大川は大学に入る前に2年間浪人したが、その時に大いなる激励をしてくれたのがプロレス黄金時代のビデオだった。その当時は全日本プロレスと新日本プロレスが競って海外から有名レスラーを迎え入れていた。全日本はザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク)、ニック・ボック・ウィンクル、スタン・ハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアントなどの人気レスラーがいたがそういう中でも一際目立った存在だったのが、マスクマンのミル・マスカラスだった。彼の鍛えられた肉体、リングを目一杯使って繰り出す連続技に大川は魅せられた。マスカラスは全日本プロレスで活躍していたが、同じ時期にジュニアヘビー級のレスラーたちが新日本プロレスで活躍し始めた。彼らの売りはメキシカン・プロレスのような跳び技で、タイガー・マスク、ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、グラン浜田の跳び技は会場をわかせた。大川が特に好きだったのはトペと呼ばれる技で、リングの外に逃げたレスラーにダメージを与えるためにコーナーポストによじ登って相手目掛けて飛び降りる捨て身の技で、自分が運よく大学に入ることが出来たらこれだけはやってみたいと考えたのだった。大川はプロレス愛好会がある大学に無事入学することができたが、トペをすることができるようになったのは卒業の少し前だった。大川はプロレス愛好会の仲間に披露することを考えたが、軽量であっても2メートル以上の高さから全体重を乗せて飛び降りる技に耐えられる大学生はいなかった。
<トペを敢行する喜びがいつか来るだろうとその後もトレーニングを続けてきたが、いよいよそれができる時がやって来たようだぞ>
大川はそんなことを思い出しながら、青年レスラーと組み合った。
大川はすぐに手を解くと、青年レスラーの両脇から手を入れて相手の背中で手を握ってすぐに後ろに投げ飛ばした。相手が腹這いになっているのを見て、それぞれの相手の足にを絡めて両腕を掴んでそのままお尻をついて相手を高く持ち上げた。
「ロメロ・スペシャルが決まった」
実土櫓老人は老人レスラーから大川を守るためにリングに入ったが、レフリーが大川の両肩がマットについていると判断しスリーカウントが入りあえなく一本取られてしまった。王は自分の部下のチームが思わぬ形で一本取ったので、両手、両足を鳴らした。
相手チームは自分たちが一本取ったので右手人差し指を立てて腕を上げていたが、その間に大川は実土櫓老人に耳打ちをした。
「トペをやりたいので、協力してください」
これを聞いて、実土櫓老人は顔をしかめた。
第3ラウンドが始まると大川は一本背負いで相手をマットに仰向けにするとトップロープに登り、エルボードロップを見舞った。大川は実土櫓老人にタッチしたが、実土櫓老人はコーナーポストの天辺に飛び上がるとそこから月面宙返りヘッドバットを試みた。実土櫓老人が蹴りを入れられてもがいていると、タッチして交代した老年レスラーが実土櫓老人の腕を掴んで場外に放り投げた。
日本のプロレスなら場外乱闘で客を楽しませるところだが、相手レスラーはリングの外に出ることもなく実土櫓老人がリングに上がるのを待っていた。
<そうか、場外乱闘は禁止されているんだ。となるとトペは厳禁だから、リング内で跳び技をやりまくるしかないなあ>
実土櫓老人がリングに上がるとすぐに老年レスラーが水平チョップをお見舞いしたが、実土櫓老人はそれをリンボーダンスのようにかわした後で相手をヤシの実割りでリングに仰向けにさせて大川にタッチした。大川はトップロープの最上段の角にひらりと飛び乗り相手が立ち上がるのを見て、ドロップキックを相手の胸板に炸裂させた。すぐに立ち上がらないのを見ると、大川はまたトップロープの最上段に登り今度はダイビングヘッドバットをお見舞いした。そうして足を取って四の字固めをかけた。老人レスラーは両手でマットを叩いてもがいたが、ロープを掴んだら技を解くというルールがないためギリギリまで我慢したが降参した。
