「魔の山」について
この小説は新潮文庫でも出ていて、その分厚い上下2巻本を書店で何度手に取ったことだろう。あまりに分厚いため見送って来たが、
昨年に東京神田の風光書房に立ち寄った際に三笠書房の上下2巻本(昭和13年発刊)が手に入り、なかなか読めないでいたが、ようやく
読み終えた。サナトリウムという狭い社会の中で主人公のハンス・カストルプがいろんな人と出会い影響を受けるという話であるが、
最後にサナトリウムを出て戦争に行くまで、従兄のヨアキム・チームセン以外に好感が持てる人が現れず、たくさんの登場人物の性格描写や
興味深い会話がほとんどない(とても難しい芸術論や宗教論争はたくさんあるが)ため最後まで、何を楽しみに読んでよいのかわからず
読むのに長い時間がかかった(結局あまり理解できなかったが)。
ハンス・カストルプは学生の頃に恋心を抱いたことがあり、サナトリウムの中で容姿が似たロシア人のクロウディア・ショーシャ夫人と出会い
興味を持つが、小説の終わりのころに、ショーシャ夫人はミンヘール・ペーパーコルンというオランダ人の富豪の財力に心を奪われたことが
わかる。しかしショーシャ夫人の心は移り気で自分から離れ出したと感じると、ペーバーコルンは特殊な器具で毒を注入して自殺してしまう。
このペーパーコルンが終始難解な話をするが、最初の頃から登場するゼッテンブリーニというイタリア人とレオ・ナフタというクロアチア人?
僧の会話は私の頭ではほとんどと言っていいほど理解できなかった。ゼッテンブリーニは芸術を愛し賛美しているようにも思えたが、冗長な
話が多く感銘するには至らなかった。一方、ナフタの話は怪しげな思想の数珠つなぎで誰もそんな人の話に耳を傾けなくてもよいのではないか
と思った。二人の会話を完全に理解するためには、ドイツの主要なの哲学書を読みこなした上で当時の文学界で常識となっていたことを
理解できないと恐らくわからないだろうと思った。残念ながら、私にはそのような時間は到底なく、読み飛ばさせてもらった。
下巻の中程でハンスが気分転換のためにかスキーを始めたので、ハンスが彼のためになる人物と出会い転機となるのかと思われたが、
軍務に復帰したヨアキムが体調を崩してサナトリウムに戻って来て、ハンスは再び施設の中の患者たちと過ごす時間が長くなる。ヨアキムが
回復することなく死亡してからは、先に述べたように、ショーシャ夫人がペーパーコルンと一緒に施設に戻って来るが、最初の頃のハンスの
ショーシャ夫人との淡い恋心というのは彼方の世界に追いやられ、ハンスはペーパーコルンのわけのわからない恋愛論を敗者のごとく受け
入れるだけである。ペーパーコルンが自殺してショーシャ夫人が再びハンスに興味を持つのかと思ったが、その後ショーシャ夫人の名前が
出て来るのは、サナトリウムのクロコフスキー医師が催した心霊実験の際にハンスが記念品として持っていたショーシャ夫人のレントゲン
画像(硝子のフィルム)がホルゲルの霊によって持って来られたということだけであった。心霊実験が終わった後は、しばらく経過して
サナトリウムの中に興奮状態が出現し、患者の多くが殺気立つようになり、激しい議論を闘わせて来たゼッテンブリーニとナフタが決闘する
ことになるが、なぜかナフタが苛立って自分の銃の弾丸を頭に打ち込んでしまう。そのあとハンス・カストルプは7年間過ごしたサナトリウム
を出て、戦場に向かう。ハンスはシューベルトの歌曲「菩提樹」を口ずさみながら、戦場の銃声の中、雨の中、薄闇の中に消えてゆき、
この小説は終わりとなる。
最初作者は短編小説を書くつもりで書きはじめたが、完成まで12年を要する長編小説になったようである。主人公がベーレンス院長
愛用の蓄音機に夢中になり、「カルメン」や「アイーダ」を鑑賞するところは少しだけ和ませてくれたが、終始ハンス・カストルプは
サナトリウムという小さな社会で医師二人と多くの患者との出口が見えない共同生活を余儀なくされ、従兄のヨアキムがいなくなってからは
それまで以上に孤独感を募らせて行ったのかもしれない。成長して下界に下りて行ったのではなく、どうしようもなくなって戦場に行って
しまったとしか思えない結末となった。もしかしたら、それが「魔の山」の恐ろしさなのかもしれない。