映画「未完成交響楽」について
モーツァルト、ショパン、シューマン、マーラー、ガーシュインなどの伝記映画を見てきたが、わたしはこの映画が一番好きである。なぜなら、この映画では、いくつかの印象的な場面でシューベルトの名曲が効果的に使われているからである。
「未完成」の演奏シーン以外にも、噴水のほとり(洗濯場?)で歌われる「菩提樹」、学校の教室でシューベルトが生徒たちと歌う「野ばら」、シューベルトの前で貴族の娘が歌う「セレナーデ」。いずれも一度見れば、忘れられないほどの強い印象を残す。
「未完成」の音楽が奏でられるシーンも、ピアノで引いているのにいつの間にかオーケストラ伴奏が加わり(この演奏が混沌としたもので、いつの間にか第2楽章へと移ったりしている)、深く心に刻み付けられるような気がする。シューベルトが真剣にピアノを演奏する姿と混沌とした「未完成」の演奏に引きつけられ、いつもこの演奏のシーンが始まるとのめり込んでいく気がする。
話が変わるが、モノクロ映画(この映画も1933年製作のモノクロ映画である)の魅力は何だろうと考えてみると現実との乖離、ということが言えるのではないだろうか。現実の世界はもちろん天然色でできているからそのまま受け入れられる。反対にモノクロは現実と明らかに異なる世界であるため、フィクションであることが強調され、ある意味安心して見られるのではないだろうか。そういうモノクロ映画をたくさん見て来た。昔は良かったなどとは言わないが、強いコントラストや非現実的なところが魅力的なモノクロ映画をもう一度楽しませてほしいと願うのである。
この映画では、「未完成」がなぜ2楽章の交響曲となったかのひとつの説を提示してくれるが、わたしは2楽章の「未完成」が好きである。長さも手頃であるし、何より「未完成」であるが故に心残りなところを残しながら、曲が終わるところに魅力を感じる。