プチ小説「東海道線の妖精 番外編」
石井はいつものように妖精のおじさんに会うために米原駅で下車して、一旦改札口を出て切符を購入してから、改札をくぐったが、いつもと違ってそこに妖精のおじさんがいて別のホームへの降り口に案内するので、後について行った。階段を下りるとそこは古い駅のホームで遠くで汽笛が聞こえた。ホームを下りたところで妖精のおじさんに追いついたので、石井は話掛けた。
「ここは現実の世界とは違うようですね」
「そうや、今から60年前の米原駅の様子を再現してみたんや」
「それはなぜですか」
「実は、わしは鉄道ファンで蒸気機関車が大好きやった。東海道線に出没するようになったんは、近くに梅小路機関車館があるからや。前にも言うたけど、わしは今までいくつかのカップルの橋渡しを、というか男性に助力を与えて来たんやが、石井はんの前に世話した男性の中に鉄道ファンがおってな。その人とは蒸気機関車の話で盛り上がったもんやった」
「そうですか。その男性はいくつぐらいの人ですか」
「昭和34年生まれの人なんや。SL(蒸気機関車)が本州から姿を消したんが昭和49年で、北海道や九州は昭和50年に姿を消した。その代わり、展示のための施設として昭和47年に梅小路機関車館ができたんやった。その人は、当時ナショナル(松下電器)が電池の購買促進のためにナショナルショップで電池を購入するとC57、D51とかC62の絵が描かれたシールがもらえたのでよく電池を購入したと言っていた」
「そうですか、50年くらい前の話ですね。その人は他にどんな話をされていました」
「彼が東海道線を走るSLを見たのは、小学生の頃やったらしいが、客車は引いていなかった。小学校1年生の頃に客車は引いていたのは、みんな電車やった。そやからその人は充分にSLの雄姿を見られなかったという残念な気持ちがある。それに完全に姿を消して1年か2年ほどして東海道線の一部区間を運転するというのがあったんやが、生憎その人はその時もSLの雄姿を撮り損ねた言うとった」
「どうしてですか」
「その蒸気機関車は吹田から京都まで走る予定で、その人は景色がよい大山崎で写真を撮るつもりで張り切って出掛けたんやったが、茨木駅の手前で見物に来ていた人と蒸気機関車が接触して、その後の運行が取りやめになったらしい。その人は3時間ほど待っても汽車は来ず、取りやめになったと聞いて、なんでーと叫びながら、泣く泣く帰途に着いたらしい」
「それは気の毒でしたね。もしそういうことがなければ、恒例行事となり、毎年、機関車の雄姿が山崎あたりでも見られたかもしれませんね」
「そうかもしれんなぁ。そういうことがあったから、それからは、大井川鉄道、山口線、磐越西線、上越線、肥薩線なんかでしか見られんようになったんとちゃうやろか。それからわしがもっと残念に思っとるのは、、令和元年に廃止になった米原から木ノ本を走っとった北びわこ号や。後悔先に立たずやが、早く乗っとったらよかったなぁとめっちゃ悔やんどる」
「蒸気機関車を新しく製造するわけに行かないですし、運転士、整備士も研修施設で一から養成するわけにいかない。このままではいつか蒸気機関車は展示施設、駅、公園なんかで展示されるだけになってしまいますね」
「SLの雄姿をもっと見せたら、子供たちは喜ぶやろし、動態保存している汽車に客車を繋げて走らせようという話が出て来るかも知れん。テレビの過去の映像を見るだけでは、これをいつまでも残したいというのではなく、ああ、こういうのが昔あったなぁで終わってしまうような気がする」
「でもコロナ禍で新幹線なんかの乗客数が減っていて、JRも大変だと聞きますよ」
「そうかあ、でも、SLに今でも憧れをもっとるわしらとしてはいつまでも現役で走ってほしいな。いつまでも子供たちに夢と希望を与えるものとして。それには近くで実際に走ってもらわんとあかん」