大川とおばは店員に店のことを頼んで、深泥池へと向った。40年前そのおじさんは深泥池そばの文化住宅に住んでいたので、そこを目指してふたりは歩いた。北山のおばの店から鞍馬街道に出て北に向えば深泥池に行けたが、そこからおじさんの家を探すのに手間取った。しかし深泥池はそれほど大きな池ではないので、しばらく周囲を時計方向に歩くとおじさんが住んでいた文化住宅は見つかった。数年前に廃屋になったようで、文化住宅の周りには雑草が茂っていた。近くに家がなくふたりが困っていると、犬を連れた70代くらいの女性が通りかかった。大川はその女性の側に行って声を掛けた。
「すみません、ちょっとお伺いしたいのですが」
「なあに、わたしでわかることかしら」
「ここに住んでおられた男性に用事があるんですが、どこに転居されたかご存じないですか」
「わたしもここに長く住んでいるけど、ここにどんな人が住んでいたかはわからないわ。和菓子屋さんのご主人はわたしより前からここに住んでいるし、いろんな情報を耳にするようだから尋ねてみたらどうかしら」
「ありがとうございました。行ってみます」
和菓子屋に入ると、店主らしい年配の男性がショウケースの向こうにいて、にこにこ笑っていた。
「豆餅と栗餅と田舎饅頭と三色団子をください」
「はいはい、1,160円になります」
おばは和菓子を鞄に入れると世間話を始めた。
「わたしは北山に住んで40年近くになるのですが、お店がいっぱいできてすっかり様変わりしました。この辺りはどうですか」
「深泥池はもとはきれいな池やった。わしがちっこかった頃は水が澄んでいて、冬場は底の地面まで見えたもんやった。それが道路が出来て車が行き交うようになったら、水質が悪くなって泥の池のようになってしもうた。6年前にジュンサイが育ったと新聞に出たが、今はご覧の通り水質は良くないわ。水質が悪くなると近所の人は興味を持たんようになったんやけど、貴重な動植物が見られる言うて今でもよく先生や学生が来て調査してはるよ」
「住民の人はどうですか」
「はあ」
店主はおばさんは言った言葉が聞き取れなかったようで、両耳の後ろに手を持って行き手のひらをおばの方に向けて、もういっぺん話してと促した。
「こちらには長く住んでおられるんですね」
「そうやで」
「それじゃあ、今から40年ほど前に『わからんことがあったら、なんでも相談に乗るよー』と言っていた50代のおじさんがいたのですが、ご存じではないですか」
「うーん、その人のことはこの辺りで有名でわしも何度か相談に乗ってもらったことがある。さて、あの人、今どうしているのかな」
「その時は元気にされていたのですか」
「そら、まー元気な人で毎日深泥池の周辺を20キロ走っとったで」
「今はどうされているんでしょうか」
「ちょっと待ってや」
大川とおばは店主が店の奥に入っていくのを見て話し始めた。
「実在の人物だったんですね。今も元気にされているようですし、店主の方もよく相談したと言われるくらいだから、おばさんの情報に間違いはないですね」
「身長が180センチくらいで体重が50キロくらいかな。とにかく並外れた身体能力がある人だったから、今でも元気にされているんじゃないかしら」
ふたりの期待感が高まったところに店主が戻って来た。
「やー、お待っとうさんでした。そのおじさんは今もご健在で元気にしてはるみたいや。地図を書いてあげるから、訪ねていったら」
「お手数おかけしますが、よろしくお願いします」
大川とおばはしばらく歩道がある側を歩かず、歩道がない側の道の隅っこを歩いた。バス停があったので、そこから深泥池を見渡した。
「この前は草木が生い茂っているので、水はないのかな。和菓子屋さんの前の辺りだと水深3メートルくらいありそうですね」
「いいえ、この池の水深はもっとあったなずだわ。でも今は泥が堆積して2メートルくらいになったらしいわ」
「普通の池ならこんなに植物が生い茂ることはないんで、何か超自然の力が・・・」
