プチ小説「名曲の名盤 寒い日にピッタリの名盤編」

「いよいよ本格的な冬が到来しました」
「ホンマ、京都から雪の便りも届いたしな。そんなぴゅーっと寒い風が吹いている時に、ぶるぶると震えながら聴くと心地よい名盤があるのを田中はんは知ってるか」
「えっ、そんなレコードがあるんですか。ぼくは冬は暖房がきいた部屋でソファーに身を沈めてホットコーヒーをすすりながらクラシック音楽を聴くのが好きなので、そんなレコードがあったとしても、聴かないと思います」
「まあ、普通はそうやけどな。船場はんは長い浪人時代と学生時代には、今みたいにエアコンで温かくしてデスクワークをすることはなく、炬燵にはいってドテラと着てデスクワークをしていたらしい。その時のように手がかじかんで、ホットレモネードを矢鱈飲んで、震えながら勉強する時にめちゃくちゃ快適だったレコードがいくつかあるらしいで。だから今でも、船場君は、ぴゅーっと寒い風が吹いて、ぶるぶる震えたら、昔を懐かしんでその曲を思い出し、レコードを聴きたくなる言うとった。田中君は、そんな曲はないのかな」
「一般的には、ロシアや北欧の曲なんかが、そんなイメージじゃないですか。有名なところでは、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、さぶいイメージなら、ムラヴィンスキー盤でしょうか、グリークのピアノ協奏曲、これはルビンシュタイン盤でしょうか、それとシベリウスの「フィンランディア」や「トゥオネラの白鳥」なんかも短い曲ですが、身が引き締まる気がします」
「そうやなあ、シベリウスの曲はしゃんとするね。船場はんも、シベリウスの交響曲第1番は真冬に北海道の雪原に放り出されたような孤独で寒くて辛い気持ちになるけど、第2楽章、第3楽章と続けて聴いているとだんだん熱くなってきて、最後の楽章では美しい音楽に心底救われたような気分になると言っていた」
「確かに第4楽章のテーマは美しいですね。さっぶぅーで始まって、心が温かくなり、最後は美しいメロディに魅了されるわけですね」
「船場はんは、貧乏時代にこうして手軽に哀しい気分とそれから開放されるのを楽しんでいたらしい」
「そうなんですか、それならぼくも出来そうだから、この冬やってみようかな。誰が指揮したのがいいんですか」
「船場はんの話では、アンソニー・コリンズ指揮ロンドン交響楽団が、ジャケットの絵柄もいいし、演奏も最高やということや。そんなレコードがあとふたつあるから、ついでに紹介しておくわ」
「是非、お願いします」
「一つ目は、チャイコフスキーの交響曲第4番や」
「なるほど、確かにあの信号のような最初の楽章の冒頭で奏でられるテーマは確かに温かみのない寒いメロディですね」
「ターン タタタタターンタ ターン タタタタターンタ タタタターンタ タタータター ちゅーやつや。これはほんま突き放されて大雪原に放り出されたようで、ほんまさぶいわ」
「その次の楽章も、雪原をあてもなくトボトボ歩いているようで、哀しいですね」
「そやけど、第3楽章スケルツォは弦楽器がすべてピチカート演奏で度肝を抜かれる。高度な演奏技術が必要でしかも後に勇ましい第4楽章が控えとるから、バランスも難しい。こじんまりと終わる訳には行かへん。そやからなかなかレコーディングされない名曲なんや。そやけど最後の楽章まできっちり演奏出来たら、これは確実に感動もんや」
「そうですね。やっぱりウィーン・フィルとかベルリン・フィルがいいんですか」
「わしの一押しは、コンスタンティン・シルヴェストリがフィルハーモニア管弦楽団を指揮したレコードや。フィルハーモニア管弦楽団は、オットー・クレンペラーをはじめ沢山の名指揮者が指揮しとる。イギリスでは、ロンドン交響楽団とフィルハーモニア管弦楽団が2大オーケストラと言える。EMIも数多くのレコードを残しとる。シルヴェストリはあまり有名やないが、この曲とドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は名盤と呼ばれている」
「もう一つは何でしょう」
「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をショパン弾きのヴィトルド・マルクジンスキーがピアノ独奏、パウル・クレツキがフィルハーモニア管弦楽団を指揮したレコードがこの季節に聴くと妙に心に沁みて最初はひんやりするが、だんだんぽかぽかしてくる。船場はんは、この3曲を聴くと寒さが身に沁みるので、温かい飲み物を用意してくださいと言っていた」
「ぼくも、手軽に哀しい気分とそれから開放されるのを楽しみたいので聴かせていただきます」