『いにしえのマシンに乗って』
大晦日が明けて元日の午前3時頃、大川は下鴨神社の参拝を終えたところだった。大川は社会2年目だが、最初の年に父親を事故で亡くす不幸があり喪が明けた後に京都の神社のいくつかにお参りして再び家族に不幸が起こらないようにと祈願することを考えていた。仕事が忙しくてなかなか実行できなかったが、年末年始なら会社も休みなので大晦日の夜に、北野天満宮、上賀茂神社、下鴨神社、平安神宮、八坂神社を巡回すれば一応目的は達せられると考えた。
大川は大阪府北部にある自宅を12月31日の午後10時30分に出て、まず北野天満宮を目指した。年が明けてすぐなので参拝客が多かったが、次に訪れた上賀茂神社は午前2時を過ぎていたので、参拝客は疎らだった。ただ2つ目の鳥居の際にあるとんど焼きのところでは大勢の参拝客が暖を取っていた。1時間程かかって大川は下鴨神社に辿り着いたが、零度近い気温の中、長い距離を歩くのは少し太り気味で運動不足の大川には堪えたようで膝上大腿部のあたりに鈍痛を感じるようになった。
大川の今の状況はそんな風であったが、大学生の頃には大川はプロレス愛好会に所属して日々精進していた。大川は2年の浪人の後に大学に合格したが、すっかり身体が鈍っていたので大学に入ったら体育会のサークルに入って身体を鍛えようと心に誓っていた。入学式が終わって、校内を歩いていると格闘研究会というサークルの看板が目に入った。折りたたみテーブルの片側に対面して座って大川は話を聞いたが、10年前には花橋選手がサークルに所属していて格闘研究会は隆盛を極めたが、現在の部員数は3人とのことだった。
「3人ですか、それではタッグ戦もできないですね」
「そうなんだ、だから君が入部してくれれば、すぐにタッグ戦ができる」
「まさか、ぼくは中学生の時は天文部、高校生の時は写真部で体育会のクラブ活動はしたことがないんです。エルボー一発で伸びてしまいますよ」
「そうなのか、でも毎日それなりの練習をしていれば、1年後にはリングに立てるよ」
「どのくらい練習をすればいいんですか」
「スクワット4千回とロードワーク10キロを毎日欠かさず続けて半年したら少しずつプロレスの技を覚えるといい。一番いけないのは練習が途切れることなんだ。真面目に練習に励めば、2回生になったら花橋さんが学生時代に駆け回ったのと同じリングに上がれるかもしれない」
「そうなんですね。それじゃあ、とりあえず2年は頑張ってみます」
大川は熱心に体力づくりに励んだので、1年するとプロレスの技を身につける段階に入った。大川が熱心に練習に取り組むのを見てさらに3人の新入部員が入部したが、技を教えられるのは3人の2回生の部員からだった。
「ぼくたちも3回生になった、学業や就職活動をしなければならない。技を教えることはできるけど、フルタイムのおつき合いはできない。1回生の時に基礎体力をしっかり身につけて2回生になったら技を身につけてタッグマッチができるようになってほしい。われわれは4回生になると部活から離れるが、君たち4人はできるだけ3回生の終わりまで部活を続けて、リングで闘ったり後進の指導にあたってくれ」
体力づくりのためにとサークル活動を始めた大川だったが、毎日スクワットとロードワークをしていると面白いほど体力が身につき夏休みにはワンダーフォーゲル部から誘われて槍・穂高岳縦走をしたが、高山病にかかった部員の荷物を運べるほどの並外れた体力があったのでワンダーフォーゲル部の部員たちは驚いていた。2回生になると先輩から技の指導を受けたが、ストリートファイトのようなパンチや急所を直撃するキックや頭部に強いダメージを与える投げ技や骨折の恐れがある関節技は厳禁との説明をうけた。それでもドロップキック、フライング・クロス・チョップ、ブレーンバスター、パイルドライバー、バックドロップ、ジャーマン・スープレックスホールド、逆エビ固め、サソリ固め、トップロープからのダイビング・ヘッドバット、エルボードロップなどのプロレスの華麗な技は必須科目と考えて、大川は熱心に習得に励んだ。3回生の時には大川も何度か校内にあるリングでタッグ戦を経験したが、大川は華麗な技で観客を楽しませた。4回生になると大川も就職活動を始めたが、社会人になる直前までスクワットとロードワークは日課として続けた。
