長編小説1
「友と語らん」

                                                                                                                                                                             

 大西は 高校卒業後、長らく浪人生活を送っていたが、ようやく京都市内にある私立大学の法学部に入学することができ、今日はオリエンテーションに参加するために大学に向かっていた。
 彼の長い浪人生活は時間がかかったということについては大きな損失ではあったが、その間、自分を見つめ直す時間ができて、自暴自棄なところがある性格も内省的で落ち着きのある性格に変わっていた。
 その彼の性格形成に大きく関わったのが、文学と音楽だった。文学は彼にまだ知らない魅力的ないろいろな世界があって、チャンスがあれば自分もそれに加わることができると確信させた。音楽は言葉がともなわない器楽曲でも、楽器の音と旋律が好ましいものであれば、人の心を動かすものと確信していた。言葉と美しい旋律は人の心を動かす力がある、それは大西が体験して実感したことだった。
 普通であれば、中学生や高校生の頃に大人の世界を垣間見せてくれる人物が現れ、その人の人生に大きな影響を与えるのであるが、どちらかと言うと引っ込み思案で、学校が終わるとすぐに帰宅しラジオばかり聞いていた大西はそういう人物と出会う機会を自ら閉ざしていたと言える。大学に入ったら、生涯の友を作ろうと大西は考えていた。

 大西が広い道から学生が行き交う細い小路に入ると学生らしい服装をした何組かの男女に出会った。彼らは楽しそうに会話を交わしていた。彼はしばらくそのふたりに視線を送っていたが、ぼくがここに来たのは勉強のためだから、そう言いながら、大学の校内へと入って行った。
 オリエンテーションの会場は法学部棟の3階だったが、始まるまでまだ時間があったので、1階のフロアーで長椅子に腰掛け時間が来るのを待った。しばらくすると、同じくらいの背格好の学生が、ここいいですかと声を掛けた。大西が、いいよと返すと、その学生は微笑んで腰掛けた。
 しばらくするとその学生はもらったばかりの学生証を取り出した。大西も自分の学生証を出して見ていると、その学生は言った。
「ああ、あなたも4月2日生まれなんですね。年齢は違うようですが…」
「そうか、君は僕より2才若いけれど、4月2日生まれの牡羊座というのは同じなんだ。ところでぼくはIクラスだけど君は?」
「ぼくもIですよ」
「そうか、2年間は一緒ということだね。よろしく。ついでに血液型も訊いていいかい」
「いいですよ。ぼくは何事もきっちりしないと満足できないA型です」
「ぼくは大雑把だけど凝り出したら熱中してしまうO型だよ」
「O型の性格ってそんなんだったですか」
「ははは、これは自分の創作の部分もあったかな。ぼくは大西だけど、君は?」
「ぼくは神田と言います。そうだなぼくはA型だけど、熱中してしまうタイプですよ」
「どんなことに」
「ぼくはギターですね。高校の時はバンドに熱中していて、文化祭のときなんかは、すごい盛り上がりでした」
「ふーん、どんなのを演奏したの。PPMとかかな」
「ぼくがいた高校では、かぐや姫や風などフォークをやるグループとビートルズなどのロックをやるグループに別れていてぼくはフォークをやってました。 大学に入ったら、アンプを繋げて大音量でクラプトンやレッド・ツェッペリンなんかもやってみたいなあ。それから…」
「ほおぉ」
「それから今流行っている高中正義のコピーもやってみたいなあ。とにかく軽音に入って、今年の学園祭で高中正義をやるのが楽しみで…」
大西は目を丸くして神田の横顔を見ていたので、神田は微笑んで切り返した。
「ところで大西さんは高校時代何かやっていましたか」
「残念ながら、これといって君に自慢できるようなことはないなあ。でも、浪人時代はクラシック音楽に傾倒して、というのも勉強のBGMに最適だったものだから、3年間もあったから主な作品はほとんど聞いたよ」
「そうですか。ぼくはクラシックの知識はないけど、4年間一緒に過ごすんですから、楽しくやりましょう」
「そろそろオリエンテーションが始まる時刻だ。3階の会場に行こうか」

 3階の会場の入口に世話役の女性の上級生がいて、席は自由席ですから、お好きな席にお掛けくださいと言った。大西と神田は大講義室の真ん中より後ろの窓際に腰掛けた。
「大西さんのクラシックの話、もう少し聞きたいなあ」
「じゃあ、張り切って話すよ。成果をなかなか話すことができなかった研究者のようにね」
「ははは、面白い表現ですね」
