胸も必要
3. 服装・用具の必要なものは揃えるべきだが、重くなると穂高では危険
4. 本番に備えての体力作りは必要だが、険しい山でのトレーニングも必須
5. 眠れなくても体力は回復するので、夜はなるべく早く床に着くこと

登山の一番の楽しみは、風景を楽しむことであると思います。とにかく美しい景色に出くわすと、それまでの苦労や疲労感は消散します。そこに行き着くまでには忍耐が必要ですが、それが十分に報われるのが、槍・穂高登山であると思います。