大川と実土櫓老人は両手をあげて観衆に応えた。観衆の興奮が収まったところで、大川は語り始めた。
「ここにお集りの皆さんはわたしたちがどういう経緯で王の前で闘うことになったのかお知りになりたいと思います。王の許しが得られれば、説明したいと思います」
王妃が大川の話を翻訳して王に伝えると王は頷いた。
「わたしたちは今から300年ほど未来の極東の国からタイムマシンでやって来ました。ここに来た目的は、王妃との結婚を王に了解していただくためです。王妃がタイムマシンでわたしたちの国に来られた時にいろいろお世話させていただいて、愛を得ることができたのです」
ここでぴぃーっと指笛がなったので、後押しされたように大川は続けた。
「しかしわたしたちふたりにはいくつかの乗り越えないといけない試練が待っていました。まず王妃が生まれた国にどうして行けばいいのか。また行ったとしてもふたりの結婚が許されるのか。そうして結婚したらわたしたちの国で一緒に暮らすことができるのかという問題です。これらの問題解決のために骨を折ってくださったのが、先程、一緒に闘った老人です。彼は高齢であるにもかかわらず、様々な知識を持ってタイムマシンの謎を解明してわたしたちをここへ連れて来てくれました。また格闘技の勝負で勝てば王妃と一緒になれると王からお話をいただき、わたしと一緒に死力を尽くして闘ってくれたのもこの老人です。どうぞみなさんこの実土櫓老人に拍手をお願いします」
そう言って大川が笑顔で拍手して実土櫓老人を讃えると、観衆もそれに倣った。
「実土櫓老人のお力添えで闘いに勝つことができて王の了解を得て王妃とわたしはわたしたちの国に帰って幸せな人生が送れそうですが、最後にひとつ困った問題が残っています。タイムマシンの利用に関する規則が、一緒にやって来た王妃、召使、魔法使いを別々にさせることができないとしています。王妃がわたしたちの国でわたしの嫁として暮らすためには召使、魔法使いもわたしたちの国で暮らすことになりますが、魔法使いはそれを拒んでいます」
宝石で飾られた赤い上着を着た王は王妃が翻訳した大川の話を聞いていたが、話が終わると笑顔で叫んだ。
「ええんとちゃう」
これを聞くと実土櫓老人はすっかり仲良しになった老年レスラーに、なんでなのんとツッコミを入れた。
老年レスラーは身振り手振りで王が発した言葉の意味を伝えたが、それが関西弁が示す意味に近いものだった。老年レスラーによると、王は他の国の興味深い表現を自国の言葉に取り入れるのに積極的で極東の国の言葉を取り入れることがあるとのことだった。何事も中庸と平和主義が大切と王は言っていると老年レスラーは身振り手振りで説明した。
「そうか、それならわれわれは握手をしよう」
実土櫓老人はそう言って、笑顔で老年レスラーに手を差し出した。老年レスラーはその手を握って高く揚げた。大川もそれに倣って青年レスラーの手を握り持ち上げた。そこにいる人は皆、王の次の発言を待っていた。
赤い上着の王は立ち上がり、勇者たちのところへやってきた。勇者たちの顔を見回して、四人と握手をした。また手を持ち上げるのが親睦のしるしと判断したらしくそれぞれの手を順番に高く上げて言った。
「ほんまにようやったね」
大川と実土櫓老人は必死になって笑いが爆発するのを我慢していたが、それが落ち着くと実土櫓老人は老年レスラーに尋ねた。老年レスラーは、君たちの健闘を讃える、希望していることを叶えようと王は言っていると説明した。
「じゃあ、後は大川君が男らしく王に王妃と結婚したいと言って、ここから20世紀の日本に帰る手筈を整えてもらうようお願いすればいいわけだ」
実土櫓老人が明るい笑顔で大川に話し掛けると大川は応えた。
「王妃、ぼくが今から言うことを伝えてもらえるかな。ぼくが王妃と結婚したいということと元の世界に戻りたいということを」