「その前に、君が興味を持っている。フォークについてぼくも話させてもらえたら、うれしいんだけど」
「ええ、いくらでも時間はありますから、ああ、始まった。やっぱり、今は、おしゃべりはまずいでしょう。これが終わったら、どこかで話をしましょう」
「そうだね。君の言うとおりだよ」

 オリエンテーションを終えたふたりは、学食に入り、珈琲を買って席に着いた。
「やっと、ぼくの話を聞いてもらえる」
「大西さん、なんだか楽しそうですね」
「そりゃ、そうさ。ぼくはこうして同年齢の人と話すことが少なくとも3年間はなかったんだから」
「へえ、高校時代の友人と一緒じゃなかったんですか」
「まあ、おいおい話すけど、家庭の事情で浪人生活の三年目に予備校に入って、そのおかげでここに入れたんだ。だから後がない。自分でやらないと頭に入らない質なので、語学は全部の授業に出て、訳本を作るよ」
「そうですか。じゃあ、その時はよろしくお願いします」
「これも、おいおい話すけど、成人式の日も浪人生だったんで、こんな境遇では出られないなと見送った。それから発奮して、予備校に入って勉強したんだ。それからは勉強の虫に変わったのさ。とはいっても数学は今でも駄目で、地道にやれば成果が上がる科目だけなんだけど」
「訳本、期待してます。音楽の話に戻りましょう」
「うん、ぼくも初めて聞いたのがかぐや姫のライヴというアルバムだった。高校1年の春はかぐや姫と風ばかりを聞いていたんだ」
「彼らの歌詞とメロディはわれわれに訴えるものがありますよね」
「確かに、ナイーブで繊細な若者には特にね。男らしいものや奇抜な歌詞も面白いがぼくは彼らと波長が合った」
「ぼくもそうです」
「でも、彼らを毎日のように聞いたのは夏の初め頃までだった。ゴールデンウィークの頃から、深夜放送をまた聞くようになって、あるフォークグループにのめり込んだんだ」
「というと関西フォークの誰かですか」
「近畿放送(現KBS京都)で午後11時から日本列島ズバリリクエストというのを放送していて、その水曜日と木曜日を高石ともやとナターシャ・セブン(4人なのになぜセブンなのかと思っていたけど、E7などのコードが4つの音の和音でそのことを言っているのだと最近気づいたんだ)が担当していた。毎夜最初に生演奏をするんだけどどれもが馴染みやすいもので」
「のめり込んで行ったと」
「そのとおりさ。毎晩午前1時頃まで聴いていた。彼らがすごいのは複数の楽器が演奏できることで、高石ともやはギター、フィドル(ブルーグラスではヴァイオリンをこう言う)、バンジョー、城田じゅんじはバンジョー、ギター、フラットマンドリン、坂庭しょうごはギター、フラットマンドリン、木田たかすけはベース、ピアノ、サックス、トランペットを演奏していた。それから彼らの音楽はオリジナルは少なく、アメリカのトラディショナルな曲と岐阜県を中心に活躍していた笠木透を中心としたグループの曲を主に演奏していた。いずれも土の香りのする素朴な曲で、高石の声によくあって、平凡な言い方だけれど、ぼくの琴線に触れたんだ」
「そうですか、ぼくは愛知県で育ったから、中津川フォークジャンボリーのことは少しは知っていますが、小学生の頃でしたから」
「ぼくもそのアルバムを聴いたのは最近だよ。とにかく「川のほとり」「私の子供たちへ」「めぐりあい」なんかを聴いて、のめり込んで行った。当時カセットテープに録音するのが流行っていたから、雑音が入ったテープを何度もきいて、歌を覚えたものさ」
「へえ」
「普通なら、勉強のBGMとか、休みの日にということになるんだろうけど、僕の場合、かれらに心底心酔しきっていたから、彼の歌を少しでも覚えようと思って、暇さえあれば聴いていた」
「大西さんは彼らのどんなところに引かれたのですか」
「とにかく深夜の時間帯のラジオ番組の中で生演奏で楽器を鳴らしながらハモる、これがとても新鮮だったんだ。この大学で彼らのコピーをしているのを聞いたけど、ギター1本で大勢が歌うという感じで少し、いや大分彼らの音楽と違うなと思った。彼らの1976年春に昼下がりコンサートという彼らのコンサートが円山公園の音楽堂で開催され、その時に彼らの曲の楽譜集、107ソングブックを手に入れてからは、彼らの曲を覚えるのが日課となった。といってもぼくは器用じゃないから楽器はできない。下手な歌をがなっていただけだけど」
「風やかぐや姫はどうなりました」
「もちろん彼らの音楽も好きだったから、聴いていたよ。他には、チューリップも好きだったよ。日夜、彼らの歌を覚えるのに時間が取られた。勉強の予習復習どころではなかった」
「ははは、でもそれほどまでに虜になってしまったというわけですね」