<大学生の頃は毎日スクワットを4千回していたのだが、こんなことになったのは情ない。公衆トイレを借りた後で鴨川まで下りて足を伸ばしてちょっと休むとしよう。こういう時のために古新聞を持って来たんだ>
そう呟きながら大川は公衆トイレの方へ進んで行ったが、突然カメラのフラッシュライトに10倍もあるような閃光が辺りを照らしたかと思うとしばらくして男女の囁くような声が聞こえた。
大川はしばらくふたりの会話に耳を傾けていたが、男女は主従関係のようであり高貴な女性が召使に話し掛けているという印象だった。ただ明らかに日本語ではなく英語でもドイツ語、フランス語でもなかったので、大川にはふたりが何を話しているかは全然わからなかった。
ときどき近くの道路を通る車のライトがふたりを照らしたが、冬というのにふたりは薄い生地の服を身につけているだけで、男の方は袖と襟のないジャケットを羽織っているだけで上半身は裸に近かった。女性の方も服はわずかだったが、高貴な人らしく装飾品はたくさん身に纏っていた。
ふたりはしばらく移動の衝撃で放心状態のようだったが、しばらくすると落ち着いて辺りの様子を見ることができるようになったようで、闇の中で時々車のライトが照らされた大川の姿に興味を持つようになった。
そうは言っても、大川とふたりの異国の民の間で交わす言葉がなく大川はしばし途方に暮れた。女性の様子がアラビアンナイトの世界からやって来た王妃というイメージだったので、オープン・セサミと言ってみたが、すぐにこれは英語だなと言って苦笑いをするだけだった。
ふたりはしばらくの間話し合っていたが、主人である女性の方が方針を決めたようで召使を横にやって大川に身振り手振りで話し掛けてきた。大川はその女性が話す言葉はまったく理解できなかったが、身振り手振りが適切で笑顔で話したのでほんの少しであったが大川の前に突然現れた事情は理解できた。女性は何百年も前のアラビアの平原地帯の王妃とのことだった。
アラビアンナイトのアイテム、空飛ぶ絨毯、魔法のランプも見せてくれて、空飛ぶ絨毯の右前方に魔法のランプを取りつけるとタイムマシンとなって時空を駆けることができるとのことだった。また魔法のランプの主人は色々と魔法を使えるが、空飛ぶ絨毯の定員が2名なので王妃の身の回りの世話をしてくれる召使とふたりでやって来た、魔法が使える召使は後程現れるとのことだった。
大川が時計を見ると午前4時だった。午前7時までは闇がふたりを隠してくれるとは言え、お祭りでもない限り出会わないような衣装なのでこのままここにいるというわけには行かなかった。また風がないのは幸いだったが、零度近い気温はふたりには未知の体験で最初は気丈に耐えていたが、召使が先に悲鳴を上げた。大川は善人だったので、たとえ異国の面識のないふたりだとしても、何もしないで通り過ぎるということは考えられなかった。
それからすぐに第2の閃光が起った。閃光は先程より大きなものだった。そうしてそこに現れた人物もふたりより体格がよかった。その人物は同じ乗り物から降りると王妃に話し掛けた。大川には何を話しているのかわからなかったが、王妃が大川に対して良い印象を持っていることは何となくわかった。王妃の召使のようだったが、王妃と一緒に来た召使と違って特殊な能力を持っているように見えた。というのも乗用車ほどの大きさのタイムマシンを懐から取り出した袋に収納したからだった。その後その魔法が使える召使も王妃と同様に身振り手振りで自分の意志を伝えようとした。そうして大川が、
「こんにちは、ご機嫌いかが、今日は良い天気ですね」
と言うとふたりは、
「こんにちは、ご機嫌いかが、今日は良い天気ですね」
と声を揃えて正確な発音で話した。
「へーえ、繰り返しただけだけど、発音は変わらない」
「へーえ、繰り返しただけだけど、発音は変わらない」