王は王妃の説明をしばらく聞いていたが、笑顔で次のようなことを言った。
われわれは遠路はるばるやって来て、この国の勇者と正々堂々と闘って勝利したことを認める。褒美として王妃を与えよう。ただ三人が同じ行動を取らなくてもよいことを認めるためにはもう一度闘いに勝たねばならない。折角遠くからやって来たのだから、まずはわれわれの歓迎を受けてほしい。次の闘いは明日行うこととする。
「そ、そんなー、それでは約束が違う」
大川がやるせない表情でそういうのを聞くと、赤い上着の王は顔を紅潮させて言った。
「てえぬいたらあかんよ」
「王は何と言っているのですか」
「大切なものを得るためには、いくつかの試練が必要になると言われているわ」
「わしは王が言われる通り、今日は疲れを癒して明日また闘うことにしようと思う。われわれは捕らわれの身となった王妃の救出のために王が与える試練に耐えている状況だ。王妃の問題を平和的に解決するためjには王の気を損ねることはあってはならないと思う」
「あんじょうしたりや
「明日の闘いを楽しみにしているぞ、と王は言っているのですね」
「まあ、大体そんなところね」
そう言って王妃は笑った。
その夜、王の主催で壮大な宴会が催された。山海の珍味が大きなテーブルに置かれ、中央に王が座りその周りに直属の家臣が侍り、王妃、大川、おば、実土櫓老人は王の斜め向かいに座った。準備が整い辺りが静まると赤い上着を着た王は言った。
「おこしやす」
大川と実土櫓老人は爆笑して王の機嫌を損ねては大変と息を止めていたが、次の一言に大川は耐えることができなかった。
「げんきにしてまっか」
大川がプッと吹き出してしまったため王は大川を睨みつけたが、大川がすななそうに頭を下げると王は右手首のリストを効かせて心配するなと大川に伝えた。実土櫓老人は一分間息を止めて込み上げて来る笑いに耐えたが、心配そうに話した。
「わしは酒を飲まないが、山海の珍味を食べてみたい気がする。しかし王の楽しいお話しで過大な反応をしてしまわないか、すごく心配だ。それにしてもよく似た言葉があるものだ」
「そうね、でも真面目な話をしているつもりなのに、話の途中で笑われると気持ちのいいものではないわね」
「だがしかし深夜放送の全盛時代、受けたのはこういうネタだった。性的な表現をする言葉で地口という言葉遊びをするのだ」
「例えば、どんなのがありますか」
「アメリカの有名な歌手で陰部が温かい人は誰かというなぞなぞの答えだが」
「ああそれなら、ポール(一物)がアンカ(行火のようにぽかぽかしている)ですね」
「ピンポーン。こういう性的な言葉は放送コードに抵触する言葉としてあたかも放送での禁じ手のように扱われていた。それがラジオのリスナーにとってスリリングだった。実際のところはどうなのかわからないがある芸人が口を滑らせてしまうと干されてしまうので怖いと戯れてみたり、始末書を書かなければならないとこぼしていた。そういった際どい言葉を大袈裟かもしれないが、謹慎処分を食らうかもしれないことを恐れずに、芸人生命を賭けてぽろっと言うところにこの上ないおかしみや醍醐味があった。まあ深夜の周りが寝静まった頃に深夜放送のDJが面白おかしく際どい言葉(そのものを言ったのではあまり面白くないし、後始末が大変だ)を言うのを深夜放送のリスナーは楽しんでいたと言える。わたしは笑いを堪えて何度か布団の中で気絶しそういなったことがあるが、一分間息を止めればやり過ごせることに気付いて、深夜にアッハッハと笑って顰蹙を買うことはなくなった。大川君も王の無意識のギャグに吹き出しそうになったら、一分間息を止めるといい」
「そうですね、それはいい方法かもしれないですね」
「すきにしてええよ」
「王は何と言っているのですか」
「明日の試合が今日以上に盛り上がることを期待している。反則技は禁じるが、ルールについて希望があれば言ってほしいと」