「うん、とにかく、「ヘイ、ヘイ、ヘイ」が日本列島ズバリリクエストの午前2時のエンディングでかかっていたんだけど、それまで起きていたことが多かった。その歌を聴いて、夜明けの汽車に乗って、知らない街を彷徨うというさすらいの若者というのにも憧れた。それから...」
「それから...」
「彼らが歌う歌には「陽気に行こう」「陽のあたる道」「明日になればね」のような希望を持たせるのもあるけれど、また故郷への郷愁を歌う「わらぶきの屋根」「わが大地のうた」などの曲もあるけど、たいていは「森かげの花」「私に人生といえるものがあるなら」「春を待つ少女」「浜木綿咲いて」のような失恋の歌なんだ。じんとくるこういった歌を歌って、もてないぼくは自分の世界に浸っていた。なんて人生は悲しいんだろうなんて考えて」
「それでどうなったんですか」
「そういうのばかり聴いていたんで、当然、成績は下がるだけ下がって後がない程になってしまった。最後に受けた国立大学の発表で、浪人生活が決定したとき、ぼくは途方に暮れた。というのもどこかの大学に入れると確信していたから」
「で、どうしたんです。あっ、もう5時だ。どうです、ぼくの下宿で続きを聞かせてもらえませんか。スーパーで食べ物を少し買って、酒屋さんでお酒を少し買って、ぼくの下宿に行きましょう」
「いいよ、8時くらいまでなら」

神田の下宿は仁和寺近くの鳴滝というバス停の近くにあった。4畳半一間で、中には木製の机と折りたたみ椅子、冷蔵庫、ラジカセ、テレビ台に乗せられたテレビ、炬燵が置かれてあった。神田は炬燵に入ると大西に向かいに入るように勧めた。
「ぼくは寒いのが苦手で、まだ炬燵を使っています。よろしかったら、お入りください」
「ありがとう、遠慮せずに入らしてもらうよ。ところで神田君はどこの出身なのかな」
「愛知県です。地元の教育大に入って、先生になるつもりだったんです。でも、ここでも教職の資格は取れるようだし...。さあ、大西さん、話を続けてください」
「そうだった、成績も良くない。模擬試験もよくない。それでもどこかに入れると思っていた。一浪して全部落っこちるまでは、どこかに神様が入らせてくれると思っていたんだ。ところが、さすがにそのときはもう駄目だと思ったよ」
「で、どうされたんです」
「ぼくは高校3年間、写真部に所属していたんで、そちらに賭けてみようと思って、写真の専門学校に行ったんだ。でも高額な授業料が支払えずに半年でやめた。それから成人の日にある決心をするまでは、朝に家を出て1日中ぶらつき家に帰るという生活をしていた」
「成人式の日に何かあったんですか」
「成人式の日に自分と同年代の人は大学に入って、あるいは社会人となって希望に胸をふくらませているのに、自分はひとり炬燵に入って安酒を飲んでいる。このままでいいのかと思ったんだ」
「なるほど、それで予備校に行ったんですね」
「そう、1月の終わり頃の試験は簡単で、なんとか有名予備校に入ることができた。1年間、遮二無二頑張ったら、ここに入れたんだ」
「よかったですね。で、無事入学されたところで、先の話にもどります。音楽の話ですが、今はフォークは聴かないんですか」
「ナターシャ・セブンが出ていた深夜番組が高校2年の頃になくなり、レコードとコンサートでしか彼らと接することができなくなったため、ぼくは彼らから徐々に離れて行った。浪人生活に入ってからはほとんど彼らの音楽を聴くことはなくなった。歌を歌いながら勉強するなんてできないことだということにようやく気付き、ゆったりしていて、少し感動もさせてくれるクラシックをBGMにしながら勉強することに決めたんだ。これだと5時間、10時間勉強しても苦にならなかった」
「でも、今までほとんど聴かれなかったクラシック音楽にみごとにスイッチしたもんですね」
「もちろんきっかけはあったよ。1978年4月1日から浪人生活が始まったが、その土曜日の朝に何げなくFM大阪を聴いているとクラシックの番組が始まった。その時に聴いたのが、ブラームスの交響曲第1番だったんだ」
「ブラームスですか」
「そう、シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団が演奏したものだったんだけど、今でも最も優れた交響曲を最高の演奏で聴けたと思っている。当時、エアチェックが流行っていたけど、録音したそのテープを何度も聴いているうちに、ミュンシュに興味を持ち、当時彼がボストン交響楽団と共演したLPが廉価盤で出ていたので、少しずつ購入した。もちろんFM放送でたくさんクラシック音楽を録音した」
「それが始まりだったんですか」
「そう、それから幸運だったのは、午前8時から9時まで、午前9時から10時40分まで、午後1時から3時まで、平日はこの3つの時間帯に音楽評論家のなどの解説を聞きながら、クラシックの名盤を聴けたことなんだ。ぼくの場合、普通の浪人生よりラジオを長い時間聴けたから、クラシック音楽に親しめたと言える」
