『『クリスマス・キャロル』前後』について

19世紀に活躍した文豪チャールズ・ディケンズは、14編の長編小説を残している。
長編小説では、『大いなる遺産』『二都物語』『デイヴィッド・コパフィールド』『オリヴァー・ツイスト』などが文庫本で入手できるので、人気のある作品と言える。また、『ピクウィック・クラブ』『荒涼館』『リトル・ドリット』などは、たまにちくま文庫として増刷され入手できるので、その次に知られている長編と言えるだろう。それらの長編よりさらによく知られている作品というのが、中編小説『クリスマス・キャロル』(1843年出版)というのは間違いない。実際、今までに70以上の翻訳書が出されているし、著者ディケンズの名前は知らなくとも、『クリスマス・キャロル』という小説なら知っているという人は私の周りにも多い。

この『クリスマス・キャロル』について、その小説だけでなく、その前に書かれたディケンズのクリスマス関連の作品と小説出版後にディケンズ自身によって書かれた(またそれを彼自身が朗読した)『クリスマス・キャロル(朗読台本・全4曲)』をご自身で翻訳され、読者によりよく理解していただくためにと「序 ークリスマスの霊力ー」を書き加えられたのが、梅宮創造著『『クリスマス・キャロル』前後』である。

まず『クリスマス・キャロル』の出版前に書かれた4つのクリスマス関連の作品についてだが、1835年に出版された『ボズのスケッチ集』に収められている「クリスマス晩餐会」、1837年に出版された『ピクウィック・クラブ』から第28章「ピクウィック会長のクリスマス」(北川悌二訳では「結婚の話とほかのスポーツをふくむ陽気なクリスマスの章」)、第29章「鬼にさらわれた寺男の話」(北川悌二訳では「墓掘り男を盗み去った鬼どもの話」)1840年から41年にかけて発行されていた雑誌「ハンフリー親方の時計」から「クリスマス断章」が翻訳されている。いずれも読みやすい訳で楽しめる。『ピクウィック・クラブ』は私の手元に、梅宮氏が訳された抄訳『英国紳士サミュエル・ピクウィク氏の冒険』のほか、北川悌二訳と田辺洋子訳(『ピクウィック・ペーパーズ』)があるが、少し北川訳を参照してみたい。登場する鬼が北川訳ではおどろおどろしくゲイブリエル・グラブに恐怖感を与えるように読者にも恐怖感を与えるが、なぜか梅宮訳では、鬼はユーモラスで親近感がありグラブとの軽妙な会話に引きつけられる。そうすることで鬼の強制的な有無を言わせぬ命令で改心させるというよりも、自発的な改心を促すような物語の流れとなっている気がする。10年ほどしてグラブは満足したリューマチを病んだ老人として現れるが、梅宮訳だとなぜ別人のようになって帰って来たか違和感なく読めるのである。『クリスマス・キャロル』の翻訳も同様で、 ちなみに梅宮訳だとスクルージが、「がりがり猛者(もさ)のケチンボ爺ィだよ。しぼり取る、ねじり取る、むしり取る、はぎ取る、ちぎり取る。まったく欲の皮のつっぱった老いぼれ野郎だ。」となっていて、まだ改悛の余地があるように思われる。

梅宮氏は、「序 ークリスマスの霊力ー」の中で、「『クリスマス・キャロル』の幽霊となると、趣がまるでちがう。こちらはずっと大らかで、前むきで、おかしないい方だが、ひどく人間的なのだ。何しろ根性のまがった輩を更正させるというぐらいだから、その心根はまことに高潔で、世のため人のために貢献するところ大いにありというものである」と書かれている。4人(?)の幽霊のイメージは恐怖感を与えるものではなく、高潔で、世のため人のために貢献する幽霊なのである。それで、そのお相手となるスクルージもそれに似合ったものにした方がよいと梅宮氏は考えられたのではないだろうか。

この他、4人の幽霊以外にも重要な登場人物として、スクルージの事務所で働いているボブ・クラチットとその家族や甥のフレッドについても梅宮氏は「序 ー クリスマスの霊力ー」の中で解説されているが、特にフレッドについては、「この世にはおめでたいことがいっぱいありますよ。一文の得にもならなくたってね。クリスマスがその一つです。クリスマスがくると、いつも思うんですよ。クリスマス本来の聖なるお祝いとは別に ー いや、それとこれとを切り放してもかまわなきゃね ー つまり、クリスマスは愉快な一ときだってことです。やさしい気持ちになって、人をゆるし、人を思いやり、楽しい一ときを過ごす。僕の知るかぎり、一年の長い月日のなかで、たった一度きりですよ。男も女も軽くうなずき合って、閉ざされた心をうち開くのはね。自分より地位や身分が低い者たちであっても、いずれいっしょに墓場へむかう旅の道づれです。よその旅路につく無縁の衆じゃないんですよ。だから、伯父さん、なにもクリスマスが金貨銀貨の一つも握らせてくれなくたって、僕はこれまで満足だったし、この先も変わらないでしょう。というわけで、クリスマス、ばんざーい!」などスクルージと言葉合戦を交わす件(くだり)の前後が、ちょっと独特な、棄てがたい味をかもし出していると高く評価されている。ディケンズ自身もこの作品を気に入ったのだろう。自分で朗読台本に書き直したものを使ってしばしば朗読会を開催している。朗読のためにアメリカにまで行ったと記録が残っているのだから、相当なものである。

今のところ、この『クリスマス・キャロル』の朗読台本の翻訳は、他には井原慶一郎訳しかないが、ディケンズが残した朗読台本、いやそれだけでなくディケンズが著した著作すべてにたくさんの翻訳が出ることに期待したい。特に私としては、『リトル・ドリット』『荒涼館』『ニコラス・ニクルビー』の新訳が出ることに期待したい。

最後に、梅宮氏(本当は梅宮先生と書かねばならないところだが)には、2013年ディケンズ・フェロウシップ秋季総会の私の発表の際に(演題名「ディケンズとともに」)司会をしていただいた。この場を借りて、お礼を言いたい。本当にお世話になりました。事前に西南学院大学の校内で打ち合わせをした時のことは一生忘れないだろう。梅宮先生の暖かさややさしさが感じられた、至福のひとときだった。