「いろんな話を聞くけど自分で体験したわけではないから何とも言えないわ・・・そう言えば、この辺りには神秘的な雰囲気が確かにあるわね」
「おばさんはその仙人のようなおじさんに何を期待しているのですか」
「相談に乗ってもらって、みんなが満足する解決をしてもらえたらいいと思っているけど」
「そうですよね、王妃も召使も魔法使いもそれからおばさんも」
「それからあなたも」
「どんな解決方法がありますか」
「プリコちゃんはここに留まりたい。めーちゃんは今のところ意志を表明していないから何とも言えない。まーちゃんはホームシックになってお家に帰りたいと言っている。王妃に絶対服従しないといけないけど、召使と魔法使いに言い分はある。それよりもっと大変なのは彼らが時空を超えて、16世紀の中東のある国からやって来た人ってこと。だからまかり間違えば歴史の辻褄が合わなくなって大混乱が起きる可能性がある」
「そうですよね、そんな困ったことが起きるかもしれないんですよね」
ふと大川が池の方を見ると老人が大川の方を見て腕を振っていた。大川は、池には立入禁止のはずなんだが、それに地面の上に立っているように見えると思っていると老人はトランポリンの試技のようにそこで2回軽くジャンプしたかと思うと3回目には3メートルほど跳び上がり前転宙返りをしておばの後ろに静かに着地した。
その若返りの老人が後ろにいるのに気付いたおばは普段と変わらない口調で話した。
「おじさん、相変わらずね」
「久しぶりじゃのう。お前さんの度胸が座っているのも変わらんな」
大川はふたりの会話が20年来の知古同士の会話のようだったので尋ねてみた。
「あのお、この方はおばさんのお知り合いなんですか」
「そんなところね」
「君はみっちゃんと知り合いのようだが・・・」
「最近になっておばさんと親戚であることがわかったのです。それまでのことは知りません。以前におふたりは親交があったのですか」
詳細はわたしから話すわと言ったので、老人は、そうじゃの、それがええよと言った。
「わたしが深泥池の近くに住んでいたのは、幼稚園の頃から小学4年生までなの。ここに引っ越して来て、ウキウキした気分で散歩に出たんだけど深泥池の傍まで来ると、おーい、おーいと男性の声が聞こえたの」
「そうじゃった、そうじゃった」
老人はぼんやり深泥池を眺めて、昔あった楽しかったことを思い出しているようだった。
「それでわたしは辺りを見回したけどどこにも人影がない。引っ越しの前にこの辺りで幽霊が出るって話を聞いていたから、思わず叫びそうになったけど」
「どうされたんですか」
「落ち着くのよと自分に言い聞かせて、どちらから聞こえて来るか耳を済ませたの」
「で、どちらにいらしたんですか」
「池の中よ。まるでお風呂に入るように浸かっていたわ」
「そうじゃ、あの時わしは沐浴をしとったんじゃった」
「その後何かを話したと思うんだけど、遠い昔のことだから覚えていないの。多分、近所に引っ越して来たのかとか聞いてくれたんだったと思う。おじさんが、何かあったらわしを呼びなさいと言ってくれたんで、ガラの悪い男の子に絡まれた時に幾度か助けてもらったわ」
「ち、ちょっと待ってください。どうしておばさんが絡まれているとわかったんですか」
「詳しいことは言えないが、わしの耳は地獄耳と言われていて遠くの叫び声もよく聞こえるんじゃ」
「そんなかっこいいんじゃなくて、わたしが歩いているのを見つけるといつも後ろを追いかけていたのよ」
「・・・・・・」
「まあ、それはそれとしてじゃの、今日は何のようじゃ」
おばは、大川が鴨川べりを歩いていて、中世からのタイムマシンに乗ってやって来た王妃とふたりの下僕と出会ったこと、大川が彼らを助けようとしておばに助けを求めたこと、おばが経営する雑貨店で三人は働いていたが、魔法使いがホームドラマを見ていてホームシックになったという経緯を話して、タイムマシンの乗務員は同じ行動をしなければならず、ここに住みつくか元の世界に戻るかになる。王妃はここに永住したいと考えているが、魔法使いは家族と離れて暮らすことはできないと言っている。魔法使いだけが元の世界に帰ることができないので困っていると説明した。
