星を追いかけて            


 喜多が末吉からウエスト彗星の話しを聞いたのは、3学期の期末試験の最中だった。末吉によるとウエスト彗星は肉眼でもはっきりと見ることができ、長い尾を持つ優美な彗星とのことだった。末吉は生物部に所属し、喜多は写真部に所属していた。天文にも興味を持つ末吉はウエスト彗星についての情報を入手し、望遠レンズを使って撮影すればきれいに撮れると聞いて、同級生の喜多に写真撮影を依頼したのだった。

 喜多は3年5ヶ月前の中学生の時にジャコビニ流星雨で期待を裏切られて以来、天体ショーというものに対し不信感があった。ジャコビニ流星雨が見られると言われたその日は曇天であったが、喜多は強い期待感から流星のピークと言われる午前2時近くまで流星雨が現れるのを待った。流れ星が雨のように天から降り注ぐ、喜多はその言葉を初めて聞きその言葉に魅せられ過剰な期待をしてしまったのだった。日が変わっても相変わらず雲が切れなかったが、大きな期待感からそれからしばらく雲が切れるのを待った。少しでも晴れ間があれば流星が見えると思ったからだ。しかし厚い雲がさらに厚くなり、ついに小雨が降り始めた。喜多はやむなく帰途に就いた。
 
 末吉は言った。
「ぼくが住んでいる町は新興住宅地だから、街灯が多くて天体撮影に向かない。君が今いるところは戦前に建てられた官舎だろ。だから街灯が少なくて光がかぶらないんだ。君のカメラで撮るときっといい写真が撮れるよ」
 喜多の住む官舎は、木造の平屋で3、4戸が連なる長家が中央の坂道の両側にバランスよく並べられていた。と言っても左右対称に並んでいるのではなく坂道の下から見ると右手の方は公園があったり、風呂屋があったり、集会所があったり、消防団の車庫があったり、地蔵尊があったりして変化に富んでいた。坂道の頂上にはお稲荷さんがあり、ジャコビニ流星雨の時にはそこから空を眺めた。末吉が言う通り、老朽化した官舎では道端に新たに街灯をつけることもなく、屋外には30メートル毎にある電柱に笠のついた30ワットの電球が2メートルより若干高いところにあるだけだった。
 末吉は続けた。
「期末テストが終わった次の日の早朝に決行しよう。夜明け前の1時間だけこの彗星は見える。3月の初旬が見頃らしいから、最後のチャンスかもしれない。朝の4時には君の家に行くから、準備を頼むよ」そう言って、末吉は教室の自分の席へと戻って行った。

