尾中は三波と一緒に宇宙基地の一室に入れられたが、そこは透明ガラスが天井に張られた部屋だった。宇宙基地で働く人を除くと二人以外には西、広小路、大板と宇宙人、宇宙人が連れて来た劇団員だけだった。二人が寛いでいると宇宙人が皆を集めて、もうすぐ宇宙の王が到着すると言った。やがて光る物体が真上にやって来て静止したかと思うと大板がいつも乗っている宇宙船が現れ宇宙基地のドックに収容された。広小路たちは宇宙の王であり、大板の父親である人がどのような人物であるのか興味があったが、ドアを開けて現れたのはジーパンに緑色のジャージ姿の見たところ四十代の小柄で瘦身の男性だった。その男性は娘のところにやって来ると「まるさんかくしかくぐーちょきぱーにじゅうまるほしじるしこめじるし」と言った。娘が、ここに居る人がわかるように翻訳機を使ってと言うとポケットから小型ラジオのようなものを取り出しスイッチを入れた。
「話の概要は娘から聞いているが、お前たちが何をして欲しいのかよくわからない。もう一度最初から詳しく説明してもらえると有難いんだが。関係者はみなわしと一緒にその説明を聞いてほしい」
三波、尾中、西、広小路、宇宙人は頷いた。
「お父さん、まずわたしから説明するわ。こちらは大学生の三波さん、尾中さん、西さん。三人は天体観測に興味があって、特に尾中さんは中学生の頃から星に興味を持っていた。ジャコビニ流星群を見ようと夜中まで観測していたら、こちらの谷さんと名乗る宇宙人がやって来てよい印象を残したの」
「目立つ格好をして気を引いて、宇宙船を呼んでかっこよく夜空に消えたんだね」
「そうなの、そうして尾中さんによい第一印象を与えた谷さんはしばらくしてまた尾中さんの前に現れてウエスト彗星がどこに現れているか教えてあげた」
「そうすれば、宇宙のことをよく知っていると思うからね」
「そういう谷さんに良い印象を持った尾中さんは大学に入って、三波さんに自分の体験談を話した。三波さんも高校生の頃から天体観測を持つようになっていたので、尾中さんが谷さんの話をすると夏休みを利用して谷さんに宇宙を案内してもらうよう頼んでほしいと言われたの」
「それで谷さんはそれを引き受けたのか」
「彼の狙いが何かはわからないけど、地球で名作と言われている文学と関連付けて宇宙旅行をするなら、引き受けると言ったの。二人の話を一緒に聞いていた西さんは最初羨ましいと思ったけど、二人と別れて一か月経過しても連絡がないので心配になって、広小路さんに相談したの。広小路さんはわたしも相談に乗ってもらっていて、今は彼のところで働いているの。地球で不自由なく暮らしているのもこの方のお陰なの」
「娘がいつもお世話になっています」
「いやいや、こちらこそ仕事を手伝ってもらって助かっています。この後はわしからお父さんに説明しよう。わしは谷さんと名乗る宇宙人と何度か会っている。地球の若者をハントして連れ去るというのを生業にしているように思えたが、しっぽをつかまえられないようにしていた。わしは三十代の頃から刑事を志願して主に誘拐事件に携わっていたが、とても人間業とは思えないような事件に何度か携わり、これはもしかしたら物凄い能力を持った人か宇宙人が引き起こしている事件ではないかと考えるようになった。宇宙人が首謀者の誘拐事件だと話すと同僚は驚き呆れたが、わしの考えは変わらなかった。このまま宇宙人たちが思うがまま地球人を誘拐させるのは良くないと考えて、わしは警察を辞めて蛸薬師宇宙生物研究所を設立して自分なりに異常な誘拐事件を調査するようになった。成果が出始めて十年が経過してあなたの娘さんと出会い、わしの仕事を手伝ってもらうようになって三年が経過して今回の事件が起きたわけだが、谷さんと名乗る宇宙人が何を考えているのかわしにはわからない。宇宙の景色を見せて、景色に魅せられたり宇宙人と一緒に働きたいと思った地球人の若者たちが地球に帰ることなく宇宙で働いていることを知っている。本人の希望を受け入れてのことだと言い逃れをするが、一旦宇宙人から与えられた仕事に携わるようになると秘密を守らせるため心配している親元に帰えそうとしない。そんな誘拐行為を放置するのは良くない。そのような行為をなくせるようにとわしは頑張っている」