「作曲家は誰が好きですか」
「やっぱり基本はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンそれからロマン派の主要な作品ということになるだろう。ぼくの場合はシューベルト、ショパン、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームスが好きなので、バロック音楽や古典派は充分に聴いていないかもしれない。今のところ、学生で、アルバイトと小遣いでレコードを少し購入するだけだけれど、就職したら、ラジオで感動した名盤を片っ端から購入したいと思っているんだ」
「就中、好きな作曲家は誰ですか」
「うーん、それは難しい質問だな。ぼくは1枚のレコードが完成品という考え方なんだ。いにしえの作曲家が心血注いで作曲した作品を20世紀の演奏家が自分なりの解釈で演奏する。その完成品を購入して自分の再生装置でじっくり鑑賞するというのが好きなんだ。レコードの利点はやり直しがきく、編集ができるということなんだが、録音技術で音色も変えることができ、それはプレミアム盤として出回っているようだから、いつかそんなレコードをそれなりの装置で聴けたらいいなと思っているんだ」
「ということは、推薦盤というのになるのかな。2、3教えてもらえますか」
「もちろん何枚でも。でも、3つに絞るのは難しいから、5枚のレコードをあげさしてほしい。まずはモーツァルトのクラリネット五重奏曲、これはレオポルド・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団が演奏しているレコードがすばらしい。次にベートーヴェン交響曲第9番「合唱つき」もちろんこれはフルトヴェングラーがバイロイト祝祭管弦楽団を指揮したもの。それからシューマン交響曲第3番「ライン」こちらはジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏、さらにメンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」ペーター・マーク指揮ロンドン交響楽団、そして最後はチャイコフスキー交響曲第5番レオポルド・ストコフスキー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のレコードが是非聴いてほしいレコードということになる。これらのレコードは落ち込むことが多かった浪人生活でぼくを、しばしば励まし勇気づけてくれた友達と言えだろう」
「そうなんですか。あっ、もうすぐ8時になる。どうです、金曜日なので今から新日本プロレスの中継があるんです。見て行きませんか」
「さっき確認したら、9時過ぎのバスが最後だったなあ。今日中に大阪の家に帰れたらいいよ」
「大西さんはプロレスを見たことがありますか」
「神田君の家はどうか知らないけど、未だにぼくの家はテレビが一台なんだ。だからぼくの好きな番組を見られるのは両親兄弟の同意を得てか、空いているときに限られる。日曜日の夜にNHK教育テレビでクラシックの番組をしているけど淀川長治さんの日曜洋画劇場と搗ち合うので残念ながら、昨年4月にモーツァルトの歌劇「魔笛」を見て以来、見ていない。もちろん勉強に専念しなければならなかったというのもあるけど」
「金曜日の夜8時は別の番組を見ていたということですね」
「というか小学校の低学年に少し見ただけで、プロレスは見なかったから。そういう習慣がなかったというのかな」
「それじゃあ、大学には入ったのを切っ掛けにして是非ファンになってください。今は新日、全日両方とも面白いですから。ぼくも張り切って解説しますから」
「よろしく頼むよ」
「ところで大西さんはプロレスラーは誰をご存知ですか」
「物心がついてすぐに力道山が暴漢に襲われたというニュースを見た記憶はあるけど闘っているところは部分的にしか見たことがない。豊登というユーモラスなプロレスラーがいたことは覚えている。公衆浴場でまねをしているのをよくみたから。ジャイアント馬場十六文キック、ヤシの実割りとアントニオ猪木はコブラツイスト、卍固めは見たことがあるけど」
「そうですか。ぼくは以前から藤波辰爾のファンで一見の価値はあると思います。今日も出ますから、まあ見ていてください。それからこちらも今売り出し中なんですが、タイガーマスクもお勧めです」
「どんなところが、売りなのかな」
「小柄なので、スピードと技ですね。とにかく見ていて飽きることがないですよ。そら始まった。じっくり見ることにしましょう」

「やあ、あっという間だったね。ぼくは前座のジュニアヘビーのタッグマッチのほうが、楽しかったよ。藤波辰爾ってすごい。それにタイガーマスクも、なんだかやみつきになりそうだ。これからも金曜日はおじゃましていいかな」
