プチ小説「名曲の名盤 ベートーヴェンの室内楽編」

「ベートヴェンの室内楽と言えば、編成が大きいのから言うと、セプテット七重奏曲になりますが、弦楽四重奏曲、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタなどに名曲がたくさんあります」
「その通りや。ほやけど、わしの場合は偏りがあってな、申し訳ないけど、弦楽四重奏曲は第7番以降、ピアノ三重奏曲は「大公」だけとなる」
「ヴァイオリン・ソナタとチェロ・ソナタはどうですか」
「最近になって、どの曲も素晴らしいと認識できるようになった。まずは、七重奏曲から行きましょか」
「そうですね、交響曲で言えば第1番が作曲された若い頃の作品ですが、それからシューベルトはこれと似た編成の八重奏曲を作曲しています。弦楽器ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスに加えて、クラリネット、ファゴット、ホルンの管楽器が加わって、彩り豊かな世界が広がっていきます」
「わしがクラシック音楽を聴き始めの頃、たまたま当時東京の神田にあった中古レコード店パパゲーノで、NIXA盤のこの曲のレコードを購入したんや。NIXAというのが、Wesiminsterの後発盤ちゅうのも知らんかったし、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを演奏しているのが、弦楽四重奏曲ではファーストチョイスと言われるバリリ四重奏団のメンバーが3人とクラリネットの名手レオポルド・ウラッハが入ってて、名盤ちゅーのも知らんかったけど、ジャケットの楽器のイラストに惹かれて購入したんやった。わしはそれまで管楽器のことはあまり知らんかったんやけど、クラリネットを演奏するウラッハに魅せられた。それから暫くは、ウラッハのレコードを買い集めた。七重奏曲はヴァイオリンがもうひとつ加わるシューベルトの八重奏曲より地味で、あんまり聴かへんけど、たまに初めて東京にレコード漁りに出掛けたことを思い出してこのレコードを聴くことがある」
「弦楽四重奏曲はどうですか」
「やっぱり、中期のラズモフスキー第1番、第2番、第3番と「ハープ」がわしは好きやな。アルバン・ベルク四重奏団やスメタナ四重奏団の後期弦楽四重奏曲がええっちゅー人がおるけど、わしにはわからんかった。バリリ四重奏団で第12番のレコードを聴いたけどわからんかった」
「鼻田さんはよく、わからんかったと言われますがどういうことですか」
「例えば、メロディーが際立って、心に沁みたり、熱くなったりする。これがひとつやな。もうひとつは技巧が優れていてこれは凄いと思うことやな。やっぱり音楽を聴く目的は旋律に魅せられることと演奏者がいかに作曲家の意図を読み取って演奏に反映させるか、凄いと思わせるかやと思う。もともとそういうのがないのはレコードにしても面白ないのかもしらん。ほやけど、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲には絶対そういうところがあると思うから、誰か引き出してくれへんかなと思うとる」
「ラズモフスキーと「ハープ」は何がいいでしょう」
「ラズモフスキーはやはりバリリ四重奏団がええんとちゃう。第1番はたまに聴くよ。第1番の名盤はもうひとつあって、わしはブタペスト弦楽四重奏曲のが好きや。ほやけどブタペスト弦楽四重奏団は3回もベートーヴェンの弦楽四重奏曲を録音しとるから気をつけなあかん。2回目のは1951~52年の時のモノラル録音やから音も悪い。わしも何回か間違って買うてしもうて、えらいことしたと後悔したもんやった。Columbia盤を買わんとあかんよ。第10番のハープは、スメタナ四重奏団のPCM録音のCDを買うてから、いろいろ聴いてきた。一時よう聴いたんは、ウェラー四重奏団やね。それからウィーン・コンツェルトハウス四重奏団もええ」
「弦楽四重奏曲第7番「大公」はどうでしょう」
「カザルス・トリオかオイストラフ・トリオそれからフルニエ、ケンプ、シェリングのトリオなんかがええなあ」
「ヴァイオリン・ソナタでは、第5番「春」と第9番「クロイツェル」に人気がありますが」
「どの曲でも素晴らしいのはやっぱりオイストラフやな。オボーリンの伴奏もええし。全曲盤でわしが個人的に好きなんはちょっと古いけど、クライスラーのレコードかな。「春」はいっぱいええレコードがあるけど、はじめて聴いたんが、イツァーク・パールマンとウラディミール・アシュケナージやったから、耳にこびりついとる。パールマンの明るい音色がこの曲にぴったりやと思うとるから、今でも一番好きかな。オイストラフよりも。第9番はそれこそ名盤の宝庫やわ。オイストラフ盤もええけど、わしが一番好きなのは、ジャック・ティボーとアルフレッド・コルトーが共演したレコードやな。1927年とも1929年とも言われるめっちゃ古い録音やけど、一聴の価値はあるよ。もうひとつ物凄い演奏があるんやけど、田中君は、ハイフェッツの「クロイツェル」は聴いたことがあるのかな」
「ミュンシュ指揮ボストン交響楽団と共演したヴァイオリン協奏曲はありますが、「クロイツェル」はありません」
「ヴァイオリン協奏曲もテンポが早くて有名やが、ベンノ・モイセイヴィッチと共演したレコードはさらに物凄いスピードなんや。速いテンポで正確な演奏をすることをウリにしていた演奏家の面目躍如というところや」
「最後にチェロ・ソナタはどうですか」
「わしは第3番より第1番の方が好きやな。カザルスはカザルス・トリオの全盛時代にコルトーと一緒にこの曲を録音していないが、残念でならない。でもルドルフ・ゼルキンと録音したレコードは好感が持てる。この第1番が素晴らしい。第3番はムスティスラフ・ロストロポーヴィチとスヴャトスラフ・リヒテルの共演がいいと思う。ピエール・フルニエとウィルヘルム・ケンプが共演した第1番と第2番を一時良く聴いていて、余りの切なさに目頭が熱くなったのを覚えている」
「そうでしたか」