「決められたルールを守れば、その範囲内で暴れるのは試合が盛り上がるので認めるということですね。それじゃあ、トペや10カウントでリングに戻れば場外乱闘も認めることにしてはどうかな」
「それにはまず根回しが必要だろう。みっちゃん、今日闘ったレスラーさんにわたしたちの希望を伝えてくれないか」
「わかったわ、どう伝えたらいい」
「まずリング外に出ても10カウントまでにリング内に戻るなら、ラフなことをしてもよい」
「どんなことをしてもいいのかしら」
「よくやるのは、リングの四角にある鉄柱に頭を打ち付けるとか、マットをめくってパイルドライバーとかで頭を床に打ち付けるとか、観客席に乱入するというのがある。でも大川君がやりたいのは場外に逃れたレスラーにトペという捨て身の技を仕掛けることだ」
「捨て身技ってどんなの」
「ロープ最上段から飛び降りて体当たりすると言うのがわかりやすいかな」
「場外で闘えるのなら、ぼくはブランチャーやスライディングキックもやってみたいな」
「今の話を王に伝えると言っているわ」
老年レスラーからその話を聞くと王は言った。
「どんどんどしどしやってください」
その後老年レスラーから会場の設営について細かい説明があり、それが終わると宴たけなわだったが、三人は明日に備えて早く寝ることにした。
翌朝、大川は朝早くに目が覚めた。前日に王が言ったことが気になったからだった。
<王は、宴会が終わる前に試合の概要を発表した。われわれが要求したリングの形状、外観などについては概ね受け入れられた。四辺には三本のロープが張られ、四つの角にはコーナーポスト、鉄柱もあった。リングを囲むように四方にマットが敷かれ王の貴賓席以外はプロレス会場のように椅子が並べられ観客が入れられることになった。場外乱闘が認められ、鉄柱や床の強打があり、場外では流血もありうる。リングから飛び降りてのキック、ボディアタックも認められた。ただしどちらかのレスラーがリングに戻るとカウントが数えられ、もう一人のレスラーがリング内に戻れないとカウントアウトとなり戻れなかったレスラーは負けとなる。このことは日頃闘って来た闘いの場そのものなので大歓迎なのだが、王からの最後の要求はいただけないものだった。王は、「れっつごー、さんびき」と言った。だいたい王が言ったことはわかったが、後で王妃に尋ねると、やはり、三対三で二本先にフォールまたはギブアップを取ったもの勝者とすると宣言したようだった。まさか、おばにスクール水着を着て闘えとは言えないし、困っていると実土櫓老人は想定内のことだと言っていた。三人目のレスラーを呼ぶために実土櫓老人は魔法使いに説明していたが、どうなったんだろうか。おっ、あそこにおばと実土櫓老人がいるぞ>
大川がふたりに近づくと、実土櫓老人は言った。
「おはよう、大川君。ちょうどいいところに来た。もう少ししたら、三人目のレスラーがやって来る。ひとりで黙々とトレーニングに励むのではなく、京都洛北格闘サークルを作って若い人にプロレスの楽しさを教えていてよかったよ」
「と言うことは実土櫓さんのお弟子さんがくるんですね」
「いや、京都洛北格闘サークルというのは愛好家団体で、わしは世話役だった。まあ、まとめ役と言うのかな。だからわしには弟子はいない。そのサークルには京都市内の大学のプロレス愛好会からたくさんの力自慢の若者が腕試しやって来ている」
「というと花橋さんも来られていたんですか」
「残念ながら、彼は大学サークルだけで活躍だったのでうちに来ることはなかったが、彼が大学を卒業してプロになってから、彼に憧れてうちに来たのがいる。とにかく田中君は花橋さんに憧れていたから、彼の技をコピーして実力をつけて行った。俊敏な動きから繰り出す、ドロップキック、エルボースマッシュ、関節技、投げ技どれもがプロ並みだった」
「今は何をされているのですか」
「地方公務員になって、週末は体力が衰えないようにロードワークをしたりジムでトレーニングをしていて、今も月一回は京都洛北格闘サークルに来て若手の指導に当たっていると聞いている。おっ、どうやら来たようだぞ。魔法使いに付き添ってプリコちゃんが行ったのだが、タイムマシンは定員2名だから魔法使いはわれわれの助っ人だけを連れて来たようだ」