「ええ、どうぞ、どうぞ。これから4年間は仲良くしましょう。音楽や文学の話ももっと突っ込んでやりましょう」
「望むところだ。よろしく」
それから大西と神田は上着を羽織って通りに出ると、神田の案内でバス停に向かった。
「今の時間は福王寺から京都行きの市バスに乗るのがいいと思います。50番のバスに乗って四条堀川で降りられ阪急四条大宮駅に出られるのがいいと思います」
「来週から講義が始まるね。確かプロゼミが午前中あって、午後からは大講義が2つある。大講義が終わってから円山公園にお花見に行かないかい」
「そうですね、プロゼミで同士を募って行きましょう。賑やかな方がいいでから」
「そうだね。じゃあ、プロゼミの教室でまた会おう」
「ええ、楽しみにしています」
大西がバスに乗ると、扉が閉まるまで神田はそこに留まって笑顔で大西を見ていた。バスが動き出すと神田は下宿の方向にゆっくりと歩き出した。

プロゼミの授業は、法学部棟の3階の教室で行われた。午前中の2時限を使って行われたため間に10分休憩が入り、その時に大西は神田に声を掛けた。
「やあ、来ているね。どうだい、その後の京都での暮らしは」
「この前、たくたくというライブハウスに行きました。それから河原町三条にあるジャズ喫茶鳥類図鑑にも」
「そうか。ぼくはクラシックファンだから、一度、しあんくれーるという名曲喫茶に行きたいと思っているんだ」
「たくたくは酒蔵を改造した店で、演奏もよかったですよ」
「そうか、じゃあいつか一緒にいこうか。ところで今から有志を募ろうと思うけど」
「ええ、でももう3人に声掛けしているので、今日は5人で行きませんか」
「よし、それで行こう。午後からの大講義が終わったら、1階のフロアーで待ち合わせて行くとしよう」
「そうですね。3人に伝えておきます」

大西が大講義を終えて1階のフロアーに行くと、神田と3人の学生が待っていた。
「大西さんと同じ講義だったらよかったんですが、ぼくは教育原理の講義を受けたもんですから」
「そうだったね。君は教員志望だったもんな」
ふたりの話を聞いていた、3人のうちのひとりが割って入った。
「ぼくは、裁判所の上級書記官志望なんです。吉田と言います」
「そうか、ぼくも今のところは裁判官や弁護士になりたいと思っているから、いろいろ教えてもらうことになるかもしれない。よろしく」
「こちらこそ」
「ぼくは父親が警察官なので、警察官志望です。森口です」
「ところで大西さん、こちらの方もある音楽の熱狂的な支持者なんですが、わかりますが」
「ははは、神田君、そんな大げさなことは言わなくてもいいよ。ぼくはただのクラシック・ファンなんだから」
「そうですか?彼は中田君ですが、彼はジャズ・ファンでコルトレーンのアルバムを全部持っていると言っています。それから京都市内のジャズ喫茶もこの開講までのわずかの間に全部行ったとも...」
「なるほど、ぼくもそろそろ他の音楽も聞いてみようと思っていたところだから。ご教示、よろしく頼むよ」
「いいっすよ。そういうわけで、ぼくはジャズ評論家志望なんです」
「で、これから円山公園へ出て、夜桜見物と洒落込むわけですが、どうします」
「確か、12番のバスが三条京阪に行くから、三条河原町で降りて八坂神社まで歩こう。酒はそこに行くまでに買えるだろう。今日は缶ビール1本だけで乾杯といこう。冷え込んでいるから、冷たいのを飲み過ぎて風邪を引くと困るだろう」
「八坂神社からはどういくのですか」
「中田君は東京出身だから、まだ知らないんだね。八坂神社と円山公園は繋がっているんだよ」
「そうなんですか。知らなかったなぁ」

五人は最初三条通を東に進み、右側の通りに入り青蓮院、知恩院を経由して円山公園に入る道程を考えたが、繁華街を通り抜けて行きましょうと中田が提案したので、河原町通を南下し、四条河原町から四条通を東に進む道程で八坂神社まで行った。
「ようやく八坂神社に着きましたね。ここからどれくらいありますか。大西さん」
「さあ、200メートルくらいかなあ。そこに池があって、その横には有名なしだれ桜がある。そこはきっと人が多いから、もう少し先のゆっくり
 話ができるところで、乾杯しよう」
五人が池を渡りしばらく行くと茶店があり、近辺のあちこちに長椅子があった。
「ううっ、さぶっ。花冷えだし、持ってきたビールで乾杯をして円山公園をぶらぶらして帰りましょう。風邪を引きそうだ。ぼくは寒いのに弱いんです」
「確かに、神田君の言うとおりだね。今日は冷える。こうして五人で円山公園に来て桜を見ながら乾杯したということは、間違いないんだから...。そうだこの続きを近いうちに神田君の下宿でしないかい」
