歌劇「魔笛」(NHK DVD)について

このDVDは、1980年3月12日、ちょうど私が20才のとき、東京文化会館でオトマール・スイトナー指揮ベルリン国立歌劇場がモーツァルトの歌劇「魔笛」を上演したときの模様を収録したものです。
歌劇「魔笛」と言えばいろいろな思い出が私にはあり、今回、このDVDを見ているときにそれが頭に浮かんで来たので、まずそのことからお話ししたいと思います。このオペラのことを知ったのは、1979年10月頃に茨木市民会館で開催された、茨木市内にある高校のOBと在校生、音楽の先生によるこの歌劇の公演を見てでした。高校3年のときのクラスメイトとたまたま電車の中で出会い、彼からオペラの主役を演じるので見に来てくださいと言われ、見に行ったと記憶しています。ピアノ伴奏で上演していたこと、主役のタミーノがふたり(友人ともうひとり)いて交代で出ていたこと、夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」はすごい曲ということの3つのことが印象に残りました。当時の私は19才の4月から聴き始めたクラシック音楽にのめり込んでおり、クラシック音楽がなしには一日が過ごせない程だったのですが、聴いていたのはもっぱら器楽曲で、歌劇や声楽曲は未知の領域だったのでした。ですが、この友人が出演した公演で歌劇に少し興味を持った私は、しばらくして放映されたこのベルリン国立歌劇場の公演をNHK教育テレビで見たのでした。
このオペラはザラストロ、夜の女王、パパゲーノ、パパゲーナ、モノスタトスなどおとぎ話で出て来るような役が多いので、おとぎ話を楽しむという感覚で見られる方が多いと思いますが、むしろタミーノやパパゲーノの愛する女性への誠実、パミーナの恋愛が上手く行かない困惑、モノスタトスの恋愛がうまく行かずに悪に走ることになったとの告白などは今の時代でもよくあることで、普遍的なことをこの歌劇では取り扱っている気がします。パパゲーノが、恋人が現れないから木の飾りになると言ったり、モノスタトスの自分はもてないとの独白は当人にとっては深刻な問題です。彼らがおとぎ話の登場人物のような衣装をつけて話すとユーモラスであったり、悪人の罵詈雑言となったりしますが、その内容は現代にも結びつくものがあると思います。言わば、モーツァルトはこれらの登場人物をうまく使って、楽しいだけでなく心に温かいものが残る歌劇に仕上げたと思います。さらにこれらの特徴ある登場人物を統括するのがザラストロですが、この役を演じるジークフリート・フォーゲルの堂々とした演技と歌唱はこの歌劇に風格を持たせています。彼が男性コーラスをバックに厳粛かつ朗々と歌うところは、やすらぎに満ちていて、心を落ち着かせます。
私が、この公演をテレビで見たときに一番印象に残った登場人物がいます。それは3人の少年で、彼らはその巧みな重唱で、タミーノ、パミーナ、パパゲーノを導きます。第一幕では、タミーノにこの道は目的に至る道、不屈、忍耐、沈黙の教えを守りなさいとやさしく教え、第二幕では、空腹のタミーノとパパゲーノに食べ物を与えたり、タミーノが自分のことに興味を持たなくなったと嘆くパミーナを励ましたり、パパゲーノがパパゲーナに会えない辛さから木の飾りなるとロープを木からつり下げると、命は一つしかないと諭したりします。この3人の少年が登場するシーンがなぜ印象に残ったかは、恐らくそのハーモニーが美しいというのが第一でしょうが、当時、将来のことが定まらず、迷っていた私に方向付けをしてくれたり、温かい救いの手を差し伸べてくれているような気がしたからだと思います。第一幕で一番小さな少年が両腕挙げて、不屈と歌うところを見ると本当に励まされます。
もちろん主役のタミーノを演じるペーター・シュライアー、ヒロインのパミーナを演じるマグダレーナ・ファレヴィッチ、パパゲーノを演じるユルゲン・フライアもやさしい自然な歌唱で、何度聴いても飽きのこない、常に新しい魅力を発見できるすばらしい公演にしています。この公演の印象が良かったため、その後も何度かNHKテレビで歌劇の公演を見ましたが、この公演と肩を並べるものはありませんでした。モーツァルトの歌劇も「フィガロの結婚」「コシ・ファン・トゥッテ」「ドン・ジョヴァンニ」などいくつか聴きましたが、やはり私には「魔笛」だけが性に合うようです。
この公演の指揮者であるオトマール・スイトナーは1973年からNHK交響楽団の名誉指揮者で、特にモーツァルトの演奏に定評があり、私も交響曲のレコードをよく聴きました。この公演のビデオやDVDがいつ発売されるようになったかは定かではありませんが、私はこの公演を聴いてすぐにスイトナーがドレスデン国立歌劇場管弦楽団を指揮した日本盤のレコードを購入し、それから15年ほどしてオリジナルに近い外国盤を購入し、8年程前にCDを購入しました。同じ音源でスイトナーの音楽を満喫させてもらえるものですが、何よりこのオペラの魅力を最初に教えてくれた、この貴重な映像を再び見ることができたことは昔にタイムスリップして感動を新たにすることができたので、本当によかったと思います。