「そんならわしが代わりに行こうか」
「おじさん、よーく考えて。魔法使いが帰りたいと言っているのだから、おじさんが魔法使いの家に行っても問題は解決しないわ。もちろんおじさんが魔法使いの代わりにここにいるというもの駄目だわ」
「ほんじゃー、タイムマシンを貸してもらって、事務局と掛け合おうか」
「そ、それは今までの決まりを変更するんですから、難しい話し合いになるでしょう。第一彼らの言葉が話せるんですか」
「もちろん」
「そうですか、すごいなー」
「もちろん、身振り手振りになる」
大川は実土櫓老人(おじさんは実土櫓栄志という名前だった)の身体能力に刮目されたため大きな期待をしていたが、話してみると普通の年配の男性だったので失望した。
「おじさん、甥っ子が落胆しているから、希望を持たせてあげて」
「うーん、そおじゃのお、こういう難しい問題はみんなが集まって解決のための話し合いをするのが一番じゃ。みっちゃんは三人と話せるようじゃから、わしの意志も伝わるじゃろ」
「それじゃあ、おじさんの都合がいい時にわたしのところへ訪ねて来てね」
「そうじゃな、あーでもない、こーでもないと熟慮してから訪ねることにしよう。今度の日曜日でどうかな」
実土櫓老人の配慮で、大川、おば、王妃、召使、魔法使いは円山公園で話をすることになった。三月下旬だったが、開花予想通りソメイヨシノがちらほら咲いていた。
「今度の週末だったら、こうしてゆっくり座って話すなんてできなかったでしょうね」
「そうね、年々お花見の時期が早くなっているわね」
「オハナミ?ソレハナンデスカ」
おばは近くにある開花したソメイヨシノの花を指差して、もうしばらくするとここらあたりがこの花でいっぱいになるの。わたしたちはそれを満開というの。満開になると日本人は陽気になって酒を飲んで踊るのよ」
「ドンナオドリデスカ」
「おほん、ここはわしに任せてもらおう」
実土櫓老人はそう言うとトートバッグからヤクルトスワローズのキャップとビニール傘を取り出して、東京音頭を歌い出した。
「さあ、みんなも一緒に歌うんだ。踊り・・・ちょいと・・・なぜ唱和しないのだ」
「六甲おろしなら」まだ理解できるけど・・・でもここはやっぱり演歌がいいんじゃないかしら」
そう言っておばは、「北の宿から」「津軽海峡冬景色」「越冬つばめ」を続けて歌った。
「オウ コレハスバラシイデス」
魔法使いは目尻に涙を溜めて拍手した。
「じゃあ、次はぼくの番ですよ」
そう言って大川は、「大都会」と「あんたのバラード」を情感込めて披露した。
それまで大人しかった王妃がなぜか大きな拍手をした。
「なかなか、やるじゃない」
そうか、次はわしの番じゃなと言って実土櫓老人が、ロック調で「ロコモーション」「ホテル・カリフォルニア」を歌い、「ダニー・ボーイ」をハリー・べラフォンテのようにしっとりと歌うと大きな拍手が起こった。
王妃と召使と魔法使いは経験したことがないことが起きたので驚いたが、周りの穏やかで優しい雰囲気によい印象を持ち自分たちも馴染もうとした。
「ふふ、今までにないことが起きたので、びっくりしたのね。プリコちゃんも何か歌って」
王妃はしばらく迷ってたが、やがて素朴で愛らしい歌を歌い始めた。歌唱は素晴らしくメロディも馴染みやすかったので、周りから口ずさむのが聞こえた。そして歌が終わると大歓声が沸き起こった。
「ありがとうございます」
王妃が丁寧に頭を下げると召使と魔法使いもそれに倣った。
「ところでまーちゃんの悩みのことだけど、プリコちゃんはどう思っているの」
「おばさんに親切にしてもらって、わたしたちはとてもありがたいと思っています。部下のことでご迷惑をお掛けして申し訳ないです」
「お礼や謝罪はいいから、まーちゃんをどうすればいいと思っているの」
「わたしたちは2つの規則をきちんと守ることを求められています。ひとつは行った先で住みつくか、元の世界に帰るかです。もうひとつは下僕は目上のものと行動を共にするということです」