大川はこのままでは先に進まないと考えて、再び身振り手振りで自分の意志を伝えることにした。まずこのままここにいては警察に保護されて自由に動けなくなることを伝えようとして、この状況を表現するために両手で辺りの状況を示して見せてから両手でそれを軽くなでるようにした。それから右手で月を指差しそれから下へと移動させ時間の経過を連想させた。そうして2、3度頷いてから両手が縄で縛られているような仕草をして見せた。ふたりはそれを見て慌てた様子だったが、しばらくすると王妃は大川を指差し笑顔を見せ、ここからどこかへ連れて行くよう頼んだ。大川は意志が伝わったことを喜んだが、新たな問題が浮かんだ。
このままでは電車に乗られない。自分の家には連れて行けない。
そこで大川が最初に考えたのが、魔法のランプに2人の召使を収納して王妃とふたりで電車に乗ることだった。多少派手な衣装であっても女性がひとりだけなら深夜の電車であるしとやかく言われないだろうと考えたが、派手な衣装が三人となっては駅員さんも許してくれないだろう。それで魔法のランプを指差して召使ふたりを収納できるか尋ねたが、魔法使いだけを収納できるワンルーム構造とのことだった。魔法使いは王妃からの指示があるまでは、ランプの中に隠れていることになった。
大川は大学生になって読み始めたディケンズの小説が行き詰った時にヒントを与えてくれたということがしばしばあったので、この窮地に参考になることがないかと考えてみた。
<とにかくこの異国風の装束の三人をどこかに連れて行くしかない。でも電車やバスに乗せるわけに行かないし・・・そうだ、幼少の頃にデイヴィッド(『デイヴィッド・コパフィールド』の主人公)も行き詰ったことがあったっけ。その時彼は一大決心をして面識のない父方の大叔母(祖母)を遠路はるばる訪ねたんだったが、何日もかかって苦労して埃まみれになりながらも大叔母の家まで辿り着くことができた。大叔母は幼いデイヴィッドのためにいろんな援助をしてくれたので、デイヴィッドは無事成人して法律事務所で働くことになった。そういう頼れる親戚というのがぼくにもいるのを思い出した。2年前父の葬儀の際に、疎遠になっている親戚が参列していてぼくの父親に妹がいることを知った。京都市の北部でひとり暮らしをしていて、確かお店の名前が「コケコッコ」と言う名前で、雑貨店をしていると言っていた。北山通りにあると言っていたから、大晦日の無礼講が続いている一団のふりをして探してみることにしよう。王妃に説明が必要だな>
大川ははるばる16世紀の世界からやって来た王妃に、今いるところに留まることはできない。もっと居心地が良いところへ移動しようということを身振り手振りで伝えた。大川に好感を持っているふたりは笑顔を見せた。そうして大川が鴨川べりを北山通りに向って歩き始めると、ふたりも大川に続いた。
三人で鴨川べりを歩いていると、大川はふたりが何も持っていないことに気付いた。
<空飛ぶ絨毯や魔法のランプは置いて来たのかな。帰る時にいるんじゃないのかな>
大川がしきりに今までいた場所を見ているのにふたりは気付いて、召使が懐から台付き袱紗のようなものを取り出し、4つの三角形を順にめくって見せた。
<おお、これは駄菓子のおまけのようだが、さっきの空飛ぶ絨毯と魔法のランプのミニチュアだぞ。きっと必要な時に元の大きさに戻せるのだろう。魔法が使える召使は今ランプの中にいるのかしら>
大川が魔法使いは中にいるのか身振り手振りで尋ねると、王妃と召使は笑顔を見せながら頷いた。
北山通りに着く頃には辺りは白んで来ていたが、人通りはなかった。三人はとりあえず北側の歩道を東へと歩くことにした。しばらく行くと「コケコッコ」という雑貨店があった。大川は金物屋のような雑貨店を想像していたが、古びたコンクリートの打ちっぱなしの店は他の店に引けを取らない立派な作りだった。通りに面してショウウインドウがあり中には世界中の民芸品が数多く陳列されていた。大川は、買い付けのために世界中に出掛けているんだな、これはもしかしたらうまくいくかなと呟いた。店が1階で2階と3階は住居となっているようだったので、大川は裏に回って階段を上り呼び鈴を鳴らした。後ろを見ると王妃と召使がついて来ていた。大川は耳を欹てて物音に耳を澄ませた、しばらくすると施錠を解く音がしてドアが開いた。五十才くらいの女性が現れて、怒った口調で話し始めた。
「正月のこんな朝早くに何の用なの」
「朝早くにすみません。わたしはあなたの兄の息子です。実は昨年の父親の葬儀の際にあなたのお話を聞いたもので、お力を貸していただけないかと・・・」
