大いなる遺産について

ディケンズが48才から49才の時に書かれたこの作品は、「デイヴィッド・コパフィールド」「二都物語」「クリスマス・キャロル」
と並んで有名な作品で、長年、新潮社からはこの4つの作品が文庫本で出ていた(最近は、「オリヴァー・トゥイスト」も出ている)。
浪人時代に予備校への行き帰りの電車の中でこの物語を新潮文庫(山西英一訳)で読んだ記憶があったのだが、どうも第1部(第1章
から第19章まで 第19章の最後のところに、以上で、ピップの遺産相続の見込みの第1段階を終わるとなっている)は最後まで
読んだが、後のところは拾い読みしただけのようでそこのところ(第20章から第59章)の記憶が残っていない。印象に残った人物も
ジョーとエステラくらいで、ハーバート・ポケットやプロヴィスのような登場機会の多い人物やディケンズ好みのウェミックのような
魅力的な人物のことも記憶に残っていないくらいだから、間違いなくそこのところを読まなかったのだと思う。
今回、この名作をじっくり読んで強く感じたのは、ピップの心の動き(幼いあどけなさの残る子供がやがて鍛冶屋になるため奉公に出るが、
思い掛けない遺産相続の見込みができロンドンで放蕩三昧の生活を送ることになり、以前自分がしていた生活を全面的に否定するように
なる。お金を贈ってくれていたのが幼い頃に出会った脱獄囚プロヴィスであることがわかり、そのことでいろいろな事件に巻き込まれる。
ついにはプロヴィスが捕らえられ獄死し遺産相続の望みが断たれてしまうが、ジョーの看病のおかげで昔の善良な人たちの気持ちが
わかるようになる。その後外国で仕事をしていたが、11年ぶりに故郷に戻って来て、不幸な生活を送っているエステラと再会する)
がよく描けているなあと感心したことである。1人称の小説なので、主人公の心理描写は細かく描けるのだが、あどけない少年、
鍛冶屋の見習い、にわか紳士、つらい経験を経て成長した青年それぞれの心理を実に見事に描いてみせている。
登場人物も、魅力的な人物が何人か出て来る。もちろん最初に上げるべきは、ジョーである。私独自の解釈であるが、この物語はジョー
なしでは成り立たない物語ではないだろうか。幼い頃の主人公の性格形成に寄与したのはもちろんだが、主人公が遺産相続の望みを絶たれ
心身ともに大きな傷を負ってしまった時に付きっきりの看病をして主人公を立ち直らせたのもジョーである。そうしたジョーに幸せな
生活をプレゼントしたディケンズも私と同様この人物を愛していたにちがいない。次に上げるべきは、ハーバート・ポケットである。
主人公を自堕落な生活に陥らせた責任もあるが、ふたりの友情は終始熱くハーバートの事業が成功したため、主人公の生活も落ち着いた
のである。脱獄囚プロヴィスも重要な人物で、ロンドンでの生活を始めて、親、兄弟、友人のすべてを兼ね備えていたジョーと疎遠に
なった主人公は親の愛情に飢えていた(ハーバートとの友情はあったが)。そこにプロヴィスが現れたため、ジョーの愛情の代替的な
ものを求めたとも考えられる。そして弁護士ジャガーズの事務所の書記のウェミックはディケンズの小説にしばしば現れる、魅力的な
人物である。自分の家に主人公を招待した場面とか、自分の結婚式に主人公をつき合わせる場面は楽しいシーンの連続である。
最後に、エステラとの恋愛について少し話しておきたい。幼い時にハヴィシャムさんによってエステラに引き合わされた主人公は
当初からずっとエステラのことを慕い続けている。一方エステラは2度の不幸な結婚を経て最後の章で主人公と再会する。ここでよく
言われるのは、このラストシーンの解釈についてである。その前のふたりの発言によると、互いに「友だちでいましょう」と言っている
ようだが、その後の一番最後の文章の訳し方によってふたりの行方は違って来るように思える。「彼女との二度の別離の陰影はすこしも
見られなかった」(山西英一訳)、「エステラとの再度の別離を暗示する影とては、何ひとつみあたるものはなかったのであった」
(日高八郎訳)となっており、山西訳では、過去のような別離の様子は見られなかったというだけなので、やはり「友だちでいましょう」
なのかなと思うが、日高訳では、さらにもう一度別れるようには決して見られなかったと読み取ることもでき、こちらの訳では、
「(もう別離はやめて)結婚しましょう」と読み取れるのだが、いかがでしょうか。