「まーちゃんはひとりで帰りたいと言っているけど、これは規則違反になるの」
「わたし、こわい顔をして規則を守れと言うつもりはありません。でも三人一緒に行動するように決まっているのに、ひとりが掟を破るのは守っている人が馬鹿を見ると思うのです」
「だけど、めーちゃんにも家族があるだろうし離別というのは辛いことよね」
「ダカラコウヘイニシナイトイケナイデスネ」
魔法使いはふたりの会話に割り込んだ。
「でもプリコちゃんの意志は変わらないのね」
「わたしの意志は変わりませんし、決まりは守らないといけないのです」
王妃はしばらく考え込んでいたが、おばを見つめて話を継いだ。
「さっきの風景はとても素敵でした」
「風景?」
「みんなが桜の木の下に集まって楽しく盛り上がる。それは私たちの国で今まで経験したことがなかったことでした。わたしはそういう経験をもっとしたいです」
「そうなのね、じゃあ、実土櫓さん何かご意見ある?」
一瞬の虚を突かれて実土櫓老人はのけぞったが、気を取り直すと笑顔で話し出した
。
「そりゃー、それぞれお国の考えがあって規則が作られる。規則が守られないと為政者はやりにくいじゃろう。枝葉の法なら目を瞑ることもできるじゃろうが、幹となっている法はそうおいそれとは・・・」
「それじゃあ、時間を掛けたらなんとかなるのかしら」
「例えばわしがリーダーとなってみっちゃんが通訳係で、タイムマシンで彼らの国へと出掛けて交渉できるかもしれんが、手続きで時間が掛かりしかも思うような結果が出ないということもありうる」
「王様の鶴の一声で、それでいいよとならないのかな」
「まあ、それは難しいだろう。それよりわけのわからないのが来たと言って牢屋に入れられるかもしれない。非常にリスクの高い交渉と言える。かと言って規則を守らないで魔法使いだけが国に帰ると、他のふたりはどうしたのかということになる」
「ここに来るかしら」
「そうなるじゃろう。そうして王妃と召使も元の世界に連れて帰られるということになる」
「ここに居たいと言っても駄目なのかしら」
「例外を認めると大混乱になると言って、こちらの言い分は聞かないだろう。わしはその点については勝ち目がないと思っている」
実土櫓老人が心配顔で話すので、王妃、召使、魔法使いに落胆の表情が現れた。おばは、そろそろお開きにしましょうと言って帰り支度を始めた。
「まーちゃんの意志は固いのかな」
大川は諦め切れない様子でぼそっと言った。
「ワタシ、ジョウオウノキモチワカリマス。デスガ、3サイノムスコニナニモシテヤレナイノハツライデス。ベツベツノクラシガイツマデモツヅクナラ、オヤトハイエマセン」
「そうよねえ、王妃、召使と三人でこれからずっとここにいないといけないとなると自分の子供をかまってやれないというだけでなく、永遠に生き別れになってしまうということになるわね」
「こんなことは誰も訊かないからわしが言うのだが、王妃がどこかの時点で元の世界に帰るかここに留まるかを選ぶことになると思うが、そのタイムリミットはあるのかな」
「半年と決められています」
「プリコちゃんはいつまでもここで暮らしたいわよね。お国に帰っても楽しいことはないし」
「国王が亡くなり、夫になってくれる人を選ぶことになりました。国で決められた人を伴侶にするより、自分で選んだ人と一緒に暮らしたいと申し入れたところ認められました。それで伴侶を探すためにタイムマシンに乗りました。最初はもっと科学技術が発達している世界に行くつもりでした」
「ところがタイムマシンが暴走して、20世紀の日本に来たってことね」
「ソウデス、モットミライニイッテイレバ、モンダイハオコラナカッタトオモイマス」
「でもあなたたちが来たのは遠い未来ではないから、どうするか考えないとね。王妃の目的は婿探しということだけれど、それはその時代の人をさらっていくということかな」
「そうとも言えます。もちろん本人や家族には同意を得ますが、行ったきりで帰れません」
