待ちぼうけ         

曜子が時計を見ると午後6時を回っていた。曜子の待ち合わせの相手は、まだ来なかった。待ち合せの相手は幼馴染みで大学まで一緒だった美智代であった。美智代はいつも時間に遅れたことがないのに今日はなかなか来なかった。曜子は独り言を言った。
「少し話しを聞いてほしいと言うから、仕事を途中でやめて出て来たのに。それにこれから会わなければならない人もいるし...」

美智代と待ち合せたのは、四条河原町の阪急百貨店前だった。曜子以外にもたくさんの人が待ち合せていたが、ほとんどの人は10分も待たないうちに友人や恋人がやって来て笑顔を交わしてすぐにどこかへ行ってしまうのだった。
「それにしても遅いわ。何かあったのかしら」
近くで待つ人の新聞を見ると、『1985年もあと少し』の文字が見えた。
「学生時代は時間に遅れることなんてなかったのに」

曜子は私立高校で事務員として働いていたが年末年始の休暇に入るため、残業が続いていた。新人で始めて年末の勤務を経験する曜子は出来れば先輩事務員と歩調を合わせて一緒に遅くまで仕事をしたかった。同じ大学の先輩事務員の恵子に相談すると
「明日もあるし、気にすることはないわよ。わたしも今日は用事があるからすぐに退社するつもり。それよりも今日遅くなってもいいから、わたしの家に来てくれない」
と言って、にっこり笑った。

美智代と待ち合せたことは今まではなかった。なぜなら家が近所でお互いに家を訪ね出掛けようと誘うことが常だったから。曜子は京都市内で他の友人と待ち合わせる時はいつも河原町阪急前だった。彼女は河原町通に面した側の百貨店の中央あたりで待っていた。四条通側は人通りが多く、知り合いが通りかかることもある。いつもは四条通側にいて友人に出会うとその度に近況報告をしたが、今日は美智代の話しを聞いたらすぐに恵子の家へと向かうつもりだったので、できれば友人と会うことを避けたかった。曜子は美智代が来たら、美智代はまず百貨店に沿って端から端まで見ると考えて最初に佇んだ場所から動こうとしなかった。

それでも約束の時間から30分も経過すると四条通側も見なければならなくなった。四条通側に回って、百貨店を背にして立っている人を眺めているとひとりの男性が曜子に声を掛けた。
「やあ、久しぶり。卒業してから会えるとは思わなかったよ」
大学で同じゼミだった沖野だった。沖野は背が高かったので何かと目立つ存在だった。高みから見下ろすような態度と大風呂敷を広げるような話し方はゼミ仲間の反感を買うことが多かったが、曜子は沖野の話しを聞くのが好きだった。

ちょうど一年前に美智代に誘われて、沖野とその友人の小野(こちらは小柄だった)と一緒に八瀬遊園に出掛けた時のことだった。遊園地の中にある乗り物に小野と美智代が乗り回っている間にふたりで話しをする時間ができた。ベンチに並んで腰掛けると、沖野は言った。
「俺、外務省の外核団体の国際協力事業団(JICA)に就職が決まったから、2、3年のうちには日本を離れることになる。多分開発途上国に出向くことになるだろう。俺は世界に雄飛して、世界平和に貢献するんだ」
沖野は喉元まで来ていた言葉を飲み込むような素振りを見せたあとで言った。
「きみは卒業したらどうするの。そうか京都にある私立高校の事務員か。きみの友人は京都にある出版社に勤めるそうだね。小野と一緒だって言ってたなあ」
沖野が決心して曜子に話し掛けようとすると、小野と美智代が戻って来た。ふたりが戻って来るとふたりは会話をやめた。小野と美智代はふたりが突然会話をやめて、うらめしそうに自分たちを見ているのにぎくりとしたが、美智代が
「雨が降って来た。もう帰りましょうか」
と言うと、4人は遊園地の出口へと向かった。

「4人で遊びに行って以来、話す機会がなかったけど...」
沖野は何か話そうとしたが、中断した。しばらく気まずい沈黙が続いた。
「沖野君は外国へ行くって言っていたけど、いつ行くの」
と、曜子が尋ねると
「実は来月には日本を離れる。最初は短期間だけどその後は2、3年単位で海外のあちらこちらで働くことになる。きみと会うのもこれが最後かもしれない」と、沖野は感極まったように声を上擦らせた。
「話しが長くなってもいいかい。俺は人との出会いというのはここにある交差点のようなものだと思うんだ。車がこの通りを流れて行くように人の人生も流れて行く。いくつかの地点で流れが交差する。それが出会いだ。もちろん男女の出会いもそうさ。人が出会って同じ道を歩むかどうかを短い時間に決めなければならないことがある。あいにく、今俺は人を待っている。きみも知っている小野だ。大切な用事があるからと呼び出された。小野がやって来たら、もうきみとは永遠に会えないかもしれない」
そういうとあまりにも感情が高ぶり過ぎた自分を責めるように地面を見つめて押し黙ってしまった。またしばらく沈黙が続いた。

曜子は沖野が真剣な顔をして話すのを黙って聞いていた。曜子としては沖野の「告白」を神妙に聞いたが、心の片隅には友や先輩との約束のことがあった。それに沖野も小野と会う約束をしている。時計を見るともうすぐ7時になろうとしていた。

しかしここで思い掛けないことが起こった。曜子が横断歩道の方に目をやると、信号の向こうに小野と美智代と恵子の3人が並んで手を振っているのが見えたからだ。信号が変わって3人が沖野と曜子のところにやって来ると、いつかのようにふたりがうらめしそうに美智代を見つめた。美智代は最初ぎくりとしたが、友人の置かれている状況を思い遣って、おだやかな口調で言った。
「本屋さんで本を探しているとあなたの先輩の恵子さんに会ったの。恵子さんとは大学の時から同じサークルにいたこともあって面識はあったのよ。それから今日あなたを呼び出したりしたのは、小野君と最近急に親しくなったことをあなたに伝えておこうと思って。小野君と本屋さんで待ち合せていたけれど、なかなか会社を出られなかったみたい。恵子さんに今からあなたと会うことを話すと一緒に行きたいと言われたの...」

5人は言わば、三竦みのような状態になるように思われたが、美智代が思い遣りのある提案をした。
「わたしたちふたりは昨年結婚した恵子さんにいろいろとアドバイスをもらおうと思っているの。恵子さん、曜子への用事は今日でなくてもいいですか。いいとおっしゃっているから、あなた方はお好きなようにするといいわ」
そう言って、3人はどこかへ行ってしまった。

「きっと美智代が計画したんだわ...。あら雨が降り出した。沖野さん、これからどうするの」
沖野はしばらく友人たちの会話を端で聴いていて、落ち着いて来たのか、笑顔で曜子に話した。
「小野は大切な用事があると言っていたのに、そのことについて何も言わずに美智代さんたちとどこかに行ってしまったのは、俺たちのことを考えて待ちぼうけを食わせたのかもしれない。きみはそのことは結果的によかったと思っている?」
曜子は笑顔で右手を沖野に差し出すと、
「ええもちろん。永遠に待ちぼうけは困るけどね」
と言った。
「そんなことは絶対にしないよ」
沖野は、曜子の手を握ると少し強引に自分の方へと引き寄せた、そして肩を寄せあい、賑やかな京都の街へと消えて行った。

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