プチ小説「東海道線各駅停車内のある光景」

私の同僚に猛者がいた。風貌も野性味に溢れていて、頬から下は髭が甲子園球場のツタのように縦横無尽にはびこっていた。そんな彼は会社員なので、最低限の礼儀と常識は弁えていたが、どちらかと言うと不愛想で近寄りがたい存在だった。私の家の近くに彼は住んでいたので、電車で出掛けるとなると利用する駅は同じだった。たまたまその日私は久しぶりに遊びで東京出掛けるところだったが、摂津富田駅の改札をくぐり抜けてホームへの階段を下りるとホームのシートに腰掛けた彼がいた。彼は大きなショルダーバッグを隣の席に置いていたが、私に気付いても頭を下げるでもなく、もちろん席を譲る気配も見せなかった。電車が来るまでに何人かお年寄りが彼の近くを歩いたが、彼は股を開いて腰掛けたままで、席を立って、どうぞここに座って下さいと言うようなことは、これっぽっちもなかった。しかし電車が来ると彼はばねが入っているように勢いよく立ち上がり、電車の入り口の隙間からうまく車内に入り、電気掃除機に吸い寄せられたように1つだけ開いていた席にお尻をねじ込んだ。
私は最後に電車に乗り込んだが、彼の行動は外から窓を通してずっと見ていた。もしかしたら、彼は私にvサインをして見せるのではと期待したが、それはなかった。ほっとして、少し口元が緩んだような気がした。私は、彼のようながめつさがないと出世できないのかなと思ったりして背中越しに彼を見ていたが、次の高槻駅で彼の隣の席の人が下車したので、H君はさらに股を開いて楽にした。私が、あれでは彼の横には座れないなと思っていたところ、小学校4年生くらいの男の子が腰掛けた。H君は相変わらず大股開きをしていたが、私の真ん前、H君の向かい側の席が空いたので、私はその席に座った。
私はしばらく本に目をやっていたが、島本駅を過ぎて正面を見ると、H君の横に腰掛けた小学生が居眠りを始めたようで、電車の揺れに合わせて大きく自分の身体を動かしていた。しばらくすると特等席を見つけたように、H君の脇の下あたりに後ろ頭をのせた。私は、最近の小学生は遅くまで勉強して疲れているんだろう、でもゲームかもしれない。いやきっと勉強で遅くまで起きていたんだなどと思っていると、小学生がH君の脇に頭をねじ込むようにし出したので、H君は隣の人にかまわず反対方向に少しお尻を滑らせた。小学生は手ごたえ、いや頭ごたえがなくなったからか、反対方向にゆっくりと頭を動かしていった。そちらの方には女性がいて、しばらくはまだ幼い小学生のことだからと我慢していたが、いつまでたっても肩から頭を離さないので、席を立って別の車両に移動した。
行き場を失った小学生の頭はしばらくシートの上にあったが、すぐに風に巻きあげられるようにして反対側のH君ところへやって来た。最初と違って胸の前のところでゆらゆら頭を動かしていたので、H君は前以上にうっとうしく感じたようだが、小学生の居眠りは簡単には覚めないように思えた。私は一度顔を上げてからは二人から目を離すことはなかったが、H君にはそれが不快だったようで、私に向かって、こら、じっと見てないで何とかしろと周りの人に聞こえないように小さな声で言った。それが小学生の耳に入ったようで、小学生は突然、床に座り込んで、H君の太もも辺りに顔を押し付けて、先生、すみません、もうしませんからと言って頭を上下させた。H君は、その度にからだを上下させた。私は、なぜそこまでやっていて小学生の目が覚めないのが不思議だったが、小学生はそれが済むと席に座り直してまた大きくからだを横に揺れ動かした。H君は、自分が蒔いた種で不幸を招いたので、それ以降は小学生に構わず、じっと京都駅に電車が付くのを待っているように見えた。
西大路駅を出てしばらくすると、小学生は突然横揺れを止め、電車が京都駅に着くと元気にホームに飛び出した。子供は、眠から起の切り替えがすぐにできるようだった。しかししばらくすると何か落とし物をしたのか、私とH君のところに戻って来た。私が驚いたことにその少年はH君の方に手を伸ばして、おじさん、ありがとうと言って、帽子を受け取った。そこで私は、H君が何を言うんだろうと期待したのだが、さあさ、急いで、遅刻するぞとだけ言って、頭を撫でただけだった。小学生が一度だけ振り返って笑顔を見せて人ごみの中に消えると、H君は私に、これがふたりの毎朝のお楽しみなんだと話して照れ臭そうに笑って見せた。