「ぼくはいいですよ、大西さん。金曜日の授業が終わってから午後9時くらいまでなら、お待ちしています」
「それにしても、季節が変わって友人となった仲間がが集って酒を飲みながら将来を語るあるいは誓うと言えば...」
「桃園の誓いのことですね。でもここは桜の園だから、『三国志』というより、チエーホフかなあ」
「まあまあ、固いことはいわず、お花見を楽しもうよ。とにかく大学に入学して、新しくできた友人と時間をつくって歓談ということは、きっといつまでも心に留まるだろうから」

翌週の金曜日、四講目の講義が終わると、五人は法学部の学舎の1階で待ち合わせて、神田の下宿に向かった。
「途中の酒屋で飲み物とおつまみを買って行きましょう。晩ご飯はどうします」
「空腹をかかえての話のほうが白熱化していいんじゃない」
「いいんじゃない」
「じゃあ、おつまみを多めに買うことにしましょう。ぼくの下宿はここから歩いて10分ですから。歩いて行きましょう。ぼくは自転車を取ってきますから、ぼちぼち南門を出て西の方に歩いて行ってください」
「まあ、そんなに先を急ぐ必要はないんだから、みんなでいっしょに行けばいいさ」
「そうそう」
「じゃあ、そろそろ行きますか」
大西は最初、北門を出て、龍安寺の前を通って仁和寺まで行くと思っていたが、より近い住宅街の中を通って仁和寺に出る道を通った。仁和寺から鳴滝へは10分ほどだった。鳴滝の手前の交差点で神田が解説した。
「右の周山街道をずっと行けば、高雄に行きます。真ん中を行けば、広沢池を経由して嵯峨に出ます。そうして左に行けば双ヶ丘を経由して太秦に出ます」
「詳しいね」
「ええ、吉田さんは京都のジャズ喫茶通いをされたようですが、ぼくはここへ来てから自転車であちこち出掛けました。入試で社会は日本史を選択したぼくは日本史で登場した人物の多くがこの京都で生活しているのを知っていて、その人物が生活道路として使っていた道を歩くことに興味があるんです。有名なところでは、哲学者の西田幾多郎が歩いた哲学の道なんかいいですね。この前行ったら、川沿いの道はソメイヨシノとユキヤナギが咲き誇ってました。大西さんはどうです」
「ぼくは世界史を選択したから、ヨーロッパの史跡を見てみたい気はするけど、日本史の知識がないもので...。神田君から教えてもらおうかな」
「ええ、もちろん。みなさん、そこの酒屋で自分の好きな酒とおつまみを買って、下宿に行きましょう。午後9時くらいまでならいていただいていいですよ」
神田の下宿は、鳴滝のバス停の近くの中華料理店のちょうど裏側にあった。玄関を入ると数えきれないくらいのズック靴が並んでいたので、大西は思わず、これは気を付けないと他の人の靴を履いて帰ってしまいそうだなと言った。神田の部屋に入ると神田はすぐに窓を開いたが、いにしえの京都の景色が広がるということはなく、隣の家の締め切った窓が見えるだけだった。
「そうなんです。こういう何にもない部屋だから、外に出たくなるんです」
「もしかしたら、われわれにはこういう環境の方がいいのかもしれない」
「まあ、まずは乾杯と行きましょう。われわれ貧乏学生は...」
「もちろん、焼酎純のレモン割りがレモンライム割りだね」
「いえいえウーロン茶やカルピスなんかも乙な味ですよ」
「そうかそれでカルピスの濃縮液やウーロン茶があるわけだ。でおつまみはどんなのがあるのかな」
「もちろん定番のポテチとするめそれからサラミソーセージ、チーズ、おかきなんかもありますよ」
「よしじゃあ準備が整ったから、まずは自己紹介をしましょうか。ぼくは大西大海と言います。趣味はクラシック音楽鑑賞、本は専ら西洋文学、特にイギリス文学に興味があります。この前、この神田君の下宿で、10年ぶりにプロレス中継を見ました。これも趣味になるかもしれません。それから浪人時代が長かったので、語学で落とさないように、しっかりした訳をつけるつもりです。ご要望の方は無料で差し上げますので、お気軽に声をおかけ下さい」
「それは是非お願いしたいところですね」
「自分で訳をつける楽しさに目覚めたのは最近ですが、この作業は文章を磨く練習になります。将来、そういう仕事がしたいと思っています」
「ということは、将来は小説家ですか」
「それもありかなと思うけど、やっぱりぼくはクラシック音楽が好きで、みんなにその魅力を知ってもらうことが、やりたい仕事で...実は音楽評論家になりたいんだ。さっき小説もありかなと言ったのは、クラシック音楽がモチーフになった小説も面白いんじゃないかと思ったから」
「あと、どこかの名曲喫茶でレコードコンサートをするというのも、クラシック音楽ファンを増やすのに役立つかもしれませんね」
「でも関西では、京都出町柳の柳月堂くらいだから...。やるとしたら東京のどこかでということになるだろう」