宇宙人はこのままでは形勢不利と考えたのか、会話に割って入った。
「アンタラハユウカイトイウケド、ホンニンガリョウカイシテルンヤカラモンダイナイントチャウン」
「でも一度了解を取っただけで、谷さんとのやり取りが出来なくなるようなところで働かせ、二度と会わないと言うのはおかしいわ。きっと、了解をしたものの後で後悔するということがわかっているから送ったままにするんでしょう」
「わしは宇宙の王だからあらゆることを知っていて、地球だけでなく有能な人がいる星でも宇宙を舞台に活躍できる人材を求めていることは知っている。だから谷さんと称する宇宙人がやっていることを頭から否定することはしない。いったん宇宙で働くことに同意して働いている人はわしの元で宇宙の秩序を守るために日々頑張ってくれていると思っている。だから頑張ってとしか言いようがない」
「それじゃあ、宇宙人のことを知った三波さんと尾中さんは地球に帰られないの」
「宇宙の王であるわしは誰に対しても公平であるべきで、娘がいつも世話になっているからという理由でその人を優遇したり、便宜を図ったりするわけに行かない」
「そうなると三波さんと尾中さんはよくわからないまま、一生宇宙で働くことになるのか」
広小路ががっくり肩を落とし、大板が慰めるのを見て宇宙の王は言った。
「それでは誘拐された人たちが救われないしあなたたちは納得できない。何のためにわしがここに来たのかということになる。そこで谷さん、あなたに相談したいんだが」
「ナンヤ、ユウテミテ」
「今までは一旦本人の了解を得られれば、本人が後になって後悔しても受け入れないと言うのはどう考えてもおかしい。そういう苦難に出会った人には救いの手を差し伸べなくてはならないと思う」
「ドウスルンヤ。アタマゴナシニイワレテモワシハウゴカンヨ」
「もちろん、谷さんのご機嫌を損ねては後々谷さんが恨みを募らせて取り返そうと思うかもしれない」
「ソノトオリヤ。フリダシニモドルンヤ」
宇宙人が真っ赤な顔をして大きな声を出したので慧子以外は竦んだが、宇宙人が落ち着くと慧子は笑顔で宇宙人に語り掛けた。
「それでわたしは三波さんと尾中さんの地球への帰還を谷さんが了解するよう、ひとつの解決策を提示した。オデュッセウス・チームとアンティノオス・チームでそれぞれ劇をして勝った方がその後の台本を完成させる。オデュッセウス・チームが勝てば原作通りアテーネーがオデュッセウスとオデュッセウスに殺害された求婚者たちの親戚との仲裁を引き受けオデュッセウスとペネロペイアは昔のようにイタケーで平穏に暮らすことになり物語は終わる。これはハッピーエンドなのでオデュッセウス役の三波さんとテレマコス役の尾中さんにとってハッピーエンドとなるよう、つまり地球に帰還できるように谷さんに働きかける。でももし万一アンティノオス・チームが勝てば、アンティノオスが復活してペネロペイアと結婚しアンティノオス役の谷さんが計画していたとおり三波さんと尾中さんを連れ去る」
「ツマリエンゲキノユウレツデドッチガシュドウケンヲトルカガキマルワケヤネ」
「娘は演劇の優劣を決めるのはわしということにしたが、ここでわしから提案をしたい」
「ドンナテイアンナノ」
「台本の作成はオデュッセウス・チームが西さん、アンティノオス・チームは谷さんが作成することになっとるが、それだと不公平な気がする。オデュッセウス・チームの台本はわしが担当することにしてもらえないだろうか」
「ソラ、アンタハウチュウデイチバンエライヒトナンヤカラナニヲシテモエエシワシモイゾンハナイケド・・・ナンカコンタンガアルンヤロ」
「いえいえ、不公平がないようにするためです」
