ニコラス・ニクルビーについて
このディケンズの3作目となる長編小説の完訳は、今のところ田辺洋子さんのものしかなく、私も
それを読ませていただいた。いくつかの強引な物語の展開があるが、安心して読めたのは、典型的な
勧善懲悪小説で、血の気は多いが勤勉で正義感の強いのニコラス・ニクルビーを始め、フランク・チアリブル、
ティム・リンキンウォーター、ジョン・ブラウディー、そしてラルフの雇われ人であるニューマン・ノッグズも、
心を改めた(ニコラス側の味方となった)ため、最後は幸福になる。ところが悪人役のニコラスの叔父の
ラルフ・ニクルビー、少年たちの虐待を続けたショーネンジゴク学院の校長ワックフォード・スクィアーズ、
浪費家で遊び人のアルフレッド・マンタリーニ氏等には悲惨な運命が待っている。
この本についての予備知識(ディケンズ・フェロウシップ日本支部のHPの「ニコラス・ニクルビー」の
概要のページを読むこと)を持たずに下巻の中程まで読んだが、当初は序文のところで語られるヨークシャー
の学校を舞台にした学園ものと思っていたところ、ニコラスはスマイクという知的障害がある少年を虐待する
スクィアーズ校長に激怒し校長が使っていた拷問道具を取り上げ校長に打ってかかる。そのことがあり
早々とニコラスはスマイクと一緒にスクィアーズの学校を出てしまう(第13章(ちなみに第65章まである))。
その後ニコラスは一旦ロンドンに帰るが思うような職に恵まれず、船員になろうと考えブリストルに
向かう。その途上で旅回りの一座と出会い、座長のヴィンセント・クラムルズに気に入られ、一座の俳優
兼台本作家となり明るい兆しが差し込んで来たかに見える。しかしノッグズから妹のケイトに危機が迫っている
といった内容の手紙を受け取り、ロンドンに戻ることにする。途中、妹のケイトに邪な感情を持つマルベリー卿
が悪事を企んでいるのを酒場で耳にしてマルベリー卿に詰め寄り、逃げようとした卿の馬車の馬を興奮させて
大事故を引き起こしてしまう。以上が劇的な場面が連続する上巻の大雑把な内容であるが、それに比べ下巻の展開は
静かである。最初に強引な展開があると言ったが、それがたくさん見られるのが下巻である。1.ニコラスと
チャールズ・チアリブルとの出会いが余りに唐突な気がする 2.ノッグズが偶然ラルフとアーサー・グライドの
悪巧みを立ち聞きするが、なんとなく不自然 3.後にニコラスの妻になるマデライン・ブレイの父親が急死するが
そのタイミングがニコラスにとって都合良すぎる(逆にグライドにとって都合が悪すぎる)。
物語を面白くするために作家が物語を強引に展開させるのは多少は許されると思うが、この物語はそういうことが
しばしばあり、許容範囲を超えていると思う。
しかしそこがディケンズらしいとも言え、善良に生きていれば、
思いがけない贈り物が神様からあるんだよとディケンズが暗に仄めかしているようで快い。
見所がいくつかあるが、私が好きなのは、ニコラスがヴィンセント・クラムルズの一座で働くところ(
といっても
すぐに俳優と台本作家で成功し、一座に欠かすことができない一員になり楽しい日々を送ることになる)。持参金
のない自分たちが幸せになることは、マデライン・ブレイ、フランク・チアリブルの幸福に繋がらないと考える
ニクルビー兄妹が結婚を諦めようとした時、チアリブル兄弟やティム・リンキンウォーターが骨を折り(世話をやき、
提灯持ちをして)4人を幸せに導くところ。これらは悪人の暗躍が目立つこの小説の中で明るい気持ちにさせて
くれる、ほっと一息できるところと言えるだろう。
魅力的な登場人物としては、田辺さんも解説の中で述べられているが、ニコラスの母親のニクルビー夫人は、後の小説に
出て来る人物の原型(「リトル・ドリット」のフローラ・フィンチングなど)とも言え興味深い。また、田舎者の
ジョン・ブラウディーも無骨で無愛想なのが、善良で人懐っこい性格が露になって行く過程を見ているのは心地よい。