「ええっ、東京までわざわざ行くんですか。電車賃も宿泊費もかかるでしょう」
「もちろん就職して何年かして、生活が安定してからのことだよ」
「次は私でいいですか。神田明と言います。名前の通り明るい性格が私のウリです。趣味と言えばこのギターです」
「クラシックギターではないんだね」
「そうですね、大西さんは多分、私にアルハンブラの思い出か禁じられた遊びを弾いてほしいいんだと思いますが、私が好きなのは高中正義とフュージョンというカテゴリーの音楽です。軽音楽部に入って、夜遅くまで話し込んでいます」
「次は僕が行きます。吉田芳太郎と言います。僕は神田君と同じ学生会館に出入りするのですが、僕が所属するサークルは囲碁将棋部です。どちらも自称2段の実力だと思っています。それから僕にはもうひとつ趣味があって、それは深夜放送を聞くことです。前にも言いましたが、裁判所の上級書記官志望です」
「ぼくは、KBS京都が近畿放送と呼ばれていたころにはよく聞いたけど...。尾崎千秋、ザ・ナターシャセブン、諸口あきら、彼らの放送を午前1時の放送終了までよく聞いたなぁ」
「そうだったのかもしれませんが、いまはつボイノリオさんですね。ハイヤング京都という番組です。ぼくは下ネタが大好きなんです」
吉田がそう言ってSの字を横にしたような眼をした独特の笑顔で下ネタを披露しようとしたが、大西はそれを制して
「まあ4年間あることだし、吉田君の話はたびたび聞かしてもらうことになるだろう。そのときはつボイノリオさんだけじゃなく、笑福亭鶴光さんの話なんかも聞きたいなあ」
「わかりました」
「じゃあ、次は私が、森口太です。ここにおられる大西さん、神田さん、曽根さんは、本を読んだり音楽を聴いたり、楽器を演奏したり、囲碁将棋をしたりと屋内での活動をされているようですが、私はアウトドア派です。今度の夏休みには中型バイクの免許を取ってオフロードバイクを購入して、山野を駆け回りたいと思っています。家は枚方にあるのですが、後期からはバイク通学ができればと思っています。前にも言っていたように、警察官志望で、白バイが憧れです」
「じゃあ、いよいよ中田君の番だね」
「はい、ではしんがりを務めさせていただきます。中田靖之と言います。大西さんはクラシック音楽、僕はジャズとそれぞれ立場が異なるようにも思われますが、ジャズでもよく取り上げられるクラシック音楽があります。大西さん、わかりますか」
「うーん、そうだな。ぼくはビル・エバンスのロンドンデリー・エアやポール・デズモントのグリーン・スリーヴスは知っているけど...」
「うんうん、そうですね、そういう共通点もありますが、どちらも音楽の魅力を目いっぱい引き出していると思うんです。では、大西さん、それぞれどんなところが魅力になっていると思われますか」
「クラシックはやっぱり、『未完成交響楽』という映画でも言っていたけど、メロディ、リズム、ハーモニーじゃないかな。流麗なメロディ、規則正しいリズム、幾重にも重なるハーモニーなんかが魅力かなあ。でもヴァイオリンの独奏なんかは旋律をじっくり味わうものだし、合唱曲では「ドイツ・レクイエム」が最高峰だと思うけどここにも独唱者が際立つところがある。ぼくはそんなあるメロディが際立つところを聞くのを楽しみにしているのかもしれない。ジャズは即興性が魅力で、やっぱり最高峰はビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」だろう。それから金管楽器のハモリも好きなんで、「ブルー・トレイン」のA面はよくきくよ」
「ありがとうございます。大西さんも結構ジャズを知っているんだな」
「いや、それだけだよ。推薦盤があれば教えてほしいな」
「じゃあ、いくつか。じつはぼくはピアノ・トリオが好きなんですが、デューク・ジョーダンが大好きで、彼の「フライト・トゥ・デンマーク」に入っているノー・プロブレムは最高だと思います。他には、アルバムで言うと、アート・ファーマーの「トゥ・スエーデン・ウィズ・ラブ」、スタン・ゲッツの「プレイズ」、コルトーレーンの「バラード」、ジェリー・マリガンの「シティ・ライツ」、アート・ペッパーの「トゥデイ」なんかもよく聴きますね」
「そうか、一度聴いてみるよ」
「じゃあ、今度はクラシックの推薦盤をいただきましょうか。でも、手短にね」
「うん、確かにぼくの愛聴盤は100近いから、それから選ぶのも大変だから、初心者向けの3つのレコードをあげておこう。まず、フー・ツォンのショパンのノクターン、次にミルシテインの独奏、アバド指揮ウィーン・フィルの共演のメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、それからこちらもバックはアバドだけど、グルダが独奏のモーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第21番だ。まずここらあたりの耳に馴染みやすいのを聴くといい」