「ソウカナア、アンタガオデュッセイア・チームノダイホンヲツクルンヤッタラ、ヤッパリジブンデツクッタダイホンニグンバイヲアゲルントチャウン。ソウシテミナミサントオナカサンハブジチキュウニカエルトイウコトニナル」
「とにかく取りあえずは西さんの提案通りにオデュッセウス・チームとアンティノオス・チームとに別れてオデュッセウス・チームは宇宙の王が作成した台本に従って劇をする。同じようにアンティノオス・チームは谷さんが作成した台本に従って劇をする。そうしてどちらが優れていたかは王が決め、負けたチームは勝ったチームに従う。つまりオデュッセウス・チームが勝てば三波さんと尾中さんは無事地球に帰還できる。万一アンティノオス・チームが勝てば、ペネロペイア役のわしの娘が谷さんの妻になり、三波さんと尾中さんの運命は谷さんに委ねられることになる」
「まあ、お父さん、なんてことを言うの。負けたら、わたしは谷さんに従わないといけないの。そんなことって」
宇宙の王に何か考えがあるようだったので、オデュッセウス・チーム、アンティノオス・チームのどちらも宇宙の王の提案を受け入れることにして、それぞれ与えられた楽屋で台本を作り上げてから劇を演じることになった。
宇宙の王、三波、尾中、西、広小路、大板が楽屋に入ると、大板は父親に詰め寄った。
「ま、まさか、お父さんは自分の娘をよく分からない人の妻にしようとするんじゃないでしょうね」
「いや、あの谷と名乗っている人物はこの広い宇宙でよく知られている人物だ」
「悪名高い人なの」
「わしは宇宙のすべてことを知っているわけではない。だが宇宙の有名人のリストがあって、そこに谷と名乗る宇宙人のことが紹介されていた」
「じゃあ、名士なの」
「細かいことは本人から聞くのが正確で手っ取り早い。今から聞いてもいいが、勝負の後で彼の言い分を聞くのがいいと思う」
「でも宇宙の王の資料でどうなっているのか、教えてほしいわ」
宇宙の王はそれには答えず慧子に話し掛けた。
「ああ、あなたは西さんと言ったね。わしをいちいち宇宙の王と呼ぶのは気恥ずかしいのでやめてほしい」
「それでは何とお呼びすればいいですか」
「実はわしも何度か地球に行ったことがある。地球の行事で一番好きなのは花見なんだが、それを名前にしてこれからはわしのことを花見と呼んでほしいのだが」
それを聞くと一時そこにいるものの口元が緩んだが、自分の台本が使われなくなった慧子が不満を述べた。
「わたし、二人を助けたくて配役と台本の変更を谷さんに願い出たけれど、花見さんはオデュッセウス・チームの台本は自分が作成すると言われた。なぜそのままわたしの台本を使わないの。わたしの台本に何か問題があるのかしら」
「わたしもなぜお父さんが西さんの台本を使わないのかと思っているの」
「そうだね、そこのところがはっきりしないと君たちも納得してわしが作った劇を演じてくれないだろう。実はわしの台本で劇をしようと提案したのは、わしの台本通りに演じれば問題が解決するようにしてあるからだ」
慧子は宇宙の王の説明で納得できなかったので、さらに質問した。
「わたしは演劇の内容を優れたものにして、わたしたちが谷さんのチームに勝てるようにしたのだけどそれだけでは足りないのかしら。花見さんは谷さんよりも『オデュッセイア』のことをよく知っているのかしら。物語は難を逃れて命からがらバイエーケスの島に漂着したオデュッセウスはバイエーケス王アルキノオスの娘ナウシカーと出会う。ナウシカーは最初オデュッセウスの格好に驚いていたがやがてオデュッセウスの人柄に好感を持ち、王に会えるようにして自分からも父親にオデュッセウスを助けるように頼んだ。そうしてようやく王が手配した船に乗って故郷のイタケーに帰ることができることになり無事イタケーに帰還する。この帰還のところを何度も何度も天候や怪物に阻まれながらもようやく目的を達成したとすれば劇は最後のところで盛り上がるのは間違いないわ」
