『ブラームス(ガイリンガー著)』について

昨年末に風光書房でこの本を購入したが、しばらくは切っ掛けが掴めず読まずにいた。最近になって『真実なる女性 クララ・シューマン』を読み、もっとブラームスという作曲家について知りたくなり、このウィーン生まれで、アメリカで活躍した音楽評論家の評伝を読むことにした。振り返ってみると、私をクラシック音楽に誘ってくれた音楽家というのはブラームスということになる。
ブラームスの音楽をはじめて聞いたのは、きっと小学生か中学校の時に聞いた、ハンガリー舞曲第5番(管弦楽曲版)だった。高校時代は特にこの巨匠の音楽に触れることがなかったが、大学入学がかなわず、これから先どうしたものかと思っていた時に、朝のラジオ番組で、ブラームスの交響曲第1番のレコードを聴いた。たまたまエアチェックしていたので、それを繰り返し聴いたが、シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団の名演だったこともあり、私の人生に迷い、落ち込んだ心に深くしみ込んだ。
この曲の第1楽章は暗く気持を滅入らせる音楽だが、やがて第2楽章に入ると一転して朝の光が差し込み、辺りを徐々に照らし出し気分も爽快になって行くような音楽へと変わる、そうして第3楽章では心が晴れてうきうきした気分になり外に出て人や自然と触れたくなる。そうして終楽章では幾度か苦難も訪れるが、結局人生のゴールには栄冠が待っている。ベートーヴェンの「運命」や「合唱」も同様の趣旨の曲であるが、ブラームスの場合、巧みの技がさらに加わり、より深く感動させる音楽になっている。このことは私自身が感じただけと思っていたが、この本を読むとブラームスは意識してこのような人を感動させずにはおかない曲を作り上げたことが確信できる。
以下、長い引用になるが、本書301〜302ページの引用をお読みいただきたい。
「ブラームスのベートーヴェンとの緊密な類縁、特に短調の2つの交響曲のそれは、この作品のうちに見逃すことのできないものである。この類縁は、ブラームスのフィナーレのテーマが第九交響曲の《喜びの讃歌》に似ているとして、しばしば強調されすぎる上べの類似に、限られるものでなく、また音楽的仕上げの強烈さと、わかりにくさだけから成り立つものでもない。そうでなくて、むしろその詩的内容の類似性のうちに成り立っているのである。人間的闘争と創造的衝動の基本的主題、永遠のモットーである〈苦難を通じて天空まで〉が、ブラームスの第一とベートーヴェンの第五及び第九交響曲を同じく霊感づけたのだった。(中略)しかし主題的扱いの類い稀な技法は、この作品がその最後の形を受けとった巨匠のいっそう成熟した年代をはっきり示している。この楽章は一種の音楽的モットーによって支配されており、そのモットーは導入部で重要な役割を演じ、主要主題への対位を提供し、また
第二主題と展開部における主導的な要点でもある。このモティーフは繰りかえし繰りかえし異なる場所に、異なる形で現われ、全楽章に完全な均質性を与えることを助けている。しかし2つの中間楽章は、もっと明るく短い。ヘルマン・レヴィがそれらのものを〈そのように大規模に構想された交響曲〉よりも、セレナードにずっと似合っていると考えたのは、尤もなことである。この見解はオーボエとヴァイオリンのソロをもった第2楽章のデリケートな楽器法と、涙をとおして微笑みかけるような優美なアレグレットによって、正当化されるように見えるだろう。一方これらの2つの楽章が全曲の劇的な出来事のうちで、救いの欠くべからざる契機を提供していることは、見逃されてはならない。第1楽章だけでなくフィナーレの冒頭もまた、重苦しい地獄の幻影を呼びおこすからである。すべてのものが、この終楽章においては、ホルンのソロが突如として救いのメッセージを響かせるまで、破滅に向かってせきたてているように見える。その後に広々と流れてゆく讃歌風のアレグロが、すべての惧れと苦しみを越えて勝利を宣言する」
ブラームスは他に3つの交響曲を作曲しているが、いずれの曲も魅力に富んだ、心を動かさずにはおかないすばらしい曲である。他にも、ハイドンの主題による変奏曲、ピアノ協奏曲第2番、ヴァイオリン協奏曲、弦楽六重奏曲第1番、クラリネット五重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番、同第3番、チェロ・ソナタ第1番、同第2番、クラリネット・ソナタ第1番、同第2番そしてドイツ・レクイエムなどの名曲が思い浮かぶが、もちろんこれらの多くは短期間で書き上げたものではなく、まず最初にピアノで作曲したものを室内楽あるいはもっと編成の大きい管弦楽曲に置き換えて行ったようである。ヴァイオリンのパートについては、ヨアヒムがよき指導者となったし、管弦楽曲については指揮者のハンス・フォン・ビューローが頻繁にブラームスの作品をとり上げた。こういった音楽家をはじめ外科医で音楽愛好家のテオドール・ビルロートやピアノの弟子であったエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルクとその夫のハインリヒは彼の創作活動の良き相談相手となっていたようである。もちろん恩人シューマンの妻のクララには常に自分の曲の可否を仰いでいたようである。
ブラームスの音楽は巨匠がいろいろな人の意見を聞き、そのよいところを選りすぐって取り入れ仕上げた作品である。短期間にひとりで集中して書き上げた音楽とひと味違う、友人との熱い友情が生み出した音楽とも言えるだろう。そのことはこの本を読めば、すぐに理解できると思う。