「それで元日の早朝に来たの。前もって連絡するとか、もっと礼儀というものを考えないといけないと思うわ。あなた何才なの」
「すみません、いろいろ事情がありまして、突然の訪問になってしまいました」
後ろで東洋風の衣装を着たふたりが大川と同じように手を合わせてすまなさそうな顔をしたので、雑貨店の店主はぷっと吹き出した。
おばは近所の人と会話をするようにふたりに話し始めた。大川はあんぐりと口を開いてそれを見ていたが、特に支障なく話す様子を見て大川は思わずおばに尋ねた。
「おばさんが以前外国で暮らしたことがあると聞いているんですが、それはずっと以前のアラビアだったんですか」
「ふふふ、そうね、20世紀の日本で教育を受けたわたしが大昔のアラビアからやって来た人と話ができるのを不思議に思うかもしれないわね。でもアラビア語はマホメット(ムハンマド)が生前に残したと言われるイスラム教の聖典コーラン(クルアーン)に書かれた言語からあまり変わっていないのよ。というのは大きく変わってしまうと信者(ムスリム)さんたちへの普及が難しくなるから」
「それにしてもすらすら話せるのに驚きました」
「まあ、中東を半年ほどヒッチハイクで旅行したお陰かもしれないわ」
それからしばらく身振り手振りを交えてのおばと王妃の会話が続いたが、10分程して会話が途切れると大川は今までの経緯を説明した。
「大晦日の夜にいくつかの神社を参拝したのですが、1時間ほど前にこの方たちが突然わたしの前に現れたのです。途方に暮れていらしたので置いて行くわけにいかず、わたしが何とかしようと思ったのです。でもこの格好では電車に乗せて家まで帰るわけにいかず、どうしようかと思っていたところ、京都市内におばさんがおられることを思い出したのです」
最初と違っておばは笑顔を見せたが、話の内容はシビアなものだった。
「あなたの願いは何なの。この人たちを雇ってほしいと言うんだったら、正月明けにでも店頭で働いてもらうけど。これからずっとここで生活するとなるといろいろ問題が出てくるわね」
「と言いますと」
「わたし、さっき言ったけど、学生の時に友人と一緒に中東諸国をヒッチハイクで旅したことがあるの。大学でアラビア語を習っていたから、この女性が話すことの少しはわかるわ。どうもむこうでの暮らしに満足できないため、未来にやって来たみたい。魔法使いのアイテムにタイムマシンがあったのは知らなかったけれど、タイムマシンでここに来たみたい。しばらくはここにいたいと言っているから、ここで雇ってあげてもいいと思っているの。上手い具合にうちは中東の雑貨を取り扱う店だから」
「そうなんですね、彼らが勤勉でオリジナル製品を考えてくれたら、お店も繁盛しますよね・・・」
「うーん、それは何とも言えないけど、あなたのアパート、多分ワンルーム・マンションだと思うけど、そこに王妃と召使2人を住まわせるのははっきり言って無理じゃないかしら」
「・・・・・・」
「でも、たまたま出会ったとは言え、何百年も前の世界からやって来たお客様をもてないしたいという気持ちもわかるから、ご希望を叶えてあげるわ。あなたはたまにここに来たらいい。王妃は記憶力も向上心もあるようだから、あなたが次にここに来た時には片言で会話が出来るようになっているかもしれないわ」
「そうですよね。ところで召使ふたりはどうなりますか。三人一緒にお願いした方がいいですよね」
「ふふふ、もちろん召使だけをあなたに頼むようなことはしないわ。三人とも家で働いてもらうわ」
「おばさんには他の家族はおられないんですか」
「主人は10年前に交通事故で亡くなったわ。三人くらいなら何とかなるわ」
そうしていただけるなら、きっと三人も安心して暮らせるでしょう、押しつけてしまって申し訳ありません」
「いえいえ、わたしは三人が京都での生活にどう馴染むのか興味津々なの」
「なるほど」
後ろを見ると王妃とふたりの召使が何かを伝えようとしていた。
「あなたが連れて来たことでこの三人は新しい生活が始まることになったわけだけれど、わたしは今までいろいろな人を雇ったことがあるから同じように扱うつもりよ。だから1年ほど雇ってみて使えないようだったらやめてもらうつもり。でも使えるようだったらずっと・・・」