「イタケーまで行くことがオデュッセウスの最終的な目標ならそれでもいいかもしれない。アルキノオス王が手配した船でのイタケーまでの航海はバイエーケスの人が守ってくれたので何の問題もなかった。でもオデュッセウスの目的はイタケーに帰ることではなく家族との再会だった。それにイタケーの海岸に到着して迎えたのは、テレマコスやペネロペイアではなくアテーネーが迎えた。アテーネーが、妻を酷い目に合わせた求婚者たちをどうするつもりか。彼らは我が物顔で3年間居付いているから策略を練らなければならないと尋ねるとオデュッセウスは、トロイ戦争から帰国したアガメムノーンのように殺されてしまう恐れがあると考えて、忠実な召使豚飼いのエウマイオスに助けを借りることにする。さらにオデュッセウスは物乞いの姿で自分の家に潜入して求婚者たちを調べるだけでなく求婚者側につく召使か自分に見方をする召使か選別していく。そうして頃合いを見てようやくテレマコスとの再会となる。このあたりの経緯を飛ばして、仮に「オデュッセウスは苦労の末イタケーの海岸に漂着した。海岸では帰国を待ちわびたテレマコスが出迎えた。船が接岸される前にテレマコスは駆け寄り船に飛び乗ると父親を強く抱きしめた。オデュッセウスはテレマコスが落ち着くと母ペネロペイアの様子を尋ねたが、テレマコスは喜びのあまり応えることができなかった」とすれば、クライマックスシーンとしてはよくできているのだが、物語に沿っていない。実際のところはオデュッセウスがテレマコスと再会した後も地道に屋敷にいる自分の敵味方を選別して、ペネロペイアが弓矢試しを提案してオデュッセウスが標的を打ち抜いた後に求婚者たちを退治していく。その後でようやくオデュッセウスとペネロペイアとの再会となる。このことを詳しく劇に盛り込むとなると長大になってしまう。しかもこの予告なしの求婚者たちの殺害が問題となり求婚者たちの親戚が押し寄せてオデュッセウスを苦しめることになる。谷さんの台本は自然の驚異や怪物の恐ろしさを面白おかしく描いて、ナウシカーとの出会いを楽しいものにすればそれで完成したものになる。それに比べてオデュッセウス・チームの台本はオデュッセウスの苦悩をきちんと間違いなく描こうとすればなかなか終わらない。事実と違っていると谷さんは台本の不備を突いてくるだろう。こういう場合の方法は一つしかない。物語のすべてがわかるようにして切り詰めた劇を演じるしかない」
花見の説明に反対意見は出されず、沈黙が続いた。ようやく広小路が話した。
「劇をしないわけには行かないだろう。西さんの台本は花見さんが指摘するように舌足らずなところがあるのかな」
「わたしの台本ではもちろんイタケーの海岸でオデュッセウスとテレマコスが抱き合うというシーンがないし端折ったところが確かにあるわ。オデュッセウスとテレマコスが求婚者たちと求婚者側についた召使を退治して、めでたしめでたしで終わってくれたらと思うけど、求婚者たちの親戚がオデュッセウスの不意打ちの責任を問い詰めて苦しめる。そこで女神アテーネーが現れて仲直り(和睦の誓い)をさせるとなっているけど、オデュッセウスやテレマコスがそれで落ち着いたという記載がないので、本当にそれで終わりなのという感じだわ。だから仕方なく求婚者たちを退治してペネロペイアに身分を明かして親子3人が抱き合うという終わりの場面にしたの」
「それに対してアンティノオス・チームの劇はオデュッセウスが海の嵐やポリュペーモスのせいでたくさんの船員を失うが、自身は無傷でバイエーケスに到着し娘ナウシカーの願いを受け入れたアルキノオス王はオデュッセウスがイタケーに帰られるように船の手配をする。筋が曲がりくねっていないのでオデュッセウスの苦難と親切なナウシカーとアルキノオス王との出会いを地獄に仏というふうに描いて喜びに満ちた明るい船出にすれば感動的で面白いものになるだろう」
三波が深刻な顔をして話すので、広小路はジョークを挟んだ。
「曲がりくねっていない筋、筋」
「あーこりゃこりゃ」
慧子がぷっと吹き出したので、皆に笑顔が戻った。
「でもあんまり凝りすぎたのを考えるより、短くてわかりやすいのがいいのかもしれない」