魔法使いは王妃を連れ戻すために二十一世紀の京都に引き返したが、後に残ったのは虎のマスクをかぶってトレーニングウェアを着た筋肉隆々の男だった。
「やあ、田中君、久しぶりだね」
「・・・・・・」
「あれ、返事がないなあ。覚えていないのかな。ほら、京都洛北格闘サークルの実土櫓だよ。それにしても、この前に会った時は君はジャイアント小馬場と言われるくらい、馬場さんのようだったのに、立派な体形になったものだ。胸板が倍くらい厚くなり身長も10センチほど高くなった」
「もしかしたら、田中さんではなくて花橋さんじゃないのかしら。もう一度、訊いてみましょう。あなたのお名前は?」
「はな・・・田中です」
「そうか、花田中君が君の名前なんだね」
「まあ、名前なんてどうでもいいさ。一緒に闘ってもらえれば。花田中君はスカウトの女性から経緯を聞いたのかな」
「はい、綺麗な方が受付に来られて、一生のお願いと言われました。今日は午後から予定がないのでこちらに来たのですが、大掛かりな背景に驚いています。とてもセットには見えません」
大川は実土櫓老人を傍に連れて行って小声で言った。
「どうやら王妃は詳しいことを説明しなかったようですね。時空を超えて連れて来られたと思っていないようです。彼は厳しい状況を理解してくれて、一緒に闘ってくれるかしら」
「レスラーは一旦リングに上がれば死力を尽くして闘うが・・・まだ時間があるな。君、ちょっと」
「何でしょうか」
「試合に先立って、君の身体能力や得意技を知りたいのだが・・・何かな」
おばが三人が話しているところにやって来て言った。
「リングができたので見てほしいと言っているわ」
「じゃあ、そっちで作戦を練るとしよう」
三人がリングに上がると実土櫓老人は体操選手の床運動のように伸身宙返りや抱え込み宙返りを繰り返していたが、一段落つくと花田中に、君もやってみなさいと言った。花田中はマスクをつけたままだったが、リングコスチュームに着替えていた。実土櫓老人に促されてリング上でバク転や抱え込み宙返りをしていたが、実土櫓老人の隙を見て腕を摑むと巴投げでコーナーポストに投げ飛ばした。実土櫓老人がトップロープに足を絡めているのを見て、花田中は対角線上にあるコーナーポストに飛び乗るとバク転で飛び降り、続けて宙返りするとそのまま実土櫓老人に体当たりをした。それを見た大川は花田中のバックを取ってバックドロップに仕留めようとしたが、大川の肩の上で花田中は回転し後ろに回った。お腹に手を回してロックするとそのまま大川の後頭部をマットに叩きつけた。
「やっぱり、彼のジャーマン・スープレックスホールドは最高だわ」
「あら、プリコちゃん、帰ったのね。あなたあの人知っているの」
「わたし、タイムマシンに乗るまでは強い男が鎬を削る格闘技のファンでした。わたしたちの国では格闘技の大会がしばしば開催されました。おばさんのところに住むようになって召使と一緒にドラマ、ニュースなどもみましたが、それより金曜日の夜のプロレス中継が一番の楽しみでした。特に彼の実力は秀でていました」
「実土櫓老人のお友達のところには行かなかったのね」
「今日、わたしたちの国で最も強いと言われている格闘家が昨日のふたり(ナンバーツーとナンバースリー)と共に出場します。三人に勝つためにはこちらも日本の最強レスラーを出さないと負けてしまうと思いました。彼を訪ねてお願いすると、強い人と闘うのは望むところなので引き受けるが、顔は隠したいと言われたのでした」
「そうなのね、でもこのことはふたりに内緒にしましょ。日本一のレスラーに気を使うといけないから。ところで最強のレスラーってどんな人なの」
「ナンバーツーの老年レスラーはパワー、ナンバースリーの青年レスラーは技のレスラーですが、ナンバーワンのレスラーは桁違いの強さです」
「何が桁違いなの」