「三人は何を言っているんですか」
「わたしたちに感謝しているようだけど・・・現代日本の労働者の姿を見てすぐに帰りたくなるかもしれないわよ」
大川が心配そうな顔をして三人を見るとおばは言った。
「ふふふ、まあ1年間は責任を持ってわたしが三人を教育するつもりだけれど、もしかしたら1年も経たないうちにお店を持って独立したり他の仕事を始めたりするかもよ」
大川はおばに礼を言ってから、3ヶ月したらまた来ますと言って、日の出から時間が経過して明るくなった北山通りを歩いて地下鉄の駅に向った。
3ヶ月後、大川は正午過ぎにおばの雑貨店を訪ねた。お昼休みの時間帯なら手が空いているかなと大川は思っていたが、店内は多くの人で賑わっていた。大川が最も驚いたのは召使ふたりが片言で接客していることで、王妃は店頭に出ず事務所で事務仕事をしているようだった。おばは性格が変わったように明るくなり、優しいまなざしで召使ふたりを見ていた。おばは大川がやって来たことに気付き、お母さんはお元気なのと声を掛けた。
「ええ、今日おばさんのところへ行くと言ったら、よろしく言っといてと言われました」
「三人のこと、お母さんに言ってる」
「いいえ、説明のしようがないですし。おばさんはご近所の人に彼らのことをどう説明しているんです」
「知り合いのアラビア人が同居するようになったからとだけ言っているわ」
「それで問題は起きないですか」
「昔だったら、そうは行かないでしょうけれど、最近は近所付き合いも希薄になったし・・・でも・・・」
「何かありますか」
「王妃はちょっと店に出せないわね」
「それはどうしてですか」
「だってあのエキゾチックな雰囲気、美貌に魅せられる男性が多くて困っているの。最初は召使の人と一緒にお店に出ていたんだけど、そうするといっぱい人がやって来るから」
「それで彼女は事務所にいるんですね」
大川が来ているのに気付いて、ふたりの召使がやって来た。
「オカワサン、ホントニアリガトゴザンシタ」
「オカワサン、オニキマス」
「まだまだ覚えないといけないことはたくさんあるけれど、日常会話の簡単なものはできるのよ。お使いにも行ってくれるし」
「そうなんですね、君たちも頑張ってね。ところで王妃に会えますか」
「もちろん、王妃もお待ちかねよ。彼女はあなたのことを恩人と思っているわ。あなたがわたしのところへ案内してくれなかったら、どうなっていたかと思うんですと言っているわ」
商品を陳列している部屋の一番奥にドアがあって大川がそれを開けると王妃がいた。王妃は大川に気付くと、微笑んでお辞儀をした。大川は笑顔で応えた。
「命の恩人が来たわよ」
「お、おばさん、それは大袈裟でしょう」
「そんなことないわよ。ねえ、あなたいつも哲ちゃんのこと恩人って言っているわね」
「オカワさん、わたし、あなたのことオンジンだと思っています。新しい世界での暮らしをカノウにしてくださいました」
「さすが、語学の習得が早いね」
「いいえ、すべておばさんのお陰です」
「ふふふ、わたしが言わせたんじゃないわよ。でも三人とも優秀で特に王妃、わたしはプリコちゃんと呼んでいるわ、は上達が早かったわ」
「他のふたりの名前もあるんですか」
「もちろん、召使はめーちゃん、魔法使いはまーちゃんと言っているわ」
「仕事から取ったんですね」
「そうそう、それから彼らの持ち物の保管は自分でしてもらっているの。だって魔法の絨毯や魔法のランプが使えても目立ってしょうがないだけだから」
「そうですよね、魔法の絨毯で空が飛べて新幹線で行くより早く行けるとしても、見つからないようにどこを飛ぶか考えないといけないですね」
「魔法のランプから身長2メートルのマッチョな魔法使いが出て来ても特に頼みたいことはないし」
「そう言ってしまうと身も蓋もない気がしますが・・・ところで彼らがタイムマシンで20世紀の日本にやって来た理由はわかりましたか」
「それはね、第1発見者のあなたを差し置いて訊くべきではないと思って、王妃、プリコちゃんには尋ねなかったの。日本語の勉強中だったし、でも今ならボキャブラリーも増えたしきちんと説明できると思うわ。ねえ、プリコちゃん」
おばが王妃に説明を求めると王妃はそれまでと違って真剣な表情で話し始めた。