「わしの台本は長大だがすっきりとしている。その説明を今からしよう」
劇の招集がかかったのはそれから三時間程してからだった。先にアンティノオス・チームが演じたが、オデュッセウス役の劇団員Aの好演と裏方に回った谷が海の嵐をリアルに再現したので王はBの評価を出した。王は続いて自分が書いた劇のことを話した。
「それでは次はオデュッセウス・チームの番だが、先に劇の概要について説明したい。わしの考えは『オデュッセイア』の主人公はオデュッセウスだが、女神アテーネーの言動は物語の重要な場面を押さえていると思う。だからわしの劇はアテーネーが登場する重要な場面を繋げて物語を紡ごうと考える。西さんの語りが多くなるが、肝心のところは配役された本人に演じてもらう」
「ソレヲミジカイゲキデヤルノハムリトチャウンカナア」
「まず配役を言います。オデュッセウス:三波 テレマコス:尾中 ペネロペイア ナウシカー:大板 アテーネー メンテース メントール:広小路 ゼウス、ポセイドン、アルキノオス、エウマイオス:花見 語り:西 他の登場人物:劇団員」
「ナウシカーヲオオイタガヤルノカ、アンティノオストエウリュマコスノハイヤクガナイ、ソレデゲキガデキルンカイナ。アンマリナガクナッタラアカンヨ」
花見が作成した『オデュッセイア』のパロディ『女神アテーネーはとっても偉かった』の劇が始まった。
「求婚者たちが父親の財産を食いつぶしている。父親は不幸な死を遂げて、何の望みもない。もし父親がいたら、求婚者たちの横暴を許さないだろう」
「わたしがここに来たのはあなたの父親がイタケーに戻っていると聞いたからだ。オデュッセウスは死んでいない。神々が邪魔をしてどこか潮の流れに取り囲まれた島に引き留められていて、乱暴な連中に取り押さえられているのかもしれない」
「父親の行方がわからないため、近所の島々の領主がわたしの母に求婚しに来て家の財産をすり減らしているのです」
「帰って来ないオデュッセウスがいてくれたら、恥知らずな求婚者どもを懲らしめるだろう。オデュッセウスが帰って来られるかどうかは、神々のご裁量に任されている。あなたは彼が帰国できた場合に、どのように求婚者どもに仕返しをするのかそれともしないのかを十分思案するように勧めておきなさい。船を手配して帰って来ない父親を捜しに出掛けなさい。まずはピュロスのネストールそれからスパルテーのメネラオスをたずねるがいい」
メンテースの姿を借りたアテーネーは言い終えると鳥のように高い空へと羽ばたき飛んで行かれた。テレマコスはアテーネーから話を聞いて力と勇気が吹き込まれ、父親への思慕の念をより強く持つようになった。
テレマコスは翌朝集会をして求婚者たちに、この屋敷からみな出て行くように。自分の財産で食事をするようにと宣言した。これを聞いた求婚者たちの首謀格のアンティノオスは、威張ったものの言い方は神々が教えたのだろう。神々がテレマコスの味方をしないよう祈ると言った。また求婚者のエウリュマコスは、メンテースの姿を借りた女神アテーネーのことを問いただした。これに対しテレマコスは、父の帰国の望みは絶たれた。神さまの託宣も信じ難いと答えた。
アンティノオスを首謀者とする求婚者たちの横暴に耐えかねたテレマコスは、この屋敷から出て行かないで父の財産を食いつぶし続けるなら神さまがわたしたちの言い分を聞いて下さるだろう。ゼウス神が、報復のわざの成就をお許しくださって、あなた方に死をもたらすだろうと言うと求婚者エウリュマコスは、母親が求婚者たちに従わないので財産が食いつぶされるのだと答えた。これに対しテレマコスは、速い船と二十人の同行者で父をたずねる旅をしたい。もし父が死んでしまっていたら、葬儀を行って、母は夫となる求婚者に引き渡すと答えた。
テレマコスは父をたずねる旅行を求婚者たちに願い出たが、求婚者たちが邪魔立てして出発させないため女神アテーネーに願い続けた。するとアテーネーはオデュッセウスの信頼があった部下のメントールの姿で現れてテレマコスに言った。