「例えば大川君が王妃の伴侶になったとしたら、ここには戻って来られなくなるということか」
「わたし、オカワさんのこと大好きです。テレビのドラマを見ていると日本では冒険より家族や仲間で楽しく過ごすことの方が優先されているということがわかりました。そんな日本のこともわたしは大好きです。わたしのわがままが許されるなら、オカワさんとここで暮らすのが一番良いということになります」
おばは大川を見て言った。
「あなたはプリコちゃんのことをどう思っているの」
「おばさんが学生時代にヒッチハイクで中東を旅行したり今では中東の国に買い付けに行かれるように、ぼくも中東の国の文化や生活に興味はあります。でもそれが一生と言うことになると・・・」
「大川君の気持ちはよくわかる。王妃が世話してくれるとは言え、全く経験したことがないような環境の中で毎日が過ぎていく。来るんじゃなかったと後悔しても、後の祭りだ。ここはふたりでだけで話し合ってどうするか決めるのがいいと思う。「みっちゃん、どう思う」
「そうね、それが一番いいわ。あなたのことをプリコちゃんは慕っているようだし、あなたさえ王妃の伴侶となるつもりなら話し合うのがいいわ」
大川と王妃は次の日曜日の午後に京都府立植物園を散策しながら将来のことについて意見を出し合うことになった。
次の日曜日に大川と王妃は京都府立植物園の入口前で待ち合わせた。先に来たのは大川だったが、それから10分もしないうちに王妃がやって来た。
「やあ、今日は時間を取ってくれてありがとう。先にお願いがあるんだけれど」
「なんですか」
「王妃と呼ぶのも変だから、おばが呼ぶように、プリコさんと呼んでいいかな」
「ええ。じゃあ、わたしもオカワさんと呼んでいいかしら」
「もちろんだよ。今から植物園に入るけど、ここに来たことはあるの」
「ええ、おばさんが何度かわたしたち三人をここに連れて来てくださったの」
「やっぱり、花はいいよね。心惹かれるから。百貨店や文化施設に行っても興味がわかないだろうしね」
「わたし、きれいな花を見るのが好きです。でも装飾品や宝石にも興味があるんです。家電と呼ばれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機、ステレオ、電子レンジなんかも興味があるんです」
「プリコさんは流暢に話せるし、身の回りのことにいろいろ興味を持っているみたいだね。ここは今まで住んでいたところと比べてどうなのかな」
「祖国では王妃だったので、みんながわたしのためにいろいろしてくれました。どこかに出掛けるとなったら、たくさんの人たちが一緒に行きました。自然の中でのんびり一日を過ごすのはとても素敵でした。毎晩、料理人が選りすぐりの料理を調理して、たくさんの人たちとお酒を飲みながら遅い時間まで過ごすのも楽しいものでした。でもおばさんと四人で植物園に来るのも楽しいものです。修学院にある和菓子屋さんでおはぎを購入したりコンビニでサンドイッチを購入して食べるのも楽しいですが、やはり生まれ育った国の料理がいいですね」
「そういう豊かな暮らしを捨てて遠路はるばるやって来たのはなぜなの」
「わたし、16才の時に国王と結婚しましたが、子供は出来ませんでした。しかも王は結婚して10年して亡くなったのです。一度国王と結婚した女は同じ国の別の人と結婚できないというのが国の決まりでした。下僕に声を掛ければ何でもしてもらえる暮らしは理想的なものとオカワさんは考えるかもしれませんが、ひとりでどこかに出掛けるわけにも行かずお城の中でじっとしているのは辛いものでした。わたしの国では発明熱というのがあって、発明で国王から評価されるとその人は左団扇で暮らすことができました」
「左団扇なんて言葉よく覚えたね」
「ああ、それは、召使がしょっちゅう昼寝をするので、おばさんが、めーちゃんは左団扇で暮らしたいんだろうけど、うちは働かざる者食うべからずなのよと咎めていたからなのです」
「そうなんだね、で、タイムマシンもプリコさんの国で発明されたってことなの」