「おお、お気遣いいただいてありがとうございました。実はわたしたちは西暦で言うと16世紀の人間です。その当時は今で言うパックツアーが花盛りの頃で、20世紀の日本というのも人気商品でした」
「へえ、当時の科学技術でタイムマシンを作ることは可能だったんですね」
「そう、時の断層に入ることができれば可能です。でも守らなければならないことがありました。ツアーに参加した人は自分たちの痕跡を消して16世紀の祖国に戻るか、ツアーに行った先でそこの人の暮らしに溶け込むかでした」
「それってどういうことなの。もう少し詳しく話して」
「冷静に考えていただくとわかると思うのですが、16世紀の人間が20世紀にやって来て騒動を起こすわけにはいかないということです。歴史が覆る恐れもありますし」
「そう、そうよね。何かの間違いで歴史上の偉大な人物が事故で亡くなったりしたら、その子孫は存在できなくなるわね」
「それなら未来は大丈夫なのかな」
「いいえ、違います。わかりやすい表現をしますと、時代の流れは帯の経糸それから人と人との交流は横糸と考えていただくのがいいと思います。横糸は隣り合わせる横糸と密接で切っても切れない関係にありますから断ち切られたり、差し込まれたりすると支障が出て来ます」
「まあ、理論上はそうかもしれないけど、よくあることじゃないの」
「おお、そういう考えをしてはいけません。歴史は無闇にイレギュラーな事象を差し入れて綻びを作ってはいけないのです。神聖で侵してはならないものです」
「でもあなたたちのツワーはそれに触れないの」
「祖国に戻るか、行った先で溶け込むかしさえすれば問題は起こりません」
「それで、あなた、王妃なんでしょ。おつき合いのある男性があなたを追ってタイムマシンでやって来るとかの心配はないの」
「それはありうることです。でも仮に彼らが来るとしても召使を連れてでしょう。ふたりきりになることはありません」
「40人の盗賊や100人の軍隊を連れて行くことはできないの」
「わたしたちの乗り物、こちらではタイムマシンと言うのですか、は二人乗りです。他の時代に行くためには時の断層をくぐらなければ行けません。多くの人で出掛けるとか、ツアー以外の目的、例えば逃げ出した人を追いかけるとかで時の断層をくぐったという話は聞いたことがありません」
「きっと細かいところに拘らないんじゃないのかな。ただ歴史が変わらないように遵守しないといけない規則を作って、それを必ず守るようにした」
「守らなければならない規則ですか」
「そう、『ツアーに参加した人は自分たちの痕跡を消して16世紀の祖国に戻るか、ツアーに行った先でそこの人の暮らしに溶け込むか』が大原則ということだから、そのためには過去の人間が未来に来た証拠を残さない、20世紀に生きている人間と諍いを起こさないで仲良くなるということになるでしょ。昔は大らかだったし小さなことを守らないからと言って罰が課されるということもなかった」
王妃は話の内容が理解しにくくなったようで困った顔をしていたが、輝くような明るい笑顔を見せると話題を変えた。
「わからないことがあるのですが、尋ねてもよろしいですか」
大川は面と向かって美しい王妃が尋ねたので、どぎまぎした。
「何かしら、ぼくたちわざわざ断って話をしなければならないほど堅苦しい間柄ではないと思うけど」
「それでは話しますが、さっきお話に出た決定が半年経ってからということになっています。今で丁度半分ということになります。この調子で3ヶ月ここにご厄介になれば生活ができるようになるかもしれませんが、ご迷惑ではありませんか」
王妃の話を聞くと、おばはやさしい笑顔になって答えた。
「あなたのお話を聞くとややこしい話はないように思えるし、お仕事も真面目に取り組んでくれるから、あなたもめーちゃんもまーちゃんもしばらくここで雇うつもりよ」
それを聞いた三人は手を取り合って喜んだ。
大川は三人の顔を見たらすぐに帰るつもりでいたが、おばが昼食を外で食べましょうと言ったのでふたりはしばらくして外出した。北大路通りをしばらく歩くと瀟洒なレストランがあったので、ふたりはそこへ入った。
「すみません、いろいろ、ご迷惑おかけしています」