 喜多は、約束の時間の少し前にそっと家を抜け出した。末吉は家に行くと言っていたが、早朝の訪問者は家族に迷惑がかかると思い、外で待ち合わせることにした。待ち合せの場所に行くと末吉は来ていた。喜多の自宅近くの空地で、隅に街灯があるだけで空地の反対側にその光は届かなかった。暗闇に慣れると末吉の姿がはっきりと見えた。末吉は、いつものように学生服を着て襟巻きをしていた。「もうすぐ出るから、カメラの用意をして。いいかい一生に一度見られるかどうかの天体ショーだよ」
 運良くその日の空は快晴で雲ひとつなかった。
 喜多が三脚を立て望遠レンズに付け替えたカメラを取り付けていると、末吉が叫んだ。
「ほら見える。あれがウエスト彗星だよ。帚のところもきれいに見える」
 喜多はもう少し際立って見えると考えていたので、失望した。しかし目を凝らして見ると確かにうっすらと尾を引いている姿は美しかった。
 末吉は言った。
「少し失望したかもしれないけど、彗星は決して火球のような明るさにはならないよ。火球や流星のような輝かしさはないけど、彗星には夜の静寂の中から浮かび上がってくるようなそんな神秘的なところがある。昔は一部の人しか彗星の出現を予測できなかったから、突然の帚を持った星の出現に驚いたに違いない」
「写真は撮ったけど、うまく写っているといいね」
「そうだね。今東の空を見ると、ほら白鳥座が見えるだろ。この時間の星座は7月の宵の頃のものと同じなんだ。すぐ横にこと座のベガも見えるだろ。それにしてもここはぼくの住む町と違って星がたくさん見えるね。」
「また星を見においでよ」
「残念だけど、2、3日中に引っ越しするんだ。引っ越し先は理由があって言えないけど、縁があったらまたどこかで会うだろう」
 喜多が黙っていると、末吉は言った。
「心配しないで。ぼくはこれからも元気でやっていくから。君には今日の彗星は物足りなかったかもしれないけど、ぼくにはとても貴重な体験だった。ウエスト彗星はマイナス一等星位の明るさの彗星だけど長い帚の部分もきれいにみえたしそれにこうして君と一緒に見たと言うことは一生忘れないと思うよ。これからも、流星雨、彗星、皆既月食を見る機会はあるだろう。そしてそれは明るく美しいものかもしれない。でも今日あったことは小さい頃の楽しい思い出のように時に思い出していつまでも懐かしむことのできるものだと思う」
「君は写真いらないの。そのためにぼくを呼んだんじゃないの」
「ぼくは、君とこうして彗星が見られただけで充分さ。こうして夜明け前の物音ひとつしない暗闇の中でわずかな時間だけどじっと宇宙と対峙している。普段は目標の定まらない宇宙だが、その時だけ向かい合うものができたようで宇宙と対話ができるような気がするのさ」
 喜多は末吉が難しい話しばかりをするので、家から持ち出して来たラジオのスイッチを入れた。モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲が流れた。
「本当にモーツァルトはすばらしいね。特にこの曲はぼくのモーツァルト観を変えた。モーツァルトを聴かなきゃ損と考えるようになった曲なんだ。ぼくたちは大きな不幸に会わない限りは少なくとも50年は生きられるだろう。その間に何を楽しむかは自由だけど、ぼくが考えるのは、不確実なものかもしれないけれど、どうせ楽しむのなら天体観測やクラシック音楽鑑賞のような大きな感動を伴うものをと考えているんだ」
 喜多は、末吉の話しを聴きながらラジオに耳を傾けていた。
 やがて東の空の地平線に近いところから白んできた。それに連れ、ウエスト彗星はうすくなり、見えなくなった。
 喜多は、同じ高校生なのに幼稚な考え方しかできない自分に腹が立った。末吉は、同級生の誰からも自分達よりもしっかりとした考えを持っていると言われていた。
 喜多は言った。
「君はぼくより多くのことを知っている。ぼくも君のようになれるかな」
「大切なことは自分がいかに無知であるかを知ること。謙虚な気持ちになれば、若い頃ならいくらでも知識を吸収できる。ぼくが今、他の同級生より知識があるのは自分で知識を得たいと望み、両親がそれに応えてくれたからだ。君の両親は君のために百科事典を買ってくれたそうだね。きっと君が望めば、君が勉強できる環境を作ってくれるよ。逆に君が娯楽を追い求めるなら、両親は失望するだろう。親は自分の子供の幸せを願う。子供がそれに応えるためには、まず自分の視点をしっかり持てるようになるために知識を得ること。人生を豊かにするのも知識。人生を楽しくするのも知識なんだ。君の健闘を祈っているよ」
末吉はそういうと自分の自転車に乗った。       
「いつかどこかで君と会うことがあるかもしれない。その時はにっこり笑って近況報告できるように、お互い今から頑張ろう。50年たったらウエスト彗星よりももっと壮大な天体ショーを体験していて、互いに報告できるかもしれない」
そう言って末吉は喜多と握手をすると、官舎の中央を貫く坂道へと舗装されていない砂地のでこぼこ道を自転車で走って行った。喜多は末吉が坂道のところで方向を変え、建物の陰で姿が見えなくなるまで友を見送った。         

                        

註 ジャコビニ流星雨は1972年10月8日から9日にかけて見られると言われていたが、流星雨は
  観測されていない。ウエスト彗星は1976年3月初旬に最も明るくなった。ウエスト彗星を見て、
  天文ファンになった人は多い。

 

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