「身体能力の全てが2倍なの。力も速さも」
「あら、哲っちゃん、聞いていたの」
「そうか、この国を代表するレスラーと対戦できるわけですね。2倍の速さで動いて、2倍の力で相手を投げ飛ばすと言われても想像しにくいですが」
「まあ、彼の実力は直接対戦してみて実感するだろう。今必要なのはわれわれ三人が結束することを誓い、どのようなことが起きても怯むことなく協力して闘い続けることだ」
虎の仮面をつけている男が言った。
「ぼくもあなた方の力になろうと思っています。それから花田中に因んでぼくのことをフラワーマスクと呼んでいただけたらありがたいです」
それに対して大川は笑顔で応えた。
「なんか花柄の布マスクのようですが、フラワーマスクさんたっての希望なら、そう呼ばせていただきます」
「よし、じゃあ、フラワーマスク君、作戦会議だ。君は体格がいいから、体当たりをやってみてくれ」
実土櫓老人の要請を受けて、フラワーマスクは近くのロープに身を預けるとその反動を利用して実土櫓老人にエルボースマッシュをかました。実土櫓老人は、効いたーっと言いながらその衝撃でロープに跳んだ。実土櫓老人が今度は大川にドロップキックを仕掛けたので、大川はそれを素早くかわした。そうして大川とフラワーマスクはふたりの間に実土櫓老人を挟んでブレーンバスターを敢行した。実土櫓老人が気絶したように動かないのを見て、ふたりは卍固めとコブラツイストをかわるがわるに掛けた。それでも実土櫓老人が息を吹き返して、延髄切りをふたりにかましたので、ふたりはサソリ固めとアキレス腱固めを交互に実土櫓老人に掛けた。それでも実土櫓老人は青息吐息になりながらもふたりを地獄突きでのけぞらせたので、ふたりは四の字固めと逆エビ固めを交互に掛けた。それでも、こんなの軽い軽いと実土櫓老人が立ち上がりロープの反動を利用してフライング・クロスチョップをふたりにお見舞いしたのだった。大川とフラワーマスクは何度もコーナーポストに上がり、ドロップキック、フライング・ボディプレス、ダイビング・ヘッドバットで実土櫓老人を強打したが、かえって実土櫓老人を元気にさせるだけだった。大川はまるで紙おむつのように衝撃を吸収してしまう人が世の中にはいるんだなと感心した。実土櫓老人は近くにいるおばに声を掛けた。
「本番のためにこれくらいにしておこう。みっちゃん、あの話をしようか」
「そうね、みんなも気付いていると思うけど、次の試合で勝ったとしても、わたしたちが元の世界に戻れる保証はないということを。王はタイムマシンでやって来た、自分の国にないような格闘家の技を楽しんでいるから、わたしたちが勝ったとしても、自分たちが勝つまでやめないということで、さらに厳しい難題を押しつけて来ると思うの」
「そしたら、親善のために負けるとするかな」
「いいえ、負けたら全てがお終いになると思っているわ。勝たないといけないの。そうしないと王妃は元の生活に戻り。わたしたちは幽閉されることになるわ。フラワーマスクさんも帰られなくなって、ファンが悲しむことになるわ」
おばがフラワーマスクを見ると無邪気な笑顔で応えた。
「ぼくは闘って勝つことが生き甲斐で闘ってきました。だから負けたらどうしようと考えたことはありません。今日の闘いに勝ったら、胸を張って手を挙げて観客の声援に応えればいいと思います。その後何かがあって、それがよい展開が望めるものだったら受け入れればいいですし、ちょっとなーと思ったら拒めばいいと思います。遠くからわざわざやって来てくれた友人だと歓迎してくれているのなら、負けたら幽閉はないでしょう。逃亡したら罰を受けるかもしれませんが」
「フラワーマスクが言う通りだと思う。だがしかし、家に帰るにはどうすればいいんだ」
実土櫓老人は自分の力の限界を感じたように膝を落とした。それを見てフラワーマスクは実土櫓老人の肩に手をやって言った。
「まあ、どうしても埒が明かないということになったら、ぼくに考えがありますから。遠慮せずにぼくに振ってください。修羅場には慣れていますから」