レ・ミゼラブルについて
学生時代に新潮文庫(佐藤朔訳)を読んだので、今回は岩波文庫(豊島与志雄訳)を読もうとしたが、100ページほど読んだ
ところで、新潮文庫を最初から読むことになった。豊島訳は200枚の原書挿絵が掲載されていてそれも楽しみながら読めると
思っていたのだが、大正時代の初めに刊行されたものなので、やはり言葉遣いが古めかしく堅苦しい気がした。安くで古書を
手に入れたと喜んでいたのだが...。
レ・ミゼラブルは、みじめな人々という訳では余りにストレートなので使うわけに行かず、「ああ無情」というタイトルがよく
使われていた。ジャン・ヴァルジャンの生涯はマドレーヌと名乗って富を築いて市長になった時やコゼットとささやかだが
幸せな時間を過ごす時以外はなんとすさまじい人生だったんだろう。一片のパンを盗んだだけ、しかも本人はそれを反省して
人生をやり直そうとしているのになんと多くの試練が彼に襲いかかって来るのだろうか。しかしそんな彼にも精神的な支えに
なってくれる人が現れる。ミリエル司教であるが、そんな司教に対しても恩を仇で返すようなことしかできない。それでも
司教の善意はジャン・ヴァルジャンに人間らしい心を取り戻させ、やがて周囲の人に認められ自分が考案した実用新案で
経済的にも豊かになり周りから推薦されて市長になる。しかしながら彼の幸せな生活も彼の過去のことを知っている
ジャヴェール警部によって揺らぎ始める。ジャヴェールは改心したジャン・ヴァルジャンを執拗に追いつめる。そうしてついに
ジャン・ヴァルジャンはシャンマチウの無罪を証明するために法廷で、「あなたがたが捜しておられる人間は、この男ではなくて、
わたしです。わたしがジャン・ヴァルジャンです」と陪審員と裁判官に言ってしまう。こうして自分で名乗り出たジャン・ヴァル
ジャンは出所後の小さな犯罪のために再び監獄生活に戻ってしまう。再び監獄に戻ることを余儀なくされた彼をもう一度社会に
戻ろうという強い意志を持たせたのは、ファンチーヌが死の間際にジャン・ヴァルジャンに繰り返し伝えた、母がわが娘を思い遣る
気持ちだった。彼はファンチーヌの切なる願いをかなえるために軍艦で労役中に脱出する。そうしてファンチーヌの娘コゼットを
悪辣な養父母テナルディエ夫妻から救い出した、ジャン・ヴァルジャンは今度は警察から追われることになるが、偶然迷い込んだ
プチ・ピクピュスの修道院でかつて命を助けたことがある、フォーシュルヴァン老人と出会い、彼の弟であるとしてその修道院で
働くことになる。5年後、フォーシュルヴァン老人の死亡によって、ジャン・ヴァルジャンとコゼットは修道院を出て父親と娘の
生活を始める。彼らの楽しみは公園の散歩であったが、ある日、マリユスという頑固な祖父に逆らって家を出て、弁護士に
なるために学校に通っている青年に出会う。何度か公園でふたりに出会ったマリユスはコゼットへの恋心を募らせて行く。やがて
コゼットもマリユスの愛情に気付きジャン・ヴァルジャンが不在の時にこっそりとふたりで楽しい時間を過ごすようになるが、
ジャン・ヴァルジャンに気付かれて2人の仲は裂かれてしまう。自暴自棄になったマリユスは、死を覚悟でABCの友の仲間たちが
立てこもるバリケードに行き一緒に軍隊と戦う。マリユスはコゼットに自分がバリケードで死ぬことを伝えようと少年に伝言を頼むが、
一風変わった少年であったため(実はテナルディエの息子なのだが)メモをジャン・ヴァルジャンに渡してしまう。ここまでは特に
変わったこともなく淡々と物語は進んで行くが、メモを受け取ったジャン・ヴァルジャンは早速危険を顧みずに、軍服に着替え銃を
持ってマリユスを助けに行くのである。頭部を銃で撃たれて重傷を負ったマリユスを担いでパリの下水道を6キロも歩くという
のも驚くべきことだが、無事救出してマリユスが元気になると、ジャン・ヴァルジャンはマリユスとコゼットのためにマドレーヌと
名乗っていた時期に自ら事業を興して蓄えた60万フラン(今のお金に換算すると12億円とのこと)を贈り自分はふたりの幸せの
邪魔にならないようにと絶食?して息絶えてしまうのである。
確かにひとりの誠実な人間を描いたとも言えるだろうが、もう少し、最後のところでジャン・ヴァルジャンを幸せにしてあげても
よかったような気がする。マリユスの祖父のジルノルマン氏はジャン・ヴァルジャンと対照的な人物に描かれていて俗っぽさ頑固さに
嫌悪感を催すこともあるが、冷静になって2人を比較するとジルノルマン氏がごく普通の老人でジャン・ヴァルジャンは聖人であって
雲の上の人のようだと考えるようになったのは、若者らしい純粋な気持ちが失われてしまったからなのだろうか。