「祖国には不思議な力をもたらすストーンがあってわたしたちの国の発明家の多くはそれを原動力にしていろいろなものを発明しました。時空を飛び越えることができるのもそのストーンのお陰です」
「そのストーンを見たいな」
「ここに持って来ています」
王妃はそう言うと手提げかばんの中から握り拳ほどの大きさの石を取り出した。一見するとグレーと赤が混ざった球体だったが、球体の中で発電しているようで時々小さな黄色い稲光が起こっているように見えた。
「見せて見せて。ふーん、不思議な石だね。これが何台もの大型コンピュータの力を合わせたような力があるのか。それでその力を操作できる人というのがまーちゃんのような魔法使いというわけだ」
「そうです、ですから魔法使いがいないとこの石はただの石ころに過ぎません。でも魔法使いが手にすると無限の力が生じるのです。今のところタイムマシンの動力になっているだけですが、将来発明家がいろんな活用方法を考えることでしょう」
「その石の不思議な力で時価の壁を乗り越えて、自由自在に現在過去未来を行ったり来たりできるわけだね。でもまたなぜ科学者じゃなくて魔法使いがタイムマシンに詳しくて操作することができるのかな」
「わたしたちの国には大きな会社とか役所というものはありません。王様一族とそれに仕える下僕がいるだけです。下僕の中には旅先で変わったものを見つけて、自分で使い道を考えて、驚くような献上品として宮殿に持ち込む人がいます。魔法使いは旅先でストーンを見つけてその活用方法を考え出して、タイムマシンを気軽に使えるようにしたんです」
「「ツアーに参加した人は自分たちの痕跡を消して16世紀の祖国に戻るか、ツアーに行った先でそこの人の暮らしに溶け込むか」が大原則というのを考えたのも魔法使いなのかな」
「それは未来の人から教えてもらったの。タイムマシンで30世紀の世界に行った人がいて、その時代の博士から、大原則を守らないと大変なことになると教えられて、王様に報告したのよ」
ふーん、そうなのと言って大川がストーンを弄んでいると、ストーンはプリズムのような光を放ち始めてそれが四方八方を照らし始めた。
「この妖しい輝きはどう例えたらいいのかな。宝石は美しいけれど、このように内部で自然現象が起こるようなことはない。ストーンの内側に生き物がいるようだ。いや、小さな地球の天変地異と言った方が正確かもしれない。稲妻、火山の噴火、溶岩流、砂嵐、海の嵐がこのストーンの中で起きている。ぼくが経験したことがないようなことがこの中で・・・」
大川がいつまでたってもストーンから目を離さないので、王妃は石の上に手を乗せた。
「この石にはわたしたちが知らないような力が詰まっていると思うわ。でもその力を使えるのは魔法使いだけ。例えば、わたしがタイムマシンを使って未来に行ったりすることはできないの」
王妃がストーンを鞄に戻すと大川は言った。
「仮にまーちゃんだけが国に帰ったらどうなるの」
「もともと三人で行動することになっているから、それはできないわ。ひとりで帰った人がまずお咎めを受けることになるわ。そうして残りふたりを連れて帰るために別の魔法使いがやってくるわ」
「その人たちをみんなで協力して追い返したらどうなるの」
「王妃が決まりを守らないということは最低限守らないといけないことを拒んでいるということになって、わたしがここにいることができたとしても親戚や友人たちに厳しい刑罰が課されることになるわ」
「そうか、自分が追撃をかわせばそれでおしまいということにはならないんだね。そんなに難しい問題があるとは思わなかったよ」
王妃はいつもと違って難しい顔をして考え込んでいる大川を気の毒に思い、笑顔で話し掛けた。
「ここでは仲の良い男女は手を握ると聞いています。オカワさんはわたしの手を握らないのですか」
「そ、それは先にこちらからお願いした方がよかったね。ちょっと寄り道してから帰ろうか」
大川は王妃の手を握りしめ、植物園を出て深泥池へと向った。