デイヴィッド・コパフィールドについて
学生時代に中野好夫氏訳の「 デイヴィッド・コパフィールド」(新潮文庫)、今から7年程前に石塚裕子氏訳の「デイヴィッド・
コパフィールド」(岩波文庫)そして先日、平田禿木氏訳の「デエヴィッド・カッパフィルド」(國民文庫刊行會)を読んだが、
いずれも楽しい時を提供してくれた。全4巻から5巻に及ぶ大著を読む喜びを要点を整理して上手く伝えることができれば、この
本から多くの喜びを得た私からの謝意をこの小説の作者に表せるのではないかと思う。
最初にいくつかの印象的な場面を上げたい。1.デイヴィッドがマードストン兄妹のところから逃亡し、やっとのことで伯母の
ベッツィ・トロットウッドに迎え入れられたシーン。伯母は遠くから泥だらけになりながら自分を訪ねてくれたデイヴィッドを
受け入れただけでなく、 我が子のように教育し育てる 。デイヴィッドが成人した時点で伯母は困窮状態に陥るが、その窮地を
デイヴィッドが助ける。2.デイヴィッドがドーラ・スペンロウと出会い、夢中になり、いろいろなことが重なりまたいろいろな
人の助けがあって二人が結ばれるシーン。デイヴィッドがドーラと結ばれたのも、アグネスがドーラの二人の小鳥のような伯母
(ミス・ラヴィニアとミス・ クラリッサ)に手紙を書くように勧めてくれたからであり、またアグネスはドーラのよき友人と
なってデイヴィッドとの結婚を勧めてくれた。3.デイヴィッドがセーラム学園で親友となり後に弁護士となったトラドルズと
共にミコーバ氏がユライア・ヒープの悪事をあばくのに立ち会うシーン。セーラム学園で教師や生徒からいじめられていたトラ
ドルズを救ったデイヴィッドは、ミコーバ氏が金銭的な窮地になった時にも自分が苦労して稼いだお金を与えた。デイヴィッド
に対して何とか恩返しをしたいと考えたミコーバ氏はユライア・ヒープの忠実な部下を装って悪事の証拠(偽造された文書など)
を見つけ出し弁護士のトラドルズの助けを得てヒープの息の根を止めてしまう。4.大嵐の日にスティアフォースの船が難破し、
救助に向かったハム・ペゴティも遭難してしまうシーン。デイヴィッドはエミリーの手紙をハム・ペゴティ(二人はスティア
フォースに仲を裂かれ、修復できずにいる) に届けることがハムへの友情と考え大嵐の中ヤーマスへと向かうが、結果的には
ハムとスティアフォースの死に立ち会うことになる。5.最愛のドーラを失ったデイヴィッドがその悲しみを乗り越え、小さな
頃からのよき理解者であったアグネスと結ばれるシーン。小説家として成功し多くの収入を得ることができて伯母に恩返しが
できたデイヴィッドだが、ドーラとの楽しかった生活を忘れてしまうことができず3年間外遊する。長い旅行の末、アルプスの
谷間の小村で何かが好転してくれそうな期待を抱く。ここではデイヴィッドが帰国してからの伯母ベッツィやドーラの情が心に
残る。これらのシーンに共通して現れるものがある。それは「人情」(人を思いやる心)である。平凡な感想であるが、「情は
人の為ならず(なさけを人にかけておけば
、めぐりめぐって自分によい報いが来る(広辞苑第2版より))」のエピソードを
多く盛り込むことで、この小説は心を豊かにするかけがえのない小説となったように思う。
次に登場人物について言うと、まず上げたいのは3人の優しい女性となる。乳母のクレアラ・ペゴティ、伯母のベッツィ・ トロット
ウッドそしてアグネス・ウィックフィールドはこの物語に特有の暖かみを与えている。3人のいずれかが登場するとその場が明るく
なり暖かい雰囲気に包まれるのである。敵役の筆頭はマードストン姉弟だと思うが、ユライア・ヒープもお母さんといっしょだと
独特の雰囲気がただよって思わずにやりとしてしまう。ユライア・ヒープは本当に悪いやつだが、どこか憎めないところもある。
スティアフォースも悪役と言いたいところだが主人公が幼い頃に助けられたこともあるので敵役とは言えないかもしれない。その他、
ミコーバ一家、トラドルズ、エミリー、ドーラ、ストロング夫妻、ディック氏、ペゴティ氏だけでなく出番があまりない、バーキス氏、
ミス・モーチャー、ミセス・ガミッジなどもディケンズは丁寧に愛情込めて描いている。
この小説は、自伝的小説でありディケンズ自身の体験に基づいたところが多いため、ストーリーを劇的に展開して楽しませると言う
よりも
、先に上げた人と人との結びつき、それを介する興味深い会話で盛り上げて行くところがあるので、登場人物に興味を持ち
その会話が楽しめないと、のめり込んで行くことは難しいかもしれない。また自分が自叙伝を書くとすれば、劇的な場面で自分ばかり
が活躍するのを描くかどうかを考えれば、主人公が頻繁に出て来るのに重要な場面で主要な役割をしないことや最後のところの少し
抑え気味の回顧も理解していただけると思う。