「おまえは求婚者どもが言うように臆病だったり、思慮を欠いたりしていない。父と同じように仕事にも物言いにも力がある。おまえが臆病だったり思慮を欠いたりしなければ父親捜しを成し遂げる見込みが十分にある。いまは無分別な求婚者どもの策謀や思惑などを気に掛けるに及ばない。わたしが父親譲りの友だちとして付いているのだから。わたしは早い船の世話をしてあなたについていこう。水夫もわたしが集める」
求婚者で首謀格のアンティノオスが、船の手配をすると言い、他の求婚者が、テレマコスが旅の途中で死んでしまうだろうと言ったが、テレマコスの考えが変わることはなかった。女神アテーネーはテレマコスに姿を変えて、船の乗組員に招集をかけ早い船の手配もした。船を潮に引きおろして帆や綱や、装備が良い船が備える船具も揃えた。そうしてその後テレマコスの出航がわからないように求婚者たちに快い眠りを注ぎかけて家に帰らせた。そうしてアテーネーはメントールに姿を変えてテレマコスを屋敷から外へ呼び出して言った。
「仲間が船であなたが出掛けて来るのを待っている。だからさあ行こう。このうえ長くぐずぐずと旅立ちをのばしてはならない」
メントールに姿を変えたアテーネーについて行き、テレマコスは船が置いてある浜辺についたが、そこには仲間が屯していた。その連中に向ってテレマコスは言った。
「食料を積み込んだら出発しよう。出掛けることは母には言っていない。乳母が知っているだけだ」
テレマコスが船に乗り込み、アテーネーは舳先に座られた。綱を解き放つとアテーネーは順風を送られた。テレマコスが命令して樅の木の帆柱が立てられるとその帆の真ん中に風が吹き込まれてふくらみ船は進んで行った。一行は不死の神々へなみなみと酒をそそいでまつったが、とりわけアテーネーへは感謝の気持ちが強かった。こうして、一夜さなか、また明け方までも、船は道程を突進していったのだった。
テレマコスは女神アテーネーに勧められてまずネストールをたずねたが、ネストールは、トロイ戦争ではオデュッセウスはあらゆる謀りごとで他に抜きん出ていたが、トロイ戦争の後の混乱がひどかったのでオデュッセウスの行方はわからない、わたしの息子と一緒にメネラオスをたずねるのがよいと言われた。テレマコスがネストールの息子と共にメネラオスをたずねるとメネラオスは歓迎して妻ヘレネ―と共にテレマコスの話を聞いたが、メネラオスから父の行方についての話はほとんどなく滞在が長くなるばかりだった。テレマコスが旅に出たことを知ったアンティノオスは他の求婚者たちとともに船に乗り込み待ち伏せして殺害しようと待機していた。
女神アテーネーはテレマコスだけでなくオデュッセウスがカリュプソーのニンフの館に引きとめられていることも心配していた。それでゼウスに、オデュッセウスがニンフからひどい苦難を受けながら祖国に帰ることができないでいる。それは船も部下もいないからだ。テレマコスも父親捜しに出掛けたので求婚者たちが待ち伏せして殺害しようとしている。オデュッセウスとテレマコスを助けてほしいと訴えるとゼウスは、テレマコスについては引き続きアテーネーが護衛する、オデュッセウスについてはカリュプソーにヘルメースを送り、オデュッセウスに帰国を促すようにすると答えた。へルメースに依頼されカリュプソーはオデュッセウスをたずねて行ったが、オデュッセウスは海辺に座って眼に涙を浮かべ帰国がかなわないことを悲しんでいた。カリュプソーのニンフはオデュッセウスに、食糧、水、ブドウ酒をたっぷり用意するから斧で高い木を切り倒して大きな筏を作りなさい。無事にあなたの故国に帰り着けるように順風を送ってあげようと言った。今までと違ったニンフの態度にオデュッセウスは半信半疑だった。しかしニンフが食べる物、飲む物を提供してオデュッセウスと悦びをわかちあうと、夜が明けてからオデュッセウスはニンフから渡された手斧で木を伐り倒して枝を払って筏を作り上げた。その後もニンフが手伝い4日間で準備が整い、オデュッセウスは順風に帆を広げることができた。