『二都物語』について その2

学生時代に中野好夫訳を、2年程前に佐々木直次郎訳を、そして今回3度目になるが、今年(2014年)6月に出版された
加賀山卓朗訳(新潮文庫)を読んだ。加賀山氏の訳は明快でわかりやすく、物語の内容をほぼ完全に理解することができた。
また初版本のイラストが載せられていて、興味深かった。
学生時代に中野訳を読んだ時には、フランスに帰国したダーネイが捕らえられて、死刑を宣告されるが、愛するルーシーの
ために主人公カートンがルーシーの夫のダーネイの身代わりになって断頭台の露と消えるところを追うのがやっとで、
マネット医師やダーネイの過去、敵役ドファルジュ夫妻の暗躍などを読み込むまでは至らなかった。
佐々木訳を読んだ時には、物語の大筋は把握できた。ダーネイが被告の裁判のシーンが2度あり、一度はロンドンで、もう一度は
パリ(正確に言うと2度ある)で開廷され、最初の裁判はカートンの機転で、ダーネイが有罪(すなわち死刑)となるところを
救われる。そのためカートンはダーネイ、マネット親娘と親しくなり、ルーシーに惹かれたカートンは、最愛の女性が窮地に
立たされた時には自分の身を投げ出してでも救おうと決心する。
ダーネイは元貴族で、悪行を続ける父親や叔父を嫌い、逃れるためにフランスから亡命し、ロンドンで教職に就いていた。
しかしドファルジュ夫妻の奸計でフランスに呼び戻され、パリでの裁判に出廷させられることになる。ルーシーの父親で医師である
アレクサンドル・マネットの努力で一旦は民衆を味方につけダーネイを釈放させることができたが、再度告発され今度は死刑を
宣告される。カートンがダーネイの身代わりとなったためにダーネイ夫妻とその娘、マネット医師、ローリー氏はイギリスに
無事帰国するが、それは執拗にダーネイの(エヴレモンド)一族を追いつめるマダム・ドファルジュをミス・プロスが、
死に追いやったからであった。最後近くで少しだけ読者が息をつく場面を用意していることにも、この2度目の通読の時に
気が付いた。
そうして最後の章もカートンの死を描くだけでなく、カートンが予言めいたものを書き残したとしたらという文章で
締めくくっていることも印象に残った。そこにはカートンがルーシーのためにしたことは、けっして無駄なことではなく
将来に繋がることで、マネット家の人々はカートンがしてくれたことを決して忘れることなく慕い続けただけでなく、
カートンのおかげで生を受けたマネット家の子息が法律家となりイギリスという国家のために大きな貢献をしたことを記している。
加賀山訳を読む前に私はいくつかのわかりにくかった点について、明らかにしようと思った。即ち、1.物語の始まりで、「甦った」
とあるが、どういうことなのか。2.マネット医師が果たした役割とは。3.ソロモン・プロス(ジョン・バーサッド)はなぜ
カートンに協力したか。という3つの点だが、少し長くなるが自分なりに考えたことを書いてみたい。
1.「人生に甦った」と思わず言ったのは、少し頑固なところはあるが一貫して誠実でマネット一家のよき相談相手という役回りの
ローリー氏である。彼は長い間、音信不通だったマネット医師が保護されていることを知らされ、マネット医師の娘のルーシーと
ドーヴァーで落ち合いパリに向かう。マネット医師が保護されていたのは、娘のルーシーの夫となるダーネイに大きな災いをもたらす
ドファルジュ夫妻が経営する酒場の屋根裏部屋で、後にマネット医師はバスティーユの監獄に18年間幽閉されていたことがわかる。
ローリー氏が随行のジェリーに「人生に甦った」と言ったのは、この物語の重要な伏線で、「甦った」マネット医師の行動を
注視させるという意味があるように私は思う。
2.この物語の主人公はシドニー・カートンと言われるがそうなんだろうか。またカートン、ルーシー、マネット医師、ダーネイの行動が
4本の支柱となりこの物語は綴られて行くという考え方もある。私はディケンズより少し年上のマネット医師が、「甦った」後に
結果を求めることなく東奔西走し人のために尽くすところをディケンズはこの物語で一番描きたかったのではなかったかと思う。
平凡な言葉で申し訳ないが、同世代の人への贈る言葉、応援歌として。実際、マネット医師が一所懸命ダーネイを救おうとした努力が
報われず、失意を持って余生を送らざるを得ないと思った時にカートンの自己犠牲によりダーネイの命は救われ、無事にイギリスに
帰ってからは医師としての仕事を全うする。自分のするべき仕事を精一杯していれば、絶望的な場面が現れてもくじけることはない。
思いがけない救済の手が差し伸べられて事態が好転することも人生には大いにありうることだから、最後まで諦めずに頑張れと
ディケンズが言っているように私には思える。
3.佐々木訳を読んだ時に第3巻第8章でかるたの手札(19世紀のイギリスで日本のいろはかるたが流行っていたのかと
言いたくなるところだが、これは佐々木氏が訳した当時トランプという訳語がないためこの語を用いたようである)のことを
カートンがバーサッド(ソロモン・プロス)に言っているのが気になった。
それで今回、加賀山訳をじっくり読んでみると、かるたの札というのはバーサッドの人に言われると困る弱みのことで、イギリス人
であることを隠してフランスでスパイをしていること、スパイをしていることをマネット家で働いている姉に知られたくないことも弱みだが、
カートンの言う一番のいい札というのは、ロジャー・クライというバーサッドの友人が数年前に死んで埋葬されたことになっているが、
実際は生きている。このことは彼を雇っているフランス政府が知らないことで、バーサッドがイギリス政府のスパイであるクライと
連絡を取り合っていることが明らかになると、パリで告発される可能性が充分あるということだった。このバーサッドの弱みを握った
カートンが監獄を自由に出入りできるバーサッドを利用して、愛するルーシーのためにダーネイの身代わりになって断頭台の露と消える
ことになる。理不尽でやるせない思いが残るが、このカートンの自己犠牲が大きな感動をもたらし、世界の名作となったのだと思う。
『二都物語』は歴史物と言われるが、実際のところはカートンの死で終わる 悲劇であると私は考える。だが、先にも述べたように
この物語の主人公をマネット医師と考えるなら、長い年月幽閉されていた人物が解放され、家族と再会し医師として社会に復帰し、
娘の配偶者が窮地に陥っていると聞くと危険きわまりないパリに赴き、何とか無事救出しようと精一杯頑張る。自らの努力で娘婿は
一旦釈放されるが、再び裁判にかけられ今度は死刑を宣告される。しかしカートンが犠牲になり、家族とともに無事イギリスに帰った後は、
医師として多くの人を癒す。
マネット医師を主人公と考えるのは、きっと間違っているだろう。しかしこの読み続けるのが辛い作品を読み終えるための
一助となるにちがいない。