「あなたが謝ることじゃないわ。でもわたしが彼らの面倒を一生見るわけには行かないから、どこかで彼らとの別れがやって来る・・・それよりわたしが心配なのは、思わぬことが起こって彼らが秘めているパワーを発揮して誰かを助ける。それで助けられた人はよかったということになるけれど、規則によって彼らは元の世界に帰らないといけなくなり、わたしたちの記憶からもなくなるということが起きるんじゃないかと思うの。もしかしたら、その方がお互いにとってはいいのかもしれないけど・・・あら、どうしたの」
おばがレストランの入口の方を見ると、召使が息せき切って飛び込んで来た。召使は一所懸命状況の説明をしようとしたが、身振り手振りだけでは大川とおばに伝わらず、結局、食事を途中でやめて店に戻ることになった。
「おばさんは、よくこの人たちと一緒に暮らしておられますね」
「でもよく考えてみて、大概の動作は身振り手振りで伝わるし、物はいちいち名前を覚える必要はなくて指で示してこれで伝わる。お互いに相手のことを理解したいという気持ちがあれば時間はかかるけど自分が思っていることを伝えることはできるものなの。根気よくそれをしていたら、三人の信頼を得ることが出来て店で働いてもらえるようになったの。さあ、プリコちゃん、どうしたの」
「困ったことが起きました。魔法使いがホームシックにかかったのです。それでさっきからおいおい泣いています」
「まーちゃんはどこにいるの」
魔法使いは事務所の椅子に腰掛けて大川たちの方を見ていた。顔中涙で濡れていた。
「みなさん、いろいろお世話になっていますが、やはりわたしはここの暮らしに向いていません。わたしには妻と子供がいるのです」
「でもあなたたちはわたしの召使なんだから、言うことを聞いてもらわないと」
「ホームドラマのような展開なんですが、ぼくはどうしたらいいですか」
大川は当惑しておばに話し掛けた。
「あなたも三人の話を聞いてあげたらいいわ。お店は店員さんに任せて、わたしも一緒に話を聞くわ」
おばは三人に対峙すると、時間はたっぷりあるからゆっくり話してちょうだいと言って微笑みかけた。最初に話したのは王妃だった。
「わたしたちの国のきまりでは王妃に絶対服従となっています。今回のツアーもわたしの命令でふたりの召使が同行しました。もし王妃がその土地を気に入って元の世界に戻らないと決めれば一緒に来た召使もその土地で骨を埋めることになります。ところで話は変わりますが、ここに住ませてもらうようになって召使たちは暇があったらテレビをみています。ドラマの影響からふたりは自分たちの家族のことに思いを馳せるようになりました。妻は元気にしているだろうか。子供は学校に行っているかなど心配し出しました。今までは王妃に絶対服従だったのに今では家のことばかり考えています」
「困ったわね。わたし、この人たちを現代社会に適合させることはできると思っているけど、それだけでは済まないみたい。こういう王妃の夢と部下の家族愛がこんがらがったような難しい問題解決は苦手だわ。プリコちゃんを絶てればマーちゃんがホームシックになってしまう。原因となったテレビを見ないでとは言えないし・・・こんな時は」
おばはまゆに右手を翳しながら何かを思い出そうとしているのを見て、大川は静かにおばの話が続けられるのを待った。
王妃が心配そうに魔法使いを見ていたが、魔法使いは自分の妻子のことしか頭にないようだった。
おばはようやく昔のことを思い出して明るい顔になった。
「そうだわ、わたしが幼少の頃に深泥池の近くに定年退職したばかりのおじさんがいて、わからないことがあったら何でも相談に乗るよーって言っていたんでよく相談に行ったわ」
「どのくらい前の話ですか」
「今から40年くらい前かしら」
「ということはその時そのおじさんが55才だったとして、ご健在だったら95才になりますね。お元気にされているんでしょうか」
「さあ、それはわからないけど、わたしたちの話し合いではとても解決できそうにないわ。そのおじさんならなんとかしてくれると思うの」
「ところでおばさんがその人に相談して問題が解決したことはあるんですか」
「ないわ。でも何かやってくれそうという期待感があるから、会ってみるだけでもいいんじゃないかしら」
「・・・・・・」