「ところで音楽の話ばかりじゃなく他の話なんかどうです」
「そうだね、でもどんな話かな」
「たとえば出身地の話なんか、いいんじゃないですか」
「そうか、わかった。神田君が愛知県、中田君が東京、森口君が枚方ということだが、君の出身地はどこなんだい」
「僕は滋賀県です。琵琶湖の水を産湯に使ったかどうかは定かではありませんが、生まれてからずっと、琵琶湖で水泳したり、比良山に登って自然を満喫して来ました。最近は金糞峠から少し八雲ケ原方面に行ったところで、テントを設置して一夜を過ごすのが楽しいですね。深夜放送を聴きながら、満天の星を見る。八ヶ岳は天体観測のメッカと言われているんでいつかはいきたいなあ」
「そうか、吉田君は天体観測も趣味なんだ」
「そうですね、僕が中学生のころにウエスト彗星を見て、それから天体ショウがあるときには、双眼鏡で天体を眺めるようになりました」
「ぼくも宇宙には興味がある。でも天候に左右されやすいし、ある程度の倍率の望遠鏡は必要だろう。それに都会の空では明るすぎる」
「おっしゃる通りです。この近畿内で星がよく見えるところと言えば、奈良県南部くらいしかありません。ぼくは働き始めて時間的に余裕ができたら、車とドブソニアンを買って、奈良の山奥で...」
「ドブソニアンってなんだ」
「大口径の反射望遠鏡のことです。筒の部分が簡易にできているので明るいところでは観測に適さないですが、真っ暗なところでは威力を発揮します」
「なるほど。でもぼくは、100ミリの口径の屈折望遠鏡が好きだな。友人の望遠鏡を見せてもらったことがあるけど、土星の輪や木星の縞模様、衛星なんかも十分に見えるしね」
「ぼくの知り合いは200ミリの反射望遠鏡を持っていて、これだと天候やシンチレーションの条件がよければ、土星の輪も木星もより詳細に観測できます」
「シンチレーション?」
「ええ、空気の状態といいますか。それが不安定で揺らぎが大きいと観測には適しません。大きな倍率で観測する時には空気のちょっとした揺らぎも影響するんです」
「プロレスを見ながら天体観測の話をしていたら、午後8時30分になってしまった。吉田君は今日はここで泊まらないから、そろそろ帰ったらどうかな」
「そうですね。天体観測の話題はまた今度ということで、バス停まではひとりで行けますから。じゃあ、おやすみなさい」
「森口君とぼくは今晩ここに泊めてもらうけど、中田君はどうする」
「そうですね。みんなが寝る頃に下宿に帰ることにします」
「みんなお楽しみのところ申し訳ないが、強か酔ってしまった。悪いけど先に寝させてもらうよ」

夜中に目覚めた大西は、蛍光灯の豆電球の灯りの下で神田と森口が眠っているのを見た。
「中田君が帰るのをぼんやり覚えているが、あの後どうなったんだろう。こんなに気持ちよく酔ったのは初めてだ。親しくなった友人と飲み明かすというのは、本当にいいものだな。そうだトイレに行って来よう。あそこからの景色は趣があるから」
大西がトイレの窓から外をながめると、田んぼの向こうの少し離れたところに杉が植林された山が見えた。
「こうしてながめる景色も京都だとちょっと違うなあ。あの山の形は本当に美しい。誰かが日本画の題材に使ったんじゃないだろうか。京都の空気は独特で夜明けには凛としたものになる。夜明け前に白む頃の群青色の景色は、一見の価値があると思うな。これから4年間は、神田君の下宿で一晩明かせばこの情景が見られるわけだから、ありがたいことだ」
大西が部屋に帰ってくると、神田が起きていた。
「大西さんが、カーカーといびきをかくものだから、ほとんど眠れませんでした。もう少し眠りますから」
しばらくして友が寝息を立て始めたので、大西も横になった。

午前7時に3人は順番に洗面所で顔を洗うと大西と森口は帰り支度を始めた。
「バス停まで一緒に行きましょう。50番のバスに乗れるので、福王寺のバス停まで」
「そうだね。そのバスで四条堀川まで行くことにするよ」
「楽しい宴会だった」
「そうですね。ぼくも自分の下宿でやってみたかったんです。普段はひとりで音楽を聴いたり、たまに語学の予習をしたり専門書を読んだりするだけなんですから」
「それではもったいない」
「ははは、そのとおりですね。4年間、いろんな友人が入れ替わりでやって来てくれたら、楽しいだろうなあ」
「わかった。ぼくたちも協力するから。ねっ、森口君」
「そうですね。月一くらいで宴会をやりたいですね」
50番のバスがやってきて大西と森口が乗り込むと、ふたりは一番後ろの座席に座りバス停に神田がいるか確かめた。神田が笑顔で手を振るとバスは動き出したが、ふたりは神田が